東大・A.C新営工事、埋蔵物文化財発掘調査現場 2013.11.23 |
東京大学が新しい図書館の書庫を増設するのに伴う埋蔵文化財の発掘調査が行われ、11月22,23日に見学会が実施され、23日の午後の部に参加した。東大の敷地は、赤門に見られるように、ほとんどが加賀藩上屋敷跡で、東京帝国大学図書館にも使われたが、関東大震災で焼失、今は2~2.5m掘り下げられ江戸時代中期の地層が出ている。
地層に、焦土、灰色層が見られるが、焦土は関東大震災での大火の結果で、灰色は数10万冊と言われた蔵書が燃えた跡だろうと見られている。
敷地は兎に角広い。10万坪と言われ、中央に藩主とその家族が住む御殿、それを取り巻くように家臣が住むエリアがあり、有名な三四郎池は御殿の庭園だ。赤門は余りにも有名であるが、当時は将軍家から嫁をもらうと門や何から何まで赤を塗ったそうだ。
発掘現場は、踏み固められた堅い層まで掘り起こされ、穴や構築物がきれいに整理されている。
植栽痕 |
そして、木を植え替えた跡が分かる「植栽痕」も見られる。
当時の生活道具や食べ物の後始末をした「ゴミ穴」、ここには位の高い人が食べたアワビの貝殻や位の低い人が食べた貝類の殻も残っていた。
ゴミ穴 |
面白いことに、素焼きの欠けてもいない新しそう皿が捨ててあったそうだ。神の前で使った物は使い回ししない風習があったのだろうという。
地下室 |
妙に地下室が多い。
そんなに大きくはない穴だ。ここは火事などが発生したときに、生活品を保管して逃げる為の倉庫のようなものだ。火事が収まって戻ってきて又、生活を始めることが出来る知恵なのだ。
関東大震災では、生活道具を持って逃げたために、道路は渋滞し、広場は人間が入れないほど狭くなり焼死していった。
便所 |
「便所」は、穴の周辺の土がカルシイウム分で堅くなっているので直ぐ分かるそうだ。面白いことにその中に、銅製の鏡やカンザシが7~8本落ちていたという。
1827年に嫁いできた溶姫の御殿があった場所での遺物だ。
井戸など |
「井戸」、「上水井戸」「石組溝」、「塀列」もうかがえる。
この時代は男は9割が単身赴任だったようだ。参勤交代では3000人の人が動いたという。女性は藩主の夫人で、女中が150人いたとも言われているようだ。
この埋蔵物調査が終わると、この場所は地下40mまで掘り起こされ、300万冊の蔵書を保管し、出し入れ出来る「ハイブリット図書館」が出来るらしい。
東大で有名な赤門 この時代、将軍家から嫁を取ると門から何まで赤く塗るそうだ |
三四郎池 加賀藩上屋敷の庭園 |
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