2015年2月28日土曜日

川崎・中一殺害事件:第一義的には加害者、被害者の親の責任を考えるべきでは

多摩川での中一殺害事件は、被害者の少年がいろいろSOSを発していたことで未然に防止できなかったかと議論になるところだが、やっぱり第一義的には加害者、被害者の親に責任があるのではないか。子どもの教育は80%が家庭、学校が10%、社会は10%と言われる。

いつものことだが、この種の事件が起きると親の責任は後回しで、学校や社会の責任が大きく追及される。20%の責任を検証しても80%の責任がおろそかになっているので何時でもこういった事件が後を絶たない。今回もそんな気がしてきた。

多摩川を挟んで大田区に住んでいると身近な事件として非常にショッキングな事件だ。

驚くことに主犯格の少年が弁護士に付き添われて出頭する映像をテレビニュースで見たことだ。既に自分が殺人罪で逮捕されることを覚悟しての用意周到な対応のようだ。

普通なら親に付き添われ出頭し、その後で弁護士を選任するはずだが、加害者の親は弁護士を通じて「その時間は家にいた」と公表し、主犯格の少年は「その件では話したくない」と供述しているらしい。

ところが防犯カメラで特定された他の2人の少年も逮捕され、1人は否認しているが、もう1人は「自分は現場にいただけ」と事件に関与したことを認めているらしい。今後はこの少年の供述で3人が事件にどう関わったかを解明できるのではないか。

少年の自供だけではダメで、物的証拠の収集のため家宅捜索もやったようだが殺人現場が多摩川河川敷で返り血を浴びた衣服類は近くのトイレで焼いたようだが、凶器となるような物が見つかるかどうか。

こう言う事件が起きるといつも被害者について個人情報も含めた詳細なニュースが流れるが、逆に加害者の方は個人情報の保護かどうかは分からないがニュースがない。だからこそ一層不気味な事件に写る。

ただ、主犯格の父親が、自分の息子はやっていないことを前提に事件への怒りを表していた。

「その時間は家にいた」と言うが午前2時頃、家族以外にどうやって証言を取れるのか。警察が納得するはずがない。一方で、事件現場の防犯カメラでその時間帯の行動が確認されているのだ。

それにしても防犯カメラの威力はすごい。犯罪捜査に大きく貢献している。私たちは一歩家を出ると商店街、駐車場、コンビニ、マンション、金融機関、学校周辺、駅などに設置された防犯カメラに必ず写っているのだ。

警察の犯罪捜査も防犯カメラで捜査手法が変わってきた。

一方で通信手段の発達は社会も変えた。子どものコミュニケーション手段も替わり青少年育成活動、防犯活動も難しくなってきた。

又、不良グループの活動も夜中だ。そんな夜中に防犯活動が出来るのは警察のパトロールにたよるだけだ。それだって空白の時間だらけだ。

ところが今回の事件も被害者の少年がSOSを発していた。友人が主だったが親は当然分かっていたはずだが家に帰ってこないとも言っていた。でも家に帰ってこないことを心配しないのか。

今年に入って学校を休んでいたと言うことで学校も異常には気づいていたはずだ。報道では何回も連絡を取ろうとしたし、担任の先生が5~6回訪問したが会えなかったという。

学校の責任も追及されるだろう。川崎市は対応の是非を検証すると言うが、学校の先生だって授業もあればいろんな雑用で時間一杯働いている。学校を休んでいる子どもにばかり気を取られてはいられないのだ。

だからこそ、毎日顔を合わせる親、家庭の責任は重大なのだ。親が面倒を見切れないで誰が面倒を見るというのか。

何時か聞いたことがあるが、子どもの教育は80%が親や家庭、10%が学校、残り10%が社会にあると言う。この種の事件が起きると親は何をしていたのかといつも気になる。


国連の安保理が役割果たせず:日本は自衛隊の恒久法で世界の安全と安定に貢献するのか

シリア、イラク、ウクライナさらにアフリカに紛争が拡大している今、何故か国連の動きが鈍い。「国際平和と安全」を守るはずの国連安全保障理事会が役割を果たせず、我が国は世界平和と安定に自衛隊が活動できるように恒久法を法制化の考えが出て来た。

安全保障理事会が機能不能なのは、常任理事国が拒否権を持っているために利害の対立で一致点が見えないのだ。常に米英仏vs中露の対立構図を持っている。更に悪いことに中露自身が領土問題、主権で紛争の当事者になっていることだ。露はウクライナ問題で欧米から経済制裁まで受けている。

日本の将来の世界貢献を考えると国連での枠内での活動には制限が多く、世界の平和と安定のために協力しようとすると現行の周辺事態法、国連平和維持活動協力法の改正に加えて新たに恒久法を制定するというのだ。

