2011年9月30日金曜日

復興増税、消費税増税:政府、財務省は国民をどう騙すのか







復興増税でおかしな動きがあった。民主党内の混迷が要因のようだが、政府・財務省の騙しのテクニックが見透かされる。税外収入を5兆円にして臨時増税を11.2兆円にするか、税外収入を更に2兆円上積みし、増税を9.2兆円に圧縮するかで政府の国会答弁が二転三転した。

28日の国会参議院予算委員会の中継を聞いていたが、安住財務相が「復興増税は税外収入2兆円上積みし、9.2兆円とする」と答えたが、官房長官が11.2兆円と答弁し閣内不一致の様相を呈した。翌29日の予算委員会で野党の質問で、安住財務相は「9.2兆円とするが、法律では11.2兆円にしたい」と答弁を替えた。

29日官房長官も記者会見で「スタート時の時限的な税制措置の法案は11.2兆円となる」とコメントした。

しかし、JT株など政府保有株式の売却は株価変動の不確定要素や法改正など面倒な手続きが必要で財務省は難色を示す。

政治主導の復興財源圧縮が、財務省という官僚主導で歪曲化され、国民に増税負担を強いる事になった。

野田首相は、「ドジョウ」で輿石さんに媚びを売り、勝海舟の言葉「正心誠意」を引用し財務事務次官の勝栄二郎さんに媚びを売る。自らの政権の安定だけを狙った政権運営に何の希望があるのか。

消費税増税だって、「2010年代半ばまでに段階的に消費税率を10%に引上げる事になっている。臨時増税からは除外されたが、先送りできない緊急の政治課題だ。

消費税導入を打ち上げた菅さんは「増税前に国民に信を問う」と言明した。岡田前幹事長は、「次の総選挙で「2010年代半ばまでに消費税を10%にする」を公約に戦うことになるだろう」と言う。民主党政権で解散・総選挙したら政権運営の稚拙さから民主党の敗北は目に見えている。自民党も増税を訴えているので、消費税増税には向かうだろう。

ところが、次の通常国会で消費税増税法案を国会で通して、増税を実施する前に国民に信を問う事もやろうと思えば出来る。財務省主導の野田政権であればやりかねない。

今必要なのは、勝・財務事務次官ではなく、改革派官僚だったが辞職に追い込まれた古賀茂明さんではないか。

写真左:想定される増税スケジュール 朝日新聞 2011.9.28

写真右:政府、民主党の復興財源案 2011.9.28

2011年9月28日水曜日

鎌倉を巨大津波が襲うと、鎌倉大仏、鶴岡八幡宮はどうなる
















鎌倉を巨大津浪が襲うと鎌倉大仏、鶴岡八幡宮はどうなるのか。時代趨勢で観光地へ行くと、ついつい地震、津波対策は出来ているのか、観光客にどう注意を促しているのかに注目せざるを得ない。先日、鎌倉を訪れた時もそうだった。多くの観光客(年間約2000万人)で賑わう光景を見ると心配になる。

剪定された大銀杏の「ひこばえ」を見て、社務所に寄った。「津波対策はどうなっているのですか」と聞くと、「浜の方では注意看板が出ているが、この辺にはない。浜は海抜5~6m、この辺(社務所の付近)が12~13m、上の本殿で30mです」と教えてくれた。

15mほどの津波が来ると鶴岡八幡宮も石段の下の方は崩壊、流出するのだ。

ネットで鎌倉津波被害を検索すると、研究者の古文書などから鎌倉大仏の被害の調査報告が載っている。鎌倉大日記によると、1293年、1498年、1703年、1923年と数次に渡り津波被害に遭っている。特に1498年は大地震と津波で大仏殿が再び倒壊し、露座になった。太平記にも津波で流される大仏殿のイラストが載っているという。

そして、その時の津波は、今の若宮大路付近まで来たらしい。

1703年の元禄地震とそれに伴う津波では大仏の台座が崩れ、3尺下がったとも言われている。

東日本大震災を受けて、鎌倉市は津波対策を再検討すると言うが、鎌倉市のHPから津波ハザードマップを見てみた。

2010.7.5版によると、想定は南関東地震(東京湾北部地震)で関東大震災の再来型で、M7.9、震度6弱、津波は第1波が10分、第2波は27分を想定している。

津波高さの記述はないが、海岸付近の浸水深さは5m以上、想定津波による最大浸水範囲が標高7mで表示されているが、古文書などから災害が確認されている鎌倉大仏や鎌倉駅付近にも図面上マークが付いている。

だが、近い将来発生するであろう東海、東南海、南海地震の3連動型(最近ではそれにもう一つ震源域が加わり4連動型も危惧されている)巨大地震時は10~15mの巨大な津波が短時間で襲来することが考えられる。
最近の防災は、古文書などからの最大規模の地震、津波を想定し、5分以内に避難出来ることが考えられている。鎌倉も当然見直しだろう。

電柱に海抜○mを表示したり、目に付くところにこまめに海抜を表示し、更に高い場所への誘導、避難ビルの表示などを考えなければならない。観光客は常に自分の位置を確認していることが、災害から身を守ることになる。


写真上段左:鶴岡八幡宮 社務所のあるこの辺は海抜12m、階段を上りきった本殿で海抜30mだという。


写真上段右:鎌倉市津波ハザードマップ 2010.7.5 南関東地震を震源に想定、関東大震災の再来型で作成されている。


写真下段:鎌倉大仏 数次にわたる津波災害で露座になった。

[後記]
産経新聞(2012.7.16)の温故地震「鎌倉の大仏殿流失」で1498年の明応東海地震による津波で大仏殿が流出したのではなく、すでに大仏殿はなかったと言う記事が掲載された。

その根拠に「鎌倉大日記」の一つの解釈では、大地震の津波は、由比ガ浜では千度壇まで達したと記述されているが、この千度壇は、現在「下馬」と呼ばれる海岸から約1kmの場所で標高は3.8m。これが鎌倉における明応東海地震の津波到達高だと言う。

ところが、鎌倉大仏も海岸から約1kmだが、標高は13.8m、ここに到達したとは思えず、鎌倉大日記の記述は矛盾を抱えており、大仏殿が明応東海地震の津波で失われたとは考えにくいという。


歴史地震・津波学を専門とする筆者の都司嘉宣さんは、神奈川県や鎌倉市の防災計画が誤解釈の影響でゆがめられては大変なことになると警告している。







小沢さんの存在が、ますます民主党政治を狂わす



政権交代以降、何かと小沢さんの存在が民主党政治に大きく影響を与えてきたが、ここに来て「越山会」の政治資金規正法違反で3人の秘書が有罪判決を受けたことで、小沢さんの存在が益々政治を狂わせだした。

検察vs弁護の構図で考えると、検察側の主張がほぼ認められ、弁護側が完敗した事になるが、私達が知りたかったのは事実である。小沢さんは自らの疑惑に「何らやましいところはない」の一点張りで説明責任を果たしてこなかった責任は大きい。

案の定、27日の国会審議では、野党から小沢さんの証人喚問要求が出てきた。野田首相は、「各党、各会派でしっかり検討を」と言ったり、「記者会見で説明している」といったりしているが、本音は司法への影響を考え応じない考えのようだ。

反小沢から方向転換し、党内融和を第一に考えた人事をやった手前、簡単には応じられないのだろう。更には、自らも含めて民主党には「政治とカネ」の問題を抱えている幹部が多い。

ここは、小沢さん自身が国会で証人喚問を受けることだ。国家権力の裁判で白黒をつけようとしているので、証人喚問は必要ないというのが、従来の小沢さんの主張であった。一方の野党は、「政治責任があるではないか」と要求を止めない。今回の裁判は秘書の問題にとどまらず、小沢さんの政治資金のあり方に判断が下ったようなものだ。

小沢さんの弁護人は、「裁判官が違うから」と公判も同じではない事を主張するが、今回の東京地裁の判決は、裁判官1人での認定ではなく、3人の合議制での認定であったことに意義がある。小沢さんは、「予想外」「あんな判例はあり得ない」とコメントしているようだが、「知らない」「任せていた」では、通用しない責任があることを認識すべきだ。

国民に逃げの姿勢を見せては、小沢さんの総理の芽などありえないし、政治を混乱させてはならない。自分たちが勝ち取った政権の座を維持したいのであれば、潔く離党ないしは議員辞職すべきである。このままでは「自民党の議員方が清かった」という事になりかねない。

写真:野田首相官邸 小沢さんの「政治とカネ」の問題、野田首相自身の外国人政治献金の問題でこれからどんなに悩ませられることか。党内融和は民主党内の問題、政治が左右されては国民は堪ったものではない。

2011年9月26日月曜日

小沢氏秘書有罪判決:調書不採用でも、可笑しいことに変わりはない



小沢さんの政治団体「越山会」に係わる政治資金規正法違反事件で、公判では立件で重要な検察の調書が不採用にされたこともあって小沢氏側有利の大方の見方に反し、東京地裁は執行猶予付きの有罪判決を出し、裏献金、虚偽記載で「おかしいこと」に変わりがないことを認定した。

この裁判は、検察の調書中心でなく、裁判所が独自に審理したことに意義がある。

私も、今までの小沢さんの行状から考えて、且つ検察の不祥事もあって無罪の判決が出ればまずいと思っていたが有罪判決にホッとした。公判での立件に係わる重要な調書の不採用で多くの著名(?)なジャーナリストが小沢氏側有利の発言をしていた。「小沢潰し」の作られた事件で、検察の不当捜査を糾弾刷る記事も目立っていた。

小沢さんは、野党から要求されていた国会での説明もせず、疑惑を持たれたまま今日に至っているのだ。

誰が考えても不可解な点は、4億円の出所、水谷建設からの裏献金疑惑、土地購入で何故、現金があるのに銀行から借りたのか、そしてこの政治資金収支報告書への記載が故意ではなく本当に過失だったのか。

