2009年5月29日金曜日

やっとマンションの購入にこぎつけた




来年4月から私達夫婦の生活も大きく変わる。孫が小学校に上がるので、9時頃送り出し、2時頃迎えてやらなければならない。娘夫婦の住んでいる家は狭いので、私達が近くに住まいを見つけなければならなくなった。
 
 しかし、今住んでいる所がまずい。大田区久が原は区内では3つの高級住宅地の一つで、兎に角販売価格が高い。不動産屋に言わせれば高くても売れるらしい。

 娘が一生懸命に毎日の新聞折り込み広告で、一戸建て、新築マンション、中古マンションのチラシとにらめっこしている。良い物件があると私達も行って見学した。場所は久が原一帯、価格、買い物に便利か、孫が一人でも来ることが出来る距離なのかが選択条件になる。

 会社倒産で銀行に差し押さえされた7年築の一戸建てが売りに出た。8000万近い売値が付いたが、途中で7500万円に下げられた。私達は7000万円を切る価格を提示し交渉したが、銀行がウンと言わないことで断念した。後で聞くと提示価格で売れたという。久が原は、新築、中古を問わず、出れば売れると不動産屋は強気だ。

 小学校の近くで4年築の中古マンションが出た。5000万円近い値で、購入時も4000万円台だったという。「中古マンションを購入時より高い価格で売るとは何事だ」と4500万円を提示したら、真ん中をとって4780万円でどうだと言ってきた。それぐらい出せば新築マンションなら買えると思って断念した。

 マンションは資産価値がないというが、人気度、売る時期がよければ、高い売値で売却できるらしい。

 家内は「こんなに働いても私達は、東京に家が持てないのね」とがっかりしている。

 ゴールデンウィークを過ぎ、家内が東京で2日間研修があると言うことで、一緒に娘の所に行くことになった。途中で今建築中のマンションのギャラリーがオープンしており、寄ってみようかと言うことになった。予約制であったが待たなければならず翌日に再度来ることにした。
 
 新築で、広さは72.5m2、3LDK、価格も5000万円弱、孫の小学校からも近い。条件としては良さそうだ。「もっと安くしろ」と言うと、2007年に6000万円を超える価格を付けたがこれでは売れないだろうと言うことで、高品質は保ったままで価格を下げての販売だという。鍵の引き渡しも来年1月末で時期的にも要望にあっている。

 営業担当者は思い入れのある物件らしく、本物志向でオウセンテイックハウスと言う名称が付いている。岩盤の状況、耐震設計、工事仕様の展示、モデルルームなので参考になるレイアウトもある。年配者に配慮した設計、セキュリテイーもしっかりし、高級感あふれるエントランス、エレベーターの位置など、高品質を保つためにいろんな工夫がされている。家内は感心するが、すべて購入者の負担になっているのだ。
  いろんな物件を見てきたが、この物件が買い時だろうと考え契約した。

2009年5月26日火曜日

政権交代は一時の夢か




最近まで誰もが予想してたのは、民主党小沢代表では選挙で負けて政権交代の目はない。鳩山代表では「いいとこ勝負」、岡田代表で政権交代ありだった。しかし、小沢さんは政治献金疑惑について何ら説明することなく権威を残したまま代表を辞任し、すっきりしない形で鳩山さんが代表についた。人気を回復したとは言え、比例区では民主党優勢でも小選挙区では自民党が強そうだ。
 このままでは政権交代は難しい。
 小沢さんは選挙に強いということで引き続き選挙担当になり、地方行脚を再開したが、やっていることは自民等式のドブ板選挙と連合傘下の組合と共闘する旧社会党のやり方をミックスした方法だ。
 それに加えて、有権者に耳さわりの良い、財源は別にした政策を打ち出すので小沢さんのいうことに期待する向きが多かった。
 しかし、岡田さんが言うように「財源無くして政策なし」だ。民主党の政策を与謝野さんは「少し幼稚過ぎる」と反論していたが、政策への実現性を考えると不安になる。根本的に見直しすれば20兆円ぐらいは確保出来ると言うが、官僚が今までの利権利得をさらけ出して協力するとは思えず、官僚のサボタージュにあって行き詰まる光景が目に浮かぶ。
 今まで、小沢代表時から提案してきた政策と、これから作成されるマニフェストで政権担当能力が試されるのではなかろうか。小沢さんは例の自民党との連立構想が持ち上がったとき、民主党幹部の猛反対にあって断念したが、その時、「民主党には政権担当能力はない」と言い切った。
 今はどう思っているのか。
 政権交代がいわれるようになった背景には、官僚主導政治への不信、自民党長期政権への飽き、族議員・官僚丸抱えの税金のムダ遣い、年金制度に見られるような数々の制度疲弊が上げられる。その実現に向けては、政権交代出来る政党があることだが、今の民主党に頼れるのか。
 民主党は国民の期待にどう答えるのか。鳩山政権は小沢傀儡政権だと評されているうちは疑問が残る。いつ「脱小沢」に転換できるかだ。
 一方で、自民党だって黙ってはいないだろう。
 総選挙に向け生き残りをかけた戦術に出てくる。何やら抜け穴がありそうな世襲制度の導入、国会議員定数の削減等新しい政策が上げられている。若手議員を中心に税金の無駄づかいをあぶり出すプロジェクトチームも活動している。従来の自民党ではなく、新しいリーダーで改革を進める新しい自民党が現れ「CHANGE」の可能性が出てくれば選択肢は広がる。
 
 要は、鳩山民主党が「財源の裏付けのある」実現可能な政策をどう打ち出してくるか。官僚主導政治から、政治がどう主導権を取り戻せるかにかかっている。政治のあり方を根本からどう見直すのか。世襲制限など国会改革などの自民党の案との違いをはっきりさせることも重要だ。優秀な若手議員の活動も期待したい。

