2009年12月26日土曜日

相変わらずクラウド・ポリテイカル(雲の上の政治)か


今、ITではクラウド・コンピューテイングが2年ほど前から話題になっている。ネット社会では大きな転換点になるらしい。ソフトウェアーやセキュリテイーなど面倒な仕事は雲の上に任せ、パソコンを楽しむ。雲の向こうには「データセンターがあり、ユーザーにいろんなサービスを提供できるというのだ。

  しかし今、逆の意味で政治もクラウド・ポリテイカル(雲の上の政治)になっていないだろうか。

  税制改正、予算編成、外交、小沢さんへの権力集中、参院選に向けた政策など重要なことが、「雲の上」で決まっている。

 「政治が変わりそう」と期待し政権交代した民主党政権で、「事業仕分け劇場」はその期待を垣間見せた。しかしよく見ると何か「小泉劇場」に通じるものがあった。メデイアは連日仕分け現場を映し、仕切議員は脚光を浴びた。私もそれなりの成果はあったと思うが、後になって考えると、本当にこれで良いのかと疑問も出てくる。予算編成でその成果が生かされていない。

 鳩山政権樹立だって、その背後でどんなことが起こっていたのか。

 今回の鳩山総理の偽装献金問題は「知らなかった」「秘書に任せていた」とは言え、母親からの巨額な資金提供であり、脱法行為の疑いがある。一国のリーダーがこんなことでは政治への信頼は失うばかりだ。

  一体この巨額の資金が何に使われたのか。誰でも想像できるのが「総理になるための資金ではなかったか」だ。「私腹を肥やしたわけではない」から総理を辞めないともいう。しかし、総理の座を射止めたと言うことは、利益を得た以上のモノを得たことにならないか。

 政治を私達の手に取り戻すのは、容易なことではない。民主党は来夏の参議院選でも勝利し、単独政権を目指すという。自民党は再生が覚束ないほど痛手を被っているようだ。国民に対して積極的なメッセージを発する力もないらしい。

 しかし、民主党単独政権だけは許してはいけない。小沢さんの暴走は、クラウド・ポリテイカルを助長するばかりだ。

2009年12月23日水曜日

鳩山さんが辞めるとき


鳩山さんの立場が、だんだん悪くなってきた。総理を辞任するのであれば通常国会前だ。

 鳩山さんは「政治は税」と言っているが、民主党政権は増税へ加速しているようだ。景気の悪化で税収減が大きくひびいているが、これから自分の家計への負担が分かってくると民主党支持者も民主党から離れていくだろう。

 国民に税負担を強いながら自分の「政治とカネ」では、「知らなかった」で押し通す。恐らく贈与と言うことで、贈与税の納付になるだろうが、誰も指摘しなかったら脱税行為であり、立場がない。

 総理に就いた直後、国際舞台に華やかにデビューしたのはよいが、普天間基地移転問題では「常駐なき安全保障」の持論もあり、従来の日米合意が置き去りにされた感がある。鳩山さんは「クリントン国務大臣は理解を示した」というが、実情は違うようだ。駐米大使が呼び出され「日米合意の推進」を要求されたらしい。

 これで、一気に日米関係を危惧する論調が増えてきた。鳩山さんの発言の軽さが改めて指摘される。

 民主党政権の売りである「子ども手当」は、所得制限を刷るかどうかで異論が続出したが、所得制限なしで進めることになった。「暫定税率の廃止」は実質税率維持で決着するが、後味の悪さが残った。政権を維持するためには、マニフェストの変更もやむを得ないが、鳩山さんは「マニフェストが実行できなければ、総理を辞める」と見得を切ったこともある。

 そして、鳩山政権のリーダーシップに疑問を投げかける論調が多い。いろんな人の意見に耳を傾ける鳩山さんの性格も影響しているのだろうが、業を煮やした小沢さんが発言/行動するたびに鳩山政権の力は下落する。

