2009年10月24日土曜日

急勾配の碓氷線の電化を支えた旧丸山変電所







明治時代のレンガ造り建築物に興味があったので、富岡製糸場に次いで旧丸山変電所に行ってみた。今、地域で世界遺産登録を目指そうとしている碓氷峠鉄道施設だ。

 10年ほど前に、終着駅となったJR信越線横川駅から旧碓氷線の下り線路跡を改造した遊歩道「アブトの道」を碓氷峠鉄道文化村を右手に見ながら、碓氷峠の森公園へ向かって歩く。旧碓氷線の上りは、「ぶんかむら駅」から「とうげのゆ駅」までトロッコ列車が土日、休日に運行されている。

 2kmほど歩くと、赤い煉瓦造りの建物が見えてくる。こんな人里離れた山間にある建物だから直ぐにそれと分かる。

 1893年(明示26年)、急勾配の碓氷線横川―軽井沢間約11km、標高差約550mの峠越えをアブト式鉄道が採用されたが、1911年(明示45年)日本で最初に電化されることになり、この変電所が建設された。

 2棟からなっており、1棟は変流器や変圧器が収められた機械室、もう1棟は、必要な電力を供給するために蓄電地室で、312個の蓄電池が配置されていたそうだが、1963年に新線が開通することになりその役割を果たした。1994年(平成6年)に国指定の重要文化財に碓氷峠鉄道施設として指定された。

 レンガ造りで格調高い建物であることは分かるが、外側は痛んできている。蓄電池室は、窓は曇りガラスで、中の様子は伺えない。充電中は水素と硫酸が室内に発散するために通気に気を配った作りになっている。屋根には換気窓らしいモノもある。

 機械室は、交流電流を直流電流に変えて機関車に送電していたので変流器と変圧器が置かれていたらしいが、今はそれらしい器機は見あたらない。換気塔の残骸やレンガ、碍子、鉄材などが無造作に放置されている。

 そう言った機器類がきちんと保存されていれば、この建物の評価は上がるのだが、残念ながら建物だけでは価値が半減するように思えた。ここを通る観光客は、ほとんど建物だけをデジカメや携帯電話で撮し、通りすぎる。私のように窓の外から中を撮影している者はいなかったが、世界遺産登録を目指すのであれば、保存の仕方を工夫しなければならないと思う。

 この道を更に登って行くとトロッコ列車の終着駅「峠の湯」につく。さらに旧線を碓氷峠に入っていくと、いくつかのトンネルを過ぎて、名勝の「めがね橋」まで行ける。

 このメガネ橋と旧丸山変電所が、絹産業関連の世界遺産登録リスト入りの準備をしている。

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