2011年3月30日水曜日

大震災時の情報:情報不足、過多も困るが、要は国民がどう受け取るかだ




被災地の避難所や自宅避難者は情報がないと困惑し、一方被災地外では情報過多だ。


朝起きると直ぐテレビを付ける。ポストに新聞を取りに行くと1面記事を開く。福島第一原発がどういう状況かを確認するためだ。テレビは特番、新聞は解説記事で詳細に報じている。孫までが「じいちゃん 原子炉内が厳しい状況らしいよ」と教えてくれる。


被災された人達が、情報を得ることが出来ないことは不安を仰ぐことになるが、テレビも見えない、新聞もないでは仕方ないことだ。そんな中でコミュニテイー紙が模造紙にニュースを書いて避難所に張られてのには感心した。


被災当初は、被災者が情報を発する手段もなく、情報を統括する部門もなく、更に情報を伝達する手段もない環境では人による口コミしかない。しかし、ガソリンも移動する手段も絶たれてはお手上げだ。 全国から支援物質が集まっているにもかかわらず、自宅避難者に支援物質も届かない理由に、避難者情報が届かない、配送手段がないことがあげられる。 今回のように、大津波でインフラが壊滅した状態ではある程度覚悟しなければならないことであるが、地域ごとの助け合いが重要になってくる。


日頃から地域の自治会組織の活動を見直すべきではなかろうか。


電気が欲しいところだろうが、配電網が消失しては復旧に時間がかかる。どう復興するかの青写真作が先行しなくてはならないからだ。しばらくはデイーゼル発電機に頼ることになるのだろうが、燃料の補給が問題になる。 ここは、日本の技術を活かし太陽光発電で凌げるか。


一方で,情報過多も困ったモノだ。福島第一原発の放射能漏れ、依然として続く危機的状態は世界中に不安を与えている。 テレビニュースは「まず、福島第一原発のニュースから・・・」で始まり、枝野官房長官の記者会見、原子力安全・保安院の会見、東電の会見を報じる。枝野さんの普段の記者会見では、真ん中の席ががら空きであったが、震災後は政府の情報を得るために満席の状態だ。


放射性物質の検出から今の原子炉の状況を解説員、大学教授の解説で伝える。最近は発電設備の構造もフリップで丁寧に伝えられ、原子力発電を理解するにはよいが、事故解析に使われるのは残念なことだ。


そんな中で情報の善し悪しを判断せねばならないのが、大気中、土壌中、野菜、原乳そして水道水などの放射能汚染問題だ。大震災に加えて不安と混乱を助長するコトになりかねない。 農産物にあっては暫定基準値を越える検出値であったが、「安全だが、念のため」、「出荷停止」の政治判断をしたという。これに加えて「摂取制限」も出たとあっては、風評被害もあって農家は死活問題になった。


政府は「健康に害を与えるようなものではないが、念のため出荷を停止し、摂取しないほうが望ましい」という。専門家の解説を聞くと、結局は流水で良く洗って食べれば問題はない程度なのだ。


暫定基準値は、ヨウ素が飲料水、牛乳で1kgあたり300ベクレル、野菜類で2000ベクレルだという。慌てて作った基準値であるらしいが、「相当安全を見た値」だそうだ。だったら設定に当たった根拠を示せと言いたい。


避難措置、屋内避難措置も大変だ。該当する住民の生活が大きく変わるし、近接地は風評被害で物資も入らずゴーストタウン状態だ。 原子力安全委員会は、事故発生後かなり経って放射能汚染のシミュレーションを発表した。斑目委員長はかなり厳しい条件でやったと言う。地形は気候によって違うが一体どういう条件でシミューションした結果なのか。20~30km範囲内の措置とシミュレーションの結果と異なる地域があるが大丈夫なのか。原子力安全委員会の「割り切った考え」、「合理的考え」でやったらもっと違う結果が出るのか。


政府は政治主導かどうか知らないが、日々変わる情報を開示している。一番注意しなければならないことは社会的混乱とパニックの防止と思うが、情報の開示が十分なのか。官邸は危機管理として相当の情報を持っているはずだし、今後のシミュレーションもしているはずだ。 「情報を小出しにして混乱を招いている」という批判もあるが、本当のところはどうなんだ。


氾濫する情報の受け手である国民が、どう判断するか(出来るか)だ。


寺田寅彦はその随筆「一つの思考実験(対象11年5月)」で「・・不幸や不安の原因のかなり大きな部分が「新聞」というものの存在と直接問題を持っているように思う・・」と書いている。今は、テレビや新聞の記事で不安がったり、安心したりしているのだ。 溢れる情報に右往左往せず、しっかりした判断が出来るようにしたいものだ。


写真上段左:原子力安全委員会による緊急放射能汚染予測 厳しい条件でシミュレーションしたというが、どんな条件なのか 2011.3.23 TBSニュース23


写真上段右:暫定値 2011.3.27 「暫定地は厳しくないか」 テレビ朝日


写真下段:翌日早朝現地視察に向かう菅総理 現場での緊急対応に邪魔になったのではないかと国会で野党から批判される結果になった 民放テレビより

2011年3月28日月曜日

平成23年東北地方太平洋沖地震の教訓 「自然を甘く見るな」




東北地方太平洋沖地震はいろんな教訓を与えてくれたし、警鐘を鳴らしてくれている。この地で復興を願う住民の方は、「もうしばらくはこんな災害は起こらないだろう」と思っているかも知れないが、「自然を甘く見るな」だ。


予想もしなかった連動型の地震波M9.0という巨大地震になり大津波災害を起こした。大きな防潮堤を乗り越え、船共々街に押し寄せてくる映像は、自然の怖さをおもいしらされた。荒れ狂う自然の猛威に打ち勝つ技術はないのだ。


災害後、被災地の津波浸水ハザードマップを見た。津波の規模の違いはあるが予想では、平坦部はほとんど浸水している。所々の高台が避難所と指定されていたが、津波の大きさはその避難所も飲み込んでしまった。


被災地は地盤沈下もして冠水している所もあり、海水をかぶった田畑は塩害の心配もある。復興に向けてこの地をどうするかは重要な課題だ。居住区は高台に作り、漁業施設、商業施設を被災地跡地に再開発していくのだろうか。その復興の青写真に注目している。


今回の震災は、いろんな反省点と自然との共存の大切さを教えてくれた。


自然の脅威に謙虚でなければならない。減災は別として、土木技術で防災が出来るとは思わないことだ。 災害をシミュレーションする想定モデル通りに地震は起こらない。巨大地震のことは分っていないことが多い。災害は誰だって軽い方が良い。巨大な災害など知りたくないのだ。


しかし、地震はある程度周期性があり発生間隔が大まかには推定できる。古文書や地震考古学の分野も活発で今まで分っていなかった地震も分りだした。地震研究センターの岡村さんは、「非常にでかい津波」が過去のあったことを指摘した。869年の貞観津波だ。大津波は決して想定外ではなかったのだ(朝日新聞2011.3.25)。


「想定外だった」とは、行政、企業など当事者の責任逃れだ。特に原子力発電という巨大技術を扱う技術者は自然に対して謙虚でなければならない。誰かが「巨大津波の危険」を指摘した時点で、技術者には「予見可能性があった」ことになる。適正な対策を立てずにその指摘をねじ曲げる行為は、企業の傲慢さであり、東電にとってはあるまじき行為であり、大震災を理由に東電が責任を逃れることは出来ない。


首都圏でも被害は大きい。民間デベロッパーによる都市の乱開発が問題だ。千葉県浦安市のように埋め立て造成された街は液状化で家は傾き、ライフラインは壊れたまま復旧の目処が立たないところもある。昔、海岸部、河川敷であった場所の都市開発は液状化が避けられない。


東京では、高層ビルが左右に大きく揺れているのを見た人が多い。耐震設計で倒壊することはないだろうが、エレベーターが止まったり、ライフラインが止まった所もあるようだ。首都圏は軟弱地盤で、国内で発生する地震による長周期地震動で常に攻撃されていることを忘れてはいけない。


防災計画も大幅な見直しが必要だ。助かった人達の情報から防災に必要なソフト面がはっきりしてくるだろう。よく言われているように「より高いところに避難しろ」、「第一波より2波、3波と続く津波の方が危ない」を肝に銘じるべきだろう。被災地を映すテレビ映像で、どろんこになって転がっていた時計が16時半頃を指していた。


そしてこれも大事なことだが、日頃から埋め立て処分場などの施設を確保しておくことだ。兵庫県南部地震後の復興では、震災がれきの処分に大阪フェニックス計画の処分場が役立った。埋め立て処分場は嫌われる施設であるが、一方で災害復興には欠かせない。厚生労働省の震災廃棄物対策指針を見ると、震災廃棄物も分別、中間処理、最終処分が必要だ。


また、 過去の災害情報、その土地の由来を示す番地が変更され、過去の災害、地域の成り立ちの情報を知ることが出来なくなった。○○沢、○○沼,○○谷などが何丁目何番地と表示が変わり、モダーンになった代わりに重要な情報が姿を消した。


