大風呂敷で信用を失った民主党マニフェスト |
前原さんは寄り合い世帯のガバナンスの欠如をいう。今の離党者を含めた「バラバラ感」は保守vsリベラルの構図だが、当時もバラバラ感はあったが当時は小沢さんという権力者による権力の二重構造が問題になった。
鳩山政権時、党幹事長だった小沢さんが煮え切らない鳩山政権に「これが民意だ」と官邸に切り込んだときがある。メデイアは大々的に報じた。一挙に政権の信頼は失われた。同時に小沢さんの「政治とカネ」の問題がでて2人揃って表舞台から去ることになった。
菅政権になって、「小沢さんにはしばらく黙っていて欲しい」と記者会見で発言し支持率が上がったほどだ。
大風呂敷のマニフェストは良くなかった。財源が見当たらないのに人気取りで掲げてしまった。当初から政策を作成していた者にとっては財源に心配があったが、小沢さんは「何とかなるものだ」と強行したらしい。私も200兆円の一般会計、特別会計では10%位無駄遣いしているのではないかと思っていたが、実際にはそうではなかったようだ。
事業仕分けで蓮舫さんが名を上げたが、仕分けで「廃止」の判断が示されてもその後の「政治復活」があり、仕分けの意味がなくなった。私も事業仕分けを聞きに行ったが、官僚の苦し紛れの説明には笑ったものだ。
マニフェストも新しい政策に苦心していた。突如、高速道路無料化が出て来た。当時ドイツのアウトバーンを習って高速道路を無料化できるという本を書いた人がいた。その人の説を政策に採用したのだ。
私も片道7000円かかる高速道料金を1000円で利用したことがある。当時は高速道、SAが賑わった。旅行ではなく、遊びに来ていたのだ。デモこの政策も廃止になり元の料金に戻った。
新しい政策のために目新しい政策を掲げる人の説を重宝したのだが、長続きしなかった。
しかし高校教育の無償化などは民主党政権で提言されたものだ。
政策の混乱は鳩山政権での沖縄の基地移転問題だ。沖縄以外での可能性もあるのか思っていたが、「勉強すればするほど沖縄」と言うことになり沖縄県人の失望を買うと同時に信頼を失っていった。
それ以後、「解散は何時か」が政局を語るようになったが、菅政権の時の3.11東日本大震災、福島第一原発事故の発生は菅総理にとっては不幸だった。「まず現場を」という菅総理の現場視察が対応の遅れを招いたのではないかと批判されだした。
放射能飛散による避難指示もかえって被爆するコースを指示したのではないかと物議を醸した。データの公開が遅れたのだ。その時、陣頭指揮に立ったのが当時の枝野官房長官だ。
菅総理は国上げての対応が必要と考えて自民党総裁の谷垣さんに副総理格での震災対応担当で入閣を打診したが、自民党は民主党政権に利用されるだけと拒否した。
こんなことでは国家一大事の時に何も出来ない。自民党は緊急事態措置法などを言っているが、このことを忘れたのか。
菅総理は「何時解散するのか」と問われる度に、新しい政策を出して達成出来たときと解散総選挙を先延ばしする作戦に出て顰蹙を買った。
その後、たらい回し政権で野田政権が出来た。
野田総理は「前に進める政治」を標榜し政治改革など果敢に政策実現に打って出たが、民主党政権は弱体化、それに消費税増税を掲げた人気を落としていった。
そして、安倍自民党総裁との党首討論で「約束出来れば明後日解散します」と発言し総選挙へと移っていった。野田総理は「政治を前に進めるか、後戻りさせるか」と国民に迫ったが、信頼を落とした民主党に勝ち目はなかった。
勢いに乗った自民党は小選挙区制度の影響もあり圧倒的多数の議席を占めることになった。
0 件のコメント:
コメントを投稿