2011年5月31日火曜日

今回の不信任案は、政策・政治手法の是非を問うのか、権力闘争か







今の政局はわかりにくい。大方の見方は「こんな時期に、そんなことをやっていて良いのか」との批判もあるが、本来は、大震災・原発事故への対応、情報公開のあり方、関連法案の成立の少なさも含めた復興・復旧の遅れ、増税なき復興財源の確保など菅政権の政策・政治手法への批判から「菅ではダメ」「菅がいては連立構想も組めない」と言うことで内閣不信任案提出が予定されているのではないのか。

だとすれば、急いで提出して是非の判断を下さなければならない。「こんな事をやっているときではない」という批判は合わない。

ところが、「嫌菅」による権力闘争の様相を呈してきては批判されるべき政局である。

また、菅総理の政局運営もおかしい。自らの外国人政治献金疑惑での窮地、政権批判を回避するために、早々と今国会会期末閉会を言いながら、野党からの「2次補正予算案提出」「国会延長」しなければ、不信任案を提出すると脅され、政権延命のためその方向で方針転換を模索している。

一方民主党内でも野党提出の不信任案に載る動きが、小沢系グループから活発になり、執行部との対立が激しくなってきた。小沢さん自身も一気に勝負を賭ける積もりはないらしく、菅総理の「自主的辞任」を望んでいるようだ。

小沢さんも「菅ではダメだ」と思っているようだが、菅政権の何処が問題で、どうして政権党内でしっかり議論せず、政局に持って行こうとしているのか。民主党内ばかりでなく、未だ「小沢頼み」の動きがあるが、小沢さんの描く政策、展望がわからない。

このままでは、干されっぱなしで我慢できず、これを機会に一気の勝負にでようとしているのか。菅さんを降ろし、民主党の両院議員総会で新しい代表を選出し、内閣を改造していく。その時は冷や飯を食っている小沢系グループの復権も目論んでいるだろう。

小沢さんが絡んでくるとどうしても権力闘争の傾向が出てくる。民主党執行部は除名などでその動きを牽制しているが、どうしても権力闘争に思えてくる。

民主党執行部も、菅政権の政策・政治手法について、両議院総会などでしっかり議論すべきではないのか。統一地方選でも惨敗しているが、その総括だって出来ていない。誰も責任を取っていない。
寄り合い世帯の民主党の脆弱さを露呈させている。

党内コミュニケーションも十分出来ず、政治主導と言わんばかりに菅総理の唐突な政策提案に振り回されるのは御免だ。

今回の内閣不信任案提出は、菅政権の政策、政治手法の是非を問うモノであって、早急に提出し、判断を下すべきである。


写真左:G8後帰国早々不信任騒動にまみれる菅総理

写真右:菅政権では復興は進まないと政策批判をする谷垣さん いずれもテレビ朝日報道ステーション2011.5.30より

2011年5月30日月曜日

菅総理 「指導力」を履き違えるな



世論調査を見ても、菅総理に「指導力」があるとは大方の国民が思っていない。更に悪いことに、その使い方を間違っているのだ。

社会保障と税の一体改革案で、2015年までに消費税を10%に上げる案が決定するらしい。それを急ぐ理由に重要政策に「指導力」を発揮していることを国民にアピールし民主党内、野党で活発になってきた「内閣不信任案」提出を牽制するためだという。

確かに今の経済状態では、景気が低迷する中での増税はリスクが大きすぎるが、今後4年のうちには景気も改善するだろう。メデイア、学者、財界こぞって財政再建のための増税は仕方ないと考えている。国民世論も同様だ。

誰でも「仕方ない」と思っている増税に力を入れても指導力/リーダーシップがあるとは思えない。

増税に向けて大切なのは、なかなか進まない「税金の無駄づかい」を洗い出しての削減だ。民主党はショーとして「事業仕分け」を物々しくやったが、政治判断で容易に復活するなど曖昧な事業仕分けで終わった。

もっと与野党一緒に国会で財務省と対決して欲しい。これぞ官僚主導vs政治主導の戦いだ。菅さんがリーダーシップを取らない限り前には進まないし、国民の増税を強いることなど出来るはずがない。

復興財源の国会審議でも、「みんなの党」の江田さんが復興資金捻出のため特別会計の余剰金を具体例を出して質問し、積み立てしていても使う機会がなかったのだから、何も増税、国債の発行をしなくてもこの余剰金を使うことを提案したが、菅総理のテレビ中継の表情はポカーンとしていて、聞く耳を持たない雰囲気だった。

財務省に言わせれば、「必要だから積み立てている」という論理だろうが、実際に使って生きたカネにすべきだろう。財務省の考えを正すのも指導力であり、コレこそ「政治主導」ではないのか。

今回の10%への増税も、YESMANばかりのメンバーを集めての検討本部で検討された案だ。これから国会での審議、国民に信を問う過程が残されている。

菅さんが政治家の本望と言っている復興、財政再建への目処とは、どの時点のモノなのか。財政再建案を作った時点か、国民に信を問うて総選挙に勝利した時か。

来るべき次の総選挙では、民主党、菅政権は惨敗だろう。菅さんの手で増税など出来るはずがない。

また、菅政権が「国民のためにどの程度役に立っているのか」を考えたことがあるのだろうかと疑う位、政権延命に必死だ。自らの外国人違法献金問題も含め追求を回避するために会期末で閉会の方針だったが、大震災、原発震災で問題が山積している現状で「国会を延長」「2次補正予算案の提出」をしなければ、内閣不信任案を提出すると突き上げられると、不信任案提出牽制のために、国会の延長、2次補正予算案の今国会提出を臭わすことになった。

どんな指導力を、どんな機会に使っているのか。パッとしない指導力を間違った方向で使っているとしか思えない。


今、菅さんが強い指導力を発揮できるのは「自らの辞任」を決意することだ。その後の展望は見えてこないのだが、政治に対する気分転換には、それしかないのだ。


写真:首相官邸 菅総理は、政権延命に向けてだけ「指導力」を発揮しているのか

2011年5月29日日曜日

内閣不信任案騒動:今こそ各議員の信念で決めては



誰が次の総理か。その顔が見えないことが政界を混沌とさせている。

野党の自民党は提出する以上は、可決なり、政治の方向を替えたい意思が強く、否決は責任問題になり、谷垣さんや他の野党党首の求心力が弱まる。慎重になるのは当然だ。

民主党も折角取った政権の座を、易々自民党に返上したくない。可決なら総選挙、賛成、欠席など造反者には除名など締め付けを厳しくする方針を打ち出し、こちらも必死だ。

党員資格停止処分中の小沢さんが、側近の意向で、また政界に主導権を握ろうと暗躍しているがどういう展望を持っているのか残念ながら分らない。タダの「嫌菅」での菅降ろしかも知れない。まだ「小沢神話」を頼るのだろうが、勝算あってのことか。

国会議員一人一人は、全国民の代表だ。民主党にも神奈川県比例区選出の若手議員が選挙区事情もあって民主党を離党に不信任案に賛成すると公言した。コレが本当の姿だろう。国会議員は自信の信念に基づいて行動すべきで、単に政権維持が目的の党の統制に縛られるべきでない。

菅総理は、G8後の記者会見で「党内も一致結束した行動取ってもらえると信じている」と発言したが、どういう展望があってそう言っているのか。広く代表者と話す機会を期待してもいるようだが、密室政治に持ち込み、内閣改造で逃げ切ろうとしているのか。

国民は、菅政権は勿論のこと民主党政権に辟易しているのだ。

民主党自身が菅政権に賛否の判断を下せないのであれば、国会で判断すべきであるが、その前に菅政権、民主党小沢グループ、自民党はじめ野党も国民に展望を示すべきである。

それがなければ、権力奪還に向けたタダの政争であり、国民には迷惑な話だ。

直近の報道によると内閣支持率は相変わらずの低迷で20%を少し越えている程度、不支持率は755弱だ。永田町の論理と世論はかけ離れているとよく言われるが、国会議員が選挙民の考えを吸収し国会で信念に基づき行動していないためだ。

何のために国会議員になったのか、疑問を感じる。

政治の混乱もここまで来たのだ。政治を変えるのは不信任案提出しかない。万一、否決され谷垣さんらの求心力が低下しても、それも政治なのだ。

国会会期末:こんな政治をやってて許されるのか



十分なコンセンサスもないままに政策を打ち出す「場当たり政治」、政権延命のために繰り出す「パフォーマンス」で政権内も戸惑っているようだが、国民は尚更困惑している。こんな政治をやる菅政権、ひいては民主党政権に国政を託して良いのか。

福島第一原発災害でG8サミットの国際会議で主役に躍り出た日本、その代表である菅総理は、国内の情報開示の現状とは裏腹に、「情報公開を徹底する」決意を表明、更には2020年までに1000万戸の太陽光発電」構想まで打ち出した。

菅さんらしいリーダーシップと言えばそれまでだが、海江田経済産業相も記者会見で「初耳」と行ったように、相変わらずの唐突な独断政策の発表であった。太陽光発電は、高額な補助金があっての経済性であり取り組みである。その財源をどう考えるのか。

ソフトバンクの孫さんと会談し、「元気をもらった」と上機嫌であったが、十分にコンセンサスも得ずに孫さんが提唱する太陽光発電構想に安易に乗っかり、国際会議で打ち出した軽薄さは免れない。

G8では、大震災からの復興と財政再建が課題として突きつけられている。

情報開示徹底の決意表明にも呆れかえる。民主党は「情報公開」「開かれた政治」を標榜し政権交代を勝ち取ったが、今回の原発震災対応では、データ隠し、度重なる訂正、内閣参与の思わずのリーク話と、それを躍起になって打ち消そうとする菅政権に、何を信ずればよいのか大いに迷う。

国会で盛り上がっているが、煮え切らない面もある「菅おろし」の動きも、菅vs小沢・野党の抗争の様相を呈してきた。

野党が内閣不信任案を出そうとしていることは分るが、民主党内で「原発震災での対応が悪い」と「菅降ろし」に動いていることに違和感がある。政権与党ではないか、何故党内で議論しないのか。菅総理はG8後の記者会見で、「話し合う用意がある」と政権運営に意気込むが話し合うのではなく、党内で政策議論が出来ないのか。

攻める自民党をはじめとする野党にも責任がある。「嫌菅」ではなく、菅政権のどの点がまずくて、内閣不信任案提出の動機になるのか。外国人からの違法な政治献金、政権交代のきっかけになった民主党マニフェストの何の反省もない見直し、大震災・原発震災の復興・復旧への対応の不手際などが上げられているが、逆に「しっかりやっているではないか」という考えもあるのだ。

こんな大惨事は「初めてのこと(為政者に始めてのことはないという意見もある)」で、誰が総理であってももたつく事ではあるが、細かなことまで自分で決めなければ気が済まない菅さんと、「任せるが、責任はオレが取る」のリーダーシップの差は大きい。

月初めに出されようとしている不信任案提出には迷いがあることも分る。

自民党にとっては、不信任提出→解散→政権奪取だろうが、民主党にとっては代表選で新しい代表を選び内閣改造するか、話し合い決着で内閣改造し、政権維持をはかる事だろう。

しかし、一番の難題は「次の総理が誰か」がはっきりしていないことだ。見通しの立たないままでの内閣不信任提出は国民の納得を得られない。

「菅じゃダメ」「菅じゃダメ」はコダマでしょうか、「いいえ誰でも」思っているのです。

写真:G8後の記者会見で続投に意欲を見せる菅総理 2011.5.29 民放テレビより

2011年5月27日金曜日

徐々に廃炉するしかない原発か









福島第一原発事故は、未だ進行中で、メルトダウンした燃料が水に浸かっている間は大丈夫と言うが、圧力容器や格納容器を破損することになれば事態は最悪の結果になる。我が国は37万km2の国土面積に54基の原発が立地する世界一過密状態に加え、巨大地震の想定震源域内にあったり、付近の活断層の上に乗っかっていたり、「現存するから仕方ないが、到底適した立地とは思えない」状況なのだ。

今回の原発震災は、原発政策の見直しに拍車をかけた。G8では、菅総理は2020年までに自然エネルギーの割合を20%に持っていくという。ドイツは2022年までに脱原発、スイスは2034年までに原発を停止、米国は、次世代の原子力発電の設計、建設に日本の事故の教訓を生かすと言うし、フランスは原子力に変わるネネルギーはなく、最大級の安全のためにどうしたらいいか考えるという。イタリアはチェルノブイリ事故以降、原発を廃炉にした。