自然の力は恐ろしい。最新技術でも防ぐことが出来ないのだ。被災地の復興、再開発にどんな知恵が出せるのか。


写真上段左:津波到来を映す。第一波より第二波、第三波など後に続く津波の威力の方が大きいことは分かっているのだが、続く津波で犠牲になった人が多い。民放テレビより


写真上段右:3号炉への放水作業 あんなに海水をかけてその水はどうなるんだと思っていたが、案の定放射能汚染水となりたまっている 民放テレビより


写真下段:首都圏でも液状化などで町がマヒ 千葉県浦安市で 民放テレビより

2011年3月27日日曜日

民主党政権の大いなる勘違い、政治主導=パフォーマンス


あれだけ「政治主導」と言っていたので後へは引けないのだろう。菅総理も政治主導に拘っている。内閣府に学者のブレーンを引き入れ、誰が司令塔か分らず、会議は開催するが巨大な官僚組織を使いこなしていない。自ら動けば「パフォーマンスばかり」と批判され徳のない人だ。


巨大な組織と情報、ノー・ハウを持っている官僚組織の力を利用しないなんてとんでもないことだ。遅ればせながら仙石さんが官房副長官につき官僚を使おうとする気運が出てきた。


こんな大震災を起こしながら中央官庁からの情報は、大臣が記者会見して報告するだけだ。 官僚が出しゃばるコトは良くないが、情報はしっかり挙げて国民に開示するのが仕事ではないのか。政治主導で声がかからないから、サボタージュするのであれば国を滅ぼすコトになる。声がかからなくても仕事をすることが公僕の仕事だ。


それにしても「政治主導」には困ったモノだ。国会議員が政治家としての器ではないのだ。


官僚から政治を取り戻す動きは30年も前に遡る。土光臨調による行政改革だ。


今は政治改革のキーワードになっている。これを強力に進めたのは自由党党首だった小沢さんだ。英国の政治をモデルにするから大丈夫だと言ったことがある。確か、大臣がペーパーを棒読みしたり、官僚に答弁を任せる姿は、政治家って何だろうと疑問に思ったことがある。


民主党は「政治主導」を掲げて政権交代を勝ち取った。これをやらなければ「日本は変わらない」というのだ。鳩山政権では「政治主導」がキャッチフレーズになった。 しかし、自民党政権での政策との違いを出そうと、大見得を切ったが、ダッチロール状態でウソにウソを重ねる最悪の状態で、自らの「政治とカネ」の問題もあってあっけなく沈没した。


後を継いだ菅さんの政治主導は、お寒い状態だ。 民主党政権の勘違いは、政治主導=パフォーマンスにある。


小沢さんなら出来るだろうと期待する向きはあるが、菅政権に対して対案を出すわけではなく、政治は権力闘争と豪語するように、党利党略、自らの勢力拡大を目指すだけで、とてもではないが理想の政治を求める理想的政治家からは、ほど遠い。 この非常事態に小沢さんを取り込んで挙党体制でやろうと言う考えもあるようだが、仙石さんが入ってきたことでその芽はなくなったと思う。


菅さんが、パフォーマンスをやらず、しっかりやっていると評価されるにはどうしたらいいのか。


官邸、内閣府のブレーンを少なくし、官僚から情報をあげて、「こうしよう」と方向性を出せばいいのだ。担当大臣、政府機関が記者発表する前に、まず自分が記者会見するなどもってのほかだ。 官僚や大臣に任せることは任せ、自分は国民に強いメッセージを送ることが今要求されているのではないか。


国民は冷静な目で政府を見ているのだ。アメリカ大統領を見習え。

2011年3月26日土曜日

地震・津波災害、原発震災:安全とは、危険であることを知っていること











安全とは、まず「危険であることを知っていること」、そして危険を回避するために行動することだ。巨大技術にあっては、経営者、管理職、設計者、運転要員すべてが「危険であること」を知っているべきだ。誰かが、原子力安全委員会のように「合理的で最高の安全基準」と言い出すと安全意識は崩壊する。

理論物理学者だった故武谷三男さんは、その著書で日本の原子力体制では事故は何時でも起きる。「この技術は安全だ」という者の手にかかるほど、その技術は危険になると警告している(「危ない科学技術」青春出版 2000年3月)。

私達は、今まで「原発は安全だ」と教えられてきた。地震大国にあっては、周辺住民が建設反対、運転差し止め訴訟を起こしていたが、裁判所は退けた。

原発の現状を「現存するコトは仕方ないが、決して良い場所に立地しているとは思えない」と言った地震学者の言葉が常識なのだ。

しかし今回の大震災、津波被害は予想を遙かに超える規模であったとしても、安全を危惧する意見が正しかったコトを証明した。

福島第一原発の被害拡大防止に懸命の努力をする人達には頭が下がる。緊急時、異常事態であるときこそ「安全第一」が必要なのだ。

東京消防庁の放水準備でのホース敷設作業をテレビで見たが、警報音が鳴り響き緊迫する作業現場で安全確保をしながら作業進める組織化され、訓練された消防庁の方々に感心したものだ。自衛隊の人達だって同じだろう。

ところが、残念なことにタービン室の作業で作業員の被爆事故が発生した。暗闇の中での現場の状況も破棄きりはしなかったのだろうが、何故、東電の放射線管理員が立ち会っていなかったのか。東電の管理者に安全の劣化が起こっていたのではないか。

26日のテレビの報道で、東電は「1号機の情報を持って各現場で作業している皆さんに注意喚起していれば、防止できた事故である」と東電の管理責任を認めた(2011.3.26 テレビ朝日 J
チャン)。

一方、地震が起きたら津波が来る。「出来るだけ高いところに避難せよ」との教えを守って助かった子供達が居ることが報道されている。釜石では防災教育での教えを忠実に守り、中学生が小学生を引率して避難所を移っている写真が公開された。

山田町では、「津波が来たら1mでも高いところに逃げろ」と教えられていた校務員さんの機敏な判断でより高いところに避難し、全員が助かった快挙が報じられた(読売新聞2011.3.26)。

地震が発生し、津波が来たら危険だと言うことを知っていたために助かったのだ。

しかし、姿が見えず「危険」であることが実感できない放射線汚染では安全の判断も狂ってくる。大気中の放射線濃度から「避難勧告」、野菜への汚染から「出荷停止、摂取禁止」、水道水の汚染から乳児の飲用の控える処置などで混乱が生じている。

過敏にならず、正当に怖がることの難しさが分る。専門家の判断と政府の判断がどこか違っている。政府は国民に発表していない情報を持って判断しているのか。

暫定値、基準値の正しい理解が必要だ。
写真上段左:野菜の放射線汚染を報じるテレビニュース 民放テレビより
写真上段右:作業員が被爆事故を起こした 危険性が伝わっていなかった東電の管理責任だ 2011.3.26 テレビ朝日Jチャンより
写真下段左:釜石市で、防災教育の教えに従って中学生が小学生を引率して避難所から避難所に移動する時の写真 民放テレビより
写真下段右:校務員の英断でさらに高い場所に避難し、小学生全員が助かった 読売新聞2011.3.26

統一地方選:煮え切らないまま都知事選は終わるのか


政権政党の民主党の惨敗が予想される統一地方選が始まったが、都知事選も大震災もあって低調なスタートになった。民主党は党内混乱と内閣支持率の低迷もあり、独自候補を立てることも出来ず、国政の是非も問えないまま、煮え切らない都知事選で終わりそうだ。

ポスター掲示板を見ても当日一番早かったのは共産党の小池さんだ。年配の支持者が2~3人組になって担当の掲示板の場所を確認しながら張っている。「さすが早いですね」というと「早いですよ」といって笑う。組織がしっかりしていると早い。告示当日は、石原さん、渡辺さんで終わったが、立候補者11人中、2日目でもポスターを張ったのは4人だけだ。

主要立候補の弁をテレビで見ると渡辺さんは「大不況をさせないように温かい東京を作る」、石原さんは「自分が身を粉にしてがんばる。立候補させたのは天の声か。復興のため内需を」、中松さんは「新しい東京を作る。防災に強い東京」、東国原さんは「危機管理は1丁目一番地。元気な東京、ミラクルが必要」、小池さんは「政治の病気を治す、福祉防災都市東京を」と訴えているようだ。

東北地方太平洋沖地震で壊滅的被害を目の当たりにし、首都圏直下型地震、東海地震、東南海地震、南海地震の発生が予測されている首都圏にあっては、防災を掲げることは当然であるかも知れないが、それだけに終わってはいけない。

石原都政がどうだったのか今まで都民ではなかった私には良く分らないが、石原さんが進めた政策で問題視されている築地市場の豊洲地区への移転、夏季五輪の東京誘致、新銀行東京などがある。石原さん以外の候補者は、否定的な考えのようだ。

石原さんの立候補にも不信な点がある。あれほど間際まで立候補しないと言っていたのが、何故突然立候補に変わったのか。公約があっての立候補なのか。「東京から日本を立ち上げる」と言う。東京をガタガタには出来ないと言うのだ。

他の候補者は「東京を変える」と訴えており、石原さんは今までやってきた自分の政策が否定され、ひっくり返るコトを心配しているのか。メデイアの報じるところによると、自民党幹事長の息子さんの立場を考えて立候補に舵切りしたとも言う。だとすると公私混同も甚だしい感もする。

東京都民は、カリスマ性を持った知事が必要と言うことで選んできたのか。あの「つっけんどん」な記者会見で都民にどんなメッセージを送っているのか。

他の候補も選ぶのが難しい。宮崎県知事を1期やった東国原さんは、「危機管理は任せろ」と言う。口蹄疫や鳥インフルエンザ対策で経験を積んだことを言っているのだろう。でも、私達には宮崎県物産のセールスマンとしての顔しか知らない。政権交代前に、人気にあやかろうと自民党がアタックしたことはあるが、県政での実績が分らない。