読売新聞(2015.2.25)によると、国連創設70年に合わせて23日に開かれた公開討論会で、それがあからさまになり米露が批判の応酬をしたのだ。

米国のパワー国連大使は安全保障理事会は国連憲章によって示された国際平和と安全を守ると言う役割を果たしてこなかったと露のウクライナでの武装勢力支援を批判する。

一方、露のラブロフ外相は米のシリアへの空爆、イラクの占領は軍事力を一方的に行使しようとした国連の基本理念に反すると批判した。

お互いに国連の理念を重視するも相手側の行動、戦術を批判し合っているのだ。

だから今回のイスラム国による人質殺害事件も安保理の声明を発表するに留まっている。

安倍総理は人道支援で世界貢献を目指しているが、国連の枠内ではなく米国を中心に60カ国からなる「有志連合」での枠内になるのだ。

国連事務総長なんて何をやっているか分からない。出身の韓国に向いているだけだと批判されている。

国際政治の二重基準を廃止し、国際社会の集約した解決法を見つける先導的機関としての役割が安保理にあると言われているが、実際には逆で5カ国が自国の利害で動いているのだ。

解決策は拒否権を持つ安保理事国の制度を廃止し、常任理事国、非常任理事国が一体となって多数決原理で世界の平和と安全を守る役割を果たすべきではないか。

この国連の改革自体が常任理事国の一つの国の拒否で頓挫することがあってはいけない。


中露のように自ら世界の安全を脅かす当事者になっていることが国連が役割を果たせない要因になっている。解体しか策はない。

「政治とカネ」の攻防:「カネまみれの政権」「構造的問題」発言にムキに反論する安倍総理

26日のNHK国会中継・衆議院予算委員会は「政治とカネ」で政治資金規正法違反の疑いのある閣僚、安倍総理と野党の攻防が続いた。民主党・後藤議員が「安倍政権はカネまみれの政権」、維新の党の江田代表が「構造的問題」と追求すると安倍総理はこの言葉にムキになって反論した。

安倍総理が具体的にどう反論したかを報道で確認しようとしたが、27日の読売新聞、各メデイアのweb版でも確認できなかった。

後藤議員は次々に安倍政権の閣僚の「政治とカネ」での違反疑惑を追及し、「安倍政権はカネまみれの政権」と発言した。安倍政権の閣僚は今までに7人にも疑惑が持ち上がり辞任する例も出た。

最近では農水族で辞任した西川さん、文科相の下村さん、環境相の望月さん、法務相の上川さんが矢面に立った。これに辞任した小渕さん、前の法務大臣を加えると確かに「カネまみれの政権」のように見えても仕方ない。

それぞれに理由があるが、「その企業が交付金を受けていたなど知らなかった」で責任は回避できる。法律に「知っていながら・・・・・」と明文化されているからだ。

安倍総理もその点を指摘して「違法性なし」と自らの政権を擁護するのに必死だ。

企業献金廃止を訴える維新の党の江田代表は「構造的問題」と指摘した。

確かに、国会議員は政治活動の費用確保のために走り回らず、じっくり政治に邁進できるように税金から政党交付金を捻出する制度を作った。今では共産党を除いて320億円が配分されている。

その政党交付金に頼る割合は自民党でも70%(?)で弱小政党はもっと高い割合だ。野党再編でくっついたり離れたりする度に政党交付金を受ける条件が大事になる。生活の党を見ればよく分かる。

それだけ交付金を受けていながらもまだ資金集めに奔走するのだ。禁止されている外国人からの寄付、3年以上赤字の企業からの献金でも騒がれたことがある。

その度に「知らなかった」「秘書がやった」「妻に任していた」など国会議員自身の責任を回避する発言が繰り返される。

自らの作った法が「ザル法」だから生き残る道はあるが、閣僚ともなるとあらぬ事までほじくり返されるので「道義的責任から返金した」という。

返金すれば責任を問われないと考えているのだろうか。「違法の認識はないが返金した」という言葉を聞く度に「では返金する必要はないのではないか」という疑問が出てくる。

疑惑の出た閣僚は自分の言っていることが分かっているのか。さすが上川法相は「良く調べて説明責任を果たしたい」というが他の閣僚に比べて献金額が少ないのが強みなのか。

しかしこの「政治とカネ」の疑惑は閣僚での話だ。野党は閣僚を追求することで辞任や政権の弱体化を狙っているのだろうが、国会議員全体に広げると相当な疑惑が出てくるのではないか。

だから江田さんが言うように構造的問題なのだ。

安倍総理も自らの政治資金での疑惑の有無を検証すると共に本気で「政治とカネ」の問題に取り組んだらどうか。

先日、大田区池上梅園に行ってきたが、園内に藤山愛一郎さん所有の茶室が移籍されていた。中を覗いたが今でも立派な作りだ。その藤山さんは確か岸さんに請われて外務大臣に就任し、政界へ打って出た。藤山派を作ったと思うが政治資金は自らの財産を取り崩してそうで最後は井戸と塀だけが残ったという有名な話だ。

清廉潔白を通そうと思うとこうなるのだが、今そんな政治家はいない。

重要な法案、政治課題を抱えながら「政治とカネ」の問題で国会が紛糾するのはいかがなものかという批判もあるが、政治資金規正法、公職選挙法も遵守していない閣僚、国会議員に政治を託すことが出来るのか。


国家議員としての政治家の基本的問題ではないか。

2015年2月27日金曜日

大丈夫か財政健全化:経済財政諮問会議で黒田発言封印、政権と日銀に不協和音?

