2009年9月8日火曜日

国家公務員よ 奢るな! 公務員改革は過剰な身分保障の撤廃からだ




ここに来て、官僚の横暴さが目に余る。
 民主党政権は、マニフェスト実行の財源の一部を補正予算の見直しで捻出しようと考えていたが、そんな民主党の考えを無視したように、官僚は予算執行を進めている。これが本当であれば、民主党の政権は行き詰まる事態もなりかねない。
 官僚の天下り、渡りに駆け込みが目立った。輸入米問題で責任をとった農水省の前次官が大日本水産会の会長に天下りしたことから、それに関連しての渡りも明らかになり、玉突き人事であることが分かった。
 国家公務員制度改革では、麻生政権の対応に不快感を示し、行革担当だった渡辺さんの自民党離党までになった。麻生さんは天下り、渡りを禁止すると言明したが、実体は不透明だ。
 9月に入り、消費者庁の設立を急ぎ、長官に消費者行政に素人の内閣府の前次官が付いた。併設される委員会に委員長に知名度にある女性弁護士がつこうとしたが、消費者問題には素人との批判を浴びて自ら辞退したことを考えると、官僚の厚かましさがよく分かる。民間人を望む民主党は、この人事を見直すと言うが、思うように行くかどうか。

 公務員改革に対する官僚の抵抗は厳しい。

 政権交代を訴える民主党の鳩山さんは、当初「政権をとれば、局長以上は辞表を出して頂く」と政治主導を強く望んでいたが、今は余り聞かない。

 どうして官僚は、こうも強かなのか。学生時代に使った「行政組織法・公務員法(佐藤・鵜飼 法律学全集 有斐閣 昭和38年9月)」を開いてみた。

 国家が巨大な権力を持って広範な行政事務を遂行しようとすると、相当な人数の公務員が必要になる。そうなると、当然の事ながら同僚意識は出てきて「国民のため」の存在を忘れて、官僚主義が生まれてくる。官吏は試験任用制度があり、公務員試験に合格した特権的身分の確保となり、同僚意識、官僚主義が強くなる。

 1946年公布の日本国憲法第15条には「国民の公務員」「国民全体の奉仕者」と規定されている。公務員の選定罷免は国民固有の権利で、国民は公務員の使用者なのだ。では、国民の意思はどういう方法で示されるか。
 
 政治的には政党活動によるが、問題は「政府が自己意思によって公務員を動かすことが出来るか、公務員は政党の意思に奉仕しなければならないか」だそうだが、公務員は内閣に対して責任を負う事になる。
 一方、憲法73条4号に内閣の職権として「法律の定める基準に従い、官吏に関する事務を掌握すること」と定めている。採用、罷免、懲戒などが法律で決められているのだ。

 しかし、人事行政は政治に左右されるのを防ぐ為に、一般行政から独立した人事院がある。麻生政権の時、官邸で総理が開催する公務員制度改革の会議を開くべく谷人事院総裁の出席を求めたが、発言しても聞いてはもらえないと出席を拒否し欠席したため、甘利行革担当相が記者会見でこき下ろした事件(?)があった。あの不貞不貞しい人事院総裁の顔を見ると、体を張って公務員の地位を守っている事がにじんでいた。

 公務員は、民間では見られない程、過度の身分保障になっているのだ。

 公務員が政府の活動を阻止する争議や共同罷業行為が禁止されている事は誰でも知っていることだ。1947年の第一回国家で、国家公務員法案を提出したが、最高司令部のフーバー案に反して、この行為は削除されていた。ところがその後、全官公労が闘争、争議に突入の形勢になり、最高司令官が公務員の団体交渉権を否認、違反に対して罰則を設けた。

 その後昭和23年、改正案などで、労働三権禁止の強化、人事院の権限強化、特別職の範囲を縮小するなどの改正が行なわれた。最も頻繁に改正されたのは特別職の縮小である。特別職は、自由任用を適当とする職や、選挙や国会の議決、同意で就任する職で、任免がある程度自由な職であるので、これに属する職を減らすことにより、国家公務員の身分保障を強めたことになる。

 これに引き替え、一般職の任免は法により厳しい条件が定められ、本人の意思に反して免職は出来ないのだ。局長や事務次官は、この一般職に該当し簡単に辞めさせる事など出来ないのだ。

 日本社会の他の分野に与えられているより、より多くの個人的保障が公務員に与えられていることになる。

 公務員の処分には、分限処分、懲戒処分、弁償責任と刑法上の責任がある。分限処分には、降任、休職、免職があるが、勤務実績が悪いとか、心身の故障、適格性の欠如など法律や人事院規則で厳しく定められている。

 大事なことは、このほかに「官制もしくは定員の改廃」「予算の減少による廃職」「過員を生じた場合」が法律で掲げられている。遂行すべき職務上の義務がなくなった場合が該当するらしい。
 問題は、この免職処分は自由裁量処分か、それとも国家公務員の身分保障の精神から考え自由裁量処分ではないのか。

 答え(解釈として)は、国家公務員の免職は一定の客観的基準があり、平等取り扱いの原則、分限の基本基準が法で決まっており、違反して免職させてはならない事になっているらしい。

 昭和33年に初版が出版された法律書で調べたのだが、公務員は一度採用したり任用すると、なかなか首切りが出来ないのだ。今はもっと身分保障がされているのではないかと思う。

 余りにも現代にあっていない組織であり、官も民を見習って強力に改革していかなければならない。

 まず、労働三権を与えて、過剰な身分保障は廃止すべきである。

 各省の局長や事務次官は、特別職にして免職しやすくすることだ。公務員の不作為や判断の間違いで、国民の信用を落とす事態が発生しても、誰も責任をとらないこと自体がおかしい。

 時代は変わっているのだ。国家公務員だけ特別なわけではない。「官制定員の改廃」、「予算減少による廃職」、「過員を生じた場合などの免職」は、税収減による予算不足、不必要な業務、重要性の低い業務、業務縮小による過剰人員、さらには「リストラ」で適用すべきだ。

 使用人である国民と比べ、過剰なほどの身分保障では、行政機関は硬直してくる。

 最大の難関は、国家公務員が自分の不利になることを率先してやるとは思えない。国民の多くの支持を得ている民主党政権でも、官公労を母体に持っている。どうなるか。鳩山さんのトーンも低くなった訳が分かる。

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