2011年5月4日水曜日

「紙の本」か、電子書籍か



電子書籍が大きく進化している。ダウンロード出来る本は25000冊以上、雑誌・新聞類は150種以上でコンテンツも充実してきたし、パソコンに変わるほどの機能を持っている。電車の中や旅行先で本を読む習慣のない私にとってiPadか、紙の本か問われれば・・・。

家電量販店でiPadをいじっていたら、店員が寄って来て「こうやれば大きく表示されます」と教えてくれた。年配者の私にとって画面を大きくし、読みやすく出来ることをPRしたのだろう。いろんな機能が用意されている。

ページを捲る方法も数種類あり、紙の本のページを捲るのと同じ感じだが動作が遅いだけだ。付箋を付けたり、マーキングも出来、後で自分の確認した箇所を検索することも出来る。

しかし、自分の確認したい箇所は「あの本のどの辺だったか」をぼんやりだが覚えているのは紙の本に限る。付箋が付いていれば尚更簡単に確認できる。その時ページを捲っていると他の内容も目にすることが出来る。電子書籍では無理ではないか。

本は不思議なモノで、一度家に入ってくると、なかなか出ていかない。当然のことながら本棚のスペースが足らなくなり、ベランダに置いて雨よけの処置をしたりするが、整理整頓を考え処分することになる。マンションに移る時も思い切って処分した。本の重みで床が沈む恐れが出てきたのだ。

電子書籍では、その心配がない。メデイアにもよるが、1万冊分の保管が出来るらしい。「自炊」すれば持っている書籍を電子化出来る。

私もそんなに多くは持っていないが、50年前に買った法律書は今も使っている。紙の色は黄ばんで、ケースは劣化し一部ぼろぼろ、カバーしていたセロファン紙もボロボロでケースから取り出すとゴミ屑同然だ。学説、通説も内容が変わっているだろうが、不便はない。

40年前に買った世界大百科事典(3冊構成)も利用している。イラストも多く便利だが、電子書籍ではどうなるのだろうか。孫が「どうして」と聞いてくることがあるので、百科事典を開いて説明している。孫にページを捲らせると、その途中に面白そうな項目、イラスト説明があると見ているようだ。電子書籍では無理だろう。

でも、わざわざ紙の書籍があるのに「自炊」し、電子化する必要はない。一度読んだが余り価値を見いだせない本は処分すればいい。

一方、新刊本を購入するのと、ダウンロードするのとでは費用はどう違うのか。1500円ぐらいの本が一時半値と聞いていたが、そうはいかないようで数百円の差があるだけだ。

新聞も経営難で、リストラや優秀な記者が辞めて記事の質が落ちている。押し込み紙などの問題もあり新聞の宅配制度維持も難しくなり新聞業界も大変なことは分る。生き残る道は電子化だという。今長官、夕刊込みで新聞代は月約3900円位だが、電子化すると2000円ぐらいになるのかと思っていたら、日本経済新聞は4000円らしい。電子版であれば1日に数回更新されるので新しいニュースが見られるメリットはあるが、4000円では何ら従来と変わらない。

私も10年以上前から、新聞や雑誌の記事で必要なものはスキャンし分類してパソコンに保管している。当然検索し引き出すことも出来る。電子書籍化の一種だ。でも記事など書くとき参考にするのは最近の記事が多く、せいぜい1~2年前の記事に遡る。そんなに長期間保管しても余り役には立たない。科学者がレポートを書くとき参考にする文献は1~2年前までのモノが80%で、遡っても5年だという報告もある。

結局、相当の書籍を保有し、モノを書いている作家、ジャーナリスト、読書家などには利用価値があるかも知れないが、私程度では利用価値が落ちる。

習慣もあるだろうが、本は丸善に行って、いろんな本棚の本を見ながら今何が話題になっているのかを知るのも楽しみだ。余りにも沢山あると何を読んで良いか分らなくなるので新聞でのPRを見て参考にしている。

いろんなデバイスが市場に出ている。電車に乗ると携帯電話を触っている人が多い中でiPadなどを操作している人も見かけるようになったが、でもまだ新聞や単行本など読んでいる人の方が多い。

ところで、こういったモノは故障したり、修理することも必要になるだろう。場合によっては保管資料、書籍類が消失の憂き目にならないのだろうか。パソコンの修理の時には、データのバックアップが要求される。電子書籍もそうなるのか。

今、私が買っても遊び道具にしかならないだろう。年のせいか、習慣からか、読みやすさは紙の本に限る。


写真:SHARPのGALAPAGOS

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