原発推進、脱原発もそれぞれお国の事情がある。

菅総理は、2020年までの早い時期に自然エネルギーの割合を20%に持っていくと宣言したが、本当に国内で良く議論された提案なのか。日本のエネルギー構成は、自然エネルギー9.8%、原子力23.9%、火力65.7%。自然エネルギーのうち風力0.4%、地熱0.3%、太陽光0.2%、水力7.3%、そのた1.6%と言う。これらをどうやって20%まで持っていくのか。

民主党政権になって、鳩山さんはCO2削減25%を宣言し、菅さんは自然エネルギーの構成比を20%にするという。海外に向かって受けの言い製作を訴えているのは良いが、実行可能なのか。今回の原発自己対策でも、菅政権の発する情報は信頼されていない。

原発推進にあたって、原子力村が団結できたのも、官学産で豊富な予算を欲しいままに出来た事だと言われる。一体いくらの予算がバラまかれたのか。

原子力予算は2009年度で4556億5600万円、ここ15年間毎年4500億円以上を維持している。文部科学省が約2525億円で1848億円が日本原子力研究開発機構の予算で、高速増殖炉サイクル開発関連、「もんじゅ」の維持管理費などで毎年相当の税金が原子力予算で使われている。
経産省関係が約1933億円で、そのうち1314億円が交付金、補助金として地元にばらまかれているらしい。

もう一方、エネルギー対策特別会計も平成21年度ベースで2兆3698億円が計上され、どんな用途に支払われるのか分らないが、エネルギー需給構造高度化対策費2008億円、電源立地対策費1698億円、電源利用対策費419億円、独立行政法人運営費交付金・出資金・整備費が2547億円、国債整理基金特別会計繰り入れ1兆4139億円が主な項目だ。

何やら怪しげな費目に多額の税金、徴収金が使われている。官僚、政治家が交付金の配分で利権を確保できる資金源なのだろう。

このほかに電源三法交付金もあり、電源立地の自治体に2004年ベースで約824億円が計上されていた。福島第一、第二原発を抱える福島県に約130億円、新潟県に約121億円、福井県に113億円、青森県に約89億円に交付されている。

電源三法交付金は、逼迫した自治体財政に息を吹き込み、贅沢な箱モノ行政を推し進めた。年数が経ち交付金が減ると、それを補うために新たな原発の建設を認めることになる。「麻薬」のようなモノなのだ。浜岡原発停止で交付金が無くなり慌てた自治体があったのは、ついこの間のことだ。

これから、「原発をどうするか」を考えるときに、こういった国の政策の是非を検討する必要がある。

更に、原発の最大の利点、自然エネルギーの最大の欠点と言われている発電コストの妥当性の問題がある。今、1kWh当たりの発電コストは、原子力5.3円、石炭火力5.7円、天然ガス火力6.2円、石油火力10.7円、水力11.9円、太陽光49円と言われている。

最終処理をどうするか、またその技術が確立されていない原発の発電コストがどうして5.3円と一番経済的なのか理解に苦しむ。政策上の小細工がされていることは分るが、コレでは原発の良さは分らない。ある研究者の試算によると10円を超えるが、それでも満足なレベルではないのだ。10円を超えるのではないかとは、相当前から指摘されていたことだ。

原発の利点は「クリーン」なことだと言うが、CO2を出さないだけで、CO2よりも危険な放射性物質を出すこと今回の事故で分った。

地球温暖化の原因にCO2排出の人為説をとるIPCCは再生可能エネルギーにより、2050年には世界エネルギー消費量の77%を賄える可能性があるという。世界は大きく自然エネルギーに舵取りをするのか。

これからエネルギー源をどう考えればいいのか。原発はどうなるのか。

原発推進派、脱原発派双方の言い分は尤もな点もあるが、自然エネルギーで大きな発電量を確保するのも大変なことに代わりはない。

私も風力発電に興味があって、山形の山寺に行った帰りに風力発電を見るために立川町に行った。NHKの有名番組「プロジェクトX」で立川町の風力発電が紹介されたのを見ていたからだ。よそから嫁いできた女性が農業をするのに強風に悩まされていた。そこに風を利用した風力発電建設が始まったのだ。

田圃の中、ハゼ道、向こうの丘の稜線に風車が見られた。私が行ったときは、晴天で風はなく風車はまわっていなかったが、初めて見るその光景には感動したものだ。その後房総をドライブして飯岡風力発電所も行った。帰りにカーラジオで風力発電の話を聞いたが、この時バード・アタックの問題が上がっていた。

その後、風力発電の環境問題として、騒音で近隣の住民が悩まされていることを知った。身近で風車が廻る光景も住民にとっては異常な光景らしい。

発電した電力を買い取る電力会社にとっては、稼働率が問題だが、自然現象だから仕方ないことだ。場所によっては送電線の敷設も必要になる。メインの発電ではなく補助的発電だ。

一時停止の浜岡原発も2~3年後に地震や津波対策で安全が確認できれば再稼働の可能性を残している。この動きは定期検査終了後の再稼働を目指す原発にも影響を与えている。自治体の認可が下りない可能性がある。新規立地は論外と思われる。

そのことを考えると原発は徐々に無くなっていくフェードアウトの運命か。

直ぐに全廃にはならないだろうが、原発の「安全神話」は崩れたのだ。原発の危険性、不完全性に積極的に取り組まなければ、国民の信用を取り戻すことは出来ない。



写真左:日本列島「原発と地震」全データマップ 週刊現代5/7,14合併号


写真右:飯岡風力発電所 2005.2.12

2011年5月26日木曜日

福島第一原発事故、チャレンジャー号爆発事故 巨大技術の病根は同じ







巨大地震・津波による電源喪失で、あってはならないメルトダウンを起した福島第一原発、気温低下で材質劣化による爆発事故を起こしたスペースシャトル・チャレンジャー号、これら2つの巨大技術の「安全」を前提にした病根は同じではなかろうか。

福島第一原発は、設計当初には分らなかったかも知れないが、次々に明らかになる巨大地震、津波に対する防止対策をコスト面から遅らせ、「止める」「冷やす」「閉じこめる」ことへの多重防御が疎かになっていた。

NASAも資金確保のため、スペースシャトルは安全で完璧なモノと言うことをPRする目的もあってのことだろうか、技術者の気温低下による打ち上げ延期要請を無視して打ち上げ期日厳守を貫いた。

この2つの巨大技術の事故に言えることは、危険な技術でありながら「安全神話」が蔓延ったことである。また、そのことを誇張することにより事業や計画を推進できたことだ。

原発事故では、その原因調査・検証に「失敗学」の提唱者の畑村先生を委員長とする委員会を立ち上がるという。今まで予算委員会では「言い訳」ばかり言っている菅総理、東電と何やらデータの捏造をやっているとしか思えない政府関係者、会議での発言が気に入らなかったのか訂正させ、「危険性がゼロでない」と言うことは「ゼロと言うことだ」と解説したりして信用を失っている斑目委員長、データがはっきりしない限りメルトダウンを認めず、甘い想定での事故対応で対策が後手後手になった東電、贅沢な資金を受け取って原発推進に協力した御用学者など「原子力村」の村民を相手の調査・検証だからうまく行くはずがない。

おまけに、この委員会には何も法的権限がないのだ。政府の一私的諮問機関だとすると、復興構想委員会と同じで、何か良いことが出てくれば、使っても言い程度の委員会なのか。

一方、米国での1986年のチャレンジャー号爆発事故の原因調査委員会は参考になる。

「ファインマンさんベストエッセイ」(R・P・ファインマン 岩波書店2001.3)によると事故防止方策を大統領に勧告すべく、ロジャース国務長官を委員長に政治家、宇宙飛行士、軍人、そして1人の科学者が選ばれた。ノーベル物理学賞受賞の理論物理学者のファインマン博士が科学者で選ばれた事が、解明できるか、迷宮入りかの決め手になったという。

ファインマン博士は精力的に調査活動し、地上の技術者とも糾弾なく話し合い、原因が気温低下によるOリングの材質劣化であることを突き止めた。このことは材質の劣化が心配される気温低下にもかかわらず、期日を厳守したNASAの面子にも係わる事項で、委員会は握りつぶそうとしたが、博士は後に退かず、結局は報告書の付録として公表されることになった(この項前書より)。

果たして、我が国の調査・検証委員会に、ファインマン博士のような人材が選ばれるかどうか。注目したい。

そして、この付録となったスペースシャトル「チャレンジャー号」事故少数派調査報告では重大な事が指摘されている。

曰く、いずれにせよ非常に不幸な結果を招くことになった。そのうち最も重大な過失は、この危険な機械がいかにも通常の飛行機同様の安全性に達したかのように言って、一般市民の搭乗を奨励したことだ。・・中略・・、ここで勧告したいことは、NASAの幹部達が今後、現実にしっかり目を向け、シャトルの技術上の弱点と不完全さとを十分に理解し、積極的にそれを除去することである(この前書より)。

この事は、原発災害にも言えることだ。政府をはじめ、「原子力村」の村民達は、巨大地震・津波の可能性には目を瞑り、「安全だ、安全だ」と言って本質的には危険な原発の建設に力を入れた。「想定外」という言葉を使えば、どんな危険も回避できると思っていたのだ。

米国の宇宙開発は、新しい宇宙船構想も発表され、宇宙開発にこれからも主導権を握るようだが、原発は、これを機会に見直しの気運が高まっている。

どうなるかは国民の理解を得られるかどうかだが、ファインマンの報告にもあるように、原発の現実にしっかり魔を向け、技術上の弱点、不完全さに積極的に取り組み、除去する事が必要になる。

福島第一原発、スペースシャトル・チャレンジャー号の巨大技術の事故の病根は同じなのだ。


写真左:福島第一原発 TBSニュース23 2011.5.16


写真右:チャレンジャー号爆発 ウィキペデイア ファイルchallenjer explosion

2011年5月25日水曜日

東電・福島第一原発事故調査・検証:「失敗学」で失敗に終わらないように



政府は原発事故調査・検証に委員会を立ち上げ、委員長に「失敗学」の畑村さんが就任するという。そこまでやらなくても分っていると言う政治家もいれば、権限もないのに解明出来るのかと言ったり、記録もなく、関係者の記憶に頼らざるを得ない現状に危惧する向きの多い。

でも、今まで明るみに出ていなかった事象を一つでも良いからあぶり出して欲しいモノだ。「失敗学」で失敗して欲しくないのだ。

畑村さんは、失敗の法則に(1)ある分野で起こった失敗は、必ず他の分野でも起きる、(2)失敗は時間と共に忘れられ、同じ失敗を繰り返すという。1)

そして、現代社会が高度の技術に依存しているために、技術が分野ごとに細分化され、統一的に理解されていないから不必要な失敗が多発する。この現状を打破するために、失敗を通じて学ぶ共有知識を作り、無駄な失敗を避けなければならないと言う。1) 

他人の失敗が身に付くことはほとんど無い。失敗が身に染みるのは、やった本人だけで他人には参考にならないという研究者もいる。化学工場では「類似災害の防止」が安全のテーマになり、他工場の事故を参考に、類似の事故を防止しようという取り組みが以前からやられているが、本当に役に立っているかは分らなかった。

また、ある会社工場で事故が起きると、次から次に他の会社工場でも類似の事故が報告される例が多い。記者が注目して探しているのか、2番手なら社会的批判も小さいだろうと、本来なら隠蔽する事故を公にしているのか。

今回の調査・検証が成功するか、失敗するかは関係者の証言、データの真偽が大きく影響する。「まずいモノには蓋」は日本の文化だが、総理をはじめ政府関係者、東電がどう臨むかにかかっている。

今までの報道からも(1)本部長たる総理が、任せることが出来ず細かいことまで口を出し、周りが右往左往する。何も指示が出ず、解決策が出てこない。大災害でのリーダーのあり方(2)議事録や記録を取っていないので、「言った言わない、聞いた聞かない」の責任の擦り合いになっている。誰が嘘を付き、誰が本当のことを言っているのか。危機管理センターでの会議、会話は自動的に録音されていないのか(3)危機管理センターが動いているのか。政府・東電統合対策室との連携が見えてこない。(4)ホウレンソウが不徹底で、コミュニケーションが取られていない。(5)「想定外」の考えは棄てて、想定できなかった原因を検証すべきだ。(6)地震が起き、津波が起き、放射性物質が拡散した、それぞれの災害拡大にどう対応してきたか、その対応が適切だったか。(7)原子力三原則「公開」「民主」「自主」がどうして守られなかったのか。原子力村は特別な存在にどうしてなったのか、知りたいことは沢山ある。

