今、マニフェスト論争花盛りだ。4年前の小泉政権では120項目の政策を掲げていたが、表向きは「郵政民営化」の是非を問うわかりやすい政権選択にカモフラージュされていた。それとは反対に、今回は「生活を守る」ことを大前提にした多くの政策が掲げられ、それぞれを有権者にとっては判断に苦しむ難しい「政権選択選挙」になってきた。
候補者或いは政党が、政策を掲げ有権者に実行を約束する公約であるが、信じる者にとっては、公約違反という結果を突きつけられ事になる。4年前の自民党の120項目のマニフェストについて、その実施結果を自民党は達成55件、取組中65件、未実施0件と評価した。一方「他に大事なことがある」と主張して戦い前評判と異なり敗北した民主党は、20~30点のできで「公約違反」の評価をした。
曖昧な表現の公約は、約束した政党にとっては、評価も曖昧に出来る。
政権についている政党がマニフェストを作成する場合は、ある程度実現可能な政策を挙げることが出来るが、政権についていない政党がマニフェストを作成するときは、人気を得るために、どうしても「バラマキ」になりやすいと言う。国政も当然であるが、知事選、市長選など地方選でも言えることである。
マニフェストを財源も含めて厳密に考えると、新人や初めて政権を目指す政党にとっては、現役に比べて大きなハンデイーを持つことになり、公平性に欠ける。
投票に行く場合、何を重点に考えればよいのか、迷う。特に「選択選挙」であればなおさらだ。公約のキャッチコピーを見ると、「全政党が協力すればどんなに良い政治が出来ることか」と考えるのであるが、そうはいかない。
候補者を政党で選ぶか、人物で選ぶか。
政党で選べば、マニフェストであり党首の顔だ。議員はYESマンであればいい。今まで政治の世界に顔を出したこともなく未知数であるが、知名度があれば候補者としては十分だ。民主党はその地方で知名度の高いマドンナ候補20人を刺客としてたてている。経歴からうなずける人もいるが、どうしてこんな人がと言う人もいる。中には「小沢代表代行の命により・・」と街頭演説する女性候補者もいるようだ。
「政権交代」の風潮に乗って、こんな議員が増えると郵政民営化選挙後の政治情勢の再来だ。政策の議論も十分にされず、党内の決定プロセスは曖昧で、閉鎖された党になる。
候補者の人物で選んだらどうなるか。
自分自身の「国家感」、「信条」で「国民のため」の政治追求することも大切だ。所属する政党のマニフェストを参考に、自分でマニフェストを作成し、有権者の賛同を求める。政党の決定プロセスにも参画し、開かれた政党を目指す。
今日本に必要として掲げる政策課題は、どの党も同じだ。違いは目標実現に向けての手段だ。十分に議論する時間があれば、それも解決する。そのために派閥や政策グループがある。
今の国会で一番の問題は、国会内で十分に時間をかけた議論がされないことだ。民主党は政治のやり方を替えるとして、事務次官会議の廃止を提案している。今までは、各省庁から上がってきた案件は、事務次官会議で検討された物件しか閣議にかけられなかった。
政治の決定プロセスからして、官僚主導の政治である。
更に悪いことに、官僚組織に不利な改革が審議されても、事務次官会議にかける前に、官僚の手によって骨抜きにされる事案が出ている。公務員改革法案も、一行追加することにより、新たな改革事項が骨抜きにされたこともあるらしい。
言い換えれば、国会議員は法案が国会に提出するまで、その議案を最終的にチェックしていないのだ。官僚を批判する前に、自分たちが反省すべきでもある。
この事務次官会議の廃止について、長く官邸で官房副長官を経験した元事務次官が、「事務次官会議の仕事を国会議員が代わってする時間的余裕などないのでは」とコメントしていた。
政治のやり方を変えなければ、いくら良いマニフェストを提案してもダメなのだ。
政策はどの党もほとんど変わらない。実現に向けた手段はいろいろある。寧ろ国会で十分に議論することだ。だったらしっかりした信条を持ち、やる気のある候補者を選んだ方がよい。
難しく、各党まちまちなマニフェストを読むよりも、「国民のため」の政治を掲げ意欲のある候補者を選んだ方が為にならないか。こっちの方が候補者も訴えやすい。所属政党のマニフェストを完全に理解している候補者がどれだけいるのか。財源を含めたその実現性を説得できる候補者がいるのか。