 巨大な官僚機構を政治が動かすのは並大抵のことではない。どの程度やれるか分からないが、目安は小泉政権のやり方が参考になる。自分たちの利に反する事はサボタージュする官僚に手を焼くことになるだろうが、公務員制度改革で主導権を取り戻して欲しい。国家公務員(地方公務員も)は身分ではなく職業なのだ。

 政権交代は民主党のやり方次第であるが、自民党の出方によっては政権交代なき改革も可能になるのだ。

2009年5月24日日曜日

産廃処分場建設反対運動は2本立ての訴訟で進む







産業廃棄物最終処分場の新規許可件数が平成12年以降平均30件程度で、平成17年には32件で前年に比べ6件減少した(産業廃棄物行政組織など調査(平成17年実施)。
平成8年には193件、法改正があった9年でも129件あったことを考えると激減である。
 
 10年前は産業廃棄物最終処分場の残余年数も2~3年で、このままでは産業活動に支障を来すと見られていたが、処理費用が高騰したが、困ったと言う話は聞かない。リサイクル意識の向上などで排出量も減って、採算がとれず中止になった計画もある。

 しかし、多くは地域住民の建設反対運動で計画がスムーズに運ばない例が多い。建設反対運動は、設置許可取り消し、工事差し止め・操業差し止めなど2本立ての訴訟が提起されている。

 その建設反対運動で、千葉県が出した設置許可を取り消す住民訴訟の控訴審判決が5月20日 東京高裁は許可を取り消した一審判決を支持し県の控訴を棄却した。住民側が控訴審で勝ったのは全国初だという。

 この住民訴訟は、別に建設・操業差し止め訴訟も平行して争っており、建設工事は2002年に中断したままであるが、この住民運動の背景もしっかり知っていなければ、理解できない。

 この房総の地域は、首都圏から近く、交通の便も良く、不法投棄や産業廃棄物最終処分場の銀座と言われ、多くの問題を抱えている。地域住民はこれ以上の不法投棄や最終処分場を拒否し、子や孫のためにも少しでも良好な自然環境を残そうとしているのだ。

この最終処分場は(株)エコテックが計画し、千葉県旭市など2市1町にまたがる面積約6万2000m3で、金属くずやがれきなど10種類以上の廃棄物の搬入が予定されているが、1998年の住民投票では98%の人が反対した。

当初千葉県は許可しなかったが、業者側が行政不服審査請求で当時の厚生省が不許可処分を取り消し、千葉県は2001年に建設を許可したため2001年12月に工事が開始された。

建設・操業差し止め訴訟では、2002年12月、住民らによる建設差し止めの仮処分が申請され、2003年6月5日千葉地裁で住民側の申し立てが却下されたため、建設差し止めを求めた訴訟では千葉地裁が2007年1月に差し止めを命じ住民側勝訴であったが、業者側が控訴している。

一方、設置許可取り消し訴訟では、2007年8月21日千葉地裁の判決では「県は、授業主の経営基盤に関する調査が不十分で、適正管理は困難、住民に危害を及ぼすおそれがある」として許可取り消しの判断をした。これに対して県が控訴。当時の堂本知事は環境省に設置許可基準を明確に示すように要求していた。
その東京高裁の控訴審で「県は環境影響評価や住民からの意見聴取などを行っておらず、許可手続きに重大な欠陥があった」と指摘、一審判決を支持し、県の控訴を棄却した。森田県知事は「判決文を詳細に読んで、今後の対応について検討したい」とコメントした。

この行政訴訟の争点の一つに、法改正前の申請に対しても、改正後に新たに加わった要件を適用すべきかどうかにもあった。この申請は改正前の1998年に出され、2000年の改正で「環境影響評価の報告」「住民からに意見書提出」が強化されたが、判決では改正前の申請にも改正後の要件が適用され、県の処分は違法であるとした。

当時は、大規模開発に対しては「環境影響評価」「住民の同意書」は必要であったことを考えれば仕方ないことかも知れない。

両訴訟共に、業者、地域住民、県が泥仕合を展開している感がする。

住民側の争点は、遮水工の信頼性に問題があり地下水や飲料水源の汚染の危険、事業者の資金繰り経営基盤の脆弱性と経営不振による許可外の廃棄物の搬入の危険、維持管理への心配、埋め立て物の飛散による生命、身体への直接的な危険などがあげられる。

そこでもっと詳しく知るべく、2003年6月の「産業廃棄物最終処分場建設差し止め等仮処分命令申し立て事件」の決定書を住民代表のご厚意で入手し、検討することが出来た。

この決定によると、最終処分場は社会的にも必要なものであり、遮水システムも品質、耐久性においても問題はなく、きわめて信頼性が高く安全である。また住民側が主張する有害物による地下水汚染はなく、健康被害においても十分に立証されていない。資金繰りについても、確かに20数億円も必要で積極資産を有していないことは認められるが、操業開始後の収入などを考慮すれば、採算性のある合理的な計画であると評価している。

健康被害への立証を素人である住民側に要求することは、相当厳しい事であるが、計画されている遮水システムは、2重構造で閉鎖後はキャピラリーバリア型覆土をするなど、当時としては水準の高い構造の最終処分場である。この構造での処分場を否定されると建設は不可能に近くなる。また、維持管理についてもしっかりした会社が見るようになっているが、裁判長は「安全性の根拠が失われれば、操業などの差し止めを認める事がある」とも注意を喚起している。