大事故での原因調査で思い出すのが、1986年1月28日のスペースシャトル「チャレンジャー号」
爆発事故調査でのノーベル物理学賞受賞の理論物理学者ファインマン博士の活躍だ。2)

事故防止方策を大統領に勧告するため、ロジャーズ国務長官を委員長に、政治家、宇宙飛行士、軍人、科学者1人からなる調査委員会が設置されたが、ファインマン博士の存在が調査委員会の成否を決めたという。2)

ファインマン博士は精力的に動き、シャトルのガスケット(Oリング)が低温によって損なわれたことを突き止めた。現場の技術者は危険を指摘していたが、期日厳守のNASA幹部が押し切った。報告書にはこのことは期されなかったが、博士の強い意向で、リチャード・P・ファインマンによるスペースシャトル「チャレンジャー号」事故 少数派調査報告として報告書の付録になったという。2)

ファインマン博士の付録がなければ、報告書は玉虫色のモノになったのだろう。

更に、最も重要な過失は、この危険な機械(スペースシャトル)が、いかにも通常の飛行機同様の安全性に達したかのように言って一般の市民を搭乗させた事だといい、NASAの幹部がしっかり現実に目を向け、弱点と不完全さを十分理解し、積極的に除去する努力をすることだという。2)

我が国の原発の政策上、安全が必要以上に宣伝され、原発の弱点、不完全さを軽視した事に今回の原発災害の根幹がある。政府、原発利権者(推進者)、原発関係者は肝に銘じ調査に協力すべきである。

1)失敗に学ぶものづくり 畑村編 講談社 2003.10.10
2)ファインマンさんベストエッセイ R・P・ファインマン 岩波書店 2001.3.15
                
写真:原発事故調・検証委員長に「失敗学」の畑村氏起用を報じる産経新聞 2011.5.25

2011年5月24日火曜日

海江田経産相 あなたの主張どうりなら、東電は原子炉等規制法第64条違反では



福島第一原発事故対応初動にミスに「ベントの遅れ」がある。23日の特別委員会で谷垣総裁が遅れの原因を追及する中で、海江田経産相は「東電がやるやると言いながら、なかなか進まないので6時50分に命令を出した」という。東電は原子炉等規制法第64条(危険時の措置)に違反していないか。

そして、菅総理が急遽決定した3月12日朝の現地視察が、東電をして「ベントを遅らせる」判断になったとしたら野党が追及するように総理の判断ミスは大きい。

23日の国会特別委員会の谷垣総裁、総理の質疑をメモを取りながら聞いた。速記ではないので聞き取りが曖昧な点もあるが、「ベント遅れ」と「現地視察」に関連して谷垣総裁、菅総理、北沢防衛相、海江田経済産業相の質問、答弁は次のようだった。

谷垣:行く決意は何時したか
菅:直前?
谷垣:防衛庁の準備もあるだろう。何時受けたか
北沢:12日の1~2時頃
谷垣:(メモが曖昧で質問を思い出せない)
菅:圧力からベントの必要性は共通認識だ。もっと早い時点で行なうように思う。
谷垣:(メモが曖昧で質問が思い出せないが、ベントと視察決定の時間的関係を質問)
海江田:ベントの必要性を東電に口頭で指示。日をまたいで1時30分ベント指示。3時東電は「やる」と言うが、なかなか進まない。6時50分命令を出した。7時30分1号ベント仮説ケーブルの設置実施中ということだった。
谷垣:(東電は)現場視察を重視するはずだ。足を引っ張っていないのか。この問題は続けてやる。

東電は、この「ベント遅れ」を周辺環境が良く把握できていないとか準備に時間がかかるなど理由を挙げて説明していたと思う。

いずれにせよ、時間を追っての判断、処置行動が問われているのだが、政府・東電の統合対策室での会議で、その議題、決定事項、爺事項、実施結果の記録がなさそうなのだ。しかし例え正式な議事録が無くても出席者はメモぐらいは取っているだろう。

事が大事になると、政府は自分たちの責任にならぬように辻褄合わせのデータのねつ造をするだろう。
東電だって、総理の現場視察を重視して遅らせる対応したとはいえないだろう。作業に手間取るなんて簡単に言えることだ。

こんな時、官僚がメンバーに加わっていれば、正式な議事録を作成するだろうと思うが、菅総理が「政治主導」で官僚を遠ざけるのであれば、最低限官僚のやることぐらいはやって欲しいモノだ。

先の海江田経産相の答弁からすると、全員が共通認識していた「ベントの早急の実施」を指示しても東電はなかなかやらず(やれなかったかも知れないが)、命令を出したという。

コレは、原子炉等規制法第64条(危険時の措置)に違反していないか。

東電にどういう事情があったか分らないが、第64条では「原子炉に関し、地震、火災その他の災害が発生する畏れがあり、又は発生した場合に於いて直ちに、主務省令で定めるところにより、応急の処置を講じなければならない」とし、文部科学大臣、経済産業大臣、国土交通大臣は原子炉による災害を防止するために必要な処置を講じることを命ずることが出来るとしている。

今回の場合、東電の判断・主張点が全く分らないまま、政府内で辻褄合わせをやっているように見える。菅総理や海江田経産相が口頭とはいえ「ベントを早くやれ」と言っているのだ。東電は「ベントが遅れた」原因をはっきり説明すべきだ。

写真:原子炉等規制法第64条(危険時の措置)

2011年5月23日月曜日

原発災害初動ミス疑惑:谷垣「納得できねば重大決意」、菅「影響していない」







東日本大震災復興特別委員会で、菅総理と谷垣総裁の質疑を聞いた。原発災害対応での「総理の現場視察のためのベントの遅れ」、「再臨界懸念からの海水注入中止」の初動ミスが災害を拡大させたのではないかと谷垣さんは追求し、「納得できなければ重大決意」と攻めたが、菅総理は「影響していない」と防戦した。

谷垣さんは、菅政権にとって権限と責任で大きな問題がある。政治力と官僚機構を使いこなして、よりよい運用スキームを早く作ることだと提言、発災後70日を経過したが被災地では雇用、仮設住宅など明日どうすればいいのか迷っている。その原因に福島第一原発の安定化が見えてこないことだ。

自民の方針が良かったのか、発災以降の対応が良かったのか、国会での検証が重大事であるが、初動ミスの疑問は拭いきれないとし、「1号機への注水を総理の指示で中止したのは何故か」、官邸で何を打ち合わせたのかと質問。

菅総理は、海水注入でどのようなことを考えなければならないのか、再臨界? どのようにすべきか、東電は1時間半ほど準備にかかると言うので、その間に検討するように指示したようだ。

谷垣さんは斑目委員長に、「再臨界の可能性を指摘したのか」と質問、委員長は「海水注入での問題点をすべて洗い出せとの指示で、再臨界の可能性はゼロではないと申し上げた」という。

真水が無くなり、海水注入で「ゼロではない」とは、「海水注入をすべきではない」と言ったのかとの質問に、委員長は「炉心冷却には真水でも海水でも良いとズッと言っている」と答える。

谷垣さんの「菅総理は再臨界の疑念を持っていたのではないか」との質問に、「真水がなければ、海水を入れる必要性は十分認識していた」といい、いろんな事、水素爆発、水蒸気爆発、圧力容器損傷、再臨界から核分裂反応の問題などすべてを含めて検討したという。

また、政府・東電統合対策室が会見で「再臨界の危険があるのでは」と斑目委員長が発言したというのが、「ゼロではない」と訂正しているが、偉い違いで、こんな文書を出すのはおかしいとの質問に、菅総理は東電の試験注入の報告は上がってきていなかった。検討の指示を出したのは、注入が始まる前の話で、注入を止めた覚えはないと反論した。

谷垣さんは、福島原発をどう納めるかは国際的にも、みんな注目していること、重要な事が何故コロコロ変わるのか理解できない。ペーパーでは「危険性がある」と発表し、委員長が侮辱だと言うので、訂正に「ゼロではない」にした。政府は大事なポイントを発表しないか、替えているのではないかとしつこく追求。

菅総理は「何が納得できないのか」と反論すると共に、このことが3月12日の判断に影響与えたとは思わないと言い、委員長も総理の意向は「ありとあらゆる危険性を考えて検討したいと言うことだったので、そう言う検討を始めた。この検討が問題を引き起こしたとは思わないと答弁した。

海水注入は共通認識ではあったが、政府の混乱で中止、(その後の災害拡大に繋がった)コレは重大なことなので、谷垣さんは今後も検証すると結んだ。

もう一つの初動ミスではないかと問われている「ベント遅れ」で水素爆発を起こした件で、保安院はベントの実施の必要性を言っていたが、実際にベントをやるまで時間がかかった。この間何をしていたのか。12日早朝の総理の視察はベントを遅らせ、水素爆発に至った致命的行動出はなかったのかと追求。

菅総理は、視察がベントを遅らせたという指摘だが、全くそう言うことはない。ベントは12日1時30分に、経済産業相を通じてベント実施を指示したという。「ベントを急げ」は共通認識で技術的問題ではないか。視察とは関係ないと反論した。

その後時系列での、やりとりがあり、1時30分にベント指示をし、3時頃東電は「やる」と言ったが、なかなかやらないので6時50分に「命令」を出したというが、7時30分、1号機仮説ケーブルの設置を実施中だと言うことだったらしい。

谷垣さんは、総理の説明に納得せず、(現場は)総理の現場視察を重要視するはずで、足を引っ張ったのではないか。この問題は引き続きやっていく。総理が判断を誤って現場に飛び込み、水素爆発、ガレキの散乱を引き起こした。ここをはっきりしなければ被災者支援のスキームをつくれないのではないか追求が続く。

原発震災対策での初動ミスではないかと言われる「再臨界懸念からの海水注水の中止」「総理の現場視察のためのベントの遅れ」に菅総理は「影響はなかった」、「問題を引き起こしてはいない」と反論するが、谷垣さんは納得せず、「重大な決意を持つ」と内閣不信任案を臭わせた。

しっかりした国会での検証を待つしかないが、情報を握っている政府、東電の情報の公開がどの程度のモノなのか分らない。言った言わないでコメントが変更されること自体が信頼を損ねる結果になっている。

時系列でのつじつま合わせの議論では、真実は分らない。

写真:衆議院東日本大震災復興特別委員会質疑での菅総理、谷垣総裁 2011.5.23NHK国会中継より

2011年5月22日日曜日

原発の安全確保は、監督官庁、学者、事業者の意識改革から







福島第一原発の事故は、起こるべくして起きたようなモノだ。情報秘匿、トラブル事故隠し、反対意見に対する押さえつけ、東電の横暴、交付金での懐柔、飽くなき安全主張、政策上の低い発電コスト、更には原子村と呼ばれる特定利益集団の形成など、以前から言われていた原発にまつわる悪慣習が、一挙に露わになった。原発の安全確保は、関係者の意識改革が必要だ。

原発導入も、学会、産業界がモタモタしている間に、中曽根さんが予算を取り札束でひっぱたいたという。今まで慎重だった学者や産業界が、その金に群がったのだ。学会でも、あんなオモチャのような米国の原子炉を買ってどうするんだと言う声も挙がったそうだ。その原子炉が福島第一原発の1号機なのだ。

米国の設計をそのまま取り入れたキーターン方式で始まった。我が国のように海岸縁に作る考えが、米国の設計思想に乏しく、今回の津波被害(?)でデイーゼル発電機が損壊し、冷却装置を稼働させることが出来なくなり、「冷却」出来ずメルトダウンが起き、放射性物質を「閉じこめる」コトが出来なくなり、大惨事が起きたとも言われている。

じっくり日本での立地にあった設計を考えるべきだったのだ。原子力三原則に「公開」「民主」「自主」が言われているが、「情報公開」ばかりでなく、この「自主」も大事なのだ。

