従来の政府見解を越えて安倍総理の拘る集団的自衛権行使の憲法解釈見直しが閣議決定されたが、5日やっと憲法研究者ら160名が撤回を求める声明を発表した。今まで知識人を初め反対する集会、声明が発表されていたが我が国の憲法学者はどう考えていたのか不思議だった。
声明によると、「集団的自衛権の行使」という60年以上にわたって積み重ねられてきた政府解釈を国会での審議にもかけず、また国民的議論にも付せずに一内閣の判断で覆してしまう暴挙であり、断じて許容出来ない(集団的自衛権行使容認の閣議決定に抗議し、その撤回を求める憲法研究者の声明より)。
そして、新解釈では、どのような「他国に対する武力攻撃」の場合に、いかなる方法で「これを排除し」、それをどのような意味で、「我が国の存立を全う」することになるのか、またその際の我が国の実力行使がどの程度であれば「必要最小限度」となるのか、全く分からないと、従来の政府答弁から完全に矛盾しているという(同上)。
更には自衛隊による武器使用、他国軍隊の武力行使への自衛隊の支援なども画策されている。
これらのことを考えると、「戦争をしない。軍隊を持たない」と定め、徹底した平和外交の推進を政府に求めている憲法9条の根本的変質に他ならないとして、閣議決定に対して断固として抗議すると共に、速やかな撤回を強くもとめるというのだ。
確かに日本近辺での中国、韓国の動き、朝鮮半島問題など不穏な動き、原油確保のためにシーレーンなど従来の見解では平和維持で国際貢献することも不便を感じている面もあるだろうが、閣議決定で平和憲法の重要な根源である憲法第9条の解釈を変更することは暴挙だ。
安倍総理は、「大切な国民の命、平和な暮らしを守るため」と強調するが、一定の条件を満たせば自国ではなく、他国を防衛するために武力を行使することが出来ることに少し違和感がある。
この問題こそ「万機公論に決すべし」であるが、安倍総理が言う「丁寧な説明」にもかかわらず自民党・地方議員にも支持者を説得しにくいという。
先日の広島での平和記念式典で広島市長は「69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要がある」と言い、平和憲法の維持を訴えた。戦争を経験した者は「閣議決定をたがが外された」と思い「戦争への危険」を口にし出した。
自民党も古賀さんら長老が反安倍の姿勢を鮮明にし、派閥の長に圧力をかけているが動きが鈍い。現役派閥の長は閣内に取り込まれて反安倍で動けないのだ。
490人を超える圧倒的多数の議席を背景にした安倍総理は、本来なら憲法改正の手続きを経る必要がある憲法解釈見直しを閣議決定という安易な手段に出た。
当然、「閣議決定の効力」が問題になる。
日本は立憲国家だ。国会で審議せず、国民に広く議論の機会を与えずに一内閣で決めてどうなるのか。
閣議決定とは、官僚が政策案、法律案を作り事務次官会議に図り全次官一致で閣議に提案され、国会審議を経て政策、法律が制定されていく。
第1次安倍内閣の時、安倍総理が事務次官会議で諮られなかった事案を閣議で取り上げて一悶着したことがある。別に事務次官会議を重視するわけではないが、今回の集団的自衛権行使案件はどういう過程を踏んだのか。
それはどうでも良いとして、閣議決定しても関連する法案を国会で審議しなければならず、当然に憲法の理念に合っているかどうかの判断が要求される。
内閣法制局長官を集団的自衛権行使容認派に更迭したのだから問題ないだろうか。それとも内閣法制局は行政の一機関で総理が最高責任者と言うことか。
声明は更に言う。7月1日の閣議決定で終わったのではない。今後提案されてくるであろう関連法の改正や新法の制定の動きに対して、今回の閣議決定を断固として認めない立場から、これらを厳しく検討し、時宣に応じて見解を表明するという(同上)。
憲法学者としてしっかり監視して欲しいが、今回の160人の中にどうして東大や京大の先生がいないのか。御用学者は不要なのか。憲法研究者と名乗っているが憲法学者と違うのか。
何故かチョット不安になる。
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