同一の産業廃棄物最終処分場建設で、争点も大体同じ訴訟で正反対の決定が下されることはよくあることである。裁判の過程で具体的にどう争われたか分からないが、裁判官の心証に負うところが多く、住民側も業者側も戸惑うだろう。

工事着工後の許可取り消しや建設差し止め、操業差し止め訴訟など事例は多い。例え住民側が勝訴しても工事が中止になれば大規模な環境破壊が残される。業者側に原状回復を要求してもほとんど元通りにはならない。

工事をしたのは約3ヶ月。ほとんどが準備作業を含め、予定敷地内の樹木の伐採や、工事用道路の整備で山肌が露わになったままで中止され、もう7年が経っている。当初は降雨などで表土が周辺に流れ出したりしただろうが、今は表面を樹木や草が覆っているだろう。

一度工事に着工したら、最良の方法は、遮水システムなど重要構造物については現在考えられる最高水準に準じたものを採用し、維持管理は住民側立ち会いで監視していく方法を要求した方が良さそうな気もする。

 民間業者が計画すると、安価な遮水システム、処分場構造、飲料水源付近への立地、資金繰りに窮して許可廃棄物意外の廃棄物の搬入、有害物質の搬入、許可容量以上の埋め立てなど最終処分場への住民の不信は消えない。

資金への不安がないように、産業界が責任を持って最終処分場を建設したり、税金で産業廃棄物の処分場を作ることへの批判もあるが、自治体が係わることなど考えていかなければ産業廃棄物最終処分場の確保は難しくなる。民間業者に頼っていては埒があかなくなる。

また、今世紀前半には、超巨大地震の発生などが予測されている。迅速な震災復興には災害廃棄物の処分場の確保が必須であることは、兵庫県南部地震でも経験している。

 産業廃棄物最終処分場建設予定地を町民が買い上げて、建設を阻止した群馬県下仁田町の例がある。高峰リゾート開発が計画したゴルフ場建設が破綻した後、民間業者が買い上げ最終処分場建設に着手、町役場挙げての反対運動に発展した。一戸あたり高額な出費になったが、後世への自然環境を守るためには、これしか手はなかった(写真 事業者による住民説明会)。

 民間会社では、初期投資に限界がある。仕方ないことであるが、住民の同意を得るにはそのとき考えられる高水準の技術の採用が不可欠である。前橋市最終処分場は、その意味では好例である。処分場は民家の庭先まで迫っているが、度重なる交渉で住民の不安を払拭できたのだろう。家庭から排出する一般廃棄物の処分場であるために住民の同意も得やすかったことは考えられる(写真 前橋市最終処分場の一部)。

2009年5月23日土曜日

竹の開花、枯死:こちらも100年に一度の出来事




タケノコの煮物、タケノコ弁当は今が旬の食べ物であるし、昭和30年頃から市販されだしたプラスチック製品におされて数は少なくなったが日常の各種用具類、七夕祭り、どんと祭等祭事にも必ずといっていいほど使われている竹は私たちには欠かせない素材である。

そのめったに開花しない竹林が一斉に開花し、枯れようとしているのを目の当たりにした。
昨年の5月、国道313号の山間の岡山県井原市芳井町宇戸川あたりを車で走っていた時、この辺りの全山の竹林はほとんど黄色くなっていた。

 そして最近も群馬県富岡市下高尾の辺でも、竹林が黄色くなっているのが目に付く。この現象は全国的なのだろうか。

85歳になる叔母は「どうしたんじゃろか、うちら辺の竹も枯れ始めた。何か起こるんじゃろか」と心配する。子どもの頃は、竹が枯れると何か悪いことが起きると言われていたものだ。従兄弟は「竹は60年位すると花が咲き枯れるが、また新しくなる。枯れたらそれで終わってしまう松とは違う」という。

 「何か悪いことでも起きるのでは」と言われてみれば、金融危機に伴う世界的な不況は100年に一度と言われている。しかしこれは自然現象ではなく、人間の強欲資本主義が起こした結果だ。

 でも、メキシコを発端とする豚インフルエンザの感染拡大には驚く。弱毒性であったから死亡率が低いモノの、我が国ではまだ拡大中である。マスクの着用が増えて、生産が間に合わないとも言われている。これから一旦は下火になり、秋口から感染が拡大するだろう。それからが本当の一大事になる可能性がある。竹の枯死はそれを予兆しているのか。

 竹の開花、枯死を調べてみた。

竹は滅多に開花しないが、開花する時は竹藪の一部か全部に起こるという。開花は数年にわたり、その後全部枯れてしまう。開花の周期は30年、60年、120年説があるが日本では60年、120年説が有力らしい。原因は植物自体の周期性によるもの、植物成分の炭素と窒素の割合によるもの、栄養の状態によるものの諸説があるらしいが、凶年は迷信らしい(日本大百科全書 14 小学館 1987年)。

全山の竹林で起こっていること、この辺にずっと住んでいて80過ぎた人でも初めての経験となると栄養の状態でもなく、120年周期説になるか。何か悪いことが起きるというのは迷信だった。

思えば昔は、弁当箱も竹で出来ていたし、おにぎりは竹の皮で包んでいた。今は大量に安価にプラスチック製品が使われてきたが、廃棄となると厄介者になり収集運搬、再生処理と高いコストをかけてリサイクルしなければならない。不法投棄は環境破壊になる。

成長も早く、生命力も強い竹の魅力を改めて再認識した。環境問題を訴えるのであれば、まず竹製品の愛用をもっと考えてみたいものだ。

朝日新聞でも「マスクで予防」の過信禁物と警告している

朝日新聞(2009.5.21)で新型インフルの予防でマスクが品薄になった事態を報道。マスクへの過信は禁物であると、専門家の話を交えて警告している。
その中で、国立感染症研究所の岡部センター長は、マスク着用について「症状があったり、感染した人と濃厚に接触したりした人が、周囲に感染を広げないためにつける場合に意味がある」と指摘している。