渡辺さんは、苦学され実業家に為られた実績は評価できる。「都政にも経営者の感覚を」と訴えるコトも理解できる。税金で成り立つ介護分野へも手を広げ手いるようだが、不正が明るみになり責任を取らなければならないことにならないのか。

ドクター・中松さんも面白い人だ。前回の都知事選では「北朝鮮からデポドンが飛んできたら、跳ね返す」とも言った。ポスターを見たが、何を言っているのか首をかしげる。

小池さんは、参議院議員だったとき、テレビ出演などで正論を吐いていた。共産党は考えがぶれないと感心したものだ。医師らしい発想で「政治の病を治す」と訴える。他の候補が街頭演説などを控える動きをしているが、小池陣営は積極的に街頭演説で政策を訴えるという。

各候補者はどうやって政策を訴えていくつもりなのか。大震災にかまけて政策を疎かにしてもらっては困る。

渡辺さんは、ポスターに「無関心NO」を掲げている。報道2001「緊急討論」で内閣支持率が35.6%に大きく上昇、政党支持率は自民党15.6%↓、民主党11.0%↓、一方未定は51%↑で、無党派層が増えている。菅内閣の支持率がどうして上昇したのか無名であるが、無関心であっては政治は変わらないのだ。

都政を誰に託せるか。候補者を見ると「帯に短し、たすきに長し」だ。実績を買ってこの人と言うことになるのだろうが、前回のような圧倒的支持は避けなければ独裁的になってしまう。

煮え切らないまま都知事選は終わるのか。


写真:大田区内のポスター掲示板 2日目でも候補者のポスターはそろわない。

2011年3月23日水曜日

原発・地震防災対策:御用学者はお役目御免、これからは広く考えを取り込め




今回の東北地方太平洋沖地震による壊滅的な津波被害、安全と言われていた原発の致命的破壊は、政府が推進する防災、原発行政に大きな衝撃を与えたのではないか。「御用学者もこれまでか」の感がする。

参院予算委員会で斑目原子力安全委員長が、福島第一原発の事故で答弁に立ち、「原発設計の想定が悪かった。原子力を推進してきた者の一人として個人的には謝罪する気持ちはある」としながらも「割り切った考えをしなければ、設計が出来ないが、割り切り方がまずかった」と原発事故対応の甘さを認めた(河北新報内外ニュース 2011.3.22電子版)。

原子力発電、地震対策など国を挙げての政策推進は、時の政治に呼応するものでなくてはならず、その組織のトップや委員は、当然政府のYESマンが選ばれる。異端者の意見など省みられない。

原子力安全委員会が、今回の地震がなかったら開催したであろう原子力安全シンポジウムのテーマは「原子力安全委員会の当面の施策の基本方針について・・合理的に達成可能な最高の安全水準を目指して・・」だ。論点は「合理的に達成可能な最高の安全水準」を目指すという。何のことはない「割り切った考え」なのだ。

しかし、これ程の惨事を目の当たりにすると、今までの対応の甘さが目に付き、当然のことながら「御用学者もこれまでか」と思う。今、菅政権は震災対策に学識者を取り込み内閣府にいれているが、大丈夫か。身近な者の紹介で自分たちの都合の良い意見を言うことしかできない御用学者を取り込んでもらっては困るのだ。

この地震による原発の安全性について、その安全性を争う裁判が2007年10月26日静岡地裁であった。東海地震の想定震源域にある中部電力浜岡原発の運転差し止めを住民らが訴えたのだ。

結果は、住民側敗訴に終わったが、その論争点は重要で、今回の大惨事は、住民側の主張を正当化するものになった。

「東海地震が発生したら浜岡原発は危ない」。2003年7月高名な地震学者が国際会議で「原発震災」を警告した。当然中部電力は「東海地震への耐震安全性は十分に確保されている」と中央防災会議の予測を根拠に反論したが、地震学者は「大地震のことは分っていないことが多く、モデル通りに地震が起こる可能性はない」という。口火を切ったのは以前地震予知連絡会の会長を務めた茂木さんだ。
「これまでは、都合の良い学者の話ばかり聞いてきたんじゃないか。本当に最善を尽くして安全性を検討してきたのか」と国や電力会社の姿勢を批判した(朝日新聞 2003.7.19)。

浜岡原発・運転差し止め訴訟では、国の防災会議による「想定東海地震」のモデルを上回る地震が起きるのかの見極めになった。原告側は「モデルに科学的根拠がない」と主張、中部電力側は中央防災会議の重鎮だった地震学者に「モデルは見直す必要はない。M9クラスの地震はない」と言わしめた。しかしある学者は「現状としてあるのは仕方ないが、非常に良い場所とは考えない」と常識のある証言をしたという(朝日新聞2007.10.21)。

今回の東北地方太平洋沖地震は予想を遙かに超えるM9.0の地震であり、それが引き起こす津波も数波が押し寄せ、住民の生活基盤を根こそぎ破壊した。そして福島第一原発は、安全であったはずが、世界が注目する原発震災にまでなった。

地震、原発などに関する防災は、厳しい指摘をする学識者の意見に耳を貸さなければ、とんでもないことになるコトを教えてくれている。政府は耳障りの良いことばかりを言う御用学者に注意しなければならない。
写真左:福島第一原発 懸命に続く放水作業
写真右:東海地震の想定震源域にある浜岡原発 
いずれも民放テレビより

2011年3月21日月曜日

防災計画って何だったのか


今、東北地方で壊滅的な激甚災害にあった自治体の防災担当者の全員が感じているのは「防災計画って何だったのか」ではなかろうか。これだけの被害が出れば、「むなしさ」だけが残る。

反省の第一は「予想を絶する巨大地震、津波」だ

この辺りは、三陸自身、チリ地震による津波に何回も襲われ、その都度防災対策が見直され、実施されている。地元の人達が自慢する巨大な防潮堤は、今まで津波が越えることもなく、「油断」するのも当然だ。

ところが今回の地震、津波であっさり消失、破壊した。

防災のベースは、宮城沖地震で連動型でM8.0、津波高さも6.5~7mが想定されていた。ところが実際にはM9.0、400~500kmにわたって断層が動き、津波高さも三陸海岸では15mをこし、広域で被害が出た。津波到達域もシミュレーションを遙に越え、避難所と決められていた場所も津波に襲われる結果になった。

地形も山々が迫り、河川が湾に注ぎ、その河川の流域に平坦部が広がり、街を形成している。津波は平坦部を襲い、山沿いでは更に津波の高さが増し高台にも迫る勢いだった。

地震の後津波は30分ほどで到達する予想になっていたが、地震と同時に高台を目指さなければならず、実際に余裕などなかったはずだ。港の船は沖に待避する余裕もなかったのだろう。至る所に巨大な船が乗り上げている光景を見ると、何とかしなければと思う。

今は、被災した自治体は復興に向け忙しくて、実態調査は出来ないだろうが、防災研究者が生き残った人達の行動を調査し、防災のあり方を検証するだろう。

今回の東北地方太平洋沖地震、津波は、自治体の防災計画を大幅に見直しすべきことを警告しているのかも知れない。

「自然と共存」した都市開発が望まれる。


写真:高さ10m、総延長2kmの防潮堤を津波が超えた 2011.3.21 NHK 

2011年3月20日日曜日

平成23年東北地方太平洋沖地震(5):「防災計画は、まったく役に立たなかった」







南三陸町長の「防災計画は全く役に立たなかった」という発言は、今回の大災害で最も印象に残ったコメントだった。行政の長としての発言だからその重みは違う。想像を超える大津波とその被害の大きさに、このコメントが出たのだろう。

一方で、釜石市の防災教育に協力した群馬大の片山さんが、現地調査をしている姿をテレビで見た。街は消滅する程の被害であったが、中学生が小学生を引率して避難所から避難所へ移動する光景を写した写真が紹介された。片山さんの防災教育を忠実に守っている姿に写真を見た私も感動した。

大震災を報道するテレビにコメンテーターとして防災コンサルタントのような肩書きを持った人が発言、指摘している。この人達も自治体の防災計画づくりに参加していると思うのだが、一向に反省のようなコメントがない。

恐らく反省するとなると、「予想を遙に超える規模の大津波に、やる術がなかった」と言うことだろうか。「地震発生と同時に高台へ逃げる」コトが鉄則だったろうが、現実問題となるといろんな思惑があるのだろう。

確かに、津波高を大きく予想すると「そんなことは非現実的だ」と反論されるだろうし、逆に小さく予測すると今まで防潮堤を越えたことはないのだからと油断の要因になる。世界に誇る程の防潮堤が一瞬のうちに破壊した事実は、予想以上の破壊力を持つ津波だったのだ。

南三陸町のHPで防災計画を見た。

宮城県沖地震の被害想定が載っている。想定地震としては単独M7.6,連動M8.0が想定され、想定被害結果も記され、人的被害として死者は南三陸町では0人だ。震度は6弱、津波予測では連動型で最高水位約7m、到達時間は25分、最高水位には35分で達すると予想されている。

街では、水陸門の改修、水門の遠隔操作システムの導入、避難誘導表示板などの設置など津波防災対策を実施しているという。

町民の皆さんも過去の教訓「地震があったら津波の用心」「異常な引き潮津波の用心」から「自分の身は自分で守る」ことを前提に、日頃からの防災対策、防災意識の向上に努めてくださいと言う。