大丈夫か財政健全化、政権と日銀に不協和音が見えてきた。先に10%消費税増税に際して景気の下支えを見越して日銀が追加緩和を実施したが安倍総理は増税を先送りし、黒田総裁は肩すかしを食らった。そして経済財政諮問会議で黒田総裁が「日本国債はリスクになり得る」と発言したことが議事録から削除して発表された。

ANN,FNNのニュースによると、12日実施の経済財政諮問会議で経済再生、財政健全化について議論されたとき、黒田総裁が「民間格付け会社が格付けを引き下げたことで安全資産とされている日本国債を持っていることがリスクになる」と国債を保有する日本の銀行の経営への影響を懸念し極めてリスクになると指摘したそうだ。

ヨーロッパでは国債をリスク資産と見なし、銀行への規制を強化する議論が始まっているというのだ。

これに対して、政権側がこの黒田発言を削除して議事録を公表した。封印したことになるのだ。

予算編成で赤字を賄うために国債を発行するが、それを際限なく買い入れる異次元の金融緩和を黒田日銀は拡大しているが専門家の間では「財政ファイナンス」の疑いも出、日銀の政策決定会合でもそういう意見が出ていた。ここに来て黒田総裁が政権にクレームを付けたが、安倍政権は「黒田発言」を封じた格好だ。

確かに、12日の議事録を見ると黒田総裁は、基礎的財政収支を「2020年までに黒字化」する財政健全化目標の達成に向け具体的な計画策定をしていくことが重要で政府による健全化に向けた取り組みに期待する」というだけの内容になっている。

この発言は黒田総裁がことあるごとに言っていることで、何ら目新しい内容ではない。

日本国債の下落の心配は以前からも指摘されていたことで、国会審議でも野党議員が日銀に「下落した場合の影響は」との質問に1%下落で銀行では確か6兆円の損失(具体的な数字は忘れた)が出ると応えていた。

日銀だって60~70%(?)を保有している国債の下落は影響が大きい。日銀は特別な会計をやっているとか、政府と一体だから倒産することはないと言われているが、経済財政諮問会議で「日銀の経営も注視すべきだ」との意見も出ていたはずだ。
国債の大量発行→長期金利上昇→財政危機と見られ欧州経済危機の時も言われていたが、金利上昇は海外からカネを集めることもできなくなり国内経済は破綻するのだ。

ところが日本の場合は、国債の格下げがあっても国際価格に動きはなく、長期金利も低いままだ。経済の理屈どおりに市場が動かないのだ。

朝日新聞(2015.2.27)の経済気象台「失われた市場のシグナル」で、「市場で的確なシグナルが出ないのは、日本銀行の異次元の金融緩和の効果による」というのだ。国債市場は外部からの錯乱が大きすぎて市場の機能が失われて不健全な状況にあるという。市場が再び機能するようになるのは量的緩和が縮小し金利が上昇を始める時だという。

この見方に同感だ。その時は日本経済は混乱し、安倍総理のアベノミクスなどぶっ飛んでしまうだろう。

安倍総理は民主党政権下で苦しんだ円高、株安に異次元の金融政策で挑んだ。慎重派の白川総裁に替えリフレ派の黒田総裁をもってきた。

野田政権でもインフレターゲット、マネタリーベース増の動きはあったが、黒田総裁で「2%物価目標、2年で2倍のマネタリーベース増」を訴えて「その期待感」から円安、株高に基調が変わった。

2年後の今、FRBは非伝統的金融政策、毒薬とも言われた量的緩和を終了し、正常な金融政策を目指し6月以降にも利上げのタイミングを狙っている。一方で日銀は量的緩和の追加に走った。

国会でも量的緩和の縮小「出口戦略」の話が持ち上がった。野党議員が安倍総理に質問した時、安倍総理は「専門家に任せている」と答弁を避けた。

日銀人事に口を出し量的緩和の花火を大々的に打ち上げ、アベノミクスの成果とうそぶきながら「その後のことは知らぬ」ではあまりにも無責任すぎないか。

むしろ、それが安倍総理の能力の限界なのだ。

そもそも財政健全化の前提である「国と地方の借金1000兆円超え、対GDP比230%」の本当の姿はどうなのか。

先進国一悪い財政状況に見えるが、資産もあり純債務は今の借金の半分ぐらいだと言う人もいれば、赤字国債のほとんどを国内で消化しているから心配ないという一方で、こんな状態が長くは続かないともいう。

財政健全化は広く国民に負担を強いることになり緊縮財政は国民受けしないことはギリシャの総選挙からもわかる。ドイツもゼロ借金財政を続けているがインフラには疲弊も目立ち緊縮財政の賛否は半々だ。

我が国も社会保障費などで国民に負担を強いている一方で、族議員、既得権益者向けの公共投資も増えているし、インフラの維持管理にもカネはかかる。巨大地震対策でのインフラ整備も必要だ。だとしたら維新の党が言うように「自ら身を削る」ことから始めなくてはいけない。