2009年5月19日火曜日

新型インフル:可笑しくないか マスク狂想曲


新型インフルエンザの感染拡大が続いている。5月19日朝で173人、一日で40人も増えている。
 厚生労働相の舛添さんは「既にウィルスは蔓延している」と考えなければならないと警告しているし、テレビでは麻生首相が「落ち着いて行動を」と訴えている。
 メデイアの報道でも、駅構内の乗客のマスク姿、マスクを着用した買い物客などの姿を映し出し、薬局・薬店などでは「マスク売り切れ」の表示も出てきた。メーカーは急遽製造に取りかかるという。
 しかし、まだ関西の一部地域に限られた感染域でありながら、この調子では先が心配になる。本当の試練はこれからやってくる冬場なのだ。
 もう「うつらないようにする」から「うすさないようにする」に変えなければきりがない。
 電車に乗ると「コンコン」咳をしている人がマスクして無く、健康そうな人がマスクを着用しているのが目立つ。人の集まりそうな場所でも同じだろう。大体風邪の予防なんてそんなモノだ。
 これからは、熱、咳、下痢、嘔吐、関節などの痛み、体調不良などインフルエンザ症状の少しでもある人、家族に風邪症状のある人、感染地域へ行って帰ってきた人などが、「うつさない」ためにマスクを着用したり、人前にでるのを控えたりすべきであり、未だ健康と思われる人が「うつらない」ためにマスクなどを着用するのであれば、いくらマスクがあってもきりがない。
 ウィルスは症状が出る前後に増殖が激しく、感染の可能性が高いと言われているので、知らぬ間に他人にうつしている可能性も大きいが、「他人にうつさない」ためには、異常を感じたら率先して対応すべきである。
 今は健常者が「うつらない」ためにマスクをしている。これではいくらマスクがあってもきりがないし、資源の無駄づかいになる。
 マスクメーカーが増産すれば、メーカーばかりでなく、原材料メーカー、薬局・薬店など財やサービスが増加しGDPは増える。こんな不幸な事も経済成長にとっては、プラスであるが、今回の新型インフルエンザでは経済活動が抑制され、経済損失につながるので、マイナスに影響することは確かだ。
 感染拡大を防ぐには、うがい、手洗い、マスクの着用などを徹底することしかないが、もう一つ情報の提供がある。
 今回の兵庫、大阪の感染では、高校の交流試合が接点になっているようであるが、根本の発生源は分かっていない。海外渡航以外も考えられるのだ。身に覚えのある人は積極的に情報の提供をすべきであるし、受けた役所はしっかり調査すべきである。
 兎に角、一人一人が問題意識をしっかり持つべきなのだろう。

2009年5月18日月曜日

新型インフルエンザ感染拡大:正当な理由で怖がることの難しさ?








新型インフルエンザの人から人への感染が拡大しているようだ。朝テレビを付けるとトップニュースは新型インフルエンザのニュースで、ニュース画面の作成が間に合わず、手書きになっている。

 今の段階で強毒性の新型インフル発生時のマニュアルに従って対策をとっていくと、都市生活の支障を来すとして、橋下大阪府知事は政府に見直しを要求している。

しかし、韓国は日本を危険地域にしていした。

 一方の政府の対策本部は、今の段階で休業などの一律規制は考えていないと言う。
 大阪、神戸では、臨時休校、イベントの自粛、不要不急の外出を避けるように指導しているが、ここはパニックにならず、国民一人一人が情報に基づきうがい、手洗い、マスクなど自己防衛すべきであろう。

新型インフルエンザに日本人の感染が確認された時に、専門家が注意喚起に引用した寺田寅彦の次ぎの言葉が紹介された。

 「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだ」。

 寺田寅彦は昭和10年8月に2回にわたり、浅間山の小爆発を経験した。一回目の4日、噴火の後帰京しようと駅で待ち合わせしていたら、今浅間山から降りてきた学生と4人づれの登山者が登山道を上りかけていた。爆発しても平気で上っていった。学生は「何でもないですよ、大丈夫ですよ」と言うのに対して、駅員は「いやそうでないです、そうでないです」と言う場面を小爆発二件に記している(寺田寅彦随筆集第5巻 岩波文庫1999.6)。

 まだしばらくは数字が吸えるだろう。このまま小康状態になるとは思えない。気温や湿度が高くなってくるとウィルスの活動も鈍ると思うが、逆に秋以降は更に拡大するかも知れない。しかも南半球はこれから冬になる。季節性インフルエンザと新型インフルエンザが混在する「第2波」が続くのだから混乱することは十分に想像できる。その時どう対応するかだ。

 保育園、幼稚園や学校で集団生活する子供を抱えている家族は大変な時期になる。
 今まで東京の保育園だと年少では毎朝体温測定が義務づけられており、38℃以上は預け入れ出来ない。年中、年長になると測定が省略されていたが、強化されるのではないか。私の孫も時々、保育時間中に「体温が38度以上あるので、迎えに来てください」という連絡が来て、迎えに行くことがある。こんな機会が増えるのではないかと心配している。
 2人の孫が同じ保育園に行っているが、1人が新型インフルエンザにかかると、まだ症状の出ていない孫も自宅待機になるのだろうか。