予想より遙に大きい地震規模、宮城県沿岸では高さ7mの堤防が広範囲に渡って消失しているという(読売新聞2011.3.20)。

ハード、ソフト両面で見直しが必要なことを教えてくれた東北地方太平洋沖地震だった。
写真上段左:釜石市で 中学生が小学生を引率して避難所から避難所に移る 民放テレビより
写真上段右:南三陸町での救援活動 民放テレビより
写真下段:宮城県沖地震を想定した津波予測結果 南三陸町HPより

菅退陣を担保に連立の救国内閣が可能か


誰だって政治が変わらなければならないと思っている。今の菅民主党政権でこの危機を乗り越えることは困難で、与野党挙げての政権運営が望まれる。一つは連立での救国内閣だ。

菅さんは政権運営が厳しいと見たのか、原発、震災担当など3人の閣僚の増員を提案している。政策毎に司令塔を決め、強固な組織を作る必要があることは分るが、野党自民党の谷垣さんに入閣を打診したと言うニュースは、やっぱり唐突すぎる。いままでの国会審議を見ても分るように民主党のバラマキ政策を批判する野党と連立を組んでも、所詮は行き詰まる運命にしかない。

更に,悪いことに菅さんは民主党内の政治基盤も弱く,「人間性」に欠ける面もあり協力しようと言う者はおらないようで、逆に政権の延命を勘ぐられる始末だ。

国会審議でも「国民の生活が第一」のために、野党は政権与党の政策に協力すべきだと責任転嫁と思われる論調を繰り返してきた菅総理に野党が警戒するのは当然で、菅さんの身から出た錆だ。

この苦難の時を乗り越えるには、まず政権の安定が先決であるコトは分る。

時期を見て、菅総理の退陣を担保に、救国内閣樹立の連立をやるべきではないか。そのための前提には政策の整合性があり、混乱を最小限に食い止めての民主党マニフェストの見直しもある。

また、菅総理は唐突な構想を打ち上げるので、与野党で政治不信を掻き立ているが、何故国民にしっかりしたメッセージが送れないのか。自分勝手の会見はやるが、肝心のメッセージは伝わっていない。

退陣を約束した総理に国民がついて行くかどうか、そんな政権を認めるかどうかであるが、自分から辞任しようとしない菅さんに他の手だてはない。

今まで蓄積してきた官僚組織の知恵を利用しなければ、復興はあり得ない。稚拙な政治主導より老練な官僚政治の方が今はマシで官僚の力を借りて政治主導をやればいい。

私の住んでいる街にも都知事選の立候補者のポスターを張るボードが立った。後出しジャンケンの強い石原さんも立候補し優勢だという。どんな政策を掲げて立つのだろうか。東京も巨大地震による被害が心配されている。

今回の震災で、一命を取り留めた南三陸町の町長が「防災計画は全く役に立たなかった」とコメントしたのが印象に残った。

内閣は、あらゆる面で官僚の力を借りて、システムを再構築しなくてはならない厳しい時期だ。
写真:記者会見する菅総理 民主党政権単独ではこの危機を乗り越えるのは難しい

2011年3月19日土曜日

福島第一原発:正しい情報を得、正当に理解する難しさ







災害時、緊急事態の時は、正確な情報と一人一人が判断するのに役立つ情報が欲しいが、これがなかなか難しい。ついつい政府に批判が集中するが、為政者の思惑が先立ち、遅れと混乱をもたらすが、今回の例外ではない。

平時の防災訓練、避難訓練はシナリオに基づき整然と実施され、「うまく行った」と総括されるが、突然の災害ではシナリオ通りにはいかない。少ない情報で自分の行動を決めなければならないのだ。

今回のM9.0の巨大地震、それによる高さが23mにも及んだと見られる巨大津波は、一瞬のうちに町や村を破壊した。救援、支援活動に向けての情報の少なさが指摘されているが、無理からぬコトではないだろうか。

通信手段がない、本来なら情報を集めるべき市役所などの公的施設の流出、職員の行方不明によるマンパワーの不足など悪い条件が重なった。流通、交通路の遮断は生活にも大きく影響する。

しかし、大したものだ。落ち着いてくると皆が立ち上がり、情報の発信、伝達が出来るようになる。被災者自ら小さなコミュニテイーで助け合う姿をテレビの映像で見ると頼もしくなってくる。

ところが、原子力災害だけは別だ。

電力会社と言えども私企業だ。都合の悪いことは隠蔽し企業を守る。平時でのトラブルでも県知事から不満を表明されコトもある。あってはならないことであるが、11年間も点検を怠っていた機器が見つかり行政処分されていた。

原子力行政のトップは、原子力安全.保安院だろうが、今回の事故では当初の動きが鈍かった。政府がイニシアテイブを採っていたのだろうが、政権の命取りにもなりかねない事故だ。出来る限り安全サイドでの情報発信に偏り勝ちだ。今回も菅政権の行動がパフォーマンスと見られている。

しかし、メデイアの情報では、水素爆発での建屋の損壊、格納容器の損壊の可能性があるという。使用済み核燃料プールの水位が下がり、放射性物質の大量放出に至った。最悪の事態を回避するための放水作業が自衛隊、警視庁、消防庁により行なわれ、国民は固唾を呑んでその結果を見守っている。

しかし、その効果の発表がなかなか聞けなかったが、防衛相が表面温度が100℃以下で一定の効果はあったと発表し、対策本部も安定しているとコメントした。

専門家は、チェルノブイリ原発事故とは基本的には異なり、あのような深刻な事故にはならないだろうというが、危険度の国際評価は米スリーマイル島の事故に並んだ。

テレビ報道では、いろんな専門家が出てきて事故に関して解説しているが、官邸記者会見、保安院を除いて、どうして公的に解説する機会がないのか。監督官庁として、政府としてかなり詳しい情報を持っていると思うのだが。

今まで公表されたのは、環境の放射能測定値、放水現場周辺の放射能測定値、健康被害との比較値位で、これで避難行動の是非を判断するだけだ。でも飛散した放射能物質の分析で、原子炉自体がどうなっているかなど分るのだ。専門家を結集し、分析し、状況把握、情報公開を急がなければならない。

菅総理は「予断を許さない」状況だという。自分は物理の出身で「原子力には詳しい」と豪語しているようだ。だとすると、得られている情報を公開すべきである。「情報公開」は原子力行政の必須条件である。

理論物理学者である故武谷三男さんの「危ない科学技術」(青春出版社 2000年3月)によると、「公開」「民主」「自主」が原子力の三原則だという。「公開」:情報の公開、「民主」:生命にとって絶対安全が科学的に実証されていること、「自主」:海外からの技術を鵜呑みにするのではなく、日本での科学/技術の研究が必要なのだ。

菅総理、原子力に強いのであればこそ、国民が判断できるだけの正しい情報を公開すべきである。
写真:2011.3.19 TBS 報道特集より

節電対策、我が家は「一部屋重点使用」生活




震災による原発被害で電力の不足は深刻だ。今は計画停電で凌いでいるが、気候によって需給が大きく影響するし、企業は生産がままならないと見直しを要求する。一人一人が節電の工夫をしなければならないが、我が家は「一部屋重点使用生活」だ。

一戸建てにあっては、玄関をはじめ各部屋の照明を付けている家庭が多い。「どうしてそんなに灯りを付けるんだ」と聞くと、「安全のため」「家族が多いから」という。

家庭内の節電の方法がいろいろ提案されているが、今まで惜しみなく設置し、便利さに慣らされた電気製品の使用をどう減らしていくかがポイントだ。

我が家もいろいろ考え、従来から「一部屋重点使用生活」を続けている。居間一部屋で生活し、灯、エアコン、テレビは居間の分しか使わない。夫婦2人だと丁度良いが、家族が集まるとチョット狭い。

でも、家族団らん、「今日、何をした」など会話も始まる。孫はテーブルで宿題をする。「じいちゃん 地震ってどうして起きるの」と聞いてきたので、紙に書いて説明すると、両手の指先を曲げて説明してくれる。「「津波」って波は分るが「つ」ってどう書くの」と聞いてくる。

普段は、テレビの変わりにラジオを聞いている。地震情報も流れるのだが、やはりテレビの映像には勝てない。震源地情報などはテレビだ。

この大震災を機に、生活スタイルを変えることだ。たまたま群馬に帰っていたとき、1回3時間、1日2回の停電は寒さも手伝って大変だったが、計画停電で電気のありがたさを再認識した。

宅配便のお姉さんが笑って言ったことがある。「オタクは、よーく見ないと、居るかどうか分らない」。
玄関は勿論、不要な電灯を消しているので、居間のこぼれ灯で確認するしかないのだ。

昨年まで、夏になると東電が「電気の節約にご協力を」とCMを流しているのを聞いて、家内が「家はこれ以上節電の方法がない」と言った。

今は、家族だって何をしているか分らない時代だが、節電を兼ねた「一部屋重点使用生活」は、家族団らんにも効果がある。社会を変える第一歩だ。




写真:計画停電、銀座の消灯を伝える朝日新聞


2011年3月18日金曜日

平成23年東北地方太平洋沖地震(4):この大震災を社会を変えるエネルギーに











M9.0という巨大地震による津波は東北地方の太平洋岸の広域に渡って甚大な災害をもたらしたと同時に、福島第一原発の原子力災害は住民生活に大きな障害になってきた。この大震災は社会を変えるきっかけになるかも知れない程の衝撃である。

特に福島第一原発の冷却不能による格納容器損傷の可能性は、放射能拡散の危険を伴うために、16日の自衛隊による放水作業のテレビ映像に釘付けになった。この難局を切り抜けられるかどうかは経済にも多大な影響を及ぼし、世界の注目するところだ。