国会審議も「日本の財政の本当の姿」をもっと議論するべきだ。財務省の言いなりでは消費税増税路線しかない。幸いにも安倍総理は財務相経験者ではない。

安倍政権と財務省、日銀が考えの相違があっては財政再建など覚束ないのだ。

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2015.2.21掲載
それでも2%物価目標へ:日銀はやみくもに量的緩和を続けるのか

2015.1.16掲載
日銀・財政ファイナンスの是非:際限なき国債買い入れは制御不能のインフレへ



2015年2月25日水曜日

今の天変地異は9世紀に酷似?:巨大地震、火山噴火、京都で群発地震が多発するのか

2015年1月14日 京都府南部地震 気象庁地震情報
最近は震度3以上はこの1件だけ
3.11東日本大震災を経験して分かるように「大地動乱の時代」と言われ、今、日本の巨大地震、火山噴火は9世紀に酷似しており巨大な災害に警戒が必要だという。9世紀の災害を見ていると富士山噴火をはじめ陸奥海溝地震津波(貞観地震)、阿蘇山噴火、関東地震などとともに京都群発地震が多発しているのだ。

京都はこれから群発地震に悩まされることになるのか。

関東大震災を予測した今村博士は日本列島の地震活動には旺盛期があり、7世紀末から9世紀末、16世紀末~18世紀初、19世紀半ば~に分類できるという。

そして今、専門家は9世紀に似てきたというのだ。では、9世紀にどんな災害が発生したのか。「歴史になかの大地動乱」(保立道久 岩波新書 2012.8)からその恐ろしさを知ることができる。

勿論8世紀末、10世紀初めも同様だが、9世紀に入り31件の巨大災害、うち15件が地震、16件が火山の噴火だ。

主だったものを拾ってみると、富士山噴火が2回、京都群発地震が4回、陸奥海溝地震津波(869年M8.3)、北関東大震災(818年M7.5以上)、南関東大震災(878年M7.4)、阿蘇山噴火(867年)、薩摩開聞岳噴火(874、885年)、伊豆新島噴火(886年)、南海、東海地震(887年M8)等があげられるが、京都群発地震は4回(827年M7.5,851年 ,868年 ,880年 )で頻度的に特に目立つ。

827年の群発地震は5月に雷鳴が鳴り響き、7月に群発地震がはじまった。「大震1度、小動7~8度、M6.5~7.0、4日間毎日激しい余震に襲われ、7月中は連日大震、小動が続き8月は11回、9月は10回、この年年間43回の地震に襲われたという(「歴史のなかの大地動乱」より)。

最近では松代群発地震で長い間住民は日常生活にも支障を来したと報道で見たことがあるが、京都の群発地震はそれどころでなかったようだ。

今は、時々京都府南部を震源にする地震の発生を気象庁の地震情報で知ることが出来るが、2013年には月一回程度で12回、2014年は4月5回、5月2回、6月3回、8月3回、9月1回、10月1回であるが2015年1月には6回で1月14日はM3.8,震度3で揺れた。最近では震度3以上はこの1回だけだ(tenki.jp)。

気象庁が発表する京都府の震源域は福知山、舞鶴が入る京都府北部と京都市などが入る京都府南部の2つがある。

では京都盆地に関わる活断層をどうか調べてみた。

京都府の主要活断層帯より
地震調査研究推進本部公表 2013.1.1
有名なのは花折断層だ。京都から修学院、八瀬、大原三千院を通り若狭湾に抜けるが、昔は繰り返し大地震を起こしているという。南部は1500~2500年前、北部は1662年に活動したらしい。30年の発生確率は0~5%だ。

後は、黄檗断層帯、西山断層帯、宇治川断層も見つかっているし、奈良盆地東縁断層帯も関わっている。予想規模はM7.2,断層の長さは26km、活動間隔は3000以上もあるし不明が多い。

有馬―高槻構造線活断層も京都を揺らすらしい。

京都盆地は多くの活断層が関わっており歴史的に見ると地震多発地帯であるが、不思議に1830年以降は静穏を保っているようだ。

だからといって油断してはいけない。地震、火山活動はいやが上にも繰り返す自然災害なのだ。

今、我が国は自然災害において9世紀の状態に酷似していると専門家は警告する。

何時かは見通せないが、京都盆地がM7クラスの群発地震に襲われる時が来るのだ。その時は、富士山、伊豆、鳴子、神津島、鳥海山、阿蘇神霊池、鶴見岳、開聞岳、新島が噴火しているのだ。

ところで869年の貞観地震(2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震は、その再来)という名称を使うのは混乱を招くので「九世紀陸奥海溝地震」と呼ぶことを推奨している。「貞観」とは唐の最盛期となる「貞観の治」と言われた立派な政治を目指そうと選択された中国の唐の時代の年号で、地震史研究に無用な混乱を招いてはいけないと言うのだ(「歴史のなかの大地動乱」より)。


関連記事
2012.10.17掲載
10月13日京都府南部地震M3.8,震度2:揺れる京都、花折断層帯か


2015年2月24日火曜日

西川農水相辞任:いくら説明されても違法献金が合法になるわけがない

安倍総理は任命責任は私にあるというが「謝罪する」というだけのこと。ついに西川農水相が違法献金問題で辞任した。「分からん人にいくら説明しても分からん」が辞任時の捨て台詞だ。でも違法なことがいくら説明されても合法になるわけがない。返金すれば済む問題でもない。

