2013年12月28日土曜日

日本国憲法:改正して日本をどうしようというのか

本当に日本国憲法の改正が必要なのか。改正して日本をどうしようというのか。初詣では家族の健康・安全、家業の反映、景気回復などとともに平和を願うだろう。そこで一度、現憲法改正の必要性を考えてみる機会ではなかろうか。現憲法の成立過程も分からないままに連合国のお仕着せ憲法と批判していないか。何故、今改正が必要と言われているのか。

現憲法は96条(改正手続き)に各議院の総議員の2/3以上の賛成で発議し、国民投票にかけて承認を得ることになっているように2重に改正のしにくい硬性憲法である。

発議が2/3以上の賛成では難しいので1/2以上に緩和したらどうかの考えがある。でも96条で96条を改正することは出来ないという憲法学者もいる。詰まるところ現憲法は改正などを予定していないのだ。

ところが、為政者にとっては政策を推進するに当たって、自衛隊の存在、集団的自衛権の問題など現憲法の規定では都合が悪いのだ。解釈見直しで法制局長官に生え抜きではない外務省官僚を据えたが、その新長官も国会審議で集団的自衛権について野党議員から質問を受けたが、政府の解釈が憲法に合致しているかどうかを判断するのであって、我々のような裏方が脚光を浴びるようなことがあってはならないと記者の取り囲み会見で発言していた。全くその通りだと思った。

そこで自民党の憲法草案を読んだことがあるが、何かしっくりこないのだ。憲法改正よりも新憲法制定のようで、革命でも起きてガラッと変えたという感じだ。

憲法を論じるときに、もう一つ大事なことは現憲法草案策定の過程をしっかり知ることではないか。

その辺の説明がされないままに、連合国のお仕着せ憲法と批判している。

私が読んだ憲法学者の話では、連合国が当初日本政府に草案作成を指示し、2つの系統で審議され、どちらかの系統の案が草案として提出されたが、連合国はこの草案では民主政治にほど遠いと言うことで、連合国が草案を作成に日本側に渡された。

日本側も各種検討したようだ。日本側の修正案も採用あれ現日本国憲法がまとまったというのだ。決して言われているようなお仕着せ憲法ではないのだ。

憲法改正というと第9条が問題に上がる。そして周辺国が警戒する。

この辺について、面白い話が紹介されている。

宇沢弘文先生の「経済学は人びとを幸せに出来るか(東洋経済新報社2013.12.7)」を読んでいたら、「マッカーサーと憲法9条」の項目が目に止まった。

それによると、上・下院合同の委員会での証言で「幣原首相があるとき、総司令部を訪ねてきて、日本は平和国家として国際社会の中でこれから存続するためには、軍隊を持ってはいけない。・・・・・日本の新法に日本は軍備を一切持たないという条項を入れてほしい」と言った。だからマッカーサーは日本の憲法に第9条をいれたのだと言うのだ。

これは、マッカーサーがある事件で批判されていたときの証言なので、マッカーサーの立場を誇張して言ったことかもしれず、真意の程は分からない。

しかし、こういった現憲法草案過程をしっかり国民に説明して、現憲法改正の是非を論じるべきではないか。それがまた、海外の警戒感を払拭することにもならないだろうか。

新年にあたり現憲法を考えてみることも大切だ。


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