メデイアは、裏献金、虚偽記載を裁判所が認定したと報じている。

水谷建設は、ここに来てウソを言うメリットはない。逆に小沢さん側は、裏献金、公共事業における「天の声」を絶対認めるわけにはいかないのだ。

更には、収支報告書記載内容は、何回も何回も内容をチェックして提出しているはずだ。高額の資金の動き、記載ミスなどあるはずがない。過失でタダの形式犯で修正報告で済むなどと言う代物ではない。

政治資金規正法違反で「推定無罪」を主張する者もいるが、法の趣旨からして「推定有罪」にし、政治家が積極的に無罪であることを立証する責任があるようにすべきだ。

ところで、何故、多額の政治資金を集め、多数の秘書団を抱え国政選挙で新人候補者の発掘と選挙選を指導するのか。地方の選挙区で新人にくっついて選挙運動を指導する小沢さんの秘書に、メデイアが選挙手法を聞くと「企業秘密」と言ってのけたのには驚いた。
政党にあっては、小沢さんは政治資金を思うように使える幹事長ポストを要求し、巨額の政党活動資金を配下の側近に集中して分配する不透明は政治資金の使い方には疑問を感じていた。

政治資金規正法は、政治家が公明正大な政治活動をしているかどうかを国民が容易に判断するための政治資金収支報告書の提出を求めている。

その、報告書が虚偽であったり、疑惑のある資金の動きがあったり、政治家自身が「知らなかった」、「秘書にまかせていた」では話にならない。

これを機会に、国会議員、政治家一人一人が襟を正すべきである。小沢さん自身の公判に注目したい。

写真:国会中継中に小沢氏秘書有罪判決のテロップが流れる 大臣席でコソコソペーパーが回し読みされ、質問中の自民党の石原幹事長が野田総理に質問していた。 2011.9.26 NHK国会中継より

優秀な改革派官僚古賀茂明さんの辞職は国家の損失



公務員制度改革を訴える改革派官僚古賀茂明さんが、「公務員改革はすべてのベースになる。改革なしに増税すると日本がギリシャのようになる」と言い残しついに辞職した。これは国家にとって大きな損失になる。

古賀さんが公務員制度改革に取り組みだしたのは、自民党政権時代の2008年7月、国家公務員制度改革推進本部事務局に審議官として出向した時からだ。政権交代で民主党も国家公務員制度改革を国民に訴えていたので、改革が大きく前進すると誰も思った。

ところが、民主党政権で大きくブレーキがかかり、2009年12月に古賀さんは経済産業省に帰り、閑職のまま2年ほど過ぎた。

私達の記憶にあるのは、国会審議で「公務員の身分のまま、民間会社に出向する」ことが問題になったとき、古賀さんが民主党の天下り問題を批判した。

そのお返しに、仙石官房長官が答弁を求められてもいないのに、答弁席に立ち、「彼の将来に傷を付ける」と恫喝発言をした。古賀さんは、今日のテレビの出演で「恐ろしさを感じた」と述懐していた。

そして古賀さんは、恐らく財務省と何らかの取引をしたのだろうという。急進的は公務員制度改革を嫌う財務省が、政権維持に協力する代わりに公務員制度改革は骨抜きにする取引をしたのだろうとも言う。

公務員制度改革だけでなく、電力改革で発送業分離の急進的な提案もしている。優秀な改革派官僚が辞職したことは、海外のメデイアが指摘するまでもなく、日本国家として大きな損失である。

古賀さんの将来に関し、誰でもみんなの党当たりから政界へ進出するのだろうと思うのだが、古賀さんは否定している。

今後も、改革のための政策づくり、若い優秀な人達が活躍出来るようにしたいと言う。応援したい。

国家財政が破綻しているにもかかわらず、改革に反対しているギリシャの公務員を見ると、日本の公務員も変わらない。バカな公務員に行政を託しているのかと思うと情けない。

写真:官庁街から国会を望む 官僚も国会も日本を救うために自らか改革を受け入れるべきだ 

2011年9月24日土曜日

台風15号で得た非常事態での教訓



9月21日の台風15号は、台風12号に続き日本全土に甚大な被害を及ぼした。大きな勢力になった「ノロノロ台風」は、豪雨による水害と広範囲の強風による被害を目の当たりにした。我が家にとっても、学校、保育園への孫達の送迎で良い教訓を得た。

我が家は、娘夫婦が共働きにために、孫達を小学校と保育園へ送り迎えする手伝いをしている。

21日は、小学校へ行く孫を8時に送り出し、8時半に保育園へ送っていっていた。親からの携帯電話で「小学校が休校になった。子供を迎えに行ってくれ」という。同時に学校からの休校処置のメールが参考に送られてきた。親が家にいる子は、引率して下校、いない子は親が迎えに来るまで体育館に待機と言うことだった。

小学校に迎えに行くと、「クラスへ行け」、「体育館にいるかも」というが見つからない。最後は「3つのコースに分かれるが、引率されて帰ったのでは」と言う。最後に担任に聞くと「家に保護者がいる人と聞くと「ハイ」と答えたので職員に引率されて帰ったはずだ」という。

埒が明かないので、「自分で探してみます」といって学校を後にし、アパート、マンションを確認し、学童保育を利用しているので学童に寄ることにした。親に「見つからない」とメールすると、母親から「学童にいることが分った」と連絡してきた。

今日は、3時に学校が終わると学童に行き6時に帰宅する予定だった。孫は学校が終わると学童へ行くことが頭にあり、担任の先生が「学童に行く人」と聞いたので孫は「ハイ」と言って学童に行ったという。

難しい判断だが孫の判断が正しい。孫を迎えに行き台風なので引き取って帰った。他に6人の児童が学童に来ていた。

学校も非常事態に混乱していたようだ。30人も受け持つと児童一人一人の処置など出来なかったのだろう。

でも、先の東海地震時の訓練として子供の引き取り訓練がされたときは、児童氏名、保護者氏名、続柄の確認をチェックリストでやっていた。今回の非常事態も「児童名」「学童行く」「体育館待機」「引率し帰宅」の確認ぐらいはチェックリストでやるべきだったのではないか。非常時に活かされない訓練など意味がない。

母親もJR、私鉄が運転見合わせだったので、徒歩とバスを利用して帰宅した。今回も多くの帰宅困難者が出たらしい。どこかの区役所が役所を避難場所に解放したらしいが、6人ほどしか利用せず期待はずれだったという。

東京都は、企業に帰宅困難者対応として物資の備蓄を促す「企業備蓄条例」を決めるという。首都直下型地震、東海地震など大震災が危惧されていることにも対応するらしい。

企業の緊急事態への対応は社員の安全確保で重要な課題だ。今回も台風情報から、早めに帰宅を促した会社と午後3時頃やっと帰宅を促した会社では、社員の明暗を分けたという。

最近の相次ぐ災害は、いろんな教訓を与えてくれる。来るべき大災害に向け、真剣に取り組むべきだ。

写真:都の「企業備蓄条例」構想を伝える読売新聞 2011.9.23

政策の整合性、確固たる推進のため解散・総選挙を



野田政権の政策に民主党政権の整合性がなく、問題山積の政治課題に確固とした推進が必要であるが民主党内の考えも多様で調整がむずかしいようだ。先送りをしないためにも国民に信を問うて迷わない政策推進が必要だ。

「今は時期でない、もっとやることがある」、「政治空白は許されない」。解散・総選挙を問われると、政権首脳は決まり切ったコメントをする。下野の危惧もある民主党にとっては総選挙はやりたくないが、一方ここがチャンスと見た自民党は攻勢をかける。

民主党は、党内融和路線に切り替えたが、政策の党内一致は出来そうにない。それはそうだろう。保守から革新までごちゃ混ぜの政党だから所詮は無理だろう。自民党にしても民主党の体たらくでも人気挽回は進まない。主導権争い、連立か解散・総選挙での政権奪取かで揉めていてはどうしようもない。

野田首相が国連デビュー、首脳外交を繰り返しているが、原発に対する取り組みでは菅政権と一線を画しているし、普天間問題、TPPではオバマ大統領から具体的な成果を要求されている。

世界的金融危機に対する対応も他国任せのようだし、復興財源では法人税、所得税増税案の他にたばこ税、消費税増税など乱立し、考えを出し合う時でなく決める時だという政党トップが言及する。

政策がブレ、政治課題の先送りは、政権に確固とした考え、方針が欠けるためである。ここは、解散・総選挙で国民に信を問い、強い姿勢で政策運営をすべきではないかと思うが、野田首相は、記者団の懇談で衆議院解散・総選挙を問われて、「経済情勢も不安定、原発事故収束も含めて政治空白をつくるべきでない」と今は考えていないと言う。

解散・総選挙を「今はやる時期ではない」のか、それとも「今こそ、やるべき」なのか。

私の住んでいる地域で政治ポスターを張る場所がある。今はどの政党の議員、候補者のポスターも張られていない。解散・総選挙を念頭に置いていないのか。

私は、「今こそ、やるべきだ」と思う。

山積している政治課題をどう進めていくかを各政党、候補者が争い、多数決で進める方向を決めるべきだ。少数反対意見に配慮していては何も進まない。意見が拮抗する場合こそアイデイアを出すべきだ。