西川さんの違法政治資金は補助金の交付を受けた企業から政治献金を受けたことが問題になったのだ。

2013年7月に精糖工業会館から100万円を受けていたが役員も兼務する精糖工業会は2013年3月に補助金13億円の交付を受けている。交付を受けて4カ月後に献金していることになる。西川さんのような族議員が知らないわけはなかろう。

しかもこれが迂回献金の疑いがあるのだ。精糖工業会が精糖工業会館を通じて献金した疑いがあるのだ。

いずれも法に照らして違法だ。

更に、国会予算委員会で民主党議員の質問中に安倍総理が「日教組はどうなのか」とやじったようだ。民主党が日教組から政治献金を受けているのではないかと考えたのだろうが、日教組に補助金が交付されているわけでもないし、民主党が日教組から献金を受けてはいなかった。

後で安倍総理は謝罪したようだ。品位に欠ける低俗な総理の一面を露呈させた。

また、民主党政権時、西川さんは落選し浪人生活をやっていた時、木工加工会社から300万円の献金を受けたという。2012年9月のことだがこの木工加工会社が同じ年の5月に7億円の補助金交付を受けていた。

この件は違法性に問題があるが、疑わしい行為であり法の趣旨からするとやってはいけないことだ。

いずれも返金したというが、「返金すれば問題なし」ではなかろう。いわんや違法性がないと主張するのであれば返金を拒否し続ければよかったのではないか。

中途半端な姿勢だから余計に疑いが出てくる。

このまま農水相を続けることは「耐えがたいイメージをつくられる」と野党議員やメデイアを批判するがわきの甘さを露呈させたことになるのだ。

しかし、どうしてこうも政治とカネの問題で国会がゴタゴタするのか。

国会議員は政治資金の心配をせずに政治にまい進するようにということで政党交付金が支給されることになった。年間300億円以上のカネが税金から支出されている。

それでも国会議員は金集めに奔走するのだ。特に浪人中は生活が大変ならしい。

ところが「身を削る政策を」をうたい文句にしている「維新の党」が企業献金の廃止を提案している。分裂する前は党内で異論もあったようだが今度は党を挙げて取り組むらしい。大いに期待したい。

国会議員である以上は公職選挙法、政治資金規正法に違反するような行為はあったはならないことだ。その疑いが出た以上は即刻辞任する覚悟が必要だが、日常の活動でも注意が必要だ。

今回、西川さんは「秘書のやったこと」「妻に任せていた」と責任逃れしなかった点は立派だが。

3.11東日本大震災の余震:M8クラスの三陸沖地震は何時起きるのか

平成23年3月の地震・火山月報 気象庁
2月は6回だったが3月に入って11日までに
36回と急増した

必ず来ると言われている3.11東日本大震災の余震であるM8クラスの三陸沖を震源とする巨大地震はいつ来るのか。海外の例では数年後と言われているが、東日本大震災の場合もすでにプレートに力がたまり従来から言われている巨大地震の発生間隔も当てにならないらしい。

筑波大とスイス連邦工科大の共同研究で東北沖は大震災でエネルギーが解放されたと思っていたが、予想より早くたまり地震前と同じ水準に回復しているという(読売新聞2015.2.4)。

特に17日に発生した2つの地震に注目した方が良いらしい。午前86分に三陸沖を震源とする地震が発生、M6.9,広い範囲が震度4で揺れ津波警報も発令された。そして同じ午後146分には岩手県沖を震源とするM5.6の地震が発生、震度5強を観測した。

その震源は200kmも離れており気象庁は別々に起きた余震とみている。

ところが東日本大震災が起きる少し前にも、三陸沖で同じような地震が発生しM7.3,震度5弱だったが、その後にM9,最大震度7の巨大地震が起きたのだ。今回の発生状況によく似ている。東日本大震災の後、M8クラスの大きい余震は起きていない。そのために最大でM8の地震が起きる可能性があるというのだ(週刊現代2015.3.7)。

M8クラスの余震が起きる可能性は専門家が指摘しているところだ。この東北地方太平洋沖地震では500kmに及ぶ広大な震源域の北と南でズレが止まっていること、50kmより深いところで割れ残りがあることなどが指摘されており、空白域でもある房総沖は警戒すべき震源域なのだ。

特に房総沖はスロースリップ地震の発生間隔が短くなっている現象から警戒すべきだと警告する専門家もいる。

そこで今の三陸沖地震と2011年までの三陸沖地震の状況を調べてみた。

2015年2月は、20日までに9回、うち17日にM6.9(震度4),20日にM6.1(震度3)、1月は1回、2014年12月3回、11月1回、5月2回、2月4回、2013年は4月に8回、M5.6(震度3)、M6.1(震度3)を観測したが他の月は!~2回程度だ。

最近の頻度を見ると、毎月1~2程度であるが、2015年に入って発生回数が増加傾向だ。

一方、2011年3月11日までの発生状況は、3月は36回(11日のM7.9, 震度7が起きるまで)、9日はM7.2(震度5弱)を観測、その後の余震も6回、M7を越える余震もある、2月6回、2010年には4回、2009年は7回だ。

