2010年5月18日火曜日

経営は誰の為に、政治は誰の為に


親企業の60億円に上る借金で経営破綻し、年間わづかながら利益(約8億円)を出していた京品ホテルが売りに出た。当然従業員は撤回を求めて提訴すると共に、自主管理で営業を続ける闘争に入った。リーマンショックとも関連し大きな社会問題になった。

解雇された一部の従業員は、東京ユニオンに加盟して全国の労働者、学生の支援を受け闘争を続けた。私も数回取材で訪れ、自主営業のトンカツ店でトンカツを食べ、最近ではワンコイン・カンパで500円の弁当も食べた。

その時、「私達の訴えが解決しない限り、このホテルの買手は付かない」と元従業員は言っていたが、その後新聞で解決したという報道があった。

昨日、その後の京品ホテルを取材したが、まだ建物はあるが、以前は張ってあった裁判所の決定書や管財人の警告書ははがされ、元従業員の闘争も終わったようで、訪れる人影はない。

「メデイアは闘争するというとワッとやってくるが、普段は来ない」ということばを思い出す。

私も「企業は誰のモノか」という趣旨の記事を書いたことがある。

 労働法では会社の解散や廃止について、憲法22条(職業選択の自由)、商法404条2号(会社は株主総会の決議で解散する)により、経営管理上の理由から解散・廃止することは一応使用者側の自由になしえる。ところが、会社の解散・廃止は団結権を労働基本権として保障する現憲法体制下ではこの自由も制約があるのは当然である。
 しかし、「偽装解散であろうと、黒字経営のもとでの不当極まりない売却であろうと労働者はこれに従え(決定)」とは暴走気味の判断である。
 更に「仮に解雇が解雇権を濫用したモノとして無効であるとされても、使用者が事業を廃止した場合に、これを再開するよう請求する権限は従業員にはない(決定)」と言及している。
 解雇の自由を制限する根拠を生存権、労働権に求める見方は多いが、現段階では使用者に対して労働者の生存権保障の責任を法的に負わせたモノではないと考えると決定は納得も行く(だが、使用者が解雇権を生存権、労働権を侵害するための行使する場合は権利の濫用になるのは当然である)。
 そうはいっても一方で、「企業の社会的責任」を解雇の自由を制限する理由に挙げる説もある。
 企業の社会的責任は労働者の生存権と関係し、労働者の生存権を侵害するような解雇権(人事権)の行使は許されないことで、労働者の権利を侵害する。解雇も社会通念上、正当づけられるような正当な理由がなければならないのは当然である。

改めて、企業の社会的責任が問われる。

儲けの一部を社会に還元する。株主に1円でも多く配当することは分かるが、税を納めて所得分配にも移し、雇用を確保する。今、企業も業績を回復しているらしいが、リストラ、経費削減が要因らしい。

夜逃げ、消滅企業も増えているらしい。そのニュースを見るたびに、従業員はどうなったのか気に掛かる。

一方、政治もお粗末になった。鳩山さん、小沢さんは誰のために政治をやっているのか。

鳩山さんは、鳩山家の「友愛精神」を掲げ、総理の座に就いたのは良かったが、政治家一家の面子にかけ「その資質」が問われているのに辞任する気はないと言うし、小沢さんは追われた自民党を潰すために闘争をしているのだという。その政治手法は、有権者が嫌って政権交代させた古い自民党そのものだ。

政治の基本である選挙は、政権交代しても、益々悪くなっている。小沢さんの権勢を振るう道具になっているのだ。

経営は誰のためにするのか、政治は誰のためにあるのか。
写真:現在の京品ホテル 裁判所の決定書、管財人の警告書もはがされ、訪れる人もない
2010.5.17

企業活動を支える従業員、主権者である国民が忘れられていないか。

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