2009年6月3日水曜日

てるてる坊主 てる坊主

孫「じいちゃん “てるてるぼうず” 作りたいの」という。
私「あの“明日天気にしておくれ”のてるてるぼうず?」
孫「うん そう」
私「どうして?」
孫「あした 遠足があるの。晴れて欲しいの」という。
 材料と言ったら紙だが、新聞紙とテイッシュペーパーしか見あたらない。仕方ないのでテイッシュペーパーで作る事にした。頭にテイッシュペーパーを丸めて入れ格好良くするが、頭が大きすぎると逆さまになる。
 「てるてるぼうず てるぼうず・・・」と唄いながら孫が顔を描いていった。そして首に巻いた糸を軒先の物干し竿にくくりつけた。「晴れると良いね」と孫は見つめていた。
 天気予報通り、翌日は朝から雨は上がり天気は良さそうだ。無事遠足から帰ってきた孫は、その「てるてる坊主」を振り回して遊んでいた。
 百科事典で調べると、照照坊主は晴天を祈って、軒下などにかける紙人形で、願いがかなえば、顔に目を書き入れたり、酒をかけたりして川に流すという(現代世界百科大事典 講談社)。
 願い事をする以上は、最後もきちんと処置しなければならないのだ。ゴミ袋に入れて焼却に出すなんてもってのほかなのだ。
 しばらくして、所用で公民館前を通っていたら、女性の合唱で「てるてる坊主」の唄が聞こえてきた。地域の学習活動の一環としてコーラスをやっているのだ。
 「てるてる坊主 てる坊主
 あした天気にしておくれ
 いつかの夢の空のよに
 晴れたら金の鈴あげよ」
子供の頃、必ず唄って聞かせてくれた曲だ。私達が子供の頃は母親に聞かされたが、今は保育園や幼稚園で唄っているのだろう。保育園に孫を迎えに行くと、廊下に沢山の照る照る坊主がつるされているのを見る。願いが叶うかどうかは関係なしに、最初から顔が描いてある。
 合唱団の発表会でも必ず童謡の部があり、「てるてる坊主」は定番になっている。幼い日にお母さんが唄って聞かせてくれた唄として、参加者の心を打つモノがこの唄にはあるのだろう。
 そんな唄が作られた背景はどうだったんだろう。興味が出てきた。
 作詞は長野県の安曇野出身の浅原六朗(鏡村)、作り酒屋の家に生まれたが父親が事業に失敗し、近くの山里に住む叔母に預けられてそだったが、後に福島の親元に戻り早稲田を卒業した。成人後、六朗は故郷を度々訪れるが誰も知る人がいないむなしさを感じたという。明日は生まれ故郷へ歩いていく予定と言う日に、山に黒雲がたれ込めているのを見て、「明日は雨だろうか、明日も今日のように天気であってくれればいい」と思ったとき「てるてる坊主」の一節が浮かび上がったという。
 この唄には幻の1番後半があるという。 「もしも曇って泣いていたら、空を眺めてみんな泣こう」というすてきな歌詞があったが何故削られたらしい。
 一方で、3番は残酷だ。
 「てるてる坊主 てる坊主
 明日天気にしておくれ
 それでも曇って泣いてたら
 そなたの首をチョンときるぞ」
 子供の唄には普通は見られないが、六朗は、子供の一面である残虐性を取り入れたと説明していたらしい。イタリアでも普及したらしいが、この3番だけは除かれた。
 六朗はその手記になかで、「「てるてる坊主」の唄は今も生きている。多くの子供達の心の中に。そしてかって唄った人々の心の中に」と記している。
情緒豊かな子供を育てるには、童謡はいい教本だ。「雨雨降れ降れ母さんが・・」も良い唄だ。お使い帰りや保育園、幼稚園帰りにお母さんと一緒に唄っている光景を失ってはいけない(お母さんばかりでなくていい。お父さんでもいいし、おじいちゃん、おばあちゃんでもいい)。
「国家の品格」を著した藤原正彦さんも「情緒」が失われているのを嘆いている。今は世知辛い世の中で、生活も苦しいが、心は豊かさだけは失いたくない。

参考:唱歌・童謡ものがたり 読売新聞文化部 岩波書店 1999.10.5

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