原子力の安全神話は崩れた。巨大技術でも原子力は一番安全だと言われていた時、「事故が起きるまでは安全なのだ」と言う学識者がいた。巨大な津波災害にあったとは言え本当になってきた。これが今後の原子力エネルギー政策に大きな影響を与えることは間違いない。

御多分にもれず、今回も買い占めにより、店頭での品不足が起きている。懐中電灯、電池、米、紙製品、飲料水、携帯ラジオなどは手に入らない。ガソリンは10L、2000円分と制限されるのでガソリンスタンドを廻るようになる。

報道によると、メーカーは「十分ある」という。店員も「何時入荷するか分らないが、入荷すれば直ぐ棚に並べる」という。

買い占めをすれば、被災者に必要なモノが廻らない。通常の買い物をすることが「被災者支援」になるのだ。自分だけ生き延びたってどうなるんだ。

被災地の避難所では、皆が協力して生活を維持しようとしている。高校生など若者が率先してボランテイア活動を始めた。これからは救援活動から災害復興へ向け大きな試練が待っている。

これを機会に、あらゆる面で意識改革が必要だ。

米国の年次改革要求に応じグローバル化したのはよいが、今まで日本が育んできた良い社会習慣がなくなり、日本社会は変わった。効率を優先する余り、コミュニケーションは破壊した。自助努力を要求され高齢者は路傍に迷った。チャラチャラした殺伐とした社会に戸惑うばかりだった。

そんな時、テレビは、民間抗告ネットワークACJAPANの「「こころ」は誰にも見えないけれど、「こころづかい」」は見えると思いやりを行動に移そうと呼びかけるCMを流す。子宮けいがんの健診を促すCMと共にこれでもかこれでもかと流す。訴えることは良いことではあるが、大震災時に企業はCMを自粛するとテレビは経営が苦しくなる。こういうCMを流して経営をバックアップしているのだろう。

政治も大きく変わるべきだ。国会議員の質も変わらなければならない。知名度、票を獲得できそうな人気者を優先する余りスポーツ選手や芸能人が候補者になる。大衆迎合に迷わされず、政治を任せられるしっかりした議員を選ぶべきだ。

国家公務員も意識改革が必要だ。私利私欲、省利省益で自分たちのフトコロを暖めるのではなく、公僕として国民のために働くべきだ。公務員制度改革で改革しようとしているが、何故公務員自身から改革の声が上がってこないのか。ムダの削減、埋蔵金など第三者には分らない勘定もある。それをよいことに知らぬ顔は許されない。

国家財政は逼迫しているが、復興予算を組む必要がある。公共事業も増えるだろうが、これに政治家が群がり私欲を肥やすなどもってのほかだ。

被災地の一つ、岩手県と言えば小沢さんの地盤だ。復興計画や予算も小沢さんの意向が大きく影響するのか。小沢vs反小沢の政治構図はもう御免なのだ。

復興計画も大変だ。テレビでの被災地の状況は目を覆うばかりだ。「自然との共存」が如何に防災で大事かが分る。

過去に災害を経験した場所、海、河川、湾の埋め立て地に巨大な都市を街作りをした乱開発は反省すべきだろう。技術への盲信、技術の「奢り」は禁物だ。田老町は巨大な防波堤を築き防災対策では進んだ町として他の自治体の見学者も多かったと言う。しかしM9.0の巨大地震による津波で、あっという間に町が消え去った。

恐らく、同じ地域に同じような街作りがなされるだろう。防災という課題が街作りにどう活かされているか。見守りたい。

兎に角、まず政治が安定させることだ。民主党内の抗争も表向きは一時中断だろうが、菅総理の判断には内閣支持率向上を狙ったパフォーマンスが目立つ。今現地では自衛隊ががんばっているが、その自衛隊を「暴力装置」と発言して批判された仙石さんを官房副長官に異例の抜擢をしたという。仙石さん自衛隊をどう思っているのか。まず謝罪すべきだが、菅政権維持のための取り込みだろう。見え透いた策だ。震災対策の調整役を大勢任命しても混乱するばかりではないのか。

菅総理自ら意識改革が必要だ。こんな状況下で難しいだろうが、国民に力強いメーセージを送るのが第一だ。

東電の計画停電はこれからどうなるのだろうか。震災前は5200万kWの電気供給量が、震災後は3100万kWに落ちた。今4000万kWが必要であるらしいが、火力発電や柏崎の原発などで900万kWを追加できれば4000万kW確保できるが、夏場は6000万kWが必要になるという(18日テレビ朝日 スーパーモーニング)。

我が家は、以前から「一部屋重点使用生活」をやっている。家庭での電力使用の25%を占めるエアコンも一基でいい。家族が集まって団欒も出来る。「今日何があった?」、「悩み事は」など会話も出来る。宅配のお姉さんが「オタクはよーく見ないと、居るかどうか分らない」といって笑う。

社会を大きく変える。今回の震災がそのエネルギーになって欲しいモノだ。
写真上段左:本震に続き気になる地域で地震が続く 関連性が無いというが不気味だ
写真上段右:総理記者会見 「国民を元気付けるメッセージを」というが、この時期なかなか難しいか。
今のところ政権維持に向けたパフォーマンスが目立つと国民は見抜いている
写真下段左:自衛隊による放水開始
写真下段右:思いやりを訴えるACのCM 大事な訴えだ

2011年3月13日日曜日

平成23年東北地方太平洋沖地震(3):天災は油断した頃やって来る?


寺田寅彦が言ったと言われている「天災は忘れたころやってくる」は、あまりにも有名は言葉であるが、天災を忘れてはいなかったが、油断した時に、やってきたのが今回のM9の超巨大地震だ。

予測された地震の規模と30年以内の発生確率を見ると、宮城沖地震がM7.5,発生確率99%、三陸沖南部地震がM7.7,7%,茨城県沖地震がM6.7~7.2,90%で発生確率が高いことが指摘されているし、数日前には三陸沖でM7.3が発生し、「何かあるんでは」と思った人もいるのではないだろうか。気象庁は、「特異なケース」とコメントしてはいるが、今回の超巨大地震の前震だ。

その結果、町がすっぽり消える激甚災害になった。大津波の爪痕を見るにつけ唖然とする。

この三陸地方は、今までも地震、大津波の被害にあった。50年前にチリ地震では多数の犠牲者が出、先のチリ地震でも災害にあった。年配の老女はその経験を活かして、地震発生後高台へ上っていき助かった。一方で、テレビで60歳代の男性が「こんなの生まれて初めてだ」とコメントしていた。

昔から貴重な経験をしながら、防災意識に大きな差がある。防災に年配者の経験が活かされていないのではないか。

総務省消防庁が、昨年2月のチリ地震による津波で避難勧告や指示が出た20都道府県の189市町村、対象人口約168万人の避難率は、3.8%にとどまったといい、06年、07年千島列島の地震では避難率はそれぞれ13.6%、8.7%であったことを考えると意識は低下している(朝日新聞2010.3.9)。

更に、消防庁の調査によると、青森県、岩手県、宮城県3県で避難指示、勧告となった地域住民のうち実際に避難したのは37.5%にとどまったという(2007人が回答)。「避難しようと思わなかった」が31%、「避難の必要性は認識しながらも避難しなかった」が26.3%になる。理由は「高台で浸水のおそれがない地域と思った」が52.7%、「他地域に到達した津波が大きくなかった」が19.2%、「小さな津波しか来ないと思った」が16.5%になっている(読売新聞2010.4.14)。

テレビなどでの情報を個人的に判断し、「大したことはない」と油断していることにならないか。

岩手県津波浸水予測図で、今回壊滅的被害を受けた越前高田市のシミュレーションを見てみた。

196年、明治三陸地震、1933年三陸地震、想定宮城県沖地震の津波の再来を想定、最大浸水深さを50cm未満、50cm以上1m未満から6m以上まで6段階で色分けされている。津波が押し寄せる時間だろうか「影響開始時間」は4~20分、津波の高さは予想は4~7mになるようだ。

平野部と思われる市街地は浸水し、気仙川を奥まで逆流することになる。南米チリ地震での津波で北上川では17~20km地点まで逆流したことが確認されている(朝日新聞2010.3.8)。

想定されている地震のマグネチュードは8.1~8.2であるが、今回はM9でエネルギーは大きく違うが、このシミュレーションは結構役に立つのではないか(地図だけでは場所が良く確認できないが)。

でも、いくら訓練や防災教育しても実際に災害が発生すると、いろんな判断をしなければならず、訓練通りにはいかない場合もあるが、地震発生と同時に高いところ目指して上り、助かった老女の行動はさすがとしか言いようがない。

私も東京へ転入した時に区のハザードマップをもらって読んだ。昨年の区の防災訓練には参加しなかったが、今年は必ず参加しようと思う。また、震災時の家族の役割分担で、小学校と保育園に行っている孫達の迎えが私の役目になった。


写真:岩手県津波浸水予測図(越前高田市)

2011年3月12日土曜日

平成23年東北地方太平洋沖地震(2):巨大地震で被害甚大、その教訓を活かせ




複数の震源域が連動し、このような我が国史上まれなるM8.8の巨大地震の発生にになった。宮城県沖、三陸沖、茨城県沖の震源域の確立は非常に高く何時起きても不思議ではないと言われていたが、それが同時に起きたことになる。

12日、3時59分には長野県北部栄村を震源とするM6.6 震度6強の地震が発生し、何故列島の反対側か不思議だったが、長野県、新潟県周辺は今までも頻発していた場所でもある。巨大地震の発生で、プレートのストレスのバランスが崩れたのではないかという説明にも納得はいくが、定かではない。

