昨年9月、民主党政権によりダム本体工事が中止になり、今後は周辺住民の生活再建に重点が置かれたが、旅館は廃・休業が相次ぎ川原湯温泉は消滅の危機に直面している。
その八ッ場ダム工事現場を、約半年ぶりに訪れた。吾妻渓谷は新緑にもえ、平日でも観光が見受けられた。
ダム本体工事の予定地は、斜面はモルタルが吹きつけされ、フェンスが設置されたままの状態で、「これからどうなるのだろう」という感じだ。
川原湯側の移転先へ向け、上っていった。新聞で県が入札し、予算を計上したと言う1号橋建設予定地で工事が始まっているようだ。依然、国道沿いの麦わら屋根の食事処があった場所は、橋脚の建設予定場所になっている。
向こう側の移転先である川原畑地区と橋で付け替えられる県道、国道そして新しくできるJR新駅にもつながるらしい。ダム湖はなくなっても、生活再建の事業として重要らしい。地元の人は、「ダムがなくなるのにどうして橋が必要なのか」と計画を疑う。
川原湯側の移転先も新築工事が進んでいる。広い庭に豪華な住宅が点在する。なかには畑も造成されている。ダム湖に沈む宅地、田畑だから高価な買い上げになったのだろう。まだ造成が終わっていない場所もある。地区内を走っている工事の終わった付け替え県道は一部開通している。
再び国道に下って、川原湯温泉街に入っていった。
半年前に来たときに、解体工事中だった美容院も基礎だけを残した状態になっていた。急斜面の狭い土地によく作ったモノだと感心する。解体後の旅館跡も急斜面に基礎が残っている。温泉街の旅館は、ほとんど急斜面にへばり付いている。駐車場も狭い空地を利用している。
今、旅館、民宿で営業しているのは8軒ほど。山木館、公衆浴場玉湯、柏屋、高田屋、みよし、足湯のある場所が、温泉街の中心だろう。しかし、話によると、山木館は今休業状態だという。お客様歓迎板にはご一行様の名前が書いてない。一番規模の大きそうな柏屋は廃業を決めたと新聞に出ていた。普段だと勝手口も開き、従業員が動き回る姿が見えるのだが、今はひっそりしている。日帰り入浴は開いており800円だ。高田屋も12月で休業するらしい。
八ッ場ダム計画の先が見えず、設備は老朽化しても更新の決断が出来ない状態では、廃業するしかないのだ。それでもまだ期待する経営者は、休業して様子を見ようとしているのだろう。
旅館の経営者に「何時移転するんですか」と聞くと、「2年先には移転する予定だが、民主党がダム建設反対をいっているのが心配だ」と言っていたのが昨年の4月頃だった。それが政権交代で現実になった。各党が視察に訪れたが、話し合いは平行線だ。
先行き不安で、旅館の廃業・休業が相次ぎ、川原湯温泉は消滅の危機に直面している。公衆浴場近くに掲げられた温泉街メインストリート、親水公園を描いた「川原湯温泉は生まれ変わります」の掲示がむなしく見える。
JRの新駅が予定されている温泉街の一番高いところに来てみた。工事はされているが、何のための工事か分からない。工事現場を囲むネットの向こうには、連結した2号橋工事現場が見える。近くの住民は「本当に出来るんですかね」と計画推進を不信がっている。
帰りに新聞、テレビで有名になった女主人の土産店に寄った。丁度テレビで八ッ場ダムの問題を放映しており、女主人が取材に応じていた。女性客が「テレビの取材だから綺麗にしているんですね」と聞くと、「いやいや、急に来たんです。昨年です」という。57年のダム反対運動から賛成への歴史は、地元の人にとっては複雑な感情がある。
800年前の建久3年に源頼朝が浅間狩りの時に発見したとされる川原湯温泉ではあるが、近くには、草津温泉、伊香保温泉、軽井沢もあり、これと言った遊ぶ処もない鄙びた川原湯温泉は、例えダム湖が出来て再生できたとしても将来性はないのかも知れない。
折しも参議院選が始まる。民主党から何と元群馬県知事の小寺さんが比例区で立候補するらしい。道中で小寺さんのポスターを多く見かけた。「決断と勇気」と書かれている。土産物店の女主人も「困っちゃうんだよね。小寺さんはよく知っているから」と困惑する。小寺さんは現役の頃は推進で調整していたのだ。今回は中止する民主党からの立候補なので、今度は中止後の生活再建に向け調整役を果たすつもりなのか。
その八ッ場ダム工事現場を、約半年ぶりに訪れた。吾妻渓谷は新緑にもえ、平日でも観光が見受けられた。