特に我が国には、至る所に活断層が存在する。大きな活断層が近くにあると、耐震設計に多大な費用がかかる。当然のことながら活断層を細切れにして建設費を抑えようとするのは私企業の常道だ。勿論活断層を見つけるのは大変だ。調査時は判明しなかったが、後から詳細に調べると海底の活断層が、陸地の活断層と繋がっていたコトが分る場合もある。

原発立地の自治体への交付金の存在は恐ろしい。建設後年数が経つと交付金が減ってくる。交付金で成り立っている自治体は、更に原子炉を新設して交付金を獲得するようになる。「麻薬」のようなモノだとはよく言ったモノだ。

浜岡原発停止で、交付金が減り困った自治体が騒ぎ出したのは、まだ記憶に新しい。浜岡原発計画は政治家も大きく絡んで、「泥田に金の卵を産む鶴が降りた」と喧伝されたらしい。

科学に政治が関わってくると変質する。「原子力は安全」で、クリーンで、発電コストも安いコトになる。

菅総理が、東海地震という巨大地震の発生確率が87%にも高まっている反面、津波対策である防潮堤の建設に2~3年かかると言うことで、それまで浜岡原発の停止を要請した。英断か、パフォーマンスかで評価が分かれたが、再稼働出来るかどうか、今後の原子力発電のあり方に波紋が広がった。

地震、津波は天災であり仕方ないと諦めもつくが、原発災害は「人災」の面も大きい。菅総理の判断も含め検証する必要があるが、総理の判断を政治的判断都考えると、なかなか真実には近づかない玉虫色の報告書になる可能性もある。

しかし、原子力産業に携わっている人間は、全員意識改革が必要である。今までの原子村的発想では原発の安全は保てない。

監督官庁を一元化し、政治が係わらない中立での安全チェックが必要だ。官僚が自分たちの思うようになる御用学者の起用も避けるべきだ。

原子力安全・保安院のHPでは、安全確保には石橋を叩いて渡る考え方が必要だと言い、機械の故障、人間のミスを前提にした「多重防御」のシステムが取られているかをしっかりチェックしているという。

そして、現実には起こりえないような事故を想定し、その拡大や影響の緩和を図る対策が取られていることをチェックしているとも言う。

本当にそうなのか。そうだとしたら、どうして今回のような事故が発生したのか。今回の事故は、「現実には起こりえない事故」の範疇に入るのではないのか。それともあくまで「想定外」の出来事なのか。

原子力発電の今後は監督官庁、原発事業者の意識改革が必要なのだ。それに情報公開だ。

福島第一原発の事故対応を見ていると、政府、東電、監督官庁間での情報に隠蔽の疑いがある。お互いに責任をなすり合っている。こんな体制では、原子力は辞めた方が良い。

写真左:資源エネルギー庁、原子力安全・保安院

写真右:東京電力本社

辞任のススメ:菅総理、西岡議長、斑目委員長、寺坂院長、そして内閣府参与

政治、震災対応を見ていると本当に腹が立つ。総理の菅さん、参議院議長の西岡さん、原子力安全委員会委員長の斑目さん、原子力安全・保安院長の寺坂さん、そして真実はどうか分らないが、政府内の意味深長な話をリークしたのはよいが、コトの重大さに前言を翻した内閣府参与のお二人に辞任をお勧めする。

菅総理はこれ程まで、「指導力なし」と言われたり、震災、原発災害への対応を批判されながらも、総理の座にしがみつき、打ち出す政策はことごとく「政権延命のため」と揶揄される始末で、どうしようもない。「菅降ろし」、支持率低迷に晒されながらも外交、税改革、震災復興、原発災害対応を推し進めようとする菅総理の心境はいかがなモノだろうか。

どんなにがんばっても次期総選挙では、民主党及び民主党政権は敗北の運命にあり、菅総理が政治家の本望と言っている増税ありきの政策は「菅さんが総理である」以上は覚束ない。

参院議長の西岡さんも、良識の府の長でありながら、異例の総理批判を強めている。参院予算委員会などで菅政権の是非を議論すべきであると思うが、いたたまれない理由があってのことだろう。

参議院議会運営で、菅総理は苦労することになるだろう。すげ替えるにしても第一党は自民党だ。

結局は、どちらかが辞めなければならなくなるまでいくのだろう。

原子力安全委員会の班目委員長も、早く辞任すべきだ。原子力行政は今までのように御用学者が担うべきではない。福島第一原発の事故処理もうまくいっていない。またこのような重大災害防止対策が急がれているが、今までのように「合理的で達成可能な最高の安全水準」をうたって原子力産業の安全に当たっていた人間を引き続きその任に当てることはこのましくない。

それにまたまた不可解なニュースが流れた。東電より海水注入の報告があった時、菅総理は「再臨界の危険がないか」と斑目さんに質問した時、「あり得る」と返答したため、検討にために約1時間海水注入を停止した。そのことが事態を悪化させた可能性があると菅総理の判断ミスと批判された(読売新聞2011.5.21)。

ところが、21日夜のニュースで、政府は海水注入を知らなかったと細野さんが会見でコメントしているのを知った。斑目さんも「そんなことは言っていない」と否定する。政府内は一体どうなっているんだ。菅総理が原子力に強いので、再臨界の心配をしたのだが、事態悪化の要因になったと批判がでて慌てて否定したようにも思える。菅総理は、以前「再臨界って何だ」と言ったことが報道されたこともある。

斑目さんに原子力安全委員長を任せるわけにいかない。即刻解任し、もっと問題意識を持った人物を当てるべきだ。

原子力安全・保安院の寺坂院長も影が薄い。スポークスマンは審議官が当たっているので、テレビで見たことは無かったが、国会の予算委員会だったと思うが、質問に答えているのを一度見たことがある。

原子力安全・保安院は、早い時期に「メルトダウン」の可能性に言及したが、政府、東電から圧力がかかったために、スポークスマンを後退させた。今になって思えばメルトダウン発言は正しかったことになるが、どうしてその時に院長は体を張ってでも抵抗しなかったのか。横やりが入れば見解を覆すようでは原子力の安全など保てない。

HPの原子力関連緊急情報を見ると、使用済み燃料プール代替冷却・浄化設置について内容/効果/安全性評価結果について報告を支持したと言う。要は報告の要求をするだけの役所だ。

HPによると、「安全確保のために選んだのは、石橋を叩いて渡るような考え方だ」と言い、機械は故障して人はミスを犯すコトを前提にした「多重防護」のシステムが取られていることをしっかりチェックしているとも言う。

更に、安全性を確保させるため、現実には起こりえないような事故を想定して、その拡大や影響の緩和を図る対策が取られていることをチェックしていますとも言うのだ。

では今回のような大惨事がどうして防止できなかったのか。東電の副社長が、記者会見で渋々「人災である」ことを個人的には認めたが、原子力安全・保安院の責任はどうなのか。

原子力安全・保安院長も更迭し、安全をしっかり担保できる人材に替えるべきだ。

原子力発電がこれからどうなるかは分らないが、安全確保のためにも、ここは思い切って更迭し、斬新な考えの人物を選任すべきである。

政府内での災害対策を記者会見などでリークし、話が大事になってくると前言を翻し否定するようなな内閣府参与も辞任すべきだ。本当の話だろうと思うが、言っていないと否定すること自体、信用のおけない人物だ。

御用学者はもう御免なのだ。

2011年5月20日金曜日

菅総理! 居坐るのは「国民のため」なのか



菅総理への退陣要求が強まる中で、菅総理自身は「現時点では全く考えていない」と国会で言明した。「現時点では」と言うには、いつかは退陣する予定なのだろう。民主党代表の任期一杯か、衆議院議員の任期一杯なのか。

「菅降ろし」の不信任案提出には、解散・総選挙で対抗できるというが、この政治の閉塞の原因には、菅総理の存在自体があるとは言え、民主党内の権力闘争、自民党の政権奪取の手段に使われては迷惑な話になる。

菅政権の政策運営に期待できるものがあればいいのだが、大震災、原発震災の対応に批判が集まっている。会議が多すぎ司令塔がいない。対応が後手後手で先送りも多いなどが指摘されている。西岡参議院議長に至っては「能力を超えた難題だ」という。

菅さんが総理に就任したとき、夫人が「あなたが総理になって何が出来るの」とか言う本を出版したそうだが、先を見通したタイトルだ。今一度家庭で良く話し合う必要があるのでは・・。しかし、菅さんは総理になりたくてなった人で、何をやりたいかは持っていなかったと指摘する人は多い。

ところが、財務相に就任してから、財政再建、社会保障、税改革に目覚めた。震災の復興を加え、コレに目処を付けるのが政治家の本望都まで言った。

6月末には、社会保障と税の一体改革、復興構想会議の報告書が出てくる。菅総理はコレを元に臨時国会で議論しようとしているのか。

しかし、コレには増税という難題が付いてくる。菅総理は増税の前に、国民に信を問うと言った。

菅総理では増税は無理な話だ。国民に信を問うべく、総選挙でもしようものなら、民主党、菅政権は惨敗でしかない。

菅総理が政治家の本望を達成するためには、6月末で辞任して、後を誰かに託すべきだ。国民が菅さんに託すメリットは何もないのだ。

ポスト菅に誰が出てこようが、閉塞感を打破する気分転換にはなる。

写真:5月19日の衆議院本会議で自民党議員が「辞任要求」 テレビ朝日スクランブル 2011.5.20

2011年5月19日木曜日

国会もメルトダウンするか







内閣参与のリーク話、与野党・党派を超えての幹部、中堅・若手議員の勉強会、民主党の「菅降ろし」の動き、自民党の派閥領袖、ベテラン議員の求心力の低下、三権分立の原則を犯す参議院議長の総理退陣勧告、菅はダメ、谷垣でもダメで核の不在の国会もメルトダウンの危険が迫っている。

党、派閥の意向に捕らわれず、各議員が自分の信条に基づき行動し、国民の負託に応えることが理想であるが、今までの国会議員は何故か政策、志を同じくする仲間が集まり勢力を拡大して党首、総理の座を争った。政界の数合わせ、権力闘争にお明け暮れ辟易していた国民にとって、今の流動し始めた政界はどう映るだろうか。

民主党と言えば、自分たちの選んだ菅代表・総理を引きずり降そうとしている。その原動力とも言える小沢系グループも、政策をどうしようとする具体的な提案があるわけではなく、「小沢ありき」の感情論での動きだ。結束が硬かったのは、政権交代までで、その後はでたらめな政権、政党であることが分った。

自民党も派閥領袖の存在感も薄く、派閥の結束は弱く、ベテラン、中堅、若手議員がそれぞれ思惑があり、党派を超えた動きが活発になりそうだ。

結束する核となる人材がいない。「菅総理がまだまし」と世論は諦め状態だ。

西岡参議院議長の菅総理批判には驚く。我が国は議院内閣制だから、議長の菅総理退陣勧告は重みが違う。政権延命が見え見えの先送り政治手法は許されるべきではない。震災・原発事故対応は、菅総理の能力を超えた難題であると言い切っている。ではポスト菅は誰なのか。

与野党の幹部連中が密かに会合するなど、焦臭いニュースが流れる度に「菅降ろし」「連立構想」のうわさ話になる。

政権を託す核が居ないままに、流動化している。国会もメルトダウンの危機が迫っているようだ。

2011年5月18日水曜日

福島第一原発事故:東電は、「メルトダウン」も想定外というのか



東電は、やっと「メルトダウン」に至ったことを認めた。メルトダウンが「想定外」だったとすれば、東電の技術者は余程能力がなかったのか、隠蔽しているかで、原子力三原則の一つである「情報の公開」も守れない企業に原子力発電事業を託した国の責任は重大である。

それにしても、この事故には不思議なことがあった。早い時期に「メルトダウンの可能性」に言及した原子力安全・保安院のスポークスマンが更迭され、NHKの解説員は一時画面から消えた。事情通が言うには、東電や政府筋からクレームが付いたそうだ。専門家やメデイアは以前から「メルトダウン」ではないかと疑っていたのだ。

当事者である東電は、認めたくなかったのだろう。諸事情から認めざるをえなくなってやっと認めた。記者から「メルトダウンが起きたと認めて良いのか」との質問に、苦しい条件を開陳し、そのコトから考えるとメルトダウンだと認めた。

「では、東電はどういう状態をメルトダウンというのか」と追求すれば良かったものを、その記者は更なる追求をしなかった。外国メデイアに比べて日本のメデイアの質問は不甲斐ない。