 これ以上、総理の座に座り続ければ、通常国会は「針のむしろ」状態だ。国会審議で立ち往生し、自民党の追求の仕方では政局になる。鳩山さんが今、自分の置かれている立場が分からないのであれば、それこそ総理の資格はない。

もし、続けるのであれば、正式な記者会見をして国民に説明すべきである。

 総理になりたかった拘りはあったのだろうが、如何にせん器ではなかったことになる。小沢さんの担ぐ政権で成功した例はない。

2009年12月22日火曜日

小沢さんに頼りすぎる危うさはないか


鳩山さんは総理にむいているのか。性格から来ているのか、なかなか決断できず、周辺や国民はイライラするばかりだ。異論が続出する中で、最後は「私が決める」は麻生さんも口癖だったが、タイムリミットぎりぎりまで先送りしたのも似ている。

 そんな内閣だから与党幹事長の小沢さんの存在が大きい。

 鳩山総理誕生のお膳立てをしたのは小沢さん、政権交代への選挙を仕切ったのも小沢さん、予算編成での子ども手当、暫定税率に悩む政権に助け船をだしたのも小沢さん。こうなってくると小沢さんの存在は大きくなるばかりだ。

 世論調査では、内閣支持率は下落する一方で、政党支持率はまだ高い支持率を保っているのは何故か。まさか小沢さんの存在なのか、あるいは今の自民党では政権を任すことが出来ないためか。

 小沢さんが政権与党にいる限り、権力の二重構造は避けられず、政権発足時もそのことを危惧する人は多かった。それは細川政権時で前例があったからだが、今回もその心配は現実のものとなった。

 政府が頼りないと思われると、皆小沢さん詣でをするようになる。小沢さんの意向で政策が決まるようになる。小沢さんにしてみれば満足かも知れないが、これが一番危険なことだ。

 小沢さんは総理として国民の信を受けていない。国民の信を受けていない者が日本の政治の主導権を握り、政策を決めていくのはまずい。

 「小沢さんも変わった」という人もいたが、小沢さんは変わっていないのではないか。小沢さんに苦言を言える人達が去っていったと聞く。しかし、小沢さんは「裸の王様」にはなっていない。国民の声を知っているのは、選挙で各地を回って国民の声に耳を傾けているためだろう。

 小沢さんの役割は何なのだ。

 幹事長として選挙、党運営、国会対策を任されたと言うが、国民の声を政府に伝えないのは、与党幹事長として職務怠慢ではないかといって、自分(?)の考えを政府に伝え、政府の政策選択に影響を与えたことを正当化している。

 「政治とカネ」の問題も付きまとう。未だかって疑惑にははっきり応えず、「国民は信じてくれているものと思う」と身勝手な判断に終始している。

 民主党政権が国民の信を得るのは、小沢さん抜きの政治になったときだ。小沢さんが動けば動くほど政権の力は低下するだけだ。

 こんなことでも国際舞台でやっていけるのか。日本の国益を害することだけはやって欲しくない。

2009年12月21日月曜日

自民党よ 「少しは変わった」と言えるか


鳩山内閣の支持率が50%を切って48%に急落した世論調査(朝日新聞2009.12.21)が発表された。鳩山首相のモタモタ感、政権発足当初の閣僚の勢いが亡くなってきたのが原因だろう。技術系の首相だから、政策課題にいろんな条件を絡めて、一番よい結果を出そうとするから途中過程で揺れるのは当然かも知れない。

 それでも、政党支持率では、民主党42%、自民党18%で圧倒的な支持を得ている。まだ国民は民主党政権で「政治が、何か変わりそう」な期待を持っているのだ。鳩山さん自身の問題かも知れない。

 しかし、その鳩山さんの政治献金疑惑でも、40%が辞任すべきであると言うが、54%は辞任の必要はないと言う。鳩山さん自身は「知らなかった」と弁解するし、小沢さんのような悪事性は低いと判断しているのだろうが、脱法行為の疑いもある。「知らなかった」ですまされる程、甘くはないと思うのだが・・。