国民の信を問うていない首相に、国内外での信頼は得られない。

オバマ大統領が、「彼とは一緒に仕事が出来る」とサッチャーさんの言葉を引用して野田首相を表したとメデイアは伝えるが、オバマ大統領は自分の言葉で表していない。

「回転ドアにもううんざり」、「国連では日本の存在は小さい」、「国民の信を受けない首相を信用出来ない」などメデイアは辛辣な発言を報じる。

「たらい回し政権」の正統性が、麻生政権の時に議論されたことがある。民主党は解散・総選挙に持ち込みたいので猛烈に批判したが、麻生政権は「問題ない」と反論した。

憲法第67条、「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」を根拠にしているのだろう。

法的に問題はないだろうが、民意を反映させる観点からは政治的には問題がある。好ましいことではない。

解散・総選挙は政治空白を作るのではなく、難題に直面し国民の考えを反映する手段ではないのか。

写真:国連デビューした野田首相 世界の見方は厳しい  2011.9.24 おはよう日本 NHK

2011年9月22日木曜日

円高、デフレ対応:政府の円高対策か、通貨の増量か



日本の財政状況は悪いのに円高傾向が続き、富の生産を妨げるデフレは一向に解決しない。野田首相は万全を期せと言うが、まとめる円高への総合的対応策も「円高ありき」の補助金、助成金、基金の強化や海外企業の買収やエネルギー確保支援などで根本的な円高対策ではない。そこで在野の経済学者が提案しているのが通貨量の増加策だ。

円高はじわりじわりと進んでいる。菅さんが財務相になったとき、円相場を聞かれ90円台半ばと答え顰蹙を買ったが、今は76円台で14円以上高くなっている前の政権の菅首相や野田財務相は「マーケットの動向を注視したい」と言うだけで、何ら効果のある政策は打っていない。

企業へのアンケート調査によると、政府・日銀への円高対策で継続的な為替介入、一段の金融緩和を求めている(読売新聞2011.9.22)。

やっと、8月に1回4.5兆円で円売りドル買いをやったが、効果は微弱で更に円高が進んだ。1日当たりの為替取引は世界で410兆円ぐらいと聞いたことがあるから1%では効果も余り期待できなかった事になる。単独介入はそんなモノなのだろう。

為替相場が決まるのは、いろんな条件があるのだろうが、一つに通貨供給量がある。リーマンショックの後、欧米では金融緩和で大量のドル、ユーロを市場に供給したが、日銀は渋った。そのため円高の相対的価値が上がり、今の円高の要因になっているというのだ。

米国は資金供給を増やしているが、日本はほとんど増やしていない。日銀のHPで見るとマネタリーベースは最近117兆円であるが、米国は倍以上あるのではないか。これでは財政状況の悪い日本の円が高くなっても仕方がない。

素人目でも分る。紙幣を印刷して貨幣量を増やせばいいのだ。円高の対応にもなるし、念願のデフレ脱却でもなる。

残念なことだが、今を日銀はデフレと認識していないのだ。一体日銀はどんな経済状況をデフレと言うのか。「今のような需要不足の時に、流動性を供給するだけでは物価は上がらない」と日銀は言い、量的金融緩和を拒否しているが、2009年12月1日に10兆円の資金供給を決めた。広い意味での量的金融緩和だと白河日銀総裁は言った。

これも政府のデフレ宣言を受けてのことだ。菅政権の時も、政府と日銀は協調して当たると言うのだが日銀の動きは鈍い。

そんな日銀に業を煮やした民主党の「デフレから脱却し、景気回復を目指す議員連盟」は、2011年3g圧9日にインフレターゲットの導入、内閣が日銀総裁などの解任権を持つなど日銀法の改正を柱とする総合デフレ対策を協議した。

物価を守るために、中立性を保とうとする日銀への国会の宣戦布告だ。

野田首相も各省事務次官に対する訓示で「円高、デフレ対策に万全を期していかなければならない」と言ったが、何をしようとしているのかは分らない想像できるのは、財務省の言いなりになるのではないかと言うことだけだ。

従来の政策では円高、デフレ対策にならない。ここは思い切って紙幣を増刷したらどうか。心配の余り何もしないでは、「日銀は寝ている」と批判されても仕方ない。

写真:よく使用される各国中央銀行の資産規模比較 2011.9.20 フジテレビ「知りたがり」経済を立ち直せるか

2011年9月20日火曜日

続く短命政権:まともな総理はいないのか



一国の総理が1年ごとにクルクル代わることが良いとは鳩山元総理に言われるまでもなく思っていない。自民党時代の安倍さん以降、短命政権が続く日本の政治は国内外から信用を失っている。メデイアの報道を信ずれば日本の地位は落ちるばかりだ。

でも短命で終わると言うことは、総理の器でなかったためではないのか。今の政界にあって、どうしてまともな総理が出てこないのか。

安倍さんは、国民投票法を成立させ、憲法改正に道筋を付けようとしたが、参院選で敗北しても責任を取らず、最後は所信表明直後に腹痛で辞任した。その後を受け本命政権として福田さんが登場したが、民主党との大連立構想にも敗れ、選挙を控えて顔ではないと辞任。秋葉原で人気のありそうだった麻生さんも総選挙で無党派層の票を取り込めると皮算用したが、リーマン・ショックで経済対策に追われ任期一杯勤めたが、政権を民主党に奪われる結果になった。

国民の圧倒的(?)な期待を背負って民主党政権が始まったが、鳩山さんは「政治とカネ」、米軍基地問題で失政を繰り返し辞任。後を受けた菅さんは、政治課題は良かったがその政治手法は身勝手で、誤った脱官僚が命取りになった。

いろんな要因が考えられるが、党内で強固な地盤を持たず、背後に黒幕のいる2重権力構造で、難しい課題を推進するために党内をまとめることが出来なかった。そして「常時戦場」と言われ、常に選挙が念頭にあり、人気、ポピュリズムに左右されやすかった。

国会議員だけで選んだあらたな野田政権はどうか。代表選では党内基盤も弱く、泡沫候補と言われた野田さんが2位を占め、決選投票で小沢さん率いる海江田さんを破って総理にまでなった。党内融和を重んじ、小沢グループに配慮した人事、大臣待ちの議員の登用葉、人材不足・経験不足の軽量内閣と言われる。

期待しすぎは、落胆も大きい。

今の政治家には、危機管理対応能力が問われる。リー、マン・ショック、世界経済危機、大震災、原発災害はその能力を問われ、経験不足で右往左往する姿を国民にさらけ出した。特に財源不足は災害対応大きな遅れを取った。誰が総理でも難しい局面なのだ。

そして、国民の政治離れは、実力のある政治家を育てられなかった。国会議員の政治力の劣化は、有権者である国民の責任である。

2011年9月19日月曜日

予断許さぬ鶴岡八幡宮の大銀杏の新芽(ひこばえ)













9月19日久しぶりに鎌倉に行き鶴岡八幡宮に寄った。あの「ひこばえ」がどうなっているか見たかったためだ。前回来た時は、葉を一杯付けた新芽が林立していたが、剪定され残そうとされた太めの新芽が8本ほど(細目の新芽を入れると10本以上)立っていた。3月10日に1周年で成長を願う祈願祭と剪定がされたそうだ。

しかし、驚いたことに葉が落ちたきり一枚も付いていない状態だ。枯れてしまったのか。

新芽は太くなり、しっかり付いているように見えるが、葉が無ければ常識で考えて光合成が出来ず成長は覚束ないと思うのだが根がしっかり地中について養分を吸い上げているのか。

根の頂部に水が噴霧されている。水分補給と、乾燥防止のためだろう。兎に角、しっかりした幹から出た新芽に葉が付いていないのとは事情が違う。

予断を許さない状況なのだろう。

写真はいずれも2011.9.19撮影

民主党小沢グループ:何故群れるのか、しっかりした政策説明を



400人近い民主党議員の中の約120人が小沢グループで最大の勢力を持ち、執行部がどの程度の距離を持つかで、政権の安定に影響する。でもどうしてこれだけの議員が小沢さんに群れるのか。小沢グループの政策について国民にしっかり説明すべきではないのか。

小沢さんの復活を狙って3つのグループを一つにまとめて次の代表選に臨むというが、総理の椅子を狙っているとしても、国民の信を問わず4人目の総理なんて考えられるのか。

その前に大事なことがある。

小沢さんは、常に「国民の生活が第一」、国民と約束した公約は守れと、2009年夏の政権交代時に掲げたマニフェストの順守を訴え、見直しをしようと言う執行部と党内抗争中だ。見直しを前提に3党合意がなさ国会審議が進むかに見えたが、小沢グループの主張は政権の前途多難さを伺わせる。

民主党は、当初からその財源問題が危惧されていたにも関わらず理想的な政策を打ち出し、自民党の政策と差別化を狙った。

しかし、政権に就き財源問題の現実を知るところとなり、且つ自民党など野党の批判に会い、マニフェスト見直し路線に切り替えた。

それでも小沢グループは、理念を守れ、マニフェスト回帰を訴え続ける。野田政権になり党内融和路線で人事面でのグループからの登用を受け、ひとまず様子見の態度を取っているが、何時又紛争の原因になるか分らない。

そこで、国民を説得するためにも、マニフェスト順守のために財源確保をどう考えているのか、マニフェスト推進にどう対応しようとしているのか説明すべきである。

今まで小沢さんは一度も説明を説明したことはない。ただ、側近の山岡さんがテレビ出演時に特別会計などの剰余金から捻出する案を提言したことがあるが、番組のキャスター、出演者は誰もその提言に反応しなかった。

今、小沢さんや小沢グループは主導権争いの権力闘争をやっているとしか国民には見えないのは残念だ。

民主党政権の安定と「国民の生活が第一」の理念を守るためにもしっかりした政策説明をすべきである。

2011年9月18日日曜日

忘れてはならない第五福竜丸被曝事件
























アインシュタインのE=mc2の式が原子核を分裂させ、膨大なエネルギーを爆発させることが出来るが分った当時は戦時下で、軍事利用が考えられた。1945年8月には広島に原爆が投下され、9年後の1954年3月には米国がビキニ環礁で水爆実験を行なったが、危険海域から30km離れた海域で繰網中だった第五福竜丸の乗組員23人が被曝した。

当時12歳だった私もこのニュースは覚えている。その後、第五福竜丸は夢の島に雨ざらしで放置されていたが、この事件を忘れてはいけないと保存する運動が始まったことまでは知っていた。