核燃料は、濃縮されたウラン粉末を直径1cm、高さ1cm位の円柱状に成形したペレットを約400個集めたものが核燃料棒で、原子炉には約1000万個のペレットが炉心にあるそうだ。1個のペレットで一般家庭での8ヶ月分の電力を賄うことが出来る。

メルトダウンとは、ペレットが2600度を超えると溶け出し、どろどろの状態で圧力容器の底に落ちたことを言うのだそうだ。

東電は、メルトダウンであって欲しくなかったのか、こんなことは起こらないと考えていたのか。空焚きが起きるとメルトダウンの危険が出てくる。何時起きても不思議ではない事故なのだ。「詳細なデータがなかった」とは言い逃れでしかない。

今までの事故対応は甘すぎたという批判がある。確かに、甘い想定の下での対応と、厳しい想定の下での対応とでは自ずと内容は違うはずだ。モタモタしていると、本当に20年、30年は帰れない結果になってしまう。

放射能の大気、水、土壌、農作物、魚類、家畜類そして人間に対する汚染は、拡大の一方かも知れない。

年間被爆線量を考えると、事故処理が長引けば原発内で作業する作業員が底を突き、二進も三進もいかなくなる事態も考えられる。

今回メルトダウンがはっきりし工程表に見直しがされた結果、冷却法は変更になるが安定化の目標時期の変更はないと東電は言う。でも、今まで裏切られっぱなしだった東電の言うことを素直に納得できるか。

巨大地震・津波も想定外、今回のメルトダウンも想定外と、都合の悪いことはすべて想定外にする東電に危険な原発事業を任せることは出来ない。今回の大震災に伴う放射能汚染事故は、安全軽視、コスト重視の都婦伝の経営に由来する人災だ。「安全第一」のモットーを軽視した東電の責任は余りにも大きすぎる。

東電は、どうやって信頼を取り戻そうというのか。

写真:事故以来、警察に警護される東電本社

2011年5月17日火曜日

政界ドタバタレース:追い上げる野党、逃げ切る菅か



政治課題が山積する中で、菅政権は通常国会を6月末に閉めようとしている。6月末には社会保障と税の一体改革、復興構想会議では東日本大震災の復興・復旧報告案が出て、税制再建、税、震災対策、原発震災対応が迫られているのに国会を何故閉会するのか。

数十兆円が必要とされる第2次補正予算組も急を要し、国会の会期を延長してでも対応するのが本来の政治であるが、菅政権は国会を閉会して何を使用としているのか。

菅総理にしてみれば、相変わらずの内閣支持率の低迷、菅総理自身の政治資金規正法違反疑惑、野党・与党内での「菅おろし」への対抗策だと思うが、自分の「延命」に係わるだけのコトであり、国民にとっては何の利益にもならない。

一方、野党自民党も不信任案提出のタイミングに苦慮しているが、提出後の政局をどう切り抜けるのか見通しが見えない。民主党から政権の座を移譲させるのか、期限付きの連立体制を組むのか。

政権党にありながら、「菅おろし」を企む小沢系グループも、具体的に何をしようとしているのか分らない「小沢頼み」に偏り、財政再建、税、原発災害、東日本災害対策への具体策がさっぱり見えてこない。

まずは政権党内で活発な議論があって良いようなモノだが、権力抗争以外情報がない。小沢さん自身「政治は権力闘争」というように、小沢さんの存在は権力闘争の象徴だ。権力闘争に明け暮れる党に政権を託すことは出来ない。

小沢さんは岩手県選出の国会議員であり、県民の期待に応えなければならない立場にあるが、一向に存在感がないと不信に思うが、先の越前高田市の市長選でも分るように小沢さんが応援した候補者は落選している。岩手県政界での小沢離れがあるのではないか。

菅政権が国会を閉めれば、政界のきな臭さは少なくなるだろうが、政治は混沌として不透明極まりないモノになるだろう。政府の行動をどうやって監視していくのか。野党の意見を聞かずに、独断専行の政策を進めるのか。

「菅総理の存在」自体が政治を行き詰まらせている。二進も三進もいかないのだ。

耳障りの良い側近の意見より、耳障りの悪い忠告をする者の意見を聞くことが、今の菅総理には必要だ。

この政界レース、菅総理が勝つか、野党が勝つか。本音は、菅総理に負けて欲しいと思うのだが。

2011年5月16日月曜日

増税論議:菅総理では増税は出来ない



復興構想会議の中間的整理案が明らかになった。復興財源として増税を打ち出してきた。菅総理や財務省の描くストーリーに沿ったモノで、「財源なき復興案は絵に描いた餅」を避けた意気込みは分かるが、残念ながら菅総理で増税が出来るとは思えない。

菅総理の経済ブレーンと言われている内閣府経済社会総合研究所の小野所長は、読売新聞の論点で震災復興に時限増税を提案している。被災者が負担できないのであれば、非被災地から資金を集める増税が必要で、国債で賄えとか他の用途を削れという議論を批判する。国債でも後で増税が必要になるし、支出削減なら支出先に負担が来ると公務員給与引き下げを例に反論し、時限増税の制度化を主張する。世論調査でも6,7割の人が被災者支援増税に賛成しているのに何故増税が出来ないのか。その原因に選挙にあるという。他の候補が増税に反対する中で、自分だけ増税では闘えないと言うのだ。やるべきコトが何か分っているのに、遅々として進まないことが歯がゆいと言う(読売新聞2011.5.10)。

菅総理は社会保障と税の一体改革で増税を提案するときは、事前に国民の信を問うと言明した。6月末に報告書が出て、それを推進するとき、菅総理は増税をどう扱っていくのか。

何ヶ月或いは何年先になるのか選挙で国民に信を問う時、今の民主党菅政権では「NO」だろう。

では自民党政権になった時はどうか。自民党は、はっきりと増税を公約に載せている。しかし選挙ともなると腰が引けるのではないか。過去に橋本政権で失墜したことがあるが、民主党がダメなので「もしかして」と言うことになるかも知れない。

しかし、政権党が民主党だろうが、自民党だろうが本当にムダ、不必要な余剰金(埋蔵金)が、もうないかどうかだ。政府/財務省は「ない」と言うが、野党・与党内でも財源はあるという。政府は「逆立しても鼻血もでない」ところまで、良く検討したとは思えない。

今、国家公務員の給与を10%カットする交渉をやっているが、すんなりはいかないようだ。先の参議院選挙でも、公務員の給与は年に27兆円で、2割カットで年に5兆円は浮くと主張した政党があり私は支持したが落選した。

前述の小野さんは、公務員給与引き下げで被災地支援にがんばっている彼らが、どうして負担しなければならないのか。場当たりで手近なところから取ろうとしていると批判する。

しかし、コレはおかしい話だ。国家公務員は国民の税金から支出しているが、今、国の税収は落ち込み、赤字会計なのだ。税収が落ち込んでいるのだから、公務員の給与を下げることは当たり前の話だ。
被災地でがんばっている公務員には手当で償えばいいだけの話だ。

今国会は6月末で閉めるという。菅総理自身の政治資金規正法疑惑追求、不信任決議案などを回避するために、外交日程を理由に逃げているとしか思えない。

山積する政治課題の他に、国家財政の現状、増税の是非など国会でしっかり議論すべきだ。

支持率も低調、リーダーシップにも欠け、党内基盤も脆弱で、財務省に言い含まれたと揶揄される菅総理では増税は出来ない。もし、菅総理がスムーズな震災復旧・復興、財政再建の目処を立てたいのであれば、速やかに退陣し、総理の座を後任に託すべきだ。






写真:復興財源で増税を前面に出した構想会議の中間整理案を報じる朝日新聞 2011.5.15

2011年5月15日日曜日

逆説:菅総理 ここはパフォーマンスで乗り切れ



具体的な指示は何も出せず、リーダーシップに乏しい都批判され、この非常事態に野党との協同を目論むも「菅の存在」がネックになって挫折するが、本人は一生懸命やっているつもりだ。ここはパフォーマンスで乗り越すしかない。

国会の予算委員会での質疑を聞いていると、菅総理は「言い訳」ばかりで非を認めない。渡部恒三さんが自民党谷垣さんへの連立参加を打診した姿勢が悪いと批判され、持っていき方が悪かったと認めたぐらいだ。非を認めれば一気に支持を失うことが分っている。自分はその時、その時に一生懸命やっているのだと言うことか。

世論調査でも、内閣支持率は相変わらずの低調さであるが、一方で「菅でしかたない」と言う空気だ。「菅おろし」を考えても、後が思いつかない。野党自民党の谷垣さんでうまく行くかというとそうでもない。地味でリーダーシップに欠けるというのだ。先の統一地方選での政治ポスターでも、菅さん、谷垣さんの顔が見えなかった。

菅流「政治主導」がパフォーマンスと揶揄されがちだ。官僚に任せず、側近や参与などに相談するだけで独断即決、党内調整していては時間がかかりすぎ、まとまるモノもまとまらない。菅総理自身の決断しかないのだ。人は「パフォーマンス」と批判するが、政策決定に総理は目立つ立場にあるだけだ。

連立構想も含めて、今回の大惨事を与野党が協力して対応できる仕組みを作ろうとしたが、「菅さんの存在」自体が仇となってうまく行かない。広く意見を出し、対応しようと会議を20近くも設立したがうまく動かず、広域の大震災での対応の難しさがわかる。誰が総理になっても、そんなに代わり映えしないのだ。

統一地方選での敗北、マニフェストの見直しなど小沢系グループの「菅おろし」の動きもある党内抗争もネチネチして大きな発展がない。ガス抜きのため両院議員総会でも開けばいいものを「代表―総理の座」をかろうじて保てるとしても白日の下に晒すことになる。しかし、このまま党内のゴタゴタを放っておく訳にはいかないだろう。

浜岡原発停止要請は、何時起きても不思議ではない東海地震あるいは東海・東南海・南海地震の3連動型地震に対する安全確保のための期限付きの高度の「政治判断」だ。結果がポロッとでて、思考過程がブラック・ボックス都経団連会長は批判するが、いろんな人に相談していては何も決まらない。利権者の猛反対は目に見えている。

2~3年後の再稼働時は、原発のあり方が大問題になるだろう。恐らく稼働はむりだろう。

菅総理もエネルギー政策の見直しを発表した。原発比率50%など基本計画を白紙撤回し見直し、自然エネルギーにシフトするらしい。産業界でも反対意見はあるモノの賛意を表明する経営者も出てきている。

財政再建は難しいテーマだが、今のままでは財政破綻は目に見えている。財務相をやったために財務省に言い含められたと批判が相次いでいるが、もっと国会で日本の財政について議論すべきではないのか。

事業仕分けでは、特別会計は「すき焼き」ではなかったが、国会審議を見ると、特別会計にはまだ余剰金があるらしい。みんなの党の江田さんは、復興財源に増税ではなく、その余剰金を使えというが、財務省は難色を示す。

最後は、増税しか財政再建はないだろうが、今回の大震災の影響は大きい。復興構想会議での復興財源の提案で増税を言わしめようとしているようだが、増税と復興財源をゴチャゴチャにしてはいけない。

更に忘れてはならないのは、東電が「作業員の退去」を連絡してきたとき、菅総理は東電に乗り込み「退避すれば企業はつぶれる」と説得し事故処理の対応をうながしたことだ。今、かろうじて福島第一原発が安全を保てているのは、菅総理の功績だろう。事故処理工程表は今回のメルトダウンの発覚で見直しが必要になった。菅さんは言ったか言わなかったか分らないが、避難民は「20~30年は帰れない」という発言が現実味を帯びてきた。

菅総理は、今年度末までに見通しを出すと約束したが、菅さん自身がそれまで総理の座に居られるか。

日々、私達の「苛立ち感」は募るばかりだ。やはり菅総理の政治手法に問題があるのだ。ある時点で「政治の顔」を変え、国民の気持ちの転換が必要なる。

菅さん! 退くタイミングを失するな。

2011年5月14日土曜日

電気料金:発電コストと料金単価の根拠を示せ













「事故が起きるまでは安全」と揶揄されていた原発災害は、身近な問題として周辺住民に多大な被害を強いることになった。原発政策を推進してきた国の責任もある。東電のみでは賠償額支払いに耐えられず、「異常に巨大な天災地変」を理由に免責の主張もあるが、政府は否定した。