 娘には、38度以上の熱が出た場合の都や区の発熱相談窓口の電話番号と、どういう手続きで医者の診察を受けることが出来るのかを確認しておくように言った。
 私の住んでいる地域の対応を調べてみたが、自治体、医療機関によって対応が違っているようだ。キチンとした対応が決まっている自治体は、公立病院でも玄関に「新型インフルエンザ症状の問い合わせについて」という注意事項が張り出されている。該当する人は先ず保健所の窓口に相談すれば、その後の指示がなされるようだ。

 群馬県も大阪、兵庫から離れていることで、まだ発熱外来は設置されていないが、地域によってはインフルエンザAが流行していると発表されている。

 既に国内の高熱患者の診療拒否の事例が100件ほど出ているようだが、開業医院の玄関にはまだ注意事項の張り出しはない。フェーズ6に格上げされると状況が違ってくるのだろうが、診療拒否は確かに医師法違反になるという舛添さんの警告は当然であるが、何故先ず「相談窓口に相談してください」の張り出しをしないのか。今の時点で張り出しすると患者が減る心配もあるのだろうか。

 一方で、たかが高熱程度で保健所に相談し、指示に従うことを面倒と思う人も出てくるのではなかろうか。
 薬局(ドラッグストア)で解熱剤、感冒薬を買って飲み、ほとんど症状が改善せず、むしろ悪化し、インフルエンザが蔓延する危険もある。
 薬局でどうするのか聞いてみた。
 解熱剤や感冒薬をレジの後ろの薬品棚に載せている薬局では、聞いてきたお客さんに問診してみるという。そうでなく店内の薬品棚に並べている店では、薬剤師が巡回しアドバイスする方法を考えているという。
 公衆衛生の面から考えると、自分勝手な判断は禁物である。

 これからは本当の「危機管理」が問われるときなのだ。

 私も今までこの寺田寅彦の随筆「小爆発二件」を3回ほど引用した記事を書いたことがあるが、上記のこの部分を改めて読み直し「なるほど」と思った。
 公衆衛生の基本である、うがい、手洗い、マスクの着用、社会ルールをしっかり守り、この危惧される事態を切り抜けようと思うが、興味のあることに60歳以上の高齢者では、季節性インフルエンザと新型インフルエンザでは違いがあるようだ。新型インフルエンザには高齢者は免疫があって罹りにくいと言われている。
 今冬のインフルエンザ流行期に、家族の対応に年配者が役立つかもしれない。


民主党の困惑は、両院議員総会の「異議あり」から始まる

民主党は「本当の民主主義を目指す」と言うが、今回の代表選へ向けた小沢剛腕が民主党の手法なのか。
 「異議あり」を無視した両院議員総会の運営に「開かれた党」などのイメージは感じない。
 鳩山さんは「小沢さんの傀儡」発言に顔色を変えて反論するが、重要ポストの代表代行(選挙担当)にあてることで、傀儡である本音が見え隠れする。
 岡田さんは頑固一徹で今後の党運営に不安を呈する人も多く、野党共闘にも危惧する見方もあるが、小泉さんように圧倒的な国民の人気でそれも払拭出来る。
 鳩山さんが、最終的には判断するだろうが、小沢さんの存在は善し悪しを問わず鳩山民主党のアキレス腱であることに間違いない。
 
 今回の民主党新人事発表時、小沢さんは神妙な顔で「鳩山代表の元で・・・」と挨拶したが、見ていて違和感がした。
 何故、小沢さんは選挙に強いと見られているのか。
 連合会長と選挙区を回ったり、ドブ板作戦を強要していることは、昔の自民党と社会党のやり方をミックスした戦術である。そして財源を後回しにし、国民受けする政策をぶち上げるやり方は政権を執って守れなかった時の反発は大きい。その時誰が責任をとるのか。
 
更に、小沢さんの西松建設違法献金問題に対して国民の約80%の人が、納得していないと言う世論調査が出ている。鳩山さんも「説明責任を」というと、「うんうん」と言うばかりで何ら進展しないとテレビ報道で発言していた。
 辞任記者会見で、「離党或いは議員辞職しないのか」との質問に「一点のやましいところはない」と反論していたが、ならば説明責任を果たせるのではないかと誰だって思う。しかし、果たせないのは何かがあるのだ。

 まだ、第一秘書は釈放されていない。公共事業との関わりで捜査中なのだろう。
 小沢さんの事務所には「金庫番」がいないらしい。元秘書で衆議院議員がテレビで発言し、小沢さんも「家には金庫番はいない」と追認していた。金銭の収支はオープンにしているとでも訴えたかったのだろうが、逆に考えれば小沢さん自身が金庫番であると言うことだ。
 浄財の集金は皆が協力しているが、その使途は小沢さんしか分からないと言うことだ。
 
 民主党が政権を執りに行くには、小沢さん自身が「CHANGE」し、説明責任を果たすべきだ。


 次期総選挙では、麻生自民党政権の不人気で第一党になる可能性は強いが、徹底した「脱小沢」を進めない限り単独での政権政党の獲得は至難の業である。

2009年5月17日日曜日

小沢さんに翻弄されれば、沈没する鳩山民主党


 今回の民主党代表選は、大方の期待に反して鳩山さん124票、岡田さん95票で、小沢さんの作戦(?)通り鳩山さんに決まった。民意は岡山県連の事前アンケート調査でも分かるように圧倒的に岡田さんだった。

 どうしても鳩山さんの背後には、小沢さんの影がつきまとう。本人は、総理候補として傀儡政権と批判されるのを失敬だと怒るが、代表選翌日の報道番組は皆、底の所を追求する。そして未だ西松建設違法献金問題で、前代表の小沢さんの説明責任と「政治と金」に関する民主党の考えを追求している。

 鳩山さんも小沢さんには「説明責任を果たすよう」要求したが「うんうん」という切りで、果たしていないとコメントしている。有識者会議での検討に期待しているようであるが、何故小沢さんは説明できないのか疑問が残る。「説明責任とは何か」と反論すること自体が、説明する気がない事になる。

 また、今回不思議に思ったのは、挙党態勢の強化を狙った代表選と言うが、非小沢vs親小沢の構図をメデイアは作り上げ、党員は鳩山支持、岡田支持を明確にしていた。何故か? 政権を執った場合の猟官運動の一環だったのか、或いは国民に人気のある議員が支持していることをPRして更なる支持を勝ち取ろうとしたのか?
 