その後余震は、4時25分と6時49分に千葉県東方沖、6時20分には神奈川県西部で地震発生の緊急地震情報が流れた。神奈川県西部地震では、あわや東海地震に関連かと心配したが、東京では感じる揺れではなかった。

被害は甚大だ。

陸前高田市は壊滅状態、仙台市の太平洋岸が冠水しているテレビ映像を見ることが出来る。

何よりも心配なのは、福島第一、第二発電所の状態だ。菅総理が6時12分、視察のために官邸を自衛隊ヘリで飛び立った。げ現地で説明を聞き必要な決断をするという。排気筒を解放するという。放射能線量が正常の8倍になり、放射能もれで半径10km以内の方達に避難拡大になったようだ。

冷却用非常用エンジンポンプが作動しないと言うことらしいが、この種の非常用機器は、必ず定期的に試運転して作動の状況をチェックするはずであるが、どうしたことか。詳しい情報が発表されないから何かあったのではと疑う。

沢山の死傷者、行方不明者、構築物の損壊など損害は甚大だ。菅総理自身が現地視察しているのだから、救難、復興に指導力を発揮するのだろう。

しかし、今回の巨大地震で多くの教訓が得られるだろう。

仙台コンビナート火災では、浸水のために消防車による消火活動が出来ないという。被害の大きかった地域の映像を見ると、冠水したままだ。海水が引けば冠水はなくなると思うのだが、海水のレベルがいまだ高いのか、あるいは今回の地震で地盤沈下したのか。どっかを堰き止めて排水すれば解決できるものではない。このまま放棄することになるのか。

仙台飛行場の浸水、冠水では重要な施設を海岸や、河川近くに作ることを考え直すことだ。岡山、広島、長崎などは内陸部にあり、高速で地方都市と結んでいる。

大船渡市の火災を見ると、燃えている浮遊物が水面を移動している。燃えるモノに火がつき、それが延焼の原因になっているようだ。海岸と市街地の間に浮遊物の移動を妨げる緩衝帯を作ることなど出来ないのか。

テレビでの現場映像を見ていると、大津波警報が出ており、キャスターやコメンテーターが注意を喚起するにもかかわらず、漁港や浸水跡地に人影が見受けられるが、どうしたことか。大津波警報も出しっぱなしではなく、自衛隊の航空機を飛ばして津波の監視をするなどの対策はないのか。

気象庁の記者会見も頂けない。記者にぺーパーを配って読み上げているようだが、聞いていると何を言っているのか直ぐには理解できない。ペーパーが用意されているのであれば、プロジェクターで映して、国民にもわかりやすくする工夫が必要だ。記者会見は国民に対してするものではないのか。
また,こう言う広域災害にあっては、近県の援助体制に期待できないことが多い。被害の無い他県からの応援は道路事情が悪ければどうにもならない。ある程度は被災自治体が自分で何とかしなければならないことになろう。これから迫り来る東海地震、東南海地震、南海地震も広域災害が予想される。防災体制の見直しも不可欠だろう。

地震対策は、防災関係者や地震研究者ばかりでなく、一般国民の意見を採り入れた対策を打つべきではないか。

遅れましたが、震災にあった方々に心からお見舞い、お悔やみ申し上げます。
写真は菅総理の現地視察前の記者会見と気象庁の記者会見 民放テレビより




2011年3月11日金曜日

平成23年東北地方太平洋沖地震:地震情報は伝わったが、東京でも大きな揺れ















11日、国会の参院予算委員会をNHKラジオで聞いていたら、14時45分頃だったろうか「地震発生、大きな揺れに注意してください」という緊急地震情報を聞いた。その数分後に大きな揺れが始まった。東京ではガタガタという横揺れで数十秒だったろうが、長い時間を感じた(実際には約2分)。うまれて初めての大地震の経験だ。

マンションの玄関のドアを開ける処置をして、居間の転倒や飛び出しモノの少ない場所で危険を避けた。本棚も倒れず、食器棚から食器類が飛び出すコトもなかった。本棚と天井の間に本を詰めて転倒防止していた効果があったのか、それほどの揺れではなかったのか。

ガタガタ揺れているときに、大田区の放送設備から「防災大田です。ただいま地震がありました。あわてて外に飛び出すのは危険です。落ち着いて行動してください。火の元の安全を確認してください」という意味の地震情報を聞いた。マンションのドアを開けていたから聞こえたが、ドアが閉まっていたらどうだったか。

揺れが収まって、NHKテレビをつけると、14時46分ごろ、強い地震が発生した。大津波警報、津波警報、津波注意報が出ているという。津波の高さ当初は3~6mと言うので、今までの地震とは違うとわかった。

しばらくニュースを聞いていても、震源がどこかわからない。東北地方の太平洋岸に津波の高さが高かったので、宮城県沖か最近頻発している三陸沖だろうと考えたが、震源ぐらいは早く且つ、常時表示すべきではないか。津波情報が常時表示されているのだから、震源付近に×印を入れるだけでも役に立つはずだ。

30分の間に3回の地震があったことから今回の地震の巨大さが分った。

14時46分 三陸沖 M7.9 深さ10km、マグニチュードはこの後8.4から8.8へと変更になった。現在予想されているマグニチュードを越える巨大地震の発生になった。兵庫県南部地震の180倍のエネルギーだと言うからその巨大さが分る。

15時06分 同じく三陸沖 M7.0 、続けて15時15分 今度は茨城県沖M7.4 深さ80km。

16時15分には、福島県沖30kmで余震が続く。数日前に発生していた三陸沖地震は前震で、北から南へ割れていった格好だ。

気象庁も言っていたが、破壊帯地点が広い区域になると言う。三陸沖から茨城県沖まで、これでは200kmぐらいになるのか(実際には約500km)。プレート境界型の超巨大地震だ。

体には余り感じないが、たまたま正月用に買っていた胡蝶蘭の枝とテレビが揺れるので余震らしい揺れが続く。

テレビの画面による津波の恐ろしさは、やはり想像を絶するものだが、岸壁付近に車があったり、人間が動いていたり、河川を遡り氾濫する波の横や前を車が走ったり、橋を渡ったりする状況を見ると防災感覚がどうなのか不思議だ。

NHKテレビでは、津波による被害の画面が主であったが、民放に切り替えるといろんな災害が発生していることが分った。地方局を系列局に持つ民放の強さか。

やはり長周期地震動によるのだろうJFEスチールで火災が発生しているという。コスモ精油所、チッソも火災で延焼中という。避難勧告も出た。

江戸川で堤防が崩れたとか、東京タワーで先端が曲がったと言うニュースも流れている。東京スカイツリーはどうだったのか。未だ情報がないのは何かあったのか、確認に時間がかかっているのか。

東京電力福島第一発電所で、1~3号機が自動停止したという。良かったと思ったが、21時55分頃官房長官が記者会見し、「原子炉一基が冷却が出来ない状態で原子力発電所半径3km以内に避難勧告を出し、3~10km以内は屋内待機だという。

菅総理は、16時55分、緊急記者会見で「緊急対策本部を作った。被害を最小限に抑えるため最大限の努力をする。テレビやラジオの報道をよく聞き落ち着いて行動して欲しい」と国民に訴えた。

M8を超える地震は、1854年の安政東海地震のM8.4があるが、M8.8の地震は今のところ想定を越す巨大地震で、多くの教訓を得ることが出来る。来るモノは来るのだ。東京では言われているように帰宅難民が出ているが、公共施設が仮の宿泊所となるようだ。

兵庫県南部地震では、社会党の村山総理が自衛隊の出動要請を躊躇したために生存者の救助が遅れたと言う批判があったが、今回の政府の動きは早かったようだ。今までも緊急時の対応が遅いと批判されていたことも影響しているのだろう。当然の結果だ。

今国会は、与党、野党がいがみ合っている状態であるが、この事態にそんなことをやっている時ではない。国会を挙げて対策を講じなければならない。この災害を期に、熟議の国会になって欲しい。


写真:地震情報を特別番組で流す民放

2011年3月9日水曜日

民主政権の混迷:総理の政治基盤の弱さと大風呂敷の差別化政策


今の民主政権の混迷は、総理自身の支持基盤の弱さに加え「反自民」で何とか差別化しようとして大風呂敷を広げた政治課題にあり、18年前の細川内閣に重ね見るコトが出来る。

09年の衆議院選でマニフェストは、自民党とその差別化を競った。野党暮らしの長い民主党に正しい情報が入りにくかったことも事実ではあり、税収減が予想される財政状況の中で、マニフェストを推進するための財源問題も大きな課題であった。しかし、政権交代が現実味を帯びてくると、冷静さを欠き、財源は予算の根本的な組み替えで何とでもなると考えるようになったのも、ある意味でうなずける。

政権発足当初は、自民党政権時の予算案をいじくり廻していれば良かったが、いざ自分の政権で独自性を出した予算を組むとなると現実の壁は高く、自民党など野党からは財源不足の中での赤字国債に頼るバラマキ予算と批判される。

財源問題で、これ以上の赤字国債の発行は無理と感じた民主党執行部は、マニフェスト見直し委員会を設置し、今夏までに見直し案を検討するという。小沢系議員は「政権交代の原点回帰」「マニフェストを守れ」「国民の生活が第一」と菅執行部を突き上げている。