賠償金捻出のために東電は、資産の売却、リストラで対応しているがリストラ策は甘く、海江田経済産業相は更なるリストラの必要性を訴えた。菅総理は「東電の支援ではない」という税金を投入しての支援あるいは電気料金値上げも政策課題に上ってきているが、東電の対応を経営面からもしっかりチェックすべきだ。

リストラしたとしても、まだまだかなり優遇された状況にある。厳しい生活から東電を支援する国民のコトを考えると、海江田さんにはがんばってもらわなければならない。

電気事業は地域独占で、今まで甘い汁を吸い続けてきた。「儲け分をはき出せ」という識者もいるが、もっと電気料金に私達は注目しなければならない。

東電が福島第一、第二原発を停止し火力発電に頼った場合、燃料費の増加分で電気呂婦金の16%値上げが必要になると資源エネルギー庁が試算した。発電コストが一番安い原発から原油やLNGの高い燃料の火力に代替するとコストアップに繋がるというのだ。

本当にそうなのか。原発の発電コストはそんなに安いのか。

資源エネルギー庁「エネルギー白書2010」我が国における再生可能エネルギーの導入動向、各エネルギー源の発電コスト・CO2削減費用を見ると、太陽光49円/kWh、風力10~14円、水力8~13円、火力7~8円、原子力5~6円、地熱8~22円になっている。

私も学生時代から原子力には興味があり新聞などの記事には気を付けていたが、原発の発電コストが5円程度とは眉唾で政策上かなり細工がされており、まともに見積もればその2倍は越えるだろうと見られていた。 

5月14日日テレウェークの原子力コストのカラクリを検証番組で立命館大の大島さんは、原子力10.68円、火力9.9円、水力3.98円と試算した。言われている5~6年の約2倍だ。しかし、このほかに原発関係での交付金、研究費など湯水のごとくカネが流れているという報道もある。確かだろう。そう言った金額を入れると原発の発電コストはもっと上がるはずだ。

同番組では、電力会社の原発コストが17~19円であることも紹介している。原子力発電から火力発電に切り替えることにより発電コストが上がるのではなく、寧ろ実体は下がるのだ。

そこで、電気料金単価がどうなっているのかを調べてきた。

東電の場合、従量電灯Bで基本料金は1kVAあたり387円、第一段料金は120kWhまで単価は17.87円/kWh、第2段料金120kWhから300kWHまでの単価は22.86円/kWhとなっている。料金単価は関西電力の方が1~3円安い。発電構成比の違いだろうか。

海江田さんは、電気料金は下げるときはノーチェックだが、上げる時はチェックするという。各発電コスト、料金単価の算定法など、しっかり公開すべきではないのか。

安易な値上げは電力会社の経営をわがままにする。国民負担はしっかりしたコンセンサスの元にやるべきだ。政策上の曲げられた発電単価は、我が国のエネルギー政策に禍根を残すことになる。


写真左:発電コスト比較 資源エネルギー庁 エネルギー白書より

写真中:電気料金の推移 電力需要実績確報(電気事業連合会)

写真右:原発コストは安くない 2011.5.14日テレウェークアップ 原子力コスト安のからくりを検証

悲観論が社会不安を助長する今、コンセンサスを得る努力を



大震災に原発災害が加わったのだから仕方ないコトだが、我が国は未曾有の社会不安に駆られているテレビにスウィッチ入れ、新聞を開けば福島原発事故への対応や避難、その賠償問題、公平な負担のための増税、電気料金値上げ、東日本大震災関連の法案の処理の遅れ、企業業績の悪化、更に悪いことに政権与党内の権力闘争による菅政権の脆弱さなど不安要因は数え切れない。

肝心の今回の災害は何なんだ。天災なら我慢も出来ると被災者は言うが、人災の要素も大きいようだし、文明災だという学者もいる。電気を多用する文明社会では電力供給に「政策上、最も安全」と言われた原子力発電建設が推進され、危険な巨大技術でありながら安全意識が追いついていかなかった。

人災と言うにはいろんな理由があるだろう。政府は、検証委員会を設置し、菅首相の事故対応も含めて検証するという。

まず急がなければならないのは福島原発事故処理による原発災害の終息であるが、先に6~9ヶ月で目処を付ける工程表が示されたが、1号機の燃料棒のメルトダウンの事実が分って工程も狂ってくることになる。当初年単位での処理が予想されていたのに、月単位の工程には疑問を抱く国民が多かったはずだ。案の定経済産業相は、工程表の見直しの必要なことをコメントしたが、メルトダウンが無くても早晩同じ結果になったはずだ。

原発災害が長引くと、「次はどうなるんだ」と不安が募る。パニック、政権批判を恐れて厳しい重要な情報を隠蔽していることは十分に考えられることだ。本当の情報を流しても、パニック、政治批判は起きるのだから、最初から情報は公開すべきだ。

被災地での会社/工場の被害は、電気産業、自動車産業などにも大きな支障を与えている。家電量販店でパソコンを見ていたら、新モデルのパソコンが1ヶ月で生産中止になったという。東北地方の工場が被災したので部品が入ってこないのだ。

雇用状況も今回の震災で悪化するだろう。雇用は何としてでも確保しなければ社会制度の破壊を招き、社会不安の要因になる。電力供給不安、電気料金の値上げがあれば工場は海外へ移転し、国内は空洞化すると警告する。雇用を確保し将来にわたって良質な労働力を供給できる体制を維持しなければ、このツケは必ず経営者に戻ってくることを肝に銘じるべきだ。

被災地の地域経済回復も最大の課題だ。三陸沖という超優良の漁場があるのだから漁業関連産業の早い復旧が望まれるところだ。

被災地の街作りにも注目したい。被災住民の願いは今まで通りのコミュニケーションを維持するコトの出来る街作りで、復興ではなく復旧なのだ。私も居住地は高台移転、被災地は商業地域と考えていたが、高台での平地の確保は難しいらしい。先例になる奥尻島の復旧が参考になるのか。

それにしても一番の心配事、不安の原因は菅政権の政策推進にある。経団連会長の談にもあるように、結論がパット出て、その過程がブラックボックスなのだ。政策を打ち出すにしても十分に検討された過程がわからないし、それがもたらす影響にどう対応していくのかわからない。

要は、国民に対するコンセンサスを得る過程が欠如しているのだ。コレでは困る。

被災地の復旧・復興を国民全員が公平に負担する財源の確保での増税論、東電を救済するわけではないが電気料金の値上げ、原子力発電のこれからのあり方、浜岡原発を期限付きで停止したが、2~3年後の再稼働時に必ず大きな問題になるだろう。

更に考えておかなければならないのは、今は東北地方太平洋側の震災、原発被災地の問題であるが、これから発生するであろう東海・東南海・南海の3連動型地震、首都直下型地震が発生すると今回の災害どころではない。その時どう処理していくか、どう国民に公平な負担を課していくのか。

国民の不安解消にもコンセンサスを得る努力を政府は惜しむな。


写真:浜岡原発の一時停止を申請したと記者会見で報告する菅総理、安全を考えると英断かもしれないが、国民のコンセンサスを得られるのか。再稼動が予定されている時に、原発不要の大きな問題にならないか。

2011年5月11日水曜日

菅総理の政治手法:新たな課題に飛びつき、「オレがオレが」の独裁、国は大混乱



菅総理は記者会見で、首相の給与とボーナスを返納すると表明したが、いっそのこと「座」も返上できないか。常に新しい課題に取り組まなければ存在価値が無くなる市民運動感覚、「オレがオレが」の自己流独裁政治、そして国は大混乱を極めている。

今の日本の菅流政治は、緊急事態へも対応できず、打ち出す政策、行動は「パフォーマンスか」と揶揄されっぱなしで、真剣な政治が国民の目から消え去っており、いい加減にしないかと言いたくなる。

司令塔なき会議が多すぎ、議論はするようだが先送りが多く何も進まない。「オレがオレが」と細かなことも自分で決めなければ気が済まず、「責任はオレが取る。存分にやってくれ」が言えないリーダーだ。

何か新たなコトをやっていなければ存在価値を失う市民運動出身らしく、次々新しい政策課題見つけ、飛びつくが、限られ側近頼りで政権内・党内議論も不十分らしく政策推進の力がない。

組織の動かし方も稚拙だ。巨大な組織と知恵を持つ官僚を使いこなせず、標榜する「政治主導」は「自己流政治主導」で大いなる勘違いのパフォーマンスだ。

震災前までは、もう少しで「菅おろし」と期待されたが、党内抗争をやっているときでは無かろうと萎んでしまった。民主党内でも多数派を構成する(?)小沢グループが小沢再登板の機会を伺うが、「越山会」の政治資金疑惑で、水谷建設から裏金提供の事実が裁判で供述されては再登板の目は無くなった。

民主党内に「ポスト菅は誰か」と言っても思い当たらない。野党の協力を取り付けるには「菅退陣」の担保が必要だが、自ら辞める気配がない。

自民党谷垣さんで期限付き連立内閣が樹立できるのか。谷垣さんならこの苦難の政治状況を乗り切ることが出来るのか。やっぱり菅さんしかいないのか。

渡部恒三さんが「後は菅君の人間性だ」と言ったことがある。民主党は「人間性に問題がある」菅さんをどうして」総理に担いだのだ。

政権党として、民主党両院議員総会で総括し出直せ。


写真:菅総理記者会見 2011.5.10 NHKテレビより

2011年5月10日火曜日

情報公開って何なんだ!問われる国民の質



民主党は「情報公開を進める」と政権交代に当たり国民に誓った。しかし実情は、官邸機密費では
「そんなモノがあるのか」と惚けて見せたり、挙げ句は公開は都合が悪いと拒否する。原発震災ではスピーデイーによる拡散シミュレーションがあるにも係わらず、パニックを心配して公表を避けた。福島原発の被害状況も正しく公表されているかどうかは分らない。厳しいところは隠されているようだ。

政府が都合の悪いことは隠蔽して、思い通りの政策を推進することは昔からあるコトだ。古くは日米安保、核持ち込みなど外交上の機微に触れることから、最近の原発震災でのデータの隠蔽、開示の遅延など政権への不信は募るばかりだ。

国民やメデイアが、それとなく感じていることを「何もない」と否定する。政治に信頼など持てるはずがない。

もし情報公開していたらどうなるか。

メデイアはいろんな見方、考え方を報じるし、国民はパニックになるだろうコトは容易に想像できる。政府が警戒することは十分に分る。一方で、出来るだけ説明して公開すれば国民は納得するかと言えばそうはいかない。

国民にもいろんな考え方、利害が絡んで混乱状態になる。政府の考えに収束するなど考えられず、政権は国民の信を失い崩壊する。

継ぎに出てきた政権も、支持を失うことは致命傷なので隠匿行為に走り、何でもなかったように政策を進めていく。

言われている説明責任が十分に果たせない状況下では、隠蔽しても公開しても混乱は避けられず、真の情報公開は難しい。結局は国民の質が問われていることになる。

我が国にも情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律)があり、その第一条(目的)には「国民主権の理念に則り行政文書の開示を請求する権利につき定めるコトなどにより、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が真っ当されるようにすると共に、国民の的確な理解と批判の下にある公正でw民主的な行政の推進に資する」とうたう。

総務省もHPで、情報公開制度について、国民に開かれた行政の実現を図るために重要な法律だという。しかし、情報公開がうまくいったと聞いたことがない。拒否は付き物で、公開された資料でも重要な箇所には黒でマーキングされているのだ。

情報公開の成否には、ひとえに国民、政治家、政権の質が問われているのだ。

2011年5月8日日曜日

きしむ日本列島、次の巨大地震は何時?何処?