しかし代表が誰になっても、民主党には試練が待っている。

 有識者会議に丸投げしているように見える小沢前廼補湯に係わる「政治と金」の問題。今回の代表選とは逆に、「クリーンさ」と「開かれた政党」をどうアピールしていけるのか。
考え方の違う多数のグループが混在する党内で政策をどう築いていけるのか。そして小沢さんはどういう立場になるのか。
 
 考えてみれば、鳩山民主党の舵取りは大変だ。その上に、小沢さんに翻弄されて沈没する危険もある。

 民意に反した代表選の結果になったために、節目節目で「岡田さんだったら」問題が出てくる。その時又、小沢さんが剛腕を振るうのか。テレビ朝日のスクランブルで、専門家は次期衆院選の予想議席数を自民党205,民主党211で、民主党第一党の予想を示した。

 総選挙まで鳩山さんはどう舵を取っていけるのか。

2009年5月16日土曜日

新型インフルエンザ:豚の代わりにイノシシ介在の可能性?


 神戸市の高校生が新型インフルエンザに感染したことで、人から人への感染が疑われることになった。厚生労働相の舛添さんは、「後は時間の問題」と危機管理を訴えていたが、その通りになった。
 神戸の人が豚インフルエンザにかかったと言うことで思い出すのは、イノシシだ。六甲山麓に広がる住宅街では、イノシシが我が物顔で街中を、排泄物を放ちながら食べ物をあさっている映像がテレビで紹介され、住民が困っているニュースが流れていた。
 今回の豚インフルエンザは、豚が人と鳥の両方のインフルエンザに感染し、豚の体内で混ざり合ったウィルスが変異を起こし、人から人へ感染するモノで、豚は「脇役」とも言われる。
 しかしこの脇役を「イノシシ」が代わる可能性もあるのではないか。イノシシはホニュウ綱イノシシ科で家畜化されて豚になった。豚もホニュウ綱イノシシ科だ。
 私もイノシシの凄さを経験した。
 まだ岡山の実家で、母が一人住まいしていた頃、時々帰省していたが、駐車場となりの畑で母が野菜類を作っていたが、ある時耕耘機をかけたように畑が耕されていた。従兄弟がやってくれたのかと思って聞くと、イノシシの仕業だという。近辺の畑は皆荒らされているらしい。
 イノシシは日本各地で田畑を荒らしている。住宅街にも出没し何らかの形で人との接触もある(排泄物などを掃除するのは人間だ)。
 農村に行くと、高齢化で農業をやる人が少なくなり、田畑が草茫々になり、あれているのを目にするが、その荒廃を防止しようと荒れた田畑に牛や山羊を放して、草を食べさせる試みが各地でされている。
 サルやイノシシなどで農作物を荒らされるのを防止するため、里山を守るためにも成功させてほしいモノである。
 この新型インフルエンザの発生で、エジプトでは、「豚」が介在していることで、35万頭の豚を政府が買い上げて殺そうとして、養豚業者と争いになっているニュースも流れた。国内事情があるようだが、そこまでやるのかと寧ろ驚く。 養豚場が近くにあるから、即危険だとは思えないが、イノシシの存在なども考えると、どこで人から人への感染が起きるか分からない。意外なところで発生するかも知れない。

2009年5月14日木曜日

こんな民主党に政権を任せられるか

民主党の代表選に岡田さん、鳩山さんが出馬し、一騎打ちになった。

 挙党体制を強化するために小沢さんが代表を退くことになったが、その小沢さんが背後で動いているのを読みとってか、寧ろ親小沢vs非小沢の構図をメデイアは作り上げてしまった。

 2人は否定するが、相変わらずの権力闘争が見えてくる。「クリーンさ」と「開かれた政党」を標榜する民主党でありながら、何ら自民党と変わらない。何故か昔の自民党が移って見える。

 民主党は旧社会党系、自民党系などが入り交じっての寄り合い所帯であるために、これをまとめるのは並大抵ではなさそうだ。今は「次ぎの選挙の顔」は誰が一番良いか国民に変化を訴えるのは誰が良いかを考えて行動しているから、国会議員の支持者数では鳩山さん、民意は岡田さんだ。

 ところが、党内抗争を回避し、開かれた政党をアピールするためか、各グループは「自主投票」にする動きが出てきた。民主党国会議員一人一人が自分の判断で投票できるらしい。

 しかし、これがマニフェストで政策が絡んでくると、どうなるか。政策提案で党内の合意(各グループの合意)が得られない場合は、曖昧な政策に成り、国民は迷う。今までのマニフェストでも曖昧なモノがある。例えば将来の消費税増税がいつの間にかマニフェストから消えている。政権を取りに行くために国民に評判の悪い政策が消えているのだ。

 16日に投票し、政権交代すれば次ぎの総理になる人が選ばれる。もっと時間をかけてじっくり国民にも政策が分かる選択が出来れば良いのだが、急ぐスケジュールに何やらきな臭さも感じられる。