チャンスがあれば一度見たいと思っていたが、新聞で第五福竜丸の記事を読み、18日に夢の島の展示館に行って来た。日曜日でもあり大人から子供まで多くの見学者があり、船体を写真に撮っていた。

第五福竜丸はマグロはえなは漁船で、船大工の技をふんだんに使った大型木造船だが、途中で改造したらしい。この船で太平洋のど真ん中で漁をやっていたとは驚く。

しかし、航海日誌を見ると第五福竜丸の今回の出漁は不運の連続だったようだ。1954年1月22日に焼津港を出港したが、翌日エンジン部品を取りに帰港し再出港、「南に行く」と航路を変更、2月9~12日、はえ縄の大半を失い、3日間懸命に捜索したようだ。不漁が続き17日更に南下、3月1日ビキニ環礁付近で被爆し、アメリカの哨戒機に気を付けながら日本を目指し14日焼津港に帰った。捕獲量は165尾(2700貫)となっている。

被曝した当時のことも当直日誌で知ることが出来る。3時17分、14回目の投網終了30分漂白、1時間後繰網開始。3時30分にピキンユ島で水爆実験、夜明け前なのに非常に明るくなり煙柱があがり、2時間後に爆発灰が多数落下、5時間続いたそうだ。危険を感じてこの海域から脱出したという。操業海域は危険水域から30km離れていた。

しかし、久保山無線長は、何故か被曝したことを打電していなかった。

このビキニ水爆実験は、広島の原爆の1000倍の破壊力があったという。「死の灰」の分析からストロンチウムなど27種の放射性物質が検出され、被災者は放射能症と診断されたが、米国は認めなかった。

1954年9月23日、無線長の久保山さんが亡くなった。「原爆症の被害者は、私を最後にして欲しい」と言い残して。

この事件はアメリカが7億2000万円賠償することで終わったらしい。

3月末から5月にかけて日本中に放射能の雨が降り、京都では8万カウンターを記録した
という。

汚染されたマグロは築地市場の地下深くに投棄され、その量は457トンと言われる。展示館の敷地内にマグロ塚があるが、本来は築地市場に設置すべきであるが、整備中のためにここに建立したと記されている。築地市場の投棄場所で今どうなっているのか。

御多分に漏れず、汚染マグロの風評被害には困ったようだ。今の福島第一原発の事故による各種生産物の風評被害と似ている。

第五福竜丸被曝事件の翌年1955年7月にバートランド・ラッセル、アルバート・アインシュタイン、湯川ら著名人11人が「ラッセル・アインシュタイン宣言」をし、紛争問題解決のため、核兵器でなく平和的な手段を見つけ出せと提言している。

そして、8月の広島での第一回原水爆禁止世界大会へと運動が続く。

米ソは核兵器を減らそうとしているが、世界的にはまだまだ核兵器開発で力を誇示使用としているし、平和利用の原発の事故で我が国は大変な事態になっている。

原爆というと広島、長崎だけでなく、第五福竜丸被曝事件も忘れてはいけない。



写真左:第五福竜丸の船体 船大工の技を結集した大型木造船だ



写真中:第五福竜丸の航路と被災位置 今回は不運が重なり不漁で、危険区域の外30kmで被災してしまった。



写真右:死の灰 3つの大学で分析され、27種の放射性物質が検出された

2011年9月17日土曜日

行財政改革、政治を歪曲化する財務省の解体を







政権発足にも影で暗躍し、折角の行財政改革も官僚機構の本丸として官僚利権を守るため抵抗する。国家予算編成に大きな権力を握る財務省は、政策や政治主導に少なからず影響力を発揮する。

時の政権、財務相が財務省にとって、如何に御しやすいかでその政権の評価が決まる。内閣組閣時いつも言われたことだが、今回の野田内閣も財務省の増税路線からすれば大歓迎なのだろう。

私は、以前「政権を維持するために必要な憎まれ者・財務省との距離」という記事を書いたことがある。鳩山政権に始まる民主党政権の「脱官僚政治」で財務省は憎まれ役になり、従来の力を発揮できなくなった。

ところが最近、財政再建を標榜し増税路線を歩みたい財務省は復権したかに見える。

先の代表選では、泡沫候補と見られた野田さんを財務省は影で支援の動きをしたようだ。また野田総理を前提に総理補佐官などのシフトを財務省事務次官が主導したと報道されている。

赤字財政の中で、財源確保は至難の業であるが、財務省は安易な増税路線を引こうと躍起になった。

IMFが数次に渡って我が国に増税、しかも消費税10%を勧告しているが、その背景にはIMFへ相当数の出向者が財務省から出ており、財務省の意向が伺われるという。

17日の読売新聞に復興財源として所得税、法人税の増税案が政府税制調査会で決まった。財務省は消費税増税を考えていたようだが、野田首相の指示で消費税は外したという。財務省は復興目的で消費税を増税しておき、後で社会保障目的に切り替える積もりだったようだ。

また、事業仕分けで廃止が決まっていた朝霞の105億円の公務員宿舎が、急遽建設が決まった。復興財源に国有財産を処分して充てる方針が出ているにもかかわらず財務省が決めたことだ。公務員住宅は余っている。この財源も復興財源に廻すのが当然と思うが、財務省は違った考えを持っているのだ。

その事業仕分けも実質的には、財務省が主導したのだ。予算を組む財務省が、この事業ハムだと考えていた事業がまな板に載せられた。私も何回か聞きに行ったが、これらの内容は全体を見ている財務省でしか分らない。仕分け人だけでは何も出来ないのだ。

さらに、画期的な行財政改革を進めようとした古賀さんを閑職に追いやり、何ら仕事を与えない状態を作ったのも、官僚の利権を守ろうとする官僚機構の本丸の財務省の意向が働いていると言われる。

政権選択に口を出し議会制民主主義をひん曲げたり、政治主導を歪曲化したり、行財政改革に抵抗し骨抜きにしたり、財務省の行為は目に余る。

政治改革は、行財政改革から。それにはまず、財務省の解体から始めなければならない。

財務省解体は、古くは新党さきがけが構想していた。大蔵省を(1)金融部門の分離、(2)国税庁と厚生省の年金部門の合併、(3)主計局を分離、(4)国有財産の管理の4分割があった。

96年の橋本内閣で大蔵省改革が打ち出され、この時は金融部門の独立で、金融庁ができた。大蔵省が相当抵抗した結果だろう。

この財務省解体、とりわけ主計局の解体に執念を燃やしていたのが、菅さんだったのだ。

主計局は、国の予算、決算及び会計に関する制度の企画、立案、作成などを担っており、予算の査定権限を一手に握っている財務省とりわけ主計局は絶大な力を持っている。

財務省自身も所管一般会計で23兆5000億円(平成23年度成立予算額)を持っているが、詳しい項目は全く不明で「その他の項」にまとめられている。

財務省のHPによると「平成24年度予算の概算要求に係わる作業について」で、概算要求に向けた作業を進めるように財務大臣から各大臣に通達されている。それによると、高速道路の無料化は要求せず、戸別所得補償、高校の実質無償化は所要の金額を要求、子ども手当は平成23年8月4日の3党合意に沿って要求となっている。

財務省の解体を進めて欲しいし、私達も財務省を監視していかなければならない。

写真左:官僚機構の本山財務省 権力集中防止に為に分割解体を

写真右:24年度予算編成に向けて 財務省HPより

2011年9月16日金曜日

民主党政権は解散できない。自民党は地道に政策で争え




民主党のマニフェスト見直しの3党合意で民主党の政権の正当性は崩れたので、国民にわびて信を問い直せと自民党谷垣総裁は追求するが、野田首相は「今は解散の時ではない」と応じる。民主党政権の誰が総理であろうと解散することは民主党が下野することになるのは目に見えている。民主党に解散など出来ないのだ。

民主党政権を維持しようと思えば、任期一杯居座ることだが、野田政権は来年9月までの繋ぎ政権で、その後は小沢本命政権で小沢さんの力に頼ろうとしている民主党議員もいる。しかし、国民の信を問わず4人目の総理が許されるのか。

野田首相の所信表明を聞き、見た。国会中継ではペーパーを棒読みする姿に、何処に力点を置いているのか伺い知る事は出来なかったが、翌14日の新聞でその全容を知ることが出来た。

確かに、我が国は大震災、原発災害、経済危機、財政再建、外交など数々の国難にあたり、解決しなければならない難題ばかりだが、鳩山政権、菅政権による信頼失墜の反省から、野田首相は「正心誠意」行動すると訴えた。

政治は国民に希望を与えなければならないと考えたのだろうか。希望と誇りある日本の再構築に向けても投資するという。

「目前の危機の克服と宿年の課題解決のために愚直に、ねばり強く、全力で取り組む」と良いながら、国会会期を4日で閉じるとがんばる民主党政権に疑問が湧いた。代表質問の答弁でも各党、各会派で話し合った事と野田首相は言っていたのだが、野党の余りにも強硬な姿勢に、急遽30日まで延長すると言いだした。

政治のやり方も変える必要がある。菅さんの政治手法に国民は飽き飽きしていた。野田首相は、何かと与野党協議を訴えるし、樽床さんは「野党との協力体制構築に向けて新しい政治スタイルを作っていかなければならない」と主張した。

野党自民党には、協議よりも民主党案を出せと言う。国会審議の前に与野党協議はないだろうとも言う。当然のことだ。国会審議で丁々発止の議論をして欲しいが,予算委員会などで妥協点を見いだすことなど今の政治スタイルでは難しい事も確かだ。

政治改革を進めてきた民主党ではあるが、あらゆる事が自民党時代の政治手法に回帰してきたが、先の民主党代表選を見て自民党の伊吹さんが「悪しき自民党よりも悪い」と言った事を民主党議員はどう聞くか。