 これらの状況は、逆に自民党に有利に展開できる可能性がある。

 通常国会での審議を考えたときに、鳩山さん及び鳩山政権にとっては苦難が続くだろう。第2次補正予算、赤字国債発行での財政規律の問題では自民党政権時の違いを争える。マニフェストの初志貫徹か、臨機応変かでは自民党の現実重視で議論できるし、税制改革では増税なき財政再建の難しさでも民主党政権と渡り合える。

 自民党は、「変わろうとしている」ことを国民に示さなければならないが、今まで何をしてきたのか。

 「政治とカネ」では、二階さんの処分で従来と同じような対応に終始したが、中堅議員からの猛反発で役職を降りた。本人が議員辞職でもしていれば、もっと状況は変わっていたはず。民主党が繰り出す政策に何ら反論できていない。これでは間違っていたことを認めるだけだ。鳩山政権にはビジョンがないと言われている。自民党にこれが成長戦略だというビジョンはないのか。今一番大事なのは生活苦難者の救済と雇用創出であるが、何も政策がなかったのか。

 さらには、悪い情報ばかり目に付く。離党者も続いている。自民党は消滅するしかないとか、名称を変えて出直すしかないとか、ネガテイブな情報ばかりだ。

 今、民主党政権は、理想から現実への直面で大きく揺れているのだ。まず自民党は変わってきていることを示せ。

 まず、総選挙敗北の総括をすることだ。森さんや青木さんら今まで政権を維持してきた長老に気兼ねしていては、自民党は変われない。世代交代も進めることだ。来夏の参議員選では思い切って長老は辞退すべきだ。「政治とカネ」の問題では、党内で厳しく対応すべきだ。

 そして、成長戦略のビジョンを示せ。政権の座から滑り落ちると、莫大な情報を持っている官僚組織からも遠ざかることになるが、民主党に出来ないことを先んじてやることだ。

 自民党には、しっかりしてもらわなければ、健全な二大政党制は難しい。民主政治を守るためにも、自民党は今までのしがらみから脱皮し、がんばらなければならない。

2009年12月20日日曜日

一足早く、銀座に門松


マツヤ銀座店に一足早く、門松が飾られた。

まだ周辺はクリスマス商戦たけなわである。銀座も変わった。デパートは久しく売り上げが減少を続けている。ブランド店は閑古鳥が鳴き、ユニクロ、アバクロの低価格競争店が繁盛している。

2009年12月18日金曜日

また政治に裏切られるのか







民主党は、先の総選挙で政権交代を訴えた時、国民に向かって「「政治に裏切られてきた」「どうせ変わらない」と言うだろう」とも言った。一方、自民党は現実を見据えた政策があると訴えた。

 野党時代の発想だから威勢はよかった。自民党政権の180度転換した政策を掲げなければ政権交代はなかっただろう。長期政権での省利省益、族議員が育む環境、官僚の不祥事が明らかになった年金問題などは、当然のことながら脱官僚、官僚依存から政治主導に傾いた。

 しかし、政権交代後の鳩山政権が直面した現実は厳しかった。

 連立を組んだ結果、日本郵政の新社長に旧大蔵事務次官を選任したことで「脱官僚」のスローガンが剥げ、その後官僚出身者の人事が続いた。普天間基地移転問題では、新たな日米同盟を築こうと試みた間ではよかったが、現実は厳しい。結論を先送りしたことで鳩山総理の指導力が問われることになった。

  政治の仕組みを替える意欲は理解できたが、国家戦略相の存在感は感じず、目指すべき経済社会、成長戦略は一向に見えてこない。法律を作らなければ権限がないのでは心許ない。

 ムダの排除では、鳴り物入りで「事業見直し」をした。自民党政権時代も河野太郎さんや中堅、若手の議員が、ムダの洗い出しをやっていたが、これ程までにメデイアが飛びついたのには正直驚いた。異論もあるだろうが、政治を国民の身近に感じさせた功績は大きい。限られた事業の見直しだったために、成果はそれほどでもなかった。しかし、鳩山政権での目新しさはここまでだ。