3月に入って3日前から急激に三陸沖を震源とする地震が増加し、3月11日の巨大地震となった。

海溝型巨大地震の前には多くの内陸型地震も発生するとも言うが、どの地震が前兆なのかは難しい。

三陸沖を震源とする地震発生の頻度が上がれば要注意だ。  

2014年12月の地震・火山月報
三陸沖地震は3回発生している
2011年2月の地震・火山月報
三陸沖地震は6回発生




2015年2月23日月曜日

どうして安易に人を殺すのか:「やったらどうなるか」の予測力の欠如か

どうしてこうも友人や隣人を殺す事件が多いのか。「人を殺したらどうなる」と予測する力が欠けているのか、それとも冷静さを欠き衝動的行動に走っているのか。以前、毎日新しい殺人事件が起きるので事件が増加しているのかと思って調べてみたが、1日に3件程度の割合で殺人事件が起きているのだからテレビニュースがそう思えても仕方ないのだ。

それにしても隣人や友人、それも小、中学生の事件には驚かされる。

和歌山県紀ノ川の小学生殺人事件、川崎の多摩川河川敷での中学生殺人事件、佐世保の女子高生による同級生殺人事件、名古屋大学生の殺人事件など残酷な事件、それに母親、父親による幼児虐待殺人事件が後を絶たない。

人を殺そうと思う前にチョット待った。「人を殺せばどうなるか」を考えてみたことがあるのだろうか。

被害者の家族に大きなショックを与えることは当然だが、加害者の家族にとっても生活が大きく変わるのだ。家族はバラバラになり、親は失業、夜逃げ同様の引っ越しでどこかでひっそり暮らすことになる。

本人だって、少年院送りか服役しなければならなくなる。精神鑑定されれば異常性格の場合も出てくる。だとすると日常生活で何か異常が見られたはずだが一様に見られなかったというのだ。

小学校や中学校の校長などが記者会見するが「そういう兆候は見られなかった」という。それはそうだろう。異常が見られると対応する必要があるが、それをやっていなかったのだから組織を守るためにも否定するしかない。

加害者の親はどうだったのかと思うが、メデイアには出てこないので分からない。

幼児の虐待、殺人事件も周りが気がついて児童相談所に相談するが、親から「大丈夫だ。そういうことはない」と言われればそれ以上のことは出来ない。

事件が明るみに出る度に「もう一歩踏み込んでいれば」と反省の弁を聞くが改善された話は聞かない。

「どうしてこんな残虐な事件が」と思うのだが、殺人シーンはテレビのサスペンスドラマで毎日残虐なシーンを見せつけられている。決まり切って殺人シーンがあって刑事役の俳優や女優さんが犯人に迫っていくストーリーだ。

パソコンゲームだって殺し合いだ。つい最近ではイスラム国による人質殺害ニュースも残酷極まりない映像が流れているようだ。

これでは抵抗力はなくなるし、ストーリーは加害者が逮捕されて終わるので、その後の裁判、服役、離散する家族のことなど肝心なことは省略される。

「人を殺したらどうなるか」、そこまで予測、想像力がないから事件を起こしてしまう。

学校では道徳教育、以前は「ゆとり教育」もあった。「他人の生命、財産を侵すことはいけない事」と学ばないのか。「ゆとり教育」は、大人になるまでの必要なことを教える教育ではなかったのか。学力が落ちると「ゆとり教育」に時間が取られたためだと勉強の方に時間を割く。

最近、学力が上がったという結果が出て、「ゆとり教育」を止めたためだと評価していたが、逆に「ゆとり教育」の結果が出て来たのだという意見もある。

「ゆとり教育」は必要だと思うが、肝心の学校がどういう教育をして良いのか分からなかったことに問題があるのではないのか。

安倍総理は「イスラム国」による2人の邦人の人質殺害事件で、「国民の生命、財産を守るのは私の責任」と豪語していたが自衛隊の活動を拡大する魂胆があってのことだろうが、国内のこう言う問題にどう対応しようとしているのか。

「事件を起こせばどうなるか」、予測できる力を付けて欲しいものだ。

今、公立の小学校、中学校は荒れているらしい。「あの中学はあれているそうだが、こっちの中学校はそうでもないようだ」という話が親の間で出ている。金持ちの親は子どもを私立に通わせるようだ。

公立中学校でも朝、教員や父兄が交代で門に立ち「おはよう」と声をかけているが効果はどうなのか。


殺人事件を減らすには社会現象を変えていかなければならない。まず、サスペンスドラマなどテレビドラマなどを検証すべきではないのか。麻薬、できちゃった婚、結婚、離婚の繰り返しなど道徳も乱れている。大きな要因は有名人の私生活にあるのではないか。有名人は有名人らしく生活を正すべきではないか。

2015年2月21日土曜日

プロジェクトX:籾井NHK会長を辞任させよ

何とか籾井NHK会長を辞任に追い込めないか。籾井さん自身がNHK会長に向いていないことを分かっていないことがNHKの不幸の始まりだ。記者会見での「政府が右と言えば右、左と言えば左」発言は誰が考えても政府寄りのスタンスを取ることが分かる。