一致団結してこの国難に立ち向かう必要があることは分るが、民主党内も自民党内も何かバラバラなようだ。

民主党は党内抗争、権力闘争に明け暮れ、自民党は(大)連立か政権奪取で割れている。ベテラン議員、領袖は、解散・総選挙で政権返り咲きを夢見ており、野党生活に耐えられないのだ。

そのベテラン議員に押されて谷垣さんは、機会ある毎に国民に信を問えと追求する。

でも、民主党に利する事態が起きれば話は別だが、民主党は政権を失うような解散・総選挙はやらないだろう。


自民党は、地道に政策で戦うしかない

2011年9月11日日曜日

地に落ちたか、国会議員の政治力



政局が混乱するほど目立ってくるのか、内閣を構成する国会議員の政治力が劣化しているのか。野田さんが「適材適所」で考え抜いた(?)重要閣僚の鉢呂経済産業相の失言で、ついに辞任せざるを得なくなった。民主党政権2年で、柳田、松本さんに続きで3人目、外国人政治献金疑惑で辞任した前原さん、「不完全な内閣」発言の平野さんと国会議員の質が問われる。

大臣の辞任で総理の任命責任が問われるが、国民に謝罪すれども責任は取らない。一々責任を取っていてはきりがないし大事になる。責任を取れと言う野党の要求も無理強いだ。党内バランスを取るために、各グループに配慮すると総理の意に沿わない人物も出てくる。

当選回数の多い入閣待ちの議員に配慮することも党内融和には必要なのだろう。総理にしてみれば、「推薦があったので入閣させたのに」との意識も強いだろう。

鉢呂さんは、発言内容に覚えがないと言っているようだが、失言は失言として、メデイアの報道にも問題がある。問題の部分だけを報じて政局にしようとしていないか。先の柳田法相の時も、「大臣は楽だ、3つのフレームを覚えていればいい」と言った部分が大きく報道され、本音の「もう一歩踏む込んだ答弁ができないか」という官僚が描く答弁に苦言を呈している部分が報道に乗ってきていないのだ。

民主党は野党生活が長いが、ライフワークのテーマをもち、日々研鑽し政府と丁々発止の議論の出来る議員がどれほどいるのか。

輿石さんは「どう仕事をするか見守って欲しい」と言うが、仕事以前の問題であり、大臣の政治力の劣化も問題だ。

国会議員の候補者を捜すのも大変らしい。

今、どの政党にも言えることだが候補者の確保が難しく、選挙準備も大変だ。各党の選挙区の支部長も欠員になっているところもある。元国会議員、他党からの鞍替えで急場を凌いでいる場合もあるらしい。

「国会議員になって何がしたいか」の目標を持った人材は少なく、手っ取り早く、ただ名前が知れ渡っているから選挙資金も余り使わず当選できる人材ばかり発掘したり、政治献金の多い団体、配下に多くの有権者を抱える団体から政治家としての質とは関係なしに人材を選んでいないか。

国会議員の政策を掲げ国民を説得し推進していく「政治力」は地に落ちている。

特に、政権交代で民主党政権になって、政策は政府が一元化、陳情は幹事長室で一元管理、新人議員は選挙区廻りでは、国民が選んだ代表者としての国会議員をどうしようとしていたのか。幸いにも失敗の反省に立って修正された。

国会議員のあり方も真剣に考えなければならないが、選挙におびえているようでは政策に打ち込める余裕などない。政党が国民の信を失い、無党派層が50%を占めるようになっては、有権者が次ぎも支持してくれるかは分らないのだ。

4年という任期一杯の議員在職、更には政権維持が我が国政界の大きな課題であるが、政局に振り回されては無理な話だ。

まず国会議員が国民の信を取り戻す努力をしなければならない。

2011年9月9日金曜日

55年体制は崩壊したのか、今、回帰なのか



政権政党の自民党、野党第一党の社会党の2大政党を中心とした政党政治の55年体制は、自社さの細川政権の出現で崩壊したと言われるが、今の政治を考えると、55年体制へ回帰しているのではないかと思える。政治改革なんて所詮は無理なのだ。

55年体制は、自民党が政権党、社会党が野党第一党の保革の2大政党制で、イギリス流の保革2大政党による政権交代可能を期待したが、政権交代は出来ず、かといって憲法改正が出来る議席を自民党は得られなかった。そして、米ソ冷戦からくる日米安保体制が日本の根幹をなしていた。

国会も正式な議院運営委員会をよそに、国会対策委員会で与野党が根回しする国対政治が横行するとともに、長い自民党政権から来る政財官癒着、官僚政治が政治不信を招き、自民党支持は下降をたどり、社会党は選挙を経る度に議席数を減らす傾向が続いた。

そして、1993年の総選挙で自民党は大幅に議席を減らし分裂、新生党、新党さきがけが出現、日本新党の立ち上げもあって新党ブームを起こした。社会党も惨敗し、自社さによる細川政権が出現し、55年体制は崩壊したと言われる。

その後、自民党が政権を取り戻したが、政治不信は高まるばかりで、「政権交代してみませんか」という民主党の甘い言葉にのり政権交代を許したものの、鳩山政権の稚拙な政権運営、菅政権のパフォーマンス中心の独善政治で民主党政権は大きく信頼を落とし、起死回生の野田ドジョウ内閣で崖っぷしに立たされている。

2009年の総選挙で、民主党が政権政党、自民党は野党第一党になり、55年体制の時に言われていたイギリス流の政権交代できる保革2大政党体制ができあがったかに見えた。

一方で、日米安保体制は、鳩山政権時の普天間移設問題が拗れて、今も尾ヲ引きその修復が野田政権の緊急の課題になっている。

冷戦時代は米国に頼りきりで良かったが、今の中国、韓国、ロシアの領海、領土に絡む問題は、日本自身で解決を目指さなければならない難題で、55年体制時よりも、外交、防衛で厳しい立場に立たされている。

国内の政治を見ても、自民党時代の悪政の反省から、官僚主導→政治主導へ、政財官の癒着、族議員を廃止すべく政策の内閣一元化、政策調査会の廃止など民主党政権は果敢に政治改革に取り組んだが挫折し官僚を使い込む政治、政策調査会の回帰、悪しき国対政治は温存したままだ。

その国会対策委員かで臨時国会の会期を4日にするか、更に延ばして予算委員会も開催するかで揉めている。4日で閉じる理由に民主党国会対策委員長は「不完全な内閣」を上げている。今は準備が出来ていないので予算審議に応じても無理だと言うことらしい。

55年体制は崩壊したというが、逆に難しい局面に政治が対処しなければならない状況にある。

小粒の政治家達にとっては、難しい局面が続くことになる。連立で安易に乗り切れるものではない。

支持率65%の内閣が、どうして「不完全な内閣」か







菅政権を反面教師に、泥臭い野田「どじょう内閣」が組閣され、国民の期待を反映し内閣支持率は65%のV字型回復になったが、臨時国会会期を4日間にし、予算委員会は開かないとする民主党に対して自民党など野党は猛反発しているが、平野国対委員長は「内閣が不完全な状態では十分な国会答弁が出来ない」ことを理由に挙げた。

チョット待て。組閣に当たっては野田総理は「適材適所」と言っていたのではないか。今予算委員会を開いても勉強不足で国会審議にならないとは驚きだ。組閣に当たって軽量級と揶揄されていたが、選任された役所の政策に精通した人材も数度の組閣で底を突いたのか。

確かに、民主党は野党生活が長く、閣僚経験は小沢さんと菅さんぐらいで予算委員会の論戦で政府と五分で渡り合ったのは論客は10人もいない?残りの議員は何をしていたのか。選挙区へ帰っての支持者廻り、有権者との握手、政治資金集めか。

民主党政権になってから、政策は内閣に一元化し、政調会は廃止したために役職のない議員は政策に関与する機会が無くなった。その批判に対して菅政権で政調会復活になった。国会議員には、自分のやりたい分野でしっかり政策を研鑽し、政務三役、大臣を目指して欲しいものだ。

過去には国会答弁で官僚が替わってしていた。「質問事項が専門的なので参考人(官僚)に答えさせます」と答弁するシーンが多かった。こんな大臣ではダメだと言うことで、官僚の代替答弁は禁止になった。この政治改革は小沢さん主導ではなかったか。

しかし、大臣の答弁も官僚の作文を棒読みしているだけだ。議論する中で、野党と協調する事など皆無で平行線のまま「時間がないので、次ぎに行きます」で終わってしまう。

法務大臣だった議員が、選挙区の会合で「国会答弁は、3つのフレームを覚えていればいい」と暴言を吐き辞任に追い込まれた。

ところが発言の本音は「もう一歩踏み込んだ答弁が出来ないか」という問題提起だったのだ。問題発言だけがクローズアップされたのは残念だ。

国会議員は支持者から「今度は大臣に」と熱望され、大臣になれば選挙区に錦が飾れる。組閣の時、入閣が予想される国会議員の事務所にテレビカメラが入り、連絡を不安そうに待っている議員の姿が映し出される。電話が鳴ると受話器を取り上げ「ありがとうございます。精一杯がんばります」と殊勝なことを言う。

聞いたこともない、国会予算委員会で見たこともない議員が入閣すると、「大丈夫か」と心配になることがある。小泉政権の時、女性議員が法務大臣になったが、これが全くダメだった。専門用語も分らず答弁席で立ち往生する姿はみっともなかった。

小泉さんは「長い目で見てやってくれ」と鷹揚な発言をしていたが、出身母体からの政治献金に答えるための大臣選任だったらしい。国民にとってはいい迷惑だ。

今回の臨時国会の会期も、相変わらず所信表明、代表質問で4日間を民主党は主張しているが、野党は予算委員会開催を要求している。

一方で、政府、民主党は2011年度第3次補正予算の3党協議を行ないたいと提案しているようだ。

国会審議は出来ないが、3党協議は行ないたいとはどういう事だ。バカな大臣ではなく、政策担当者での協議はOKと言うことか。

臨時国会は、9月に4日間で閉め、10月以降開催ではなく、9月から開催してはどうなんだ。いつも日程が詰まっていて審議不十分で終わる国会など国民は望んでいない。

予算委員会で、ダメな大臣をふるいにかけ、早期に解散したらどうか。65%のご祝儀支持率は既に急降下しているはずだ。

写真左:首相官邸 野田総理はこの国難を、この内閣でどう乗り切るのか

写真右:ダメな内閣だと、財務省の思う壺。財務省主導の政治が始まる

2011年9月7日水曜日

立川断層M7.4:メデイアの騒ぎをよそに地元は意外に冷静?





