5月7日、21時47分ごろ震源を紀伊水道とするM4.1の地震(震度3)があったことをテレビが伝えた。もしかして南海地震との関係かと思い気象庁のHPで確認したら22時にも2度目の地震だ。3月11日のM9の東北地方太平洋沖地震以来、日本列島はきしみ、「次は何時、何処だ」が頭から離れない。外出時電車の中を見渡し、皆どう考えているのだろうかと思うことがある。

余震も続いている。3月15日の静岡県東部地震はM8クラスの東海地震の震源域に近かったために、「もしかして」と思ったが気象庁は誘発させる可能性はないと否定した。4月7日の宮城県沖での震度6強の余震は、想定されていた宮城県沖地震とはタイプが違うそうで、さらに最大余震が起こるかも知れないのだ。

日本は、東日本をのせた北米プレート、太平洋プレート、フィッリッピン海プレート、西日本がのっているユーラシアプレートが絡み合っている。この地震以降、いろんな警告が地震研究者から出されている。

この巨大な地震は、付近の海域や遠方の内陸部の地盤にひずみが貯まり、地震が起きやすい状態になっているという。ひずみが解放された反面、逆に貯まる所もあるのだ。房総沖、三陸沖中部、岩手県沿岸部、長野西部、中部、北陸地方が指摘されている(京都大防災研究所)。房総沖は以前から良く指摘される箇所だ。

東大地震研究所は、伊豆・箱根を含む静岡県東部から神奈川県西部に至る地域、茨城県南西部と東京湾北部から銚子に至る地域で地震が起こりやすくなっているという(朝日新聞2011.5.5)。

宮城県沖地震はM7.5で30年以内に99%の確率で発生すると地震調査研究推進本部が予測していたが、東北地方太平洋沖地震は、この辺の3つの震源域が今回同時に動いた連動型地震でM9という最近経験したことのない巨大地震になった。

連動型の地震が想定されているのは、東海・東南海・南海地震の同時発生で単独で起こってもM8以上だから、連動すれば巨大な地震になる。当然津波も伴うが、過去には悲惨な津波災害が報告されている。名古屋、大阪、東京の首都圏は想像を絶する災害になるかも知れない。中部電力の浜岡原発をどう処理するかは原発震災の防止のキーポイントだ。

気象庁のHPから地震の発生状況を見てみた。3つの地方に分け、最新1時間に発生した地震、情報発表した地震、震度1以上はすべて、内陸の浅井地震はM1.5以上、それ以外はM4以上がプロットされている。縮尺も違っているので調整し、日本地図全体で見れるようにしてみた(2011/05/07 00:00~2011/05/08 06:10)。

それによると、日本至る所で地震が発生しているが、岩手、宮城、福島県沖は圧倒的に多い多発地帯であるが、不思議なことに茨城沖で南下が止まっている。

その原因は、海洋研究開発機構の調査で、フィリッピン海プレートの北端部が、地殻破壊の房総半島沖への南下を食い止めているのだ(読売新聞2011.3.24(夕)。

5月7日の紀伊水道を震源とするM4.1の地震は南海地震の想定震源域の端に位置するように思える。ここは2004年9月5日19時07分M6.9,23時57分M7.4、津波警報60~90cmの紀伊半島沖地震が発生。スワッ東南海地震に関連かと思ったが、気象庁は関連性を不明とした。

地震発生確率8%でも起こった兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)、80%を越えてもまだ起こらない東海地震、「何時起きても不思議ではない巨大地震」があるのだ。




写真左:地震発生状況 気象庁HPから調整


写真右:2004.9.5紀伊半島沖地震 2004.9.6 NHKおはよう日本

2011年5月7日土曜日

菅総理の浜岡原発運転停止要請は英断か、パフォーマンスか





















中部電力・浜岡原発の東海地震時の危険性は、長く指摘されてきたコトでもあり、「実際に存在するので仕方ないが、決して適地とは思えない」というのが一般的見方だったが、ついに菅総理は「運転停止要請」を出した。英断なのか、一連のパフォーマンスなのか。

2日前に海江田経済産業相が、浜岡原発を視察し、「結論は急がないで、真剣に考える」と言っていたこと、国の原発政策の今後を考えると「指導力に欠ける」と批判されていた菅総理にしてみれば想像も出来ない早さの決断だった。

今回の福島第一原発による原発震災のへの対応を考えると、東海地震単独もさることながら、東海、東南海、南海地震の3連動型巨大地震、それによる津波も予測されており、更に浜岡原発による原発震災もあわせ考えると東京、名古屋、大阪の首都圏に甚大な災害をもたらし、それは東日本大震災の比ではない。

「どうする」と迫られれば人災の要素が大きい原発を止めるしかない。

菅総理は記者会見でも、M8クラスの東海地震の発生確率は30年で87%で切迫しており、置かれている特別な状況を考えて中・長期対策が完成する間、すべての原子炉を停止すするよう安心・安全を考えて決断したという。

要は、中部電力が考えている津波対策として、防波堤(12m以上)を2~3年で設置しようとしている間の期限付き運転停止要請だ。

関係者の反応はマチマチだ。テレビ報道によると、国の政策として原発に協力してきた人は、突然のコトに驚いているが、静岡県知事は「英断に敬意を表する」とコメント、住民の意見を吸い取った判断だろうが、地域は困るのではないかとの意見も見られる。原子炉が止まれば自治体に配られる補助金がなくなるためか。

浜岡原発の危険性は住民、地震専門家から強く指摘されているが、住民による運転停止請求も静岡地裁は「東海地震だけでなく、東南海、南海地震と連動した場合でも耐震安全性は確認されている」と棄却された(2007.10.26)。

不祥事も明らかになっている。浜岡原発建設でコンクリートの品質に大きく影響するアルカリ骨材のアルカリ反応試験の成績表をねつ造したと元社員が告発した(河北新報2004.8.6)。

又、最近では原発の立地にも問題が出てきた。浜岡5号機の地下300~500m下に地層の揺れを増幅させる地層があることが分かり、東海地震の強い揺れが5号機に集まる恐れが出てきた(読売新聞2010.4.1)。

中部電力も福島第一原発の事故に鑑み、2015年に6号機の着工を計画していたが、延期するという。さらに、浜岡原発津波対策として東海地震時の津波想定は8mと言うことであるが、砂丘が10~15mあり、砂丘と原子炉建家の間に2~3年かけて防波堤(12m以上)を設置、原子炉建家の屋上には災害対策用の発電機をすでに設置、そして2012年に非常用交流電源装置を20m以上の高台に設置するという。

しかし、こういった対策に効果があるのか。砂丘で10~15mの防潮を期待しているようだが、今回の東北地方太平洋沖地震での被害を見ると海岸の松林などは全壊して跡形も残っていない。新設する防波堤だって倒壊すると原子炉建家にも影響する。対策も怪しいモノだ。

菅総理はこういった対策が完成するまで、浜岡原発の全原子炉を停止せよと言うのだ。

海江田大臣の視察から時間を置かず、運転停止要請は十分に議論された結果なのか、菅総理のパフォーマンスなのか。期限付きとはいえ、相当の混乱が想定される。私自身、浜岡原発は完全に停止した方が良いと思うが派生する問題をしっかり検討すべきだ。

写真上段左:浜岡原発は東海地震想定震源域内にある特殊事情 2011.5.6NHKニュースウォッチ

写真上段右:記者会見する菅総理 2011.5.6NHKニュースウォッチ

写真下段左:天然の砂丘の津波対策になるという 2011.5.6テレビ朝日スクランブル

写真下段右:中部電力が計画している浜岡原発の津波対策 これが完成するまでの運転停止要請だ2011.5.6テレビ朝日スクランブル

2011年5月5日木曜日

驕るな東電! 解体し、発送事業分離で競争事業へ



この原発災害に及んでも東電の原発事業に対する驕った姿勢は変わらない。高級官僚の天下りで監督官庁に圧力をかけ、先行設備投資で日本経済を牽引してきた東電も、これを機に地域独占で甘い汁の吸える甘えの構造を解体し、発送事業分離で競争する電力事業に変えていくべきだ。
 
数兆円という想像も付かない賠償請求から企業を守り、従来からの利権を確保すべく東電経営者は、「賠償額の上限設定」発言をしたり、原子力損害賠償紛争審査会の1時指針策定に、「最大限のリストラをしても費用を払うことは困難」と、「賠償能力に配慮」の圧力をかけ基準作りの影響力を発揮しようと企み顰蹙を買った。

また、単独の損害賠償訴訟には「異常に巨大な天災地変」だったとして免責を主張している。

これから東電には、賠償責任以外にも責任が発生するだろう。株主代表訴訟も一つだが、刑事責任も出てくるのだろうか。

原子炉等規制法は、災害防止や公共の安全を図るために原子炉設置や運転に関する必要な既成をしている。その中の第64条(危険時の措置)に、「原子炉に関し地震、火災その他の災害が起こったことにより、原子炉に災害が発生する恐れがあり、又は発生した場合直ちに応急の措置を講じなければならない」と記している。

水素爆発を抑えるためのベント作業が遅れたことの責任を問えるかどうかだが、放射能を浴びることを恐れて逃げた場合は別として、責任が問えるかどうかは疑問だ。

第27条では、原子炉設置者は、設計及び工事の方法について主務大臣の認可を受けなければならないように、東電は原子力安全委員会、経済産業省の原子力安全・保安院の監視下にあった。耐震設計、津波対策などに非があったとしたら、委員会、保安院の責任も出てくる。リーデイング・カンパニーとして実務上主導権を東電が握っていたとしたら東電の責任も思い。

政府は「一義的には東電に責任がある」「東電の責任だ」と言っておきながら、東電の賠償リスクを緩和するために、電気料金の値上げの検討も始めるという。チョット時期尚早ではないか。東電はどれだけのリストラ、資産の売却をして賠償支払いに耐えられないと言っているのか。丸裸に為っているのか。経済産業省の高級官僚の天下りで来た人間が監督官庁に圧力をかけているのか。

我が国の電気料金は高い。電力会社は地域独占で甘い汁を吸い上げる大儲け企業になっている。競争事業にするには発送事業分離が必要だと言われてきた。

しかし、反対もあってなかなか実現していなかったが、この大原発災害を機に、電力業界の大改革をやるべきだ。政策上、一番コストが安価であった原子力発電も、原発の再稼働、新設が思うように行かなくなれば自由競争でコストダウンする必要がある。

電力業界はこぞって反対するだろうが、こういう大災害を活かさなければ、大改革(?)は出来ない。

民主党菅政権で曖昧な解決を図るのではなく、国民の信を得た強力な政権で推進して欲しいモノだ。東電は一度丸裸にして解体すべきである。そうしないと悪習慣、利権を残したままの曖昧な改革に終わってしまう。

驕るな東電だ!






2011年5月4日水曜日

憲法記念日:年に一度の憲法論議の日か



今年も又、憲法記念日がやってきた。例年の漏れず学者、メデイア、政界は憲法の問題点を取り上げその改正の是非を論じるが、今年は大震災への対応の不手際、国会の機能不全もあっていつもとは違う。国民全体で真剣に考えなければならないが、記念日を過ぎれば問題提起したことも忘れて来年同じコトを繰り返すコトに為りかねない。

安倍内閣の時、憲法改正を睨んだ「国民投票法」も制定され、改正に向けた一歩と為るかと思ったが、憲法改正自体、至難の業である。政治基盤が強固で、リーダーシップを持った総理が出れば何とかなりそうなモノであるが、如何にせん、国民は総理に恵まれていない。

今回は東日本大震災という未曾有の大震災に加え原発震災という非常事態に会い、危機管理に未熟な菅政権の不手際もあって緊急事態への備えがなっていなかった。その解決には憲法で緊急事態に対する規定が必要ではないかというのだ。

今回の大災害で明らかになったこととして、緊急時の際の運搬、事業者に対する要請に義務を課せること、そして原発災害での避難命令、被災地での所有権の制限などが挙げられている。

憲法改正派は、改正の必要性を主張するが、慎重派は「公共の福祉」の規定、災害対策基本法での対応で十分行けると主張する。

いろんな会議や対策本部の乱立で指揮命令系統もはっきりせず、復旧・復旧対策がうまく行っていないと言うニュースを聞くが、この点は菅総理が法で決められた通りにやっていないからではないか。「政治主導」に拘り、官僚機構を排した菅総理の危機管理の稚拙さが「人災」の要因にもなっている。

又、復興に向けた財源の確保での右往左往が、「ねじれ国会」のせいになっており、参議院のあり方が指摘されている。

しかし、「ねじれ国会」の原因は、政権与党の失政に、その原因がある。衆議員選挙の間に参議員選挙があり、政権与党への国民の評価が参議員選挙に反映されているのであり、「ねじれ国会」は政権党が国民の期待を裏切った結果だ。

しかし、現在の参議院が衆議院のコピーであることへの批判は同感である。衆議員選で有権者に評価されなかった候補者が、参議員として返り咲くなどおかしな民主主義だ。参議院の改革は必要であるが、なくすのは問題があろう。衆議院を監視するコトは必要なことなのだ。

