2009年6月1日月曜日

官僚から政治を取り戻せ




国民全体の奉仕者としての国家公務員は政策決定、その実施のために高度の専門知識と幅広い視野などを持った人材で、その地位は昭和22年に成立した国家公務員法で手厚く保護され、今では過保護の感がする。
 ところが政治は「官僚主導から政治主導へ」を政権交代のキャッチフレーズするほど官僚主導政治への批判が高まっている。官僚への風当たりは強くなってき事例は多い。
 確かにこの50年、官僚は巨大な組織を築いた。
 必要な政策の立案は各省庁へ丸投げされる。各省庁から上がってくる政策、議案は事務次官会議に図られ、閣議に上げられる。それを牛耳るのは官僚出身の官房副長官だ。当然の事ながら「国民のため」とはいえ、国家公務員の利に反することなど上がって来ようはずがない。
 安倍政権の時に、事務次官会議にかかっていなかった議案を、閣議にかけたために官僚は大混乱したというし、政策検討に有識者を集めた審議会、懇談会などが設置され検討されるが、改革を取り入れた案であっても最終案では官僚が作文して骨抜き案になった例もある。
 さらに、今回の約15兆円に上る補正予算も、国家公務員、族議員の焼け太りしか効果はないと多くの人は見ている。
  また、霞ヶ関は国民が知らないことを良いことに数々の私利私欲行為に走っていたことは、大阪府知事の橋下さんが国の直轄事業の地方自治体負担金問題で火を付けたことでも分かる。
 道路、寡占、ダムそして港湾などの国の事業ではその費用を国が70%、地方自治体が30%持つことは知っていたが、その内容は分からなかった。しかし、それが国家公務員の人件費、事務所費や退職金も含まれその総額は約1兆円に達するという。
 地方交付税も削られ、自治体も財政難に喘いでいる。これを機会に国の予算執行を厳重に監視して欲しいモノである。
ところで官僚主導政治からの脱却は、なかなか難しい。まず官邸組織の改革といま検討されている国家公務員制度改革基本法の原案通りの実施が必要だ。
 政治は霞ヶ関を動かさなければならないので、官邸に官僚のトップが官房副長官などの立場で座るのは仕方なく、政治をスムーズに実施するための調整役であれば良いが、政治が牛耳られるのはもってのほかである。
 
 そして、今までの行政の弊害は、その縦割り行政に根本原因があり、各省庁独自の人事権にあると言う。そこで人事を一元管理し、民間、学界から適任者を任用する制度が上がっている。それを実施するには内閣人事局の設置がある。以前、新聞で堺屋太一さんが「公務員制度の改革懇談会」のメンバーで、官僚に原案を書かすのはまずいと言うことで、自ら原案を作成し、その要である人事局長には官僚でない人を当てるとしていたという。
 誰が見ても官僚に不利な案である事は歴然としている(改革とはそんなモノでないといけないのだ)。官僚組織はこぞって反対したし、新たなポストを造ることは、人件費削減にも反すると反対した。官房副長官が当たるというニュースが流れたとき、漆間さんは「官房副長官である私が併任しなければ、私の存在価値がない」とまで言い切ったのには驚いた。
私は、人事局長には官僚でない人を選ぶべきであり、人件費が増加しても、それだけの公務員改革が出来るのであればメリットは大きいと見る。
 しかし、官僚、特に国家公務員の中立、公平性を主張する人事院は、黙っていない。閣僚の集まった検討会で、人事院総裁の谷さんが憮然とした顔をしていたのは当然だろう。
 加えて、2008年年次報告書(国家公務員白書)骨子(人事院HP)、第1編第2部:人事院の創立、変遷と国家公務員人事管理における現代的課題で「平成21年国家公務員改正案」について言及している。
 それによると、今回の改正案に関して、現在の国家公務員法の基本的枠組みに関する問題があるので、人事院の提案や意見を法案に反映させるように求めてきたが、合意に至らず法案の閣議決定の運びになったため、平成21年3月31日、総理大臣に対して修正を求める意見書を提出したというのだ。つまり内閣人事局構想は「法の枠組みを超えている」というのだ。そして、人事行政に対して自らも改革していることを強調している。

 そのほか国家公務員の人事管理に関していろんな主張をしている。

 国民全体の奉仕者であり人事管理に関しては中立、公平性が要求され、労働基本権の制限や給与に関しては、民間とは異なる面があり、多角的な視点から幅広い議論が必要であるとしている。
 確かに、公共サービスの提供という面からすると、ストライキなどの労働争議はまずいことかも知れないが、今の時代にみんかんでもストライキをやる情勢ではない。公務員であっても労働基本権を認めて、国・地方自治体と公務員で労使協議しても良いのではないか。
 公務員の給与の財源は税収で賄われており、民間企業のように利益の分配とは異なり性格を異にすると言うが、民間では利益が出なければ給与は下がる。公務員でも税収が下がれば当然に給料も下がっていいはずだ。
 公務員の勤務のあり方の基本は、「公務員の真の使用者である国民」を代表する国会において定めるべきモノであり、国会議員自身の待遇も含めて国会でもっと議論すべきである。名古屋市長の河村さんが自分の給与を1/3に下げたのはあっぱれだ。
 人事行政の中立・公平性に関しては、職業公務員が本来求められる役割を十分に果たすために、恣意的人事運用を排し、成績主義に基づく採用、昇進、身分の保証の確保、厳正は服務規律の確保が不可欠だという。
 そうだが、実際には反対のことをやっている。問題が出てきても責任逃れに終始し、メデイアで批判が増すと、更迭するが、いつの間にかほとぼりが冷める頃、復職している。縦割り行政での恣意的人事運用は当たり前のことになっているのだ。
 やっぱり内閣人事局は必要で、官僚以外の優秀な人材が担当すべきである。官僚は「国民全体の奉仕者」であり、その人事は国民に帰すべきで、官僚主導政治からの脱却は、国家公務員人事管理改革からだ。

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