2010年10月25日月曜日

ニュースは紙媒体の新聞を読むことから

米国では、紙媒体の新聞の落ち目が伝えられる。記者のリストラ、会社の身売り、ネットへの志向とその有料化など有名な新聞社が直面している事態は厳しい。

翻って日本ではどうかというと、リストラ、印刷の委託、共同通信からのニュース配信、地方支局の縮小など程度の差こそあれ、同じように経営は厳しいらしいが、今すぐ配達システムが崩れることはないらしい。

新聞社の経営が厳しくなった原因に「新聞を読まなくなった」ことが挙げられている。よく耳にする「若者の活字離れ」だ。

新聞を読まなくなったために、新聞社の経営が厳しくなると共に、国民の世論も怪しくなってくる。

紙媒体の新聞を読む代わりにニュースを無料のネット(勿論有料のネットもあるが、どのぐらいの購入者がいるのかは分からない)やテレビに頼るようになった。

しかし特殊な情報源は別として、ネットでもテレビの情報番組でも基本的には新聞記事に
頼った報道である。

ネットでも新聞社系の電子版は別として、そのニュースの信頼性に疑問を投げかけられている。プロの記者が集めた記事の方に信頼性があるというのだが、記者クラブに批判がかかっているように苦労せずリーク情報を垂れ流すことの是非が問われている。

一方、小沢さんの政治資金疑惑での検察審査会の2回にわたる議決で強制起訴されることにも関連し、「国民は素人」「メデイアに操作された世論」が為政者や一部ジャーナリストから指摘されるようになった。

健全な国民感覚を身につけるにはどうしたらよいのか。世論が信頼を持たれるようにするにはどうすればいいのか。

それには、継続して新聞を読むことだ。問題の発端、経過を知ることが出来る。その中には検証記事もある。「そうだったのか」と認識を改めることも出来る。その間報道される記事に齟齬があったとしても、長期に新聞を読むことで理解を修正することも可能だ。

ネットサーフィンでは、断片化された信頼性の乏しい短い情報を積み上げて考えを構築することになり、新聞などの活字を読むことによる考える力は弱まる。

新聞を読み、考える力を養おう。そうすれば健全な国民感覚が育成でき、新聞社の経営を助けることになる。優秀な記者を育てることにもなるのだ。

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