小沢処分での党内の抵抗、一兵卒のはずが、党の処分に判然と立ち向かう小沢さん、ここは皆一緒にがんばろうという小沢擁護、閣内からも「菅政権総辞職」発言が出てくるほど、党内崩壊が始まっている。

今の政界の状況は、18年前の細川内閣によく似ている。

その細川内閣の発足と崩壊から、小沢さんをはじめ今の民主党の連中は何を学んだのか。

自民党の長期政権への不満、国民にとっては許し難い政官癒着、総理自身の政治基盤の弱さ、小沢さんという黒幕の存在、そして急進的な政治改革など、今の民主党政権に似通っている。

18年前、自民党は単独過半数に達せず、社会党も半減、新生党、新党さきがけ、日本新党などが
議席を得、小沢さんが暗躍し、各党が連立に動いたが政治基盤の弱い細川さんが総理の座に就いた。内閣支持率は71%という高率を得た。

「政治改革」の実現を目指し、行政改革、規制改革、地方分権、景気対策に取り組み、税制改革にも意欲を見せた。何時の時代も改革は遅々として進まない。利権がらみを打ち破っての改革には、強い政治基盤が必要であるが、あわよくば「政治の主導権」を持とうと乱立する政治グループに、そんな内閣は期待できない。

今の民主党は、細川政権時の連立政党が民主党という統一政党の名の下に烏合集散しただけなのだ。

赤字国債を発行しないと公約した関係で、消費税増税が課題になったが、社会党などの反対で頓挫し、挙げ句は深夜の「国民福祉税」の発表となったが、政権与党内からの厳しい批判似合い、敢えなく引っ込めた。その後は、求心力を失い、佐川急便との借入金問題も追求される身になり、政権を放棄した。

総理としてはお粗末だった鳩山さん。家の教訓「友愛」を国の政治に持ち出し、コンクリートから人へ、公共事業の削減、日米対等外交など数々の急進的な改革に取り組んだが、如何にせん総理の資質に欠けていた。

菅さんは、市民運動出身で、新しい政治課題に飛びつく傾向が強い。社会保障と税の一体改革、APECで急浮上したTPPへの参加問題、選挙期間中の唐突な消費税増税論議に、政治主導のトーン。ダウン、更にマニフェスト見直しの開始と民主党政権交代の目玉政策は変質しつつある。

政権の求心力の低下は致命傷になる。何をやろうとしても出来ないのだ。

細川内閣の崩壊は、その後の混沌とした政局に繋がった。

政治基盤の弱い政権は、大きな政治改革は出来ない。議論をつくし、ゆっくりとした改革しかない
のだ。私達は時の政権に大きな期待はせず、着実な改革を期待すべきだ。

政党が提案するマニフェストも多くの期待は禁物だ。急進的な改革が一党の力で出来るわけがない。政権が交代する毎に政治の骨格が変わること自体に不安がある。

マニフェストが政権選択の当てにならないとすると、何に根拠を置くべきか。

候補者個人の公約、その人間性をよく見て、4年間で4億円以上の経費をかけても惜しくない人物をエアラバなければならない。

知名度、握手で騙されてはいけないのだ。

2011年3月8日火曜日

「月の砂漠」の御宿海岸で「元禄地震津波高」を知る


















外房、内房、アクアラインを通って帰るドライブに出、大原から128号を御宿めざし「月の砂漠」の御宿海岸に出た。綱代湾の約2kmにわたり砂浜が続く。この「月の砂漠記念館」と道路の境目の植え込みに「元禄地震の再来想定津波高」の標識がある。

この御宿海岸は、シーズンになると岸和田、中央、浜の3つの海水浴場が開かれる。今は砂浜で遊ぶ家族連れとサーファーで賑わっているが、広い海岸線ではまだまばらだ。湾に注ぎ込む河川にかかった橋を渡ると「月の砂漠記念像」がある。

この御宿海岸を舞台に、大正12年に加藤まさをさんが、童謡「月の砂漠」を発表した。砂浜から砂丘を模したコンクリートの上にラクダに載った王子様とお姫様の像が建立されている。今とは違って大正時代は、この辺は浜辺の原風景を保った漁村だったのだろうか。長く続く綺麗な砂浜が目に映ったのだろう。

流れる童謡を聴きながら、当時のことを想像するのも面白い。今、童謡、唱歌が小学校の音楽から消えていると聞いたことがあるが残念だ。昔の良き風景、風情を忘れては殺伐とした世相しか残らない。

知人が、「定年後住んでみたいところは房総だ」と言っていたが、私も房総は好きだ。房総は山がせり出し、海に囲まれた狭い平地に住居が建ち、生活が営まれている。魚はうまそうだし、気候も暖かそうだ。昼食に食べた地魚の寿司はうまかった。

でも地震、津波などの災害はどうなんだ。記念館と道路の境の植え込みに立っている「元禄地震の再来想定津波高」の標識が目に付いた。近くに立つと私の身長より高い。4~5m位の津波高になりそうだ。湾に入り込む河川を津波が猛スピードで逆流すれば相当奥まで津波被害が想定される。

帰って、「大地動乱の時代」(石橋克彦著 岩波新書 1994年)を開いてみた。

元禄地震(1703.12.31)は、赤穂浪士討ち入りの1年後に発生、M7.9~8.2と言われ、川崎~小田原、神奈川県中西部、房総南部の南関東全域が大きく揺れた。その3年後の1706年には宝永地震、富士山大爆発に至る。

房総半島外房南部は2~4m隆起し、5~10mの大津波が外房~九十九里浜を襲ったという。ここ御宿も5m位の津波が襲ったのだろう。その時の津波高なのだろう。

千葉県ハザードマップによると、延宝地震(1677年)、元禄地震(1703年)の記録に基づきシミュレーションし、津波浸水予測図を作成している。それによると御宿駅を越えて逆上流しているのが分る。元禄地震よりも延宝地震の方が更に上流にさかのぼっている。この延宝地震は、関東東方沖で発生し、地震動は小さいが特異な津波地震であったという。

当然に避難場所、避難箇所も表示されている。九十九里海岸付近を走っていると、「津波時は○○ホテルに避難」などの表示を見かけた。

何時起きても不思議ではないM7クラスの首都圏直下型地震、そして東海地震という巨大地震。この前が東海地震の想定震源域の端で駿府湾沖地震が発生し、熊野、和歌山沖地震も気にかかる。

私の住んでいる地域も避難場所に多摩川河川敷が指定され、方向を示す看板が出ている。国道を挟み、40~50分はかかる。道幅だって狭いところが多い。


写真上段左:月の砂漠記念館の植え込みに建つ「元禄地震の再来想定津波高」の標識

写真上段右:千葉県ハザードマップによる御宿町の浸水予測図 赤線が延宝地震、青線が元禄地震。延宝地震の方が津波の逆流域が大きい。

写真下段:御宿海岸の月の砂漠記念碑

2011年3月6日日曜日

「知らなかった」「任せていた」が通用する政治資金規正法か


この混沌とした政局にあって、前原さんの外国人献金の政治資金規正法違反問題が、国会で追及され、前原さんは「知らなかった」と言いなが、事実であることを認めた上で「全体像を掴み、対応していく」と繰り返すが、引責辞任も仕方ないのではと言う気運もある。

自民党は民主党菅政権打倒を目指し、ポスト菅の有力者である前原さんの政治資金疑惑を追及し、菅政権に揺さぶりをかけ、前原さんの芽を摘もうとしている。それだけに外相として人一倍注意しなければならなかったのではないか。数日前に知ったとは無責任も良いところだ。

でも、どうしてこうも政治資金収支報告書の虚偽記載で離党、辞職更には自ら命を落とす事態まで発生しているのに、何故、政治家は政治資金規正法に無頓着なのか。

今回の前原さんの場合、法で明白に禁じている外国人による献金であり、故意でやった場合は公民権停止などの罰則がある。前原さんにして「知らなかった」で通すしかないのだ。小沢さんの場合は、巨額な資金の不思議な動きに疑惑があるが、法違反が明白かというとそうでもない所に、小沢擁護の動きもある。

献金額の多少で判断が甘くなると、民主党内は勿論のこと国会も紛糾するだろう。確か、群馬県選出で参議院の副議長をやっていた角田さんが、在日韓国人の経営する企業から献金を受け手板疑惑が明るみになったとき、辞める辞めないで右往左往したが、事実が明らかに為らない討ちに辞職した例がある。

要は、前原さんが政治資金規正法という法律を、どの程度の法と考えているかだ。政治家の公明正大な政治活動を国民が容易に監視出来ることを目的にし、更に外国人による政治介入も禁止しているのだが、確か民主党はサポーターに外国人を認めたり、外国人に参政権を与える動きなど民主党には整合性されない安易な動きが多い。

前原さん、鳩山さんの「知らなかった」、小沢さんの「任せていた」が、政治家の公明正大な政治活動を目的とする政治資金規正法、それに関わる政治資金収支報告書の責任を果たしていたと言えるのか。

政治家と秘書、事務所員の雇用契約書で、「政治家に迷惑のかかる行為は一切しません」と言う条項があり、一切の責任を秘書や事務職員が負っているのか。

金額の多少は別としても、政治家は後援者が誰で、誰からいくらの献金を受けていることぐらい知っているのが当然だ。「知らなかった」「任せていた」で責任逃れできるモノではない。

法律を守らなかったり、自分勝手に解釈する人間に国会議員の資格はない。
追記: 2011.3.6NHKニュース8:45によると、前原さんが外相辞任の意向を周辺に伝えたという。ここはきっぱり辞任した方が、良いのではないか