この緊急事態への対応が急がれている今、政権党である民主党は内部抗争に明け暮れている。

こんな政党に政権を託した国民に責任がある。財源の根拠も薄弱で大風呂敷を広げたマニフェストを掲げて国民に淡い期待を持たせ政権交代を勝ち取ったが現実の壁に阻まれ、更には大震災への対応に時間を取られ、民主党政権は国民の信を失っている。

やはり選挙制度の見直しが必要だろう。こんな政党に400議席も与えた小選挙区制は見直した方がいい。政権交代が可能な二大政党制を目指し、選挙にカネのかからないというふれ込みでの小選挙区制であったが、政党の得票数はそんなに差がない野に、議席数では圧倒的差がつく結果になった。
比例区では従来なら泡沫候補と思われた候補者まで当選する始末だ。

私は、中選挙区に戻した方が良いのではないかと思う。国家財政も緊迫している。どうでもいい数あわせの議員などいらない。議員数を半分以下に減らし、金儲け、利権あさりに走る政治行動には「NO」を突きつけることだ。

憲法改正となると、なかなか進まない。今必要なのは強力な政権での臨機応変な法運用である。

「紙の本」か、電子書籍か



電子書籍が大きく進化している。ダウンロード出来る本は25000冊以上、雑誌・新聞類は150種以上でコンテンツも充実してきたし、パソコンに変わるほどの機能を持っている。電車の中や旅行先で本を読む習慣のない私にとってiPadか、紙の本か問われれば・・・。

家電量販店でiPadをいじっていたら、店員が寄って来て「こうやれば大きく表示されます」と教えてくれた。年配者の私にとって画面を大きくし、読みやすく出来ることをPRしたのだろう。いろんな機能が用意されている。

ページを捲る方法も数種類あり、紙の本のページを捲るのと同じ感じだが動作が遅いだけだ。付箋を付けたり、マーキングも出来、後で自分の確認した箇所を検索することも出来る。

しかし、自分の確認したい箇所は「あの本のどの辺だったか」をぼんやりだが覚えているのは紙の本に限る。付箋が付いていれば尚更簡単に確認できる。その時ページを捲っていると他の内容も目にすることが出来る。電子書籍では無理ではないか。

本は不思議なモノで、一度家に入ってくると、なかなか出ていかない。当然のことながら本棚のスペースが足らなくなり、ベランダに置いて雨よけの処置をしたりするが、整理整頓を考え処分することになる。マンションに移る時も思い切って処分した。本の重みで床が沈む恐れが出てきたのだ。

電子書籍では、その心配がない。メデイアにもよるが、1万冊分の保管が出来るらしい。「自炊」すれば持っている書籍を電子化出来る。

私もそんなに多くは持っていないが、50年前に買った法律書は今も使っている。紙の色は黄ばんで、ケースは劣化し一部ぼろぼろ、カバーしていたセロファン紙もボロボロでケースから取り出すとゴミ屑同然だ。学説、通説も内容が変わっているだろうが、不便はない。

40年前に買った世界大百科事典(3冊構成)も利用している。イラストも多く便利だが、電子書籍ではどうなるのだろうか。孫が「どうして」と聞いてくることがあるので、百科事典を開いて説明している。孫にページを捲らせると、その途中に面白そうな項目、イラスト説明があると見ているようだ。電子書籍では無理だろう。

でも、わざわざ紙の書籍があるのに「自炊」し、電子化する必要はない。一度読んだが余り価値を見いだせない本は処分すればいい。

一方、新刊本を購入するのと、ダウンロードするのとでは費用はどう違うのか。1500円ぐらいの本が一時半値と聞いていたが、そうはいかないようで数百円の差があるだけだ。

新聞も経営難で、リストラや優秀な記者が辞めて記事の質が落ちている。押し込み紙などの問題もあり新聞の宅配制度維持も難しくなり新聞業界も大変なことは分る。生き残る道は電子化だという。今長官、夕刊込みで新聞代は月約3900円位だが、電子化すると2000円ぐらいになるのかと思っていたら、日本経済新聞は4000円らしい。電子版であれば1日に数回更新されるので新しいニュースが見られるメリットはあるが、4000円では何ら従来と変わらない。

私も10年以上前から、新聞や雑誌の記事で必要なものはスキャンし分類してパソコンに保管している。当然検索し引き出すことも出来る。電子書籍化の一種だ。でも記事など書くとき参考にするのは最近の記事が多く、せいぜい1~2年前の記事に遡る。そんなに長期間保管しても余り役には立たない。科学者がレポートを書くとき参考にする文献は1~2年前までのモノが80%で、遡っても5年だという報告もある。

結局、相当の書籍を保有し、モノを書いている作家、ジャーナリスト、読書家などには利用価値があるかも知れないが、私程度では利用価値が落ちる。

習慣もあるだろうが、本は丸善に行って、いろんな本棚の本を見ながら今何が話題になっているのかを知るのも楽しみだ。余りにも沢山あると何を読んで良いか分らなくなるので新聞でのPRを見て参考にしている。

いろんなデバイスが市場に出ている。電車に乗ると携帯電話を触っている人が多い中でiPadなどを操作している人も見かけるようになったが、でもまだ新聞や単行本など読んでいる人の方が多い。

ところで、こういったモノは故障したり、修理することも必要になるだろう。場合によっては保管資料、書籍類が消失の憂き目にならないのだろうか。パソコンの修理の時には、データのバックアップが要求される。電子書籍もそうなるのか。

今、私が買っても遊び道具にしかならないだろう。年のせいか、習慣からか、読みやすさは紙の本に限る。


写真:SHARPのGALAPAGOS

2011年5月3日火曜日

復興構想会議:未来志向の創造的青写真が提言できるか



油断した頃やってきた今回の巨大地震・津波災害の復興は、全国民が共有すべき問題であり、復興構想会議での議論と青写真は復興の指針になるモノであり注目せざるを得ないが、配布資料は公表されるが、会議内容は非公開で、記者ブリーフで知るしかない。

会議の進め方を見ると、5月中旬を目処に「検討課題」を整理し、6月末までに菅総理からも要望のあった「提言」を取りまとめる予定のようだが、新聞報道によると、5月中に緊急提言をするらしい。被災自治体では独自に復興案が作成されているようだし、二度とこんな災害に遭わないように安心・安全な街作りが期待されるが、テレビ報道を見ると被災地の自分の敷地にプレハブが建つなど、被災現場はドンドン変化している。モタモタしていると指針に役立つ提言など出来ない恐れがある。

詳しい会議内容は分らないが、内閣官房のHPから東日本大震災復興構想会議に関する資料を見ることが出来る。それから会議の内容の一部と15人の選ばれた委員がどういう考えを持っているかを知ることが出来る。

被災地域の復興で重要なのは、いかなる立場の人でも安全で安心して暮らせる強固な地域づくりをすすめ、更に人口減少、高齢化などの課題に果敢に取り組み、環境と調和するシステムを構築するなど先駆的な地域の創出を目指すコトだという(内閣総理大臣の諮問)。

ただ復興には、発災が終わった津波災害は議論が出来るが、原発災害は進行中である。菅総理の意向もあって原発災害は除こうとしたらしいが、原発災害被災者を放置することは出来ないという異論が出てきて原発災害も含むことになった。議長提出資料の基本方針を見ても「未曾有の複合震災」という表現はあるが、特に原発災害を明記した表現はない。

そして復興の基本は被災者が主役の自立復興で自分たちの手で復興すると言うことを確立して貫いていくコトが大事だというが当然のことだろう。そのためには首長が社長の「復興まちづくり会社」を設立し復興事業を受け、雇用機会も提供できる。

今回の震災で仕事、職場を失った多くの失業者が出てきた、震災が無くても高齢化、後継者不足で産業は停滞していたが、農業、水産業で構造転換資、集約・大規模化で経営効率を上げ儲かる事業に持っていかなければならないと言う。

自然との付き合い方も考え直さなければならない。今までは、巨大な防潮堤を作るなど自然と対決型の社会であったが、耐震型社会から免震型社会への移行が大事だ。今回被災した各地域には、コレまでの巨大津波被害から先人達が「これより下に家を造るな」という意味の石碑を建て教訓としていた。
守った人は助かったが、防潮堤を信じて海岸近くの平野部に家を作った人はすべてを失った。

復興財源についても議長提出資料では、全国民的支援、負担の必要性を訴え、義捐金+公債+震災復興税が提案されているが、「増税ありき」に批判も出た。テレビ番組でそこを聞かれて、議長は自分の私見だと弁解した。阪神淡路大震災を兵庫県知事として経験した貝原さんが招かれて「財源無き復興ビジョンは寝言だ」と復興税の必要性を指摘した。国会の予算委員会でも議論されているようだが、
増税は「財務省の言いなりだ」との批判が大きい。経団連も予備費の活用、2011年予算の組み替え、臨時の国債発行、時限的増税を提案している。

更に経団連は、政治の強いリーダーシップで式命令権を持つ司令塔の確率が必要と提言している。委員の中にも、官僚が含まれていないことに実行面で不安を呈するモノもいるし、何分にも構想を実現するには政治の強さ、政権の強化が必要であるが、今のままでは心許ないという。

今までは、この会議も各委員の構想、考え方を開陳しあってきたようだが、このままでは何もまとまらないと危惧する委員も出てきた。これから復興すべき分野ごとに、しっかりテーマを決め、一つ一つ議論してまとめていく必要がありそうだ。

私達も東北の被災地の問題だと他人事で考えてはいけない。今世紀前半には発生が確実視されている巨大地震に備え且つその復興のモデルにもなるのだ。東海地震、東南海地震、南海地震の3連動型なら東京、名古屋、大阪の首都圏が被災地になり、東日本災害どころではない。中部電力の浜岡原発の被害次第では原発災害の再来だ。

更に政権、政治家の利権誘導にも注意し、監視を怠ってはならない。






写真:復興構想会議の「月内緊急提言」を報じる読売新聞2011.5.1

2011年5月1日日曜日

菅さん 未だ総理としての国会の信任を得続けているのか

相変わらず世論調査では指導力の無さが指摘され、国会では危機管理もデタラメで退陣を要求される始末。菅総理は、民主党代表選挙で代表に選出され、国会で内閣総理大臣に指名されたが、今、菅総理はその時の国会の信任を持ち得ているのか。

2010年9月、菅さんvs小沢さんの民主党代表選は、一般党員、サポーター、地方議員、国会議員34万2493人の有権者の投票で圧倒的多数のポイントを菅さんが獲得し代表になった。菅さんは、国会議員だけで見ると6票差の僅差だったが、一般党員、サポーター、地方議員の支持が勝因につながった。

当然国会では、衆院で多数を占め民主党の代表が内閣総理大臣に指名された。「政治とカネ」曖昧な言動で信頼を失った鳩山―小沢体制崩壊後、市民運動家から総理にのし上がった政治家として期待もされただろう。

「何をやりたくて総理になったのか分らない」と言われる菅さんだから、消費税増税など唐突な政策で内閣支持率を落としていった。さらに官僚を排した極端なまでの政治主導は、政策推進、外交に稚拙さを呈した。今回の大震災、原発震災では菅総理の危機管理に不安を唱える人が多い。

一方、政権交代に向け約束した民主党マニフェストも、実行に移すにあたって高いハードルになる財源問題、更には今回の震災復興・復旧のための財源確保、あわよくば野党の取り込みの思惑のため見直しに継ぐ見直しが続き、菅総理では民主党政権は持たないと言う危機感から民主党内でも「菅おろし」が蠢めくが、その背景に小沢vs反小沢の党内抗争があるのだから呆れかえる。

国会でも、野党から「退陣要求」を突きつけられる度に「復旧・復興への目処、税制再建への目処を付けること」が政治家の本望と言い切り、総理続投に強い姿勢を示した。

今、菅総理には昨年の民主党代表として、また国会では内閣総理大臣として得た信任を得続けているようには思えない。又、そんな菅総理が山積する最重要課題に取り組む資格があるのか。

一度総理の座に就くと自ら辞任する以外、引きずり降ろすコトは政治手法も絡みハードルは高い。菅総理は、6月末までに復興会議での報告書を求めているし、社会保障と税の一体改革もその頃を狙っている。6月の会期末までに菅総理は、自らの進退をはっきりさせるべきである。