 こんな民主党に政権を任せられるのか。

 もし自民党に改革を進める動きが出てくれば、世論は自民党に動いてもおかしくない。政権取りに向け、自民、民主共に、ここが正念場だ。

小沢さんの敗因は「自分が変わることができなかったこと」では

小沢さんの11日の辞任会見場に入る時の顔は「何かがぶっきれた」ような、安堵感のにじむモノのようだった。公設第一秘書が逮捕されて以来、冴えない顔は人気の下落がありありと分かる顔だった。
 今回の会見の本旨は、政権交代に向け自分が代表であると支障来すことを避け「挙党一致態勢をより強固にする」ため辞任するが、「政治家としての最終目標である政権交代を目指す」「経済社会を根本から見直す」ことに代わりはないと言うことだったと思う。
 しかし、この事態を招いた西松建設疑惑献金問題については何ら言及せず、ほおかぶりする姿勢だったので、「何故辞任するのか」改めて疑問が湧いて来るのは仕方ないことである。
 案の定、記者から「離党、議員辞職はしないのか」との質問には、「何で離党しなければならないのか。法に基づいてキチンと処理しており、一点のやましいことはないし、政治責任で身を引くわけではない」と強く自身の疑惑を否定した。
 これには直ぐに賛成できない。今政界に要求されているのは「CHANGE」だ。このまま「政治と金」の問題に何ら説明せず、ほおかむりすることは、従来の政治手法と変わらない。
 民主党の小沢支持者はマニフェストで「企業献金全面禁止」を掲げるのだから、「政治と金」の問題に答えていると強弁しているが、これで説明責任を果たしているとは思えない。
 このままでは、小沢さん自身には勿論のこと、民主党に対する不信を払拭することは出来ない。
 今後も小沢さんは自らの政治目標でもある「政権交代」に向け、選挙でがんばると言っているようだが、ここは1,2歩退いて政治活動をやった方がよい。新しい民主党のリーダーに誰が選ばれるか分からないが、新しいリーダーと小沢さんの2頭建てでは2重支配構造になり、党内運営もゴタゴタするだろうが、政権を執った場合には更に混乱してくる。こんな状態になれば国民が迷惑するだけなのは、村山政権で経験済みだ。
  小沢さんの今までの政治活動を見ると、節目節目で「政治を変えよう」と行動していることは理解できるが、結局は「自分自身が変わっていなかった」ことが最大の誤算であったと思う。
 小沢さん ここは1,2歩退いて行動したらどうか。

政局を小沢さんに頼る「危うさ」が、また現実に

ついに民主党小沢さんが代表辞意を表明した。第一公設秘書が逮捕或いは起訴されたときに辞めていれば、民主党への傷は少なかっただろうが少し遅すぎた感がする。しかし13日の党首討論までには辞意を表明し、党首討論を回避するのではとの観測も流れていたのだから、当然の成り行きかも知れない。
 いつもの事であるが、代表の座に居座っていればどうして辞めないのかと批判するが、辞めるとなると、何かしら残念な気もする。
 私達は小沢さんの「剛腕」に頼りすぎていたのではないか。小沢さんのここ数年の言動、行動から政権交代へ期待を膨らませすぎていた。一方で、自民党時代の小沢さんを知っている者にとっては、総理にふさわしい人材なのか疑問もあった。
 そして今回の公設第一秘書の逮捕、起訴された政治資金規正法違反事件は、検察の垂れ流す情報を鵜呑みにするとの批判を被っても「やっぱり」という感がする。検察から「放って置くと法の根源を揺るがしかねない重大で悪質な事件」と指摘されたのであれば、何故小沢さんは責任を持って反論しなかったのか。
 小沢さんは単なる手続き上のミスで、訂正すれば終わるもので、あっせん利得などの刑事罰に該当するモノではないと反論していたが、私はその内容、背景に問題があるのではと疑っていた。
 適法に処理しているのであれば、どうして正々堂々と主張しないのか。総務省のHPで公開されているので、見れば分かると言うが、見ても分からないのだ。7日の有識者会議なども自分の考えを説明するチャンスだったと思うが出席しなかったようだ。どうしても説明が出来ず逃げているようにしか思えない。
 逆に検察も説明責任を果たすべきだと言うが、公判前であれば無理だろう。起訴時に異例のペーパーを出している事を考えると、ある程度は説明していると思う。
 小沢さんには今までも重要な政局で多くの期待を寄せていたが、ことごとく裏切られた感じがする。細川さん自身の佐川急便事件で政権を放り投げる結果になった細川政権、政策の違いを無理矢理曲げてまで樹立した村山政権、短命に終わった羽田政権の裏では小沢さんが暗躍した。確かな事は忘れたが、村山政権の時、政策上の違いで調整が付かず途中で放り出した。
 このまま小沢さんで政権交代が実現しても寄り合い世帯の民主党にあっては、政策推進がスムーズに行くとは思えない。分裂が起き政権を放り投げることも十分考えられ、大連立構想へ動くかも知れないし、改革を進めるのであれば自民党政権でも良いことになるかも知れない。
 「次の総理は麻生さん、小沢さんどちらもふさわしくない」が民意だ。小沢さんは代表の辞意を表明した。民主党は誰を新しいリーダーにたてるのか。一方麻生さんはどうするのか。
各党ともに体制を立て直し、マニフェストで政策を競って欲しい。