前任者が「政権との距離の取り方に一番気を使った」という意味の述懐をしておられたことを考えても異例の発言だった。

先日のテレビで民主党議員と何かの会議をやっていて今までの籾井さんの発言(たとえば理事全員から辞表を提出させたことがあるが民間企業でもそういうことはあるのかと問われたとき)に対する批判が出たときに「くだらん」と言って退場する姿が映し出されていたが、国会議員は私たち国民の代表だ。国民、NHKの視聴者の代表に向かっての発言とは思えない気がしたものだ。

籾井さんの発言は国民や視聴者側でなく、自分を選んでくれた安倍政権側に立って発言しているのだ。以前のメデイアの報道では麻生さんが菅さんに同郷で三井物産の役員だった籾井さんをNHK会長に推薦したことで決まった人事だという.麻生さんだってNHK会長という公共放送の意味を十分に考えず安易に紹介したのではないか。

問題発言を繰り返すと「真意が伝わっていない」と弁解を繰り返す。経営委員長から注意も受けているようだ。

NHKの番組の内容まで首を突っ込んでいるのではないかとみられているが本人は否定している。

最近では5日の記者会見で戦後70年の番組で従軍慰安婦問題を扱う可能性に関して聞かれたとき、「政府のスタンスがまだよく見えてこない」などと発言していたが、このことについて浜田経営委員長が真意をただしたが籾井さんは「言いたいことが正確に伝わっていなかった。慎重に検討しなければならないと言うのが真意」と弁解したそうだ(読売新聞2015.2.20)。

いつも自らの発言に同じような弁解を繰り返しているのだ。

確か経営委員だった百田さんが再任要請を蹴って辞任した。自分が向いていないことを自覚してのことだろう。皆ホットしているはずだ。
願わくば籾井さんも自ら向いていないことを自覚し辞任して欲しいものだ。

NHKニュースウオッチ9のキャスターの大越さんも原発問題の発言に対して官邸からクレームが付き3月末で降板するらしい。今、ニュースウオッチ9を見ていても大越さんの覇気はない。

本来であれば、籾井さん自身が体を張って官邸からのクレームに抗議すべきではなかったのか。それがNHK会長の責務である。

テレビ朝日の報道ステーションも官邸からクレームが付いているらしい。古舘さんも抵抗しているようだがいつまで持つか。

自らを律することも出来ない籾井さんにNHKの会長は向かない。一日も早く辞任すべきだ。


「プロジェクトX:籾井NHK会長を辞任させよ」だ。

東京大田区・池上梅園は今5分咲きで最高だ

2015.2.21撮影
東京・大田区の池上梅園は今、5分咲きで最高だ。21日天気も良かったので午後池上梅園に行ってきた。1週間前は3分咲きだったが、今は5分咲きの表示が出ていた。警備員の男性は「今が一番きれいです」と言う。




確かに満開の時も来たが、5分咲きは開いた花びらとつぼみが良くマッチしていてきれいだ。

子連れの若夫婦もいるが圧倒的に高齢者が多い。天気の良い日はここでのんびり過ごすのも良さそうだ。65歳以上になると入場料も無料になる。
















それでも2%物価目標へ:日銀は闇雲に量的緩和を続けるのか

経済の舵取りが注目される日銀本店
黒田総裁、岩田副総裁が約束した2年で2%物価目標達成も怪しくなってきたが、それでも日銀は闇雲に量的緩和を続けると言うのか。そんなに市場におカネを流してどうなるのだ。供給過剰では物価は上がらないのが経済学の常識だったが国内需要を喚起するために日銀の量的・質的金融緩和は成果を出しているのか。

2014年10~12月期のGDPは名目1.1%増、実質0.6%増で年換算2.2%増と言うことだが、その要因は海外需要、輸出が好調だったためで国内需要は個人消費0.3%増、設備投資0.1%増で伸び悩みのようだ。

でも、名目が実質を上回ると言うことは物価上昇が続いていることらしい。

景気が回復すれば消費は伸び、企業も賃上げして物価上昇する好循環が期待出来るが、今原油安が経済にインパクトを与えようとしている。原油安はガソリンなどエネルギーの価格下落で家計にとっては負担軽減に役立ち消費増も期待出来るが、一方で物価上昇を押し下げる要因にもなりデフレ脱却が遅れ2%物価目標の達成も覚束なくなり、更なる日銀の追加緩和が見え隠れする。

今の物価上昇を円安による輸入材料などの高騰による物価高で、需要増にともなう賃上げでの家計所得の増加に伴うものではない。経済の悪循環と見えるが日銀は闇雲に2%物価目標を目指すように思う。

日銀は今の日本経済をどう評価しているのか。

日銀の「当面の金融政策運営について」(2015.1.21)によると景気は基調的には緩やかに回復を続け、物価面では0%台後半となり、予想物価上昇率(2%)はやや長い目で見れば全体として上昇、消費者物価の前年比はエネルギー価格下落でプラス幅は縮小すると見ている。

