2015年8月11日火曜日

九電・川内原発再稼働:「安全か」と問われれば「新規制基準に合格」と言うしかないのか

安倍政権が待ちに待った「原発ゼロ解消」の第一歩が九電・川内原発の再稼働で始まった。これで「安全なのか」と問われれば「厳しい新規制基準に合格している」としか言いようのない心細い内容であるが、規制委員会の田中委員長は「リスクゼロではない」と言ったと思う。

安倍総理は、安全神話に落ちることなく事業者と規制当局が安全性を不断に追求していくことが大事」と事業者である九電と規制委員会に責任を負わせる。菅官房長官も事業者責任を主張した。

九電は「安全責任は事業者にある」と言うが、東電・福島第一原発事故では経営トップは「知らぬ存ぜぬ」で責任の回避を図り、今第五検察審査会の決定で経営トップ3人が強制起訴される身になった。

ところで巨大な技術を運用する原発事業にあって九電の経営トップは自ら安全配慮義務を負っていることを認めているのか。

また、東電・福島第一原発では専門家による巨大地震、津波に関する新しい知見が出て、社内でも検証したと言うが結局は専門家の知見を無視したことがこのような甚大な事故につながった可能性が高い。

川内原発にあっても専門家により巨大地震、姶良カルデラの巨大噴火による危険が指摘されているが九電はどう対応しようとしているのか。しばらくはないだろうと高をくくっているのか。

川内原発が最初の再稼働になったのは福島第一原発と違って「加圧水型」だったことだ。でも、どこの原発立地の自治体でもいえることだが、再稼働は地域の経済、雇用に大きく影響している。だから再稼働はある意味で地域の死活問題なのだ。賛成する人もいれば反対の人もいる。交付金行政に慣れてしまったところに原発ゼロの難しさがある。

そして、これだけ大きな事故を起こしても原発行政は「ゲンパツ村」の人間に牛耳られている。

「原子力三原則」の「公開」「民主」「自主」の必要性を口を酸っぱくして言う人がいなくなったのはどういうわけか。
原子力の利用に関する情報を国民に知らせ(公開)、原子力のような全人類の生存にも関わる重大な問題は生命の絶対安全が科学的に実証されなければならない。企業と言った一部の団体の利益のために多数決で決めることがあってはならず(民主)、日本のもつ様々な条件に適した形で技術や科学を研究していかなければならない(自主)のだ(「危ない科学技術」 武谷三男 青春出版社 2000.3)。

特に日本は地震、火山大国だ。しっかりした対応が求められる。

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