2011年5月4日水曜日

憲法記念日:年に一度の憲法論議の日か



今年も又、憲法記念日がやってきた。例年の漏れず学者、メデイア、政界は憲法の問題点を取り上げその改正の是非を論じるが、今年は大震災への対応の不手際、国会の機能不全もあっていつもとは違う。国民全体で真剣に考えなければならないが、記念日を過ぎれば問題提起したことも忘れて来年同じコトを繰り返すコトに為りかねない。

安倍内閣の時、憲法改正を睨んだ「国民投票法」も制定され、改正に向けた一歩と為るかと思ったが、憲法改正自体、至難の業である。政治基盤が強固で、リーダーシップを持った総理が出れば何とかなりそうなモノであるが、如何にせん、国民は総理に恵まれていない。

今回は東日本大震災という未曾有の大震災に加え原発震災という非常事態に会い、危機管理に未熟な菅政権の不手際もあって緊急事態への備えがなっていなかった。その解決には憲法で緊急事態に対する規定が必要ではないかというのだ。

今回の大災害で明らかになったこととして、緊急時の際の運搬、事業者に対する要請に義務を課せること、そして原発災害での避難命令、被災地での所有権の制限などが挙げられている。

憲法改正派は、改正の必要性を主張するが、慎重派は「公共の福祉」の規定、災害対策基本法での対応で十分行けると主張する。

いろんな会議や対策本部の乱立で指揮命令系統もはっきりせず、復旧・復旧対策がうまく行っていないと言うニュースを聞くが、この点は菅総理が法で決められた通りにやっていないからではないか。「政治主導」に拘り、官僚機構を排した菅総理の危機管理の稚拙さが「人災」の要因にもなっている。

又、復興に向けた財源の確保での右往左往が、「ねじれ国会」のせいになっており、参議院のあり方が指摘されている。

しかし、「ねじれ国会」の原因は、政権与党の失政に、その原因がある。衆議員選挙の間に参議員選挙があり、政権与党への国民の評価が参議員選挙に反映されているのであり、「ねじれ国会」は政権党が国民の期待を裏切った結果だ。

しかし、現在の参議院が衆議院のコピーであることへの批判は同感である。衆議員選で有権者に評価されなかった候補者が、参議員として返り咲くなどおかしな民主主義だ。参議院の改革は必要であるが、なくすのは問題があろう。衆議院を監視するコトは必要なことなのだ。

この緊急事態への対応が急がれている今、政権党である民主党は内部抗争に明け暮れている。

こんな政党に政権を託した国民に責任がある。財源の根拠も薄弱で大風呂敷を広げたマニフェストを掲げて国民に淡い期待を持たせ政権交代を勝ち取ったが現実の壁に阻まれ、更には大震災への対応に時間を取られ、民主党政権は国民の信を失っている。

やはり選挙制度の見直しが必要だろう。こんな政党に400議席も与えた小選挙区制は見直した方がいい。政権交代が可能な二大政党制を目指し、選挙にカネのかからないというふれ込みでの小選挙区制であったが、政党の得票数はそんなに差がない野に、議席数では圧倒的差がつく結果になった。
比例区では従来なら泡沫候補と思われた候補者まで当選する始末だ。

私は、中選挙区に戻した方が良いのではないかと思う。国家財政も緊迫している。どうでもいい数あわせの議員などいらない。議員数を半分以下に減らし、金儲け、利権あさりに走る政治行動には「NO」を突きつけることだ。

憲法改正となると、なかなか進まない。今必要なのは強力な政権での臨機応変な法運用である。

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