菅内閣は改造しても禍根を残したまま、政治は混迷の度を強める。民主党が掲げたマニフェストも税収減で実行には赤信号、目前の危機に立ち向かおうと菅総理が熟議を訴えるが、集票マシーンの支持団体のエゴで与野党共に、のっぴきならぬ状況だ。
政権交代で国民が期待した「新しい政治」を構築する力は、もう民主党にはない。
民主党が躓いた要因に、税収の大幅減がある。
先の衆院選では、「反自民」の政策を掲げ、国民の期待を背負って政権の座に着いたが、あらゆる点で財源不足に突き当たった。当時税収は46兆円あったと言うが、今は37兆円の大減収だ。税収よりも赤字国債での予算編成も民主党政権で2年目に入った。先の官房長官の仙石さんが「こんなコトは、3年は続かない」と言ったほどだ。
予算の組み直しで16.8兆円もの財源を確保するとも言ったが、鳴り物入りの事業仕分けでは数兆円にとどまった。事業仕分け効果は、参院選での東京地方区で蓮舫さんが171万票を取ったコトぐらいか。選挙戦では、事業仕分けでの彼女のシーンをシルエットにした幟を使っていたほど専売特許になった。
日本の財政については、財務省は勿論のこと、財務省からの出向者も多いIMFからも危機感が伝えられているが、政府が持っている資産などを考慮すると、そんなに悪い状況ではないと反論する経済学者もいる。
我が国財政の本当の姿を示し、財政健全化を志向すべきではないのか。
そして各党の取る政策には、党の集票マシーンである支持団体の意向を反映させなければならないところに与野党のエゴが丸出しになる。
悪いことに政権政党である民主党には主義主張を異にする支持団体がごちゃ混ぜになっている。それが、民主党の政策が筋の通った1本の政策でないことになる。菅総理の唐突な政策の提言、野党に対する政策の事前協議申し込みに、野党はまず政権与党の民主党内で議論し成案にしてからもってこいという。
自分たちの利権のために多くの議員を国会に送り、有利な政策の推進を期待するのは当然かも知れないが、エゴに走りすぎていないか。政治家に族議員ができ、それに官僚が乗っかって、利権を追求する国民の敵となる構造が、今も脈々と築かれている。
民主党が国会改革と言って取り組んだ改革も、民主党への利権誘導だったコトからも明らかだ。
「日本の危機」に立ち向かうのは民主党ではなく国民一人一人だ。組織のエゴに頼っていたのでは危機は克服できない。
又、政策の多くは、日本の慣習を無視する無理筋なものも出てきている。行き詰まると海外の方式が議論に上る。年金制度に至っては「スウェーデン方式」を参考にしているらしいが、「税方式」も考えられるそうだ。
農業政策ではTPPが出てきた。消費者の立場を取れば開国は吉であるが、生産者から考えると農事業は廃れる運命にあるらしい。定年退職者、失業者や若者が農業へ向かおうとしている今、衰退させては為らない分野であるが・・。
政治改革も本家では否定されてきた「イギリス式」を参考にしようとしている。菅総理も政権交代前にイギリスを視察している。
政治も経済も海外から持ち込んだ手法を使って日本本来の慣習は消え失せた。しかしここでもう一回、日本式慣習を思い出し、「党派を超えて日本人としてどうあるべきか」をしっかり議論すべきではないのか。
政党は二大政党と言っても、何処も同じだ。民主党だって「自民党化」してきた。知名度と握手だけで国会議員を選ぶ選挙でなく、しっかりした政策が訴えられる候補者を選ばなければいけない。「選挙に強い」と言う神格化は裏に何かがあることだ。「政策に強い」と言うことであって欲しい。
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