 民主党政権での2次補正予算、10年度予算編成は、マニフェスト実現も含めて、その力量が問われることになったが、一向に改善しない経済、景気対策では財政出動か、財政規律かが問われる。折しも予想を超える税収減は、赤字国債の限度枠44兆円にも波及した。

 初志貫徹か、臨機応変か。

 悩む(?)鳩山さんに救いの声がかかった。小沢さんが「国民の声」として民主党の要望事項を政府に提出した。その内容は、政権幹部が雁首そろえて議論するも結論が出なかった政権の政策に逆行するものも含まれていた。

 民主党政権は、ここに来て臨機応変の政策へと大きく転換することになるのだろうか。
国民の期待にそぐわない結果になりはしないか。

 私は、PDCAで政策の実現を目指すべきだと思うが、そのためには国民にしっかり説明すべきである。要望、陳情なしの事項もあるとなると、小沢さんの「天の声」ということになる。

 鳩山総理は、通常国会できちんと国民に説明できる政策の選択をして欲しい。そしてビジョンを持って国民に訴えるべきだ。勿論自身の政治資金問題についての身の施し方を国民に納得させられるかどうかだが。

 そうしないと、何やら自民党政権と変わらない様相を呈することになり、国民は又、政治に裏切られる羽目になるのだ。

2009年12月15日火曜日

「貧しいときは、親は子供に飯を分け与えたものだ」

この言葉を聞いたことがある人が何人いるか。
 私は終戦直後に生まれたから食糧事情は悪かった。しかし、田舎で生活していたので食べる物は何とかなったようだが、量は十分ではなかった。

 毎日がそうだったから男の子供を持った母親は大変だ。母親の分を私達に分け与えてくれたものだ。その当時はそんなことは気づくはずもなかった。母親は、その後、皆が集まってチョッと豪勢な(?)な食事をするときに、「あの頃は、生活が苦しかって十分に飯を食わせてやれなかった」と申し訳なさそう言いったものだ。

 ところが最近、立て続けに2回、この言葉を聞くことになった。

 一回目は、東京に向かっていた車に中でNHKの「子育て」に関する対談を聞いていた時だ。

 5年前に離婚した男の子供を持つシングルマザーの家庭の話だ。御多分にもれず生活は厳しい。男の子は話しもしないし、問題のある家庭なのだ。1日3食の所を2食にし、それでも自分は我慢して子供に分け与えていた。貧しいなりにがんばる生活だったらしい。

 そうした生活が続くなかで、ある時突然、子供がまともになったというのだ。その男の子が、貧しい生活の中で母親は我慢して自分に飯を分け与えてくれていたことを知り、真面目な子供に変わったという。

 これこそ食育だという。

 2回目は、「たけしのTVタックル」の番組で、「子ども手当」が話題になった時、政治評論家の三宅一生さんが「昔は、親は我慢して子供に飯を分け与えたものだ」と発言された。生活が大変だから子育ての手当を出して、社会全体で子育てを助けることへの是非を問う議論の時だったと思う。

 三宅さんは、「貧しければ貧しいなりに子育てをするやり方がある」と言いたかったようで、私も同感であるが、「時代が違う」という多数の意見にかき消された。

 民主党が進める「子ども手当」は議論のあるところだ。子供に支給するのではなく、待機児童解消のための施策にまわし、親が仕事に就き家計を助け、貧しいなりにも生活を確保できる方が良いと思うのだが・・。
 「子ども手当」がテーマになると、子持ちのシングルマザーの家庭がテレビ画面に映る。今の生活は、「3食を2食しにし、自分は我慢して子供に分け与えている」とコメントしている。

 望んでそう言う境遇になった訳ではないだろう。貧しい成りに親子で生活できる手助けは、政治の責任だ。