写真:前原外相の外国人献金問題を報じる読売新聞 2011.3.6

伊藤博文ゆかりの観音と知って、「久が原出世観音」へ







毎日通るルートに「出世観音前」というバス停がある。この年で出世など縁がないと思って通り過ぎていたが、伊藤博文ゆかりの観音と知って、興味が出て久が原出世観音(東京大田区久が原)にお参りしてみた。

久が原出世観音は、野村證券の寮を隔てて反対側にある。久が原出世観音と書かれた門をくぐり、細い整備された路地を入っていくとこじんまりと整備された庭に、古いお堂の佇まいが目に入る。お参りに必要な道具はそろっており、帰りには蝋燭に付けた火は消すように注意書きがある。

歴史的由来は、町の有志の方々が掲げる「出世観音菩薩由来」に頼るしかない。

それによると、築地新喜楽先代の「伊藤きん」は、悲惨な境遇の人間であったが、一方で仏門に帰依、禅尼として功徳を施し慕われたという。禅尼は常に大慈悲心を持ち、実践し世人の教化に邁進し、この浄地をこの地に求め、吉野の如意輪堂の観世音菩薩にもして、4000坪の広大な土地に数奇を凝らした如意庵を作り観喜閣、喜興庵などを作り、如意堂を建立し観音菩薩を奉詞、善事に邁進し、政財界その他知名紳士の信仰を極め、一大名所になったという。

伊藤博文が何故ゆかりなのかはっきりしなかったが、「伊藤きん」さんは、料亭「新喜楽」の先代と言われているが、吉原の花魁の出で、伊藤博文も名前が「伊藤」とも言うことで吉原時代から馴染みだったようだ。時の政治家が花魁まで手を出していたのだ。それが伊藤博文由来として伝わっているらしい。

今、麻生さんが総理であったときに、高級ホテルのバーで葉巻をくゆらせている習慣が、新聞などに報じられ物議を醸したことがあるが、今なら考えられないコトだ。

その後は、御多分にもれず荒廃のやむなきに至り、昭和20年5月には雄高を極めた建築物も爆撃にあい、如意堂のみが災難を逃れた。全地所が野村證券に移譲されたが、町有志の願いにより解放されたという。

政財界、知名人の信仰を極めたことから、出世や合格にご利益があるとされている。

2011年3月4日金曜日

この政局は、いつか来た道


この政局はいつか来た道? そうだ、考えてみれば自民党政権末期の麻生政権の時に似ていないか。時の総理は、「指導力がない」、「決断できない」、「政策がブレる」と、野党のみならず、与党からも総理降ろし、解散・総選挙が声高に叫ばれた。当然世論調査での内閣支持率も20%を切る危険水域だ。

時の政治課題は刻々変われども、政治家気質、国民気質は変わらないのだ。

政権交代前の自民党政権は、国民の信を問わず、自民党内でのご都合主義で政権のたらい回しをし、数々の失政も相まって解散・総選挙が緊急の課題になっていた。

総選挙になっても勝てる顔として、自民党総裁選で麻生さんが選ばれ麻生内閣が発足したが、景気回復のための緊急課題とし経済運営に力を入れた結果、野党や国民が要求した解散・総選挙は、衆議員任期一杯まで先送りになった。打ち出す新たな政策に対して、そこまで麻生政権に託していないと言う批判もあった。

政権に就くと、まず米国詣が当たり前のようになって、麻生さんも日帰りのブッシュ会談を持った。総理の求心力低下、内閣支持率の低下、暫定内閣感、個人的な資質問題を抱えていては、外交もままならないのではと心配になるほどだ。国連総会での麻生さんの演説になると、空席が目立つ議場の映像を見て日本の国際社会での立場が分るような気がした(この状況は、以前から変わらないと言う)。

今、菅政権を見ると、民主党のたらい回しでの政権であったが、財政再建、社会保障と税の一体改革、TPPなどに政治生命をかけると言うほど菅さんは重要政策を打ち出しているが、マニフェストとの整合性に問題があり与党内からも批判が続出、それに指導力不足、政策のブレ、世論調査での内閣支持率の低下で求心力が低下している。

国民が政権交代で期待した政権として、鳩山、菅政権は期待に答えることが出来なかった。取り扱う政治課題は変わっているが、解散・総選挙が一番わかりやすい政治局面であることは、自民党の末期政権と似通っている。

この政局は、いつか来た道なのだ。

求心力を失い、支持率低下が激しい菅政権に、社会保障と税の一体改革、TPP、消費税増税などを任すことは、財務省、官僚の言いなりになる危険がある。マニフェストが大事なのであれば、新たにマニフェストに加えて正々堂々と議論すべきであり、唐突な政策提案、マニフェストに反すると批判する民主党内の反対勢力とも整合性すべきだ。

その時その時で、為政者は批判されるが、後になってふり返ると「どうなんだ」ろう。

麻生さんは、その後、「たけしのTVタックル」に出演し、たけしさんから当時の心境を聞かれた。麻生さんは、「解散時期の検討もしたが、ここは景気回復に全力を挙げるときだ」と判断し、結局は任期一杯での総選挙になった述懐され、判断に間違いはなかったと言う。

たけしさんは、「そんなこととは知らず、漢字が読めない、決断が出来ないなどいろいろなことを言って済みませんでした」と誤っていた。総理経験者が立場を離れて当時の心境を曝露することに感銘することが多い。私も「麻生さん、早く辞めろ」と言ったが反省している。

麻生内閣支持率は低かったが、麻生さんが官邸を去るとき、集まった国民の間から「太朗ちゃーん」の声があがり、麻生さんは車から降りて手を振っていた映像がテレビから流れたのを覚えている。

街頭に立てば聴衆が集まり声援が飛ぶが、世論調査での支持は低い。麻生さんは「どうしてだ」と周辺に聞いたそうだが、私も不思議に思う。ただ言えることは、「有名人見たさ」の現象らしい。

菅さん! 判断を間違えないで欲しい。

私達は、いつか来た道でなく常に新しい道を歩まなければならないのだ。

2011年3月2日水曜日

マニフェストの不確実性:誇大宣言→破綻→政権失墜


あれだけ政権交代の風に乗ってもてはやさすれた政政権公約・マニフェストも、財源不足で破綻したと見ると、政権は急速に信用を失い、政権維持が難しくなってきた。一方、マニフェスト一辺倒の議論は政治離れも加速させる。

我が国でのマニフェストは、2003年に当時の三重県知事が作成を提唱し、民主党が政権交代に向けたマニフェスト作成で脚光を浴び、各党が作成を競い合った。当時政権党の自民党は、民主党のマニフェストを見てからの発表となるほど注目を集めたものだ。

政策目標達成の工程と数値目標を掲げることが必須になっていたので、数値目標抜きのマニフェストは評価の対象外だった。

地方の首長選でもマニフェストを掲げて選挙を戦い、新人が現職を破っての当選となる例が出てきたが、政策の目玉は後退したという。その知事は「選挙の時、政策に財源がいくら必要か把握できなかった」、「簡単に勝てる選挙ではなかったので、かなりのことを言わなければならなかった」と述懐している。実情を知る人は、自民党の県連と県議が考え、知事が丸受けしたコトに無責任さがあると言う(朝日新聞2008.12.29群馬版)。

何か今の民主党にも言えることだ。政権交代したいがために「反自民」で誇大宣言になった。政策は党幹部と中堅の政策通と言われる議員が当たったらしい。当時はテレビにも度々顔を出していたが、今は余り見ない。勿論財源の問題があることは分っていたが、「財源はなんとでも為る」という小沢さんの言と、政権交代の現実味を帯びるに従って、その財源問題はかき消されていった。

冷静さを失ったマニフェスト主張は誇大宣言になり、実現のハードルは高くなる。政権党でなく野党ともなれば情報も少なく至難の業だろう。

そして今、税収減もあるだろうが、マニフェスト破綻から政権運営に支障を来す結果になっている。野党は、マニフェストが破綻したのだから国民に信を問えと言われ、政権与党内からも「マニフェストを守れ」「政権交代の原点に帰れ」と責任追及されるコトになった。

そう発言している民主党議員達の立場は親小沢であることから権力闘争の具に使われている。何とも困ったモノだ。

今、菅総理がやるべきことは、何故マニフェスト見直しが必要なのか、どれだけ努力しての結論か、良く説明することだ。更に党内議論を尽くしているのか。マニフェスト見直しに反対する議員グループはマニフェスト実現に向け、どんな方策を持っているのか。

そこがはっきりしない。ただの「小沢頼み」だけなら無責任すぎないか。

私は、マニフェストに掲げる各政策はP→D→C→Aで修正しながら目標を達成するべきだと思う。

子ども手当だって無理して支給するのではなく、今はこの支給レベルで、税収が増えれば更に支給レベルを上げていくことを説明し、国民の理解を得ることだ。勿論現金支給より施設の拡充の期待が大きいのであれば、施設拡充に方向転換し、少子化、子育て支援をしていくことだ。

マニフェストの本家でもある英国でもマニフェストに悩んでいる。政策が似通って、中身の詳細よりもイメージづくりに力を入れているという。また、マニフェストを読む人も1割以下と学者は見ている。「数値目標」も良いことばかりではないらしい。成果主義に走って根本的問題は解決していないとも言われている(朝日新聞2010.4.19)。

兎に角、どれだけ努力してもこうしかならず、見直しすべき説明をしっかりしなければならない。財務省に洗脳されたと見られては政治主導から大きく外れていないか。