やっぱり「市民は誰でも記者になれる」は幻想か

メールにオーマイニュース、オーマイライフから「4月24日で閉鎖するので、記事が見えなくなります」とのニュースが舞い込んできて、その日が過ぎた。名称を変えたことは韓国・オーマイニュースと提携を解消したのだろうし、経営上も広告収入などで儲けを出す状況ではないと聞いていたので、いつかはこのような結果になるだろうとは想像していたが、2年間記者登録し投稿していた私にとっては寂しい気がする。
 オーマイニュース創刊時は、編集長に鳥越さんが就任したのもあってか、メデイアも注目した。鳥越さんは「市民は誰でも記者になれる」、「ネット新聞が目指すのは新聞とテレビ、両方の機能を持つメデイアだ」、「「劇場型の社会とメデイア」から「運動会型の社会とメデイアをめざす「参加」こそ時代のキーワードであると訴えた(朝日新聞 2006.5.28 メデイアと社会)。私も創刊時から記者登録して、」2年間投稿をした。
 ところが、昨年8月だったと思う、2年過ぎたのでリニューアルすると言うことで投稿が一時出来なくなった。新しい構想として「マネー」に特化し、今までの分類された記事はトピックで扱う大幅な刷新が進んでいた。丁度、自民党総裁選が繰り広げられていた時で、投稿できないのはまずいので、以前から登録していたjanjanに戻ることにした(janjanに記者登録したのは、janjanが創刊されて半年ほど経った時だったと思う)。
 市民参加型ニュースサイトの運営は並大抵ではないようだ。
 新聞報道などによると、苦戦が続いていた。広告を載せる効果があるページビュー(PV)は一日100万PVと言われているようだが、創刊当初は100万会ったが、コメント欄書き込み規制なども影響し35万、20万と落ち込み、最後は7万にまでなったという。janjanも1000万PV/月といわれている。コンテンツの問題もあるのだろう。
 「誰でも記者になれる」がうたい文句であり、当初は登録記者数1万人を目指したが、2009年3月時点で4793人という。
 挽回するために、当時退職間近の団塊世代を取り込もうとした。確か「物を言う団塊世代」とか言う特集を朝日新聞が都内版で企画特集するというので、編集部から「協力してくれないか」と依頼があった。団塊世代に引っかかる年齢だし、定期的に投稿しているので候補に挙がったようだ。続いてテレビ朝日でも企画していると言うことで、こちらも協力することにしたが、首都圏在住ではなかったせいか、私はメール取材になった。テレビの方はどうなったか知らない。
 オーマイニュースに市民記者の年齢構成などを問い合わせた結果、20代17%、30代33%、40代26%、50代13%そして60代6%ということだった。ネット社会は若者で持つようだが、団塊世代を取り込むことには成功しなかったようだ。1件300~1000円、トップ記事になると2000円の原稿料が入ったが、その魅力はなかったのか、それとも原稿を書く魅力がなかったのか、あるいは力のある人はブログで対応しようと考えていたのか。
 コメント欄の書き込みも問題になった。誹謗・中傷の書き込みが多く、投稿者を萎縮させてはいけないと言うことで、制限するかどうかの処置についてアンケート調査があった。私は制限しなくても良い方に答えたが、結局記者登録し、原稿料振込先の口座を届け出ている記者に制限することになった。当然の事ながらPVは減った。我が国のネット社会は「匿名」の文化があるが、ニュースサイトは実名での責任ある議論が大切だと思う(勿論匿名でも重要なコメントをしている人もいる事は確かだ)。誹謗・中傷の書き込みは気にせず、賛同するコメント、意義あるコメントを糧にした方が良さそうだ。
 ほとんどが素人記者の投稿なので、記事内容には編集部も苦労したようだ。1/4は内部記事で、それはトップ記事で4割にも達したという。この点についても是非についてアンケート調査があったように覚えている。記事内容を充実し、PVを増やすことは広告収入も増え経営に貢献する事であることは誰でも分かる。内部記事を多用することは、インターネット新聞の質を維持するためにも必要と思うが、その時は否定的な意見が多かったと思う。
 市民記者が質の良いニュースを投稿できるようにしなければならないが、中川淳一郎さんは、ネットで受けるネタとして次ぎの分野を挙げている。話題にしたい部分、突っ込みどころのあるもの。身近であるもの。非常に意見の鋭いもの、テレビで紹介されているモノ、モラルをとうもの、芸能人関係のもの、エロ、美人、時事性があるモノを挙げている(ウェブはバカと暇人のもの 中川淳一郎 光文社新書 2009.4)。
 ところが、実際の投稿内容は自分考えを書く一方通行的なオピニオンが多かったという。そのためブログが普及すると太刀打ちできなくなる。私も実は自分のブログでは自信がないが、自分の考えを書いてみたいと言うことで始めた口だが、テレビや全国紙とは違った面から、また他人とはダブらない記事を書こうと努力しているが、クリックが少ないのはこれが原因か(冗談だが)。
 「ニュース・ソースは何だったか」と問いあせたが、それは公開していないという。
 時々、新聞はネットに殺されるのではないかと言うが、記者の書く記事の新聞 → テレビ → ネットのニュースサイトになっているのではないだろうか。朝のテレビの情報番組は新聞記事の紹介だ。新聞の役目は大きいがテレビやネットとの競争が速報性では負けるも、解説とか傾向記事では圧倒的に強い。
 市民参加型のニュースサイトが威力を発揮するのは、身近な事件、出来事の報道だ。全国紙やテレビでは報道できない面、ドンドン情報を更新できる強みがある。世論を動かす威力も兼ね備えているが、我が国ではそこまでは行かないだろう。韓国では大統領選に大きな威力を発揮したネットも、公選法改正で、今は政治論議も沈滞しているらしい(毎日新聞 2007.12.15)。
 大きな力を発揮するようになると、当然規制がかかる。「程々に」と考えると萎縮して伸びない。
 健全な発展をして欲しいが、そのためには私達も一定のルールを守らなければならない。
 janjanも手頃の市民参加型ニュースサイトだ。年間約3億円の運営費を親会社の広告費で賄っているとすれば、薄氷を踏む経営だと思う。