ダム本体工事の予定地は、斜面はモルタルが吹きつけされ、フェンスが設置されたままの状態で、「これからどうなるのだろう」という感じだ。
川原湯側の移転先へ向け、上っていった。新聞で県が入札し、予算を計上したと言う1号橋建設予定地で工事が始まっているようだ。依然、国道沿いの麦わら屋根の食事処があった場所は、橋脚の建設予定場所になっている。
向こう側の移転先である川原畑地区と橋で付け替えられる県道、国道そして新しくできるJR新駅にもつながるらしい。ダム湖はなくなっても、生活再建の事業として重要らしい。地元の人は、「ダムがなくなるのにどうして橋が必要なのか」と計画を疑う。
川原湯側の移転先も新築工事が進んでいる。広い庭に豪華な住宅が点在する。なかには畑も造成されている。ダム湖に沈む宅地、田畑だから高価な買い上げになったのだろう。まだ造成が終わっていない場所もある。地区内を走っている工事の終わった付け替え県道は一部開通している。
再び国道に下って、川原湯温泉街に入っていった。
半年前に来たときに、解体工事中だった美容院も基礎だけを残した状態になっていた。急斜面の狭い土地によく作ったモノだと感心する。解体後の旅館跡も急斜面に基礎が残っている。温泉街の旅館は、ほとんど急斜面にへばり付いている。駐車場も狭い空地を利用している。
今、旅館、民宿で営業しているのは8軒ほど。山木館、公衆浴場玉湯、柏屋、高田屋、みよし、足湯のある場所が、温泉街の中心だろう。しかし、話によると、山木館は今休業状態だという。お客様歓迎板にはご一行様の名前が書いてない。一番規模の大きそうな柏屋は廃業を決めたと新聞に出ていた。普段だと勝手口も開き、従業員が動き回る姿が見えるのだが、今はひっそりしている。日帰り入浴は開いており800円だ。高田屋も12月で休業するらしい。
八ッ場ダム計画の先が見えず、設備は老朽化しても更新の決断が出来ない状態では、廃業するしかないのだ。それでもまだ期待する経営者は、休業して様子を見ようとしているのだろう。
旅館の経営者に「何時移転するんですか」と聞くと、「2年先には移転する予定だが、民主党がダム建設反対をいっているのが心配だ」と言っていたのが昨年の4月頃だった。それが政権交代で現実になった。各党が視察に訪れたが、話し合いは平行線だ。
先行き不安で、旅館の廃業・休業が相次ぎ、川原湯温泉は消滅の危機に直面している。公衆浴場近くに掲げられた温泉街メインストリート、親水公園を描いた「川原湯温泉は生まれ変わります」の掲示がむなしく見える。
JRの新駅が予定されている温泉街の一番高いところに来てみた。工事はされているが、何のための工事か分からない。工事現場を囲むネットの向こうには、連結した2号橋工事現場が見える。近くの住民は「本当に出来るんですかね」と計画推進を不信がっている。
帰りに新聞、テレビで有名になった女主人の土産店に寄った。丁度テレビで八ッ場ダムの問題を放映しており、女主人が取材に応じていた。女性客が「テレビの取材だから綺麗にしているんですね」と聞くと、「いやいや、急に来たんです。昨年です」という。57年のダム反対運動から賛成への歴史は、地元の人にとっては複雑な感情がある。
800年前の建久3年に源頼朝が浅間狩りの時に発見したとされる川原湯温泉ではあるが、近くには、草津温泉、伊香保温泉、軽井沢もあり、これと言った遊ぶ処もない鄙びた川原湯温泉は、例えダム湖が出来て再生できたとしても将来性はないのかも知れない。
折しも参議院選が始まる。民主党から何と元群馬県知事の小寺さんが比例区で立候補するらしい。道中で小寺さんのポスターを多く見かけた。「決断と勇気」と書かれている。土産物店の女主人も「困っちゃうんだよね。小寺さんはよく知っているから」と困惑する。小寺さんは現役の頃は推進で調整していたのだ。今回は中止する民主党からの立候補なので、今度は中止後の生活再建に向け調整役を果たすつもりなのか。
写真上段左:旅館解体跡地 急斜面にへばりつくように建設されていた。
写真上段中:川原湯温泉街中心地 すでに廃業したりや休業が予定されている旅館もある
写真上段右:JR新駅建設予定地 向こうに繋がった2号橋の工事現場を望む
写真下段左:ダム本体工事建設予定地 昨年の中止宣言以来フェンスが張られたまま
写真下段右:住宅建設が進む川原湯側移転先
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