メデイアは、首都圏に大きな被害を起こす断層として立川断層、三浦半島断層周辺を取材し、危険をあおり立てる。でも発生確率がどの程度上がったのかはわからないので地元は困惑するが、首都直下地震、多摩直下地震に対する対応で立川地震にも取り組んでいくという。

東日本大震災前は、30年以内に発生する確率が0.5~2%で主要活断層の中ではやや高い部類であった立川断層が、震災後、地殻変動で地震を起こしやすい状況になり、地震発生確率が高まったと中央防災会議は公表した。

埼玉県飯能市~東京都府中市にかけて約33kmの立川断層が動くとM7.4、私に住んでいる東京・大田区も6弱だ。

7日、その立川市を訪れた。断層上にどんな構築物があるのか、断層の位置を表示し、どんな防災対策をしているか見たかったのだ。資料としては立川市のHPの断層地図から道路マップに想定断層位置をチェックした。

JR南部線で立川駅についた。駅前は高層ビルが林立し大きく変化していた。西国立駅の方から立川女子高付近を通り、多摩モノレールの高架を横切り、自治大学校、モノレール運営基地、阿豆佐味天神社付近、玉川上水大曲付近を断層が走る。

裁判所や国立の研究所が建ち並ぶが、結構空地も確保した佇まいだ。断層の上を避けた都市づくりかと思ったが、そうでもなさそうだ。

立川市役所があったので、立川断層の位置図と話を聞くために防災課に寄った。

「ここが断層の上と分る表示がされていないのはどうしてですか」と聞くと、担当者は「位置が確定している訳でもないし、想定の位置なので、表示などはしていない」というが、
立川市の立川断層の地下構造調査が泉町(モノレールの運営基地や広域防災基地のある辺)で行なわれた結果では、断層付近で地層が大きくたわみ、地下深くでは断層の両側の岩盤が大きくズレていることが分ったそうだ。

「でも、断層から15~20m離れれば影響は極端に減少する事を考えれば必要なのではないですか」と言うと「実はそうとも言えないんです。地震の揺れは広範囲に及ぶが、建物が大きな被害を被るかどうかは、地盤の善し悪しが影響するので、基礎をしっかりやることなんです」と、同時にもらった「東京の活断層 立川断層帯を調査する」の資料の「活断層との共存」の章の「活断層の真上だから怖い?」の項目を示しながらの説明だった。
立川市のHPの「立川断層帯について」(201.8.10)でも、地震の大きさは揺れで決まるが、武蔵野台地は地盤としては良いところで、関東大震災でも地震による倒壊率は0%だったと地盤の良さを主張している。

でも、直下に断層の存在が想定されているのに、地盤が良いというのはどういう事なのか。おまけに関東大震災の震源は、小田原付近で遠く離れているのだ。

今回の震災で、発生確率が何%上がったかは算出できていないらしい.ただ1段上がったことは間違いないが,何段上がると地震が発生するかは分らない処に,市の担当者に迷いと困惑がある。「国がはっきりして欲しい」という。

写真上段左:立川断層が走っていると想定される立川女子高付近 2011.9.7

写真上段右:玉モノレール高松駅の手前の高架下を立川断層が横切る 2011.9.7

写真中段:立川断層地震の分布図 地震「主と直下」高まる危機 東日本大震災で地殻変動が 毎日jp 2011.8.10

写真下段:立川断層位置図 立川市のHPから道路マップにうつす

[後記]
立川断層帯 「横ズレ型」の可能性 東大地震研  2013.2.7 読売新聞
東大地震研が6日、M7.4が想定される立川断層帯について、武蔵村山市で実施しているトレンチ調査を報道陣に公開した。
従来考えられていた逆断層ではなく、「横ズレ型」の可能性が高いことが分かった。揺れの想定が変更される可能性があるという
                                      (2013.2.7)

2011年9月6日火曜日

台風12号の教訓:災害に強い「地域力」が必要









6日現在で死者35人、行方不明者55人、家屋流出、土砂崩れ、河川の氾濫と被害は41市町村におよび、4300人が孤立しているという。紀伊半島を中心に大きな被害をもたらせた台風12号であったが、その教訓から災害に強い地域力が必要になってくる。

太平洋高気圧と日本海に張り出した高気圧の挟まれ、偏西風の北寄りだったためにゆっくりとし動きで、湿った空気が流れ込み太平洋側の山地に大量の雨を降らせた。三重県、和歌山県は降雨量の多い地域であるが、3日間の降雨量が年間降雨量の1/2(三重県)、1/3(和歌山県)に達した地域もある。

テレビや新聞で知る山崩れ・土砂災害の映像を見ると表層ではなく、山の内部まで大きく抉られ、強大な岩が民家を壊している。流れ下った土石量も当然多い。一部は河川を堰き止めたり、流れを変えて民家に被害を与えている。

6日、メデイアは一斉に専門家の話として、「深層崩壊」であることを指摘している。岩盤ごとゴッソリ崩れたのだ。岩盤が脆いと起きやすい。私は一度、桜の名所の高遠から国道258号を大鹿村まで中央構造線沿いを車で走ったことがあるが、ここも岩盤が脆く至るところで山崩れを起こしていた。地質が四万十帯と三波川帯の違いはあるが、海底深くからせり上がってきた地層だ、日本全国が脆いことに変わりはない。

続く豪雨、夜間とあっては、山鳴り、石がごろごろという音、ガス臭、出水など事前の兆候、異常現象を確認することは難しいだろう。「アッと言う間に山が崩れた」と言う。

役所の担当者も「前兆が確認できなかった」というし、被災住民は「避難勧告、避難指示は聞いていない」という。さらに「こんな山間部で避難する処などない」とも言う。ハザードマップなど見たこともないらしい。

地域によっていろんな事情があるだろうが、災害対策が緊急の課題になっているのに、どうしてこうなったのか。

災害に対しての地域力が劣っていないか。

その要因の一つには、「平成の大合併」が影響している可能性もある。

1999~2000年にかけて市町村合併を強行した。1999年4月に3229市町村あったのが、2011年8月には1723市町村になり、1506市町村が減った。47%の減だ。

人件費削減、行政効率をあげるのが目的だったのだろうが、地域に密着していた支所は廃止され、遠くの本所に統合され、公務員の人数もへらされた。

当然の事ながら、従来の行政サービスは出来なくなる。地域の情報、住民の要望も入りにくくなる。イザという時の緊急対応は遅れる。合併で市町村名もかわる。今回の三陸沖地震、津波災害での知名報道を聞いても「何処だったっけ」と直ぐに思い出せないところも出てきた。

御多分にもれず、災害対応でがんばる公務員も被災者なのだ。

今回の台風12号の災害の教訓として、「災害に強い地域力」の育成が重要になる。自治会、町会、或いは区の組織の強化、防災教育、災害に対するセンスのあるリーダーの育成が急務だ。「年齢から、お前が自治会長だ」など、順繰りのリーダーでは心許ない。

それに、国土交通省や県、市町村のHPでハザードマップが公開されているが、HPを開いても直ぐにハザードマップには行き当たらない。何回もクリックし、やり直して偶然に行き着く。

国土交通省の「ハザードマップ ポータルサイト」も同様だ。防災が必要なのであれば、トップページで即アクセス出来るように工夫が必要だ。

8月上旬に、熊野古道、熊野大社へ1泊2日の両行に行った。紀勢自動車道の大内山ICを出ると、山間の峠越え、国道で寸断されているが熊野古道は、ほとんどが山の中だ。ウミガメ博物館のある紀宝町、新宮市、熊野川河口、紀伊勝浦町、熊野那智大社、新聞によると大きな被害が出たという。

1日も早い復旧を願うばかりだ。


写真左:国土交通省の土砂災害ハザードマップポータルサイト


写真右:民放テレビが報じる奈良県五條市宇井の山崩れ現場 2011.9.6

2011年9月4日日曜日

野田新内閣の世間受けと党内不一致対策



野田新内閣の世間受けは良さそうだ。4日のメデイアの報じる世論調査の内閣支持率は、読売新聞で65%(メデイアにより50%台~60%台の差がある)、菅改造内閣の時と変わらないV字型の急回復になったが、野田内閣は融和人事、菅内閣では脱小沢が評価され、評価理由が正反対のように思える。

これと言った政策には踏み込まず、実績の乏しい内閣であるが、「何か変わるのではないかという期待」と菅内閣の最後は余りにも酷かった事からこういう結果になったのだろう

菅総理は当時、「有言実行内閣」とキャッチフレーズしたが、野田総理は「後で皆さんが付けること」と言及を避けた。菅内閣では嫌気されたパフォーマンスをさけているのだろう。地味な内閣の門出だ。

財務相の時は、何か言うと財務省のポチと揶揄された程で、今後何かあると財務省との距離が問題になる。菅さんも財政再建に取り組む姿勢を見せたが、財務相経験が徒になった。

今回の組閣では、小沢グループからの入閣、政策立案に係わった議員の入閣は、3党合意のマニフェスト見直しで窮地に立つ事も予想されるし、閣内不一致を露呈させるかも知れない。