だから成長率は2014年下ぶれ、2015,2016年は共に上振れ、消費者物価は2015年下振れ、2016年は概ね不変と見る。

そこで今後の政策は、安定的に持続するために「量的・質的金融緩和」を継続すると言うのだ。

FRBは既に量的緩和政策を打ち切って、正常な金融政策を目指し利上げのタイミングを図っている。米国が利上げに踏み切れば日本経済も大きな影響を受け、その動向が懸念されている。雇用など指標は改善しているが問題はその内容で詳細な検証が求められているようだ。

日本もアベノミクスで成果は出ていると安倍政権は聲髙に言うが肝心なのはその指標の内容だ。一見改善しているように見えても内容に格差が出ていれば政策としては失敗だ。

本当に日銀の量的緩和の成果が出ているのか。

思えば、2012年の衆院選で当時野党だった自民党は「円高は市場に流れる円の量が少ないからで量を増やせば円安になる」とわかりやすいフレーズで民主党。野田政権を揺さぶった。

当時の野党・自民党の安倍総裁は「インフレターゲット設定、マネタリーベース増」を訴え市場は好感し、民主党は政権の座を降ろされた。

しかし、野田政権の時もインフレターゲットの設定、マネタリベース増を日銀に突きつけていたが、白川総裁は「ウン」と言わなかった。その後、日銀法改正、総裁人事にまで話が及んで日銀は政権の意向をくまざるを得なかった。リフレ派の勝利だった。

新たに日銀総裁の座に着いた黒田さんは「2%物価目標、2年で2倍のマネタリーベース増」を約束し市場は円安、株高に動いたが、全てがアベノミクスの効果だとは言えないようだ。

つまり資金需要を見ると野田政権が解散を決めた頃、銀行の貸し出し残高は前年比でプラスになり、すでに資金需要は回復傾向にあったことになりアベノミクスの効果だけとは言えないという説もある。

でも金融緩和は金利の低下で金融機関の貸し出しを増加させ企業の資金需要を増やすことにあるのだが実体経済への資金需要はどうなのか。

日銀は金融機関から国債などを買い入れているが、そのおカネは日銀の銀行口座に貯め込まれているというニュースもあった。この金利が非常に高いので危険な目に遭って企業に貸し付けるよりも安全だというのだ。

銀行の預金、貸出の状況がどうなっているのか。銀行の貸し出しが伸びないのは国内需要がないからではないか。だとすると企業の国内投資の増加策に工夫が要るのだが家計所得の増加を目指す賃上げが先か、経済成長が先かの議論になる。

それでも量的緩和を要求する声は強い。

IMFは物価上昇率が上がる兆しがないからもっと量的緩和を拡大し投資や消費を喚起しろと言い、日本の成長率を0.8%から0.6%へ下方修正した。

エコノミストも市場関係者も日銀の量的緩和の拡大に期待を寄せる。日銀の国会同意人事の新たな審議委員にリフレ派が選ばれ政権の姿勢を示した。

ところが安倍総理の無責任さもさらけ出した。国会審議で日銀の量的緩和を質問されたとき、人事ではリフレ派を登用しながら「量的緩和の終了は日銀に任せている」と言及を避けたのだ。

勿論、政権トップが金融政策について言及することは市場に予断を許すことになりやってはならないと思うが自らの経済政策「アベノミクス」の「第一の矢」が金融政策だ。量的緩和の終了が何時になるか分からないが、その時の経済の混乱を最小限に抑えるためにも市場との対話は重要だ。

日銀の量的緩和拡大の「期待感」は企業への資金需要増大、投資への貸し出し増で景気回復につなげようというもくろみがあるが国内需要の拡大は量的緩和だけでは難しい。

プリンストン大からニューヨーク州立大に移ったクルーグマン教授が面白いことを言っている。「消費税を5%に戻せ」というのだ。減税することによって可処分所得が増え消費増につながる。これに日銀の追加緩和が加われば「期待感」も高まり景気は拡大するというのだ(FRIDAY 2015.3.6)。

クルーグマン教授は、この時期に財政健全化、増税なんてとんでもない、財政出動で景気を刺激しろという。教授は各国の政権に同じようなアドバイスをしているが教授のアドバイスを聞いた政権はないという。実際に国民の生活に責任を持っている政権と何でも謂える経済学者との違いだろうが、教授のアドバイスに従わなかったが2年で景気が回復したと言う例もあるらしい。

5%に戻すことはないだろうだろう。寧ろ1年後には10%への増税が約束されているのだ。

また日銀と政権との間に溝が出来てきた感がする。黒田総裁は10%への増税で景気の下振れ防止に80兆円に追加緩和を発表したが安倍政権は10%への増税を見送った。

景気拡大に非伝統的金融政策、毒薬と言われる金融政策「量的緩和」に頼りすぎず内需拡大で政策を打ち出さなければならないが本当に需要がないのか、企業家の意識改革が必要なのか。

経団連など経済界は「おねだりばかり」でなく、自ら切り開いていく努力が必要なのではないか。15年間のデフレに慣れっこになっているのは経済界なのではないか。


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2014.11.1掲載
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