候補者或いは政党が、政策を掲げ有権者に実行を約束する公約であるが、信じる者にとっては、公約違反という結果を突きつけられ事になる。4年前の自民党の120項目のマニフェストについて、その実施結果を自民党は達成55件、取組中65件、未実施0件と評価した。一方「他に大事なことがある」と主張して戦い前評判と異なり敗北した民主党は、20~30点のできで「公約違反」の評価をした。
曖昧な表現の公約は、約束した政党にとっては、評価も曖昧に出来る。
政権についている政党がマニフェストを作成する場合は、ある程度実現可能な政策を挙げることが出来るが、政権についていない政党がマニフェストを作成するときは、人気を得るために、どうしても「バラマキ」になりやすいと言う。国政も当然であるが、知事選、市長選など地方選でも言えることである。
マニフェストを財源も含めて厳密に考えると、新人や初めて政権を目指す政党にとっては、現役に比べて大きなハンデイーを持つことになり、公平性に欠ける。
投票に行く場合、何を重点に考えればよいのか、迷う。特に「選択選挙」であればなおさらだ。公約のキャッチコピーを見ると、「全政党が協力すればどんなに良い政治が出来ることか」と考えるのであるが、そうはいかない。
候補者を政党で選ぶか、人物で選ぶか。
政党で選べば、マニフェストであり党首の顔だ。議員はYESマンであればいい。今まで政治の世界に顔を出したこともなく未知数であるが、知名度があれば候補者としては十分だ。民主党はその地方で知名度の高いマドンナ候補20人を刺客としてたてている。経歴からうなずける人もいるが、どうしてこんな人がと言う人もいる。中には「小沢代表代行の命により・・」と街頭演説する女性候補者もいるようだ。
「政権交代」の風潮に乗って、こんな議員が増えると郵政民営化選挙後の政治情勢の再来だ。政策の議論も十分にされず、党内の決定プロセスは曖昧で、閉鎖された党になる。
候補者の人物で選んだらどうなるか。
自分自身の「国家感」、「信条」で「国民のため」の政治追求することも大切だ。所属する政党のマニフェストを参考に、自分でマニフェストを作成し、有権者の賛同を求める。政党の決定プロセスにも参画し、開かれた政党を目指す。
今日本に必要として掲げる政策課題は、どの党も同じだ。違いは目標実現に向けての手段だ。十分に議論する時間があれば、それも解決する。そのために派閥や政策グループがある。
今の国会で一番の問題は、国会内で十分に時間をかけた議論がされないことだ。民主党は政治のやり方を替えるとして、事務次官会議の廃止を提案している。今までは、各省庁から上がってきた案件は、事務次官会議で検討された物件しか閣議にかけられなかった。
政治の決定プロセスからして、官僚主導の政治である。
更に悪いことに、官僚組織に不利な改革が審議されても、事務次官会議にかける前に、官僚の手によって骨抜きにされる事案が出ている。公務員改革法案も、一行追加することにより、新たな改革事項が骨抜きにされたこともあるらしい。
言い換えれば、国会議員は法案が国会に提出するまで、その議案を最終的にチェックしていないのだ。官僚を批判する前に、自分たちが反省すべきでもある。
この事務次官会議の廃止について、長く官邸で官房副長官を経験した元事務次官が、「事務次官会議の仕事を国会議員が代わってする時間的余裕などないのでは」とコメントしていた。
政治のやり方を変えなければ、いくら良いマニフェストを提案してもダメなのだ。
政策はどの党もほとんど変わらない。実現に向けた手段はいろいろある。寧ろ国会で十分に議論することだ。だったらしっかりした信条を持ち、やる気のある候補者を選んだ方がよい。
難しく、各党まちまちなマニフェストを読むよりも、「国民のため」の政治を掲げ意欲のある候補者を選んだ方が為にならないか。こっちの方が候補者も訴えやすい。所属政党のマニフェストを完全に理解している候補者がどれだけいるのか。財源を含めたその実現性を説得できる候補者がいるのか。
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