与野党国会審議より先に、民主党内で政策を統一することが必要ではないか。 

特に民主党の看板政策であった「子ども手当」は議論を呼びそうだ。マニフェスト順守派は、「その理念」が重要だと主張するが、寄って立つ法律の目的を見ると大した違いはない。

平成22年度などにおける子ども手当の支給に関する法律の目的は、「子どもを養育している者に子ども手当を支給することにより、次代の社会を担う子どもの成長及び発達に資すること」と記されている一方で、児童手当法の目的は、「児童を養育している者に児童手当を支給することにより、家庭における生活の安定に寄与するとともに、次代の社会を担う児童の健全な育成及び資質の向上に資する」という。

子ども手当法だろうが、児童手当法だろうが、社会全体で子どもを育てる事に変わりがないのではないか。小沢グループの反対論は、反対のための反対の域をでず、不毛な主張だ。
政策の名称を残すことが目的のように思えるが、児童手当法の改正で対応する時に、名称が問題になるのか。
更に、マニフェスト順守のための財源だが、増税はしないと言う。4日のフジテレビ新報道2001を見ていたら、小沢さんの側近と言われ今回初入閣した山岡賢次さんが出演して、国の資産など数字を上げて増税しなくてもマニフェストは順守出来ると主張していた(メモしていなかったので詳細は不明)。

ここが一番大事な点であったが、番組のキャスター、コメンテーター、出演国会議員、誰からも確認や反論の発言はなかったのは残念な事だった。

確かに国の資産は約650兆円ぐらいある。国、地方の債務が約944兆円とすると、差し引き294兆円の借金で大したことはないと思えるが、そうはいかないらしい。資産には流動性が必要であるが、すべてが現金化できないのだ。

この資産の一部あるいは特別会計の剰余金、まだ20~30兆円あると言われる埋蔵金、約90兆円に上る外貨準備の運用益など復興財源などに使用出来ないのか党内でしっかり議論し、安易な増税はさけるべきだ。国家公務員数、人件費の削減もまだやっていない。国会議員数、人件費の削減も手つかずだ。痛み分けが出来ていない。

増税なき財源の確保では小沢グループの考えに賛成だ。国会審議で話が平行線に終わらないように、政策調査会でしっかり議論しマニフェストの順守/見直しの統一した方向性を出し、閣内不一致は避けなければならない。

首相が代わり、「新しさ」を出そうとするなら政策の刷新だが、野田内閣は政治手法を替えようとしているのだろう。

低姿勢で、泥臭く黙々と政治を進め、最後に国民がどう評価するかだというが、その通りだろう。

写真:野田新内閣の支持率を報じる読売新聞 2011.9.4 菅内閣の不人気と野田新総理への期待から支持率が急回復したが、菅政権発足時も同じ傾向だった。期待が大きいだけに、失望したときの下落も大きい。いずれの政権も末期は支持率20%前後だ。

2011年9月3日土曜日

来春廃校になる日本最古の木造校舎・吹屋小学校の思い出
















asahi.com(2011.9.3)の「伸びよ、緑と共に 最後の四季 岡山・吹屋小」の記事が目に入った。この小学校は児童数7人で、2年生が1年生にアサガオの育て方を教えている。昨年の自分の経験を下級生に伝えているというが、児童の思考に合わせて柔軟に教え方を変えるという。ゆったりとした時間の中で子供達は確実に成長していると言う内容の記事だ。

そんな中で、この日本最古の木造校舎が、来春に廃校になると言う。

実は、私は60年前、吹屋町と言われていた頃の10~11歳の時に中野(吹屋から歩いて1時間ほど)と言うところに住んでいた。父親が吹屋小学校、母親が中野小学校(既に廃校になっていた)に勤務していたので中野小学校の教員住宅に住んでいた。

当時、吹屋町には吹屋、中野、坂本の3つの小学校と、吹屋中学校があった。3校対抗の体育祭のために吹屋小学校に年に一回集まっていた。当時、中野小学校は全校で120人程度で、3,4年生は複式学級だった。

父親が宿直の時に弟と一緒に行って吹屋小学校に寝たことが数回ある。1階に体育館のような広いホ講堂があった記憶がある。

たまたま思い立って2006年10月に想い出の中野、吹屋を母親と家内を連れて55年ぶりに訪れたことがある。

吹屋の街外れに位置し、木造2階建てで築100年は経つている。鉱山本部跡地に立てられ、板張り壁、羽目板囲いは年期が伺えるし、吊り格天井の講堂、吹き抜けの大廊下などは、木造洋風建設の粋を伝える日本最古の木造校舎で、当時の反映が偲ばれる。

時報を知らせる鐘もまだあり、長い紐を動かすとカンカンと音がする。開校以来の歴史を刻んでいるのだろうか。今は山間の分教場の様だ。

鉄筋コンクリート造の校舎が多い中で、木造校舎が見直されているが、廃校になるとはもったいない建築物である。

確か昔、玄関横に二宮尊徳の像が会ったと思ったが、今はない。

ここ吹屋は銅山で掘り起こした捨て石(硫化鉄鉱)を元に1700年頃、日本唯一のベンガラ産地として栄え、昭和30年代に化学品に取って代った。今は、ふるさと推進事業として「吹屋ふるさと村」を観光で売り出している。

中野には、銅山とベンガラ製造で巨大な富みを築き、庄屋でもあった広兼邸があり、当時の富豪ぶりが分る。

近くには、銅山・笹畝坑道があり、昭和47年に閉山するまでの近代鉱山の様子を見ることが出来る。子供の頃、男性がカンテラと弁当を持って通っていたのを覚えている。

吹屋と中野の途中に、ベンガラ館があり、吹屋弁柄の伝統的製法を後世に伝えようと61年国土庁のリフレッシュふるさと推進モデル事業で復元された。700℃の火力で焼く窯場室、水洗ひき臼室、酸分を抜くための脱酸水槽室などが復元されている。燃料は薪で、動力は水車だったという。

休憩室の写真から大きな建家から蒸気や煙が、もくもくと出ているのを見ると、当時のこの辺の環境は劣悪だったのだろう。

広兼邸の見学者に比べてこちらの見学者は少ないことに驚いた。女性管理人に「ここまで来てベンガラ館に寄らないなんておかしいですよね」というと、「興味のない人はドンドン通り過ぎるが、1時間以上入ったまま出てこない人もいる。心配になって探しに行くこともある」と言って笑う。

「当時は人も多かったのでしょうね」と聞くと、「今は、家が数軒しかないが当時は1000~2000人はいたと言われています。仕事以外何もすることがなかったので遊郭もあったそうです」と教えてくれた。



産業や地域の興隆と衰退、そして先人の探求心を再発見できる「吹屋ふるさと村」だ。


写真上段左:ベンガラ館の内部 内部はベンガラ色で映えていた 2006.10.9


写真上段右:吹屋小学校 来春廃校が決まったようだ 2006.10.9


写真下段:吹屋ふるさと村 昔とほとんど町並みは変わらない 2006.10.9

[後記]
2012年3月20日 100年余りの歴史に幕、後は文化財として保存されると言う。「吹屋小学校」の記念碑も除幕された。

何時まで続く政治献金スキャンダル、野田新首相にも



いつまで続くんだ! 民主党トップの政治献金スキャンダル。小沢さん、鳩山さん、前原さんに続き野田新首相にも政治献金疑惑が明らかになった。既に報じられていた疑惑ではあるが、改めて野党から追及を受けることは明白で政治空白は免れない。

外国人政治献金が禁止されているのは、それなりに理由があってのことで政治資金規正法違反は、議員資格を失う重大な違反事件であることに間違いないが、どうして政治家は脇が甘いのか。

菅さんも外国人献金疑惑で、返金したと国会で答弁している。返金すれば責任はのがれられる訳ではない。国会は返金したのならその領収書を提示しろと要求するが、菅さんは政治資金報告書に添付するから、それを見ろという。「あるなら出せ」の押し問答の末に「前例がないので出せない」と突っぱねた。その時の国会審議を見ていたが、菅さんに不利なことは誰が見ても言えることだ。

その後、どうなったかは知らないが、次々に政策を打ち出すも内閣支持率は上がらず、法案も成立し一定の目処が付き、菅さんは辞任表明したが、違法献金問題が辞任の大きな要素であったことは間違いない。

メデイアの報道は政局になる事が多いが、9月3日のasahi.comによると、野田さんは2001~2003年に自身の資金管理団体「未来クラブ」に、在日韓国人から3年間で約16万円の献金を受けたという。

MSN産経ニュースによると、在日韓国人2人から計約30万円を受け取った。内容は上記のニュースと同じで、人数が2人になっている。

しかし、いずれも政治資金規正法の公訴時効3年は過ぎて、8~10年前の案件だ。

野田さん自身は、すでに時効になっている案件で問題ないと判断して、代表選に出馬したのだろうか。松下政経塾の1期生だと言うが、政治資金規正法も理解できずに政治家を志したとも思えない。

千葉の「韓日友好イベント」に出席し、政権交代をもたらした衆院選で謝辞を述べた(MSN産経ニュース)というのだから確信犯だ。

野田新首相が、どう弁解するのか注目する。

写真:国会での質問にどう答えるか 野田新首相 民主党HPより

民主党政権の課題:政治手法も自民党時代へ回帰か



民主党政権の2年は、政権交代は出来たが政治手法は失敗の連続で、自民党時代に回帰する傾向があり政治改革は無理だった感がする。ドジョウや金魚の話で代表→首相の座を射止めたわけではなかろうが、野田政権が発足し、菅さんは「もう官邸には来ない」と言い残し官邸を去っていった。

結局はポピュリズムで政権に就いたのは良かったが、綱領らしきモノもなく、間違った政治主導で官僚機構を利用できず、確固たる信念もなく、未熟な政治力、野党時代の追求と整合性を欠く主張は国民の信頼を失い続ける結果となった。

最大勢力の小沢グループとの距離をどう取るかによって政権の不安定さが露呈する事になり、国民を相手の政治をする傍らで、党内抗争にも大きな力を配しなければならない不安定な政権になった菅政権だった。

この反省から、挙党一致、全員野球が叫ばれ、バランスの取れた人事も反主流派の要求する大臣の椅子なのだ。野田さんは人選に当たって、「適材適所」を繰り返すが、「安保に素人だが、これこそ文民統制」と経験不足を露呈した防衛相が、どうして適材適所なのか。

今回の組閣は、民主党最後の政権かも知れない崖っぷし政権であるが、小沢さんの党員資格停止処分による党内不満分子の存在は、適材適所人事を殺ぐ結果にもなった。岡田さんの官房長官、財務相人事を断念した事は残念なことだったが、従来なら代表選立候補者を要職で処遇することが当たり前だったが、今回は海江田さん,馬淵さんの入閣が無かったことは当然だろう。

海江田さんは、小沢グループに取り込まれたことで、自分の信念とは裏腹の政策を強要された結果、自らの政治生命を危うくする結果になったし、馬淵さん共々入閣は、政策の閣内不一致を野党から追及される怖れもあった。

鳩山政権、菅政権を反面教師に、政治手法も変わりそうだ。

政策の一元化は失敗だった。小沢さんは政府へ一本化しようとしたが「役職に就けない
議員は何をすればよいのか」、「自分たちにも政策を論じたい」という意見は当然であり、菅政権で大臣兼務の政調会長が復活したが、野田政権では政府の政策決定に強い権限を持つ政調会長の復活となった・・自民党時代への回帰だ。

輿石幹事長が言うように党内融和も大事であるが、政策での党内不一致をまず解決すべきである。

何が何でもマニフェスト順守、増税反対、約束は守れと言う一方で、財源不足からのマニフェスト見直し、経済情勢を見ながらの増税の主張など党内を二分して対立している。

小沢さんの主導した2009年のマニフェスト作成、菅さんの重大な政策を根回し不足で
表明する姿はリーダーシップと言うよりも政治力の未熟さを露呈させだ。野田政権でも小沢グループから入閣した者もいる。国会が開かれれば野党の追及にあうだろう。

財源不足でのマニフェスト見直し反対で、増税も反対では、一体どうして国民との約束を守れるのか。

そして、クリーンなはずの民主党が、鳩山、小沢、前原そして菅さんまでが「政治とカネ」のスキャンダルを目の当たりにし、更には菅さんの疑わしい団体への巨額の政治資金供与は、如何に政権交代のための拠出だとしても大きな疑念を国民に植え付けた。

又、間違った「政治主導」は、官僚のサボタージュに会い巨大な官僚機構の力を十分に活用できなかった。原子力震災対応では、データの共有が不完全で災害の拡大、近隣住民の避難に大きな障害となったし、ガレキ処理などの遅れも非難される結果になった。

事務次官会議は、官僚の横暴の象徴のように見られ次官会議は廃止されたが、その弊害は大きく、震災復興対策で各省庁連絡会議を立ち上げたが仙石さんの失脚でうまく稼働していない。そのため官僚を動かすために事務次官会議のようなモノを復活させるらしい。

民主党2年間の政治改革は何だったのか。タダの政治空白を作っただけのことだったのか。いろいろやってみたが、自民党時代への回帰が手っ取り早い解決策なのか。

安保、防衛、普天間問題、外交、財政再建、増税、震災復興、原発震災対策、TPP,円高対策、経済成長、公務員制度改革、更には「ねじれ国会」での政策推進などすべて難しいテーマであるが、野田内閣は一つ一つ前へ進める事ができるのか。

写真:野田政権発足を報じる読売新聞 2011.9.3

2011年9月2日金曜日

千葉県北西部地震で東京震度3、「ドーン サー」という異常音を聞いた







帰宅途中の東京大田区久が原の路上で「ドーン」「サー」という異常な音を感じた。8月31日午後6時半頃だ。いつも同じ時刻ごろ同じ路上を歩いているので、直ぐ異常と分った。

地面が少しは動いたかなと思うぐらいだったが、ドーンという音と共にサーという風が抜けるような音を感じた。

私の他に、親子連れも歩いていたが、一瞬音のした方を見ただけで、特に注意する様子もなかった。

近くをJR,新幹線が走っているが変わった様子はない。

急いで帰ってテレビをつけると気象庁が発表した地震情報が流れていた。大田区蒲田で震度2だが、特にニュースで取り上げる局はなかった。大した事は無かったのだ。地震の規模の割には震度観測点が非常に多い。震度1,2,3がこまめに観測されている。観測点が整備されているのだろう。

気象庁は震源を千葉県北西部、深さ約90km、地震の規模はM4.5と発表した。ところで、千葉県北西部は東京湾北部地震の震源域にあるのではないか。千葉県北西部地震の震源は千葉市付近の直下だ。東京湾北部地震の震源は荒川河口付近になるのだろうか。プレート境界型のM7.3の東京湾北部震源域に両者は入っているのではないか。


東京は直下型地震として、東京湾北部、M7.3、震度6強が想定されており、30年以内の発生確率は70%と非常に高い。所謂よく言われるプレート境界型でM7以上の首都圏直下型地震とは、この東京湾北部、多摩、茨城県南部の3地点を震源と想定されているらしい。

首都は、地盤が軟弱なため、日本全国で発生した地震の長周期振動が東京を襲っている。近くで地震の発生がないのに、超高層ビルが揺れた例が多い。このほかにも、立川断層帯、三浦半島断層群も今、注目されている。

この千葉県北西部地震は、注意すべきである。

2005年7月23日午後4時30分に発生した千葉県北西部地震は、東京都足立区も震度5強に襲われたが、これが1894年(明治27年)の明治東京地震(M7)に類似し、同じプレート境界で起きたという指摘が研究者らによってされた。1855年には安政江戸地震、1923年には関東大震災と巨大な地震が相前後している。

活断層が活発になった世紀に入ったとも言われている。首都圏直下型地震は要注意であるが、周辺で起きる地震にも注意が必要だ。

3月11日以降、イザという時のために、ポリタンクに水道水を確保し定期的に交換していたが、手間がかかるばかりで気が緩んで止めてしまった。風呂水も雑用水で貯めていたが、シャワーを使うようになり止め水は止めた。

寺田寅彦博士がその随筆で「何時だかは分らないが、来ることは来ると言うだけは確かだ。今からその時に備えるのが何よりも肝要である」と書いている。

「継続は力なり」は防災にも言えることだ。

写真左:地震情報 2011.8.31午後6時半ごろ 震源は千葉県北西部 気象庁HPより

写真右:国が想定する地震のパターン 2011.9.1 読売新聞

2011年9月1日木曜日

政権たらいまわしは、民意を反映しているのか







民主党代表選は、見にくい権力闘争を目の当たりにした。野田さんは「ノーサイドにしましょう。もう」と言ったが、国民は「政権たらい回しは止めましょう。もう」と言いたいのではないか。自民党時代からの政権のたらい回しは、もう4回目だ。法的に問題はないと言うが、民意を反映出来ているのか。

憲法第67条第1項には、「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」と記されている。これだけ読めば、国会が議決し、指名すれば次々に政権のたらい回しをすることが出来るように思える。

例外は、内閣法第9条「内閣総理大臣に事故があるとき、又は内閣総理大臣がかけたとき、予め指定する国務大臣が臨時に内閣総理大臣の職務を行なう」と規定されている。副総理格で入閣とか言われているのはこれを言うのか。

安倍さんから福田さん、福田さんから麻生さん、鳩山さんから菅さん、菅さんから野田さん。公開討論会などで政策の主張をしあうが、その期間は非常に短い。イベントとしてやったと言うだけのことか。

何故、国民に信を問わず、議席の多数を占める政党から次々に総理をタラいまわしするのか。

麻生さんの時に、たらい回しが問題になったが、国民の代表者が集まる国会で議決し指名するのだから、法的には何ら問題はないという結論になったと新聞で見たことがある。

しかし、国民世論と永田町の意識には大きな乖離があり、国会議員だけの選挙では、民意が反映されていない畏れがある。良い例が、民主党代表選で小沢さんと菅さんが争ったときだ。国会議員だけでは両者の差は6票だったが、地方議員、サポーターが加わると圧倒的に菅さんが優勢な結果に終わった。

今回の民主党の代表選でも、世論の人気度トップは前原さんだったが、人気度下位の野田さんが選出された。35万人の地方議員、サポーターも加えた選挙になったら、前原さんが選ばれていたかも知れない。

親小沢vs反小沢で根深い抗争を繰り返す民主党にあっては、国会議員だけの選挙の方が票の読み、票の確保には好都合なのだ。今回も御多分にもれずえげつない手が使われたようだ。自民党の伊吹さんをして、「悪いときの自民党以上に悪い」と酷評したほどだ。

確かに、一度国民の信を問うて政権政党が決まれば、4年間はその政党が総理を何回替えても良いような気もするが、今回の代表選、総理選びは少し場刈るが様子が違う。

鳩山、菅政権で民主党政権は国民の信頼を失っている。菅降ろしは、野党ばかりでなく与党である民主党内からも吹き出した。2009年のマニフェストを財源不足で見直すことは、民主党内の内部抗争の原因にもなっているし、政権交代の根拠が薄弱になった事は確かだ。

ここは、4年間に次々に総理を替えるのではなく、民主党は見直したマニフェストを掲げ、総選挙で国民に信を問うべき局面であった。

「この難局に、政治空白をつくって良いのか」という考えもあるだろうが、国民の直接の信を得ていない政権が続くこと自体が異常であり、あらゆる事が批判される事こそ政治空白を作ることになる。

政権のたらい回しは、もう御免だ。