もう止めたらどうか、「やらせ国会審議」。朝日新聞(2014.3.22)の社説「「一強」国会、誰のための審議か」が目に止まった。それによると、前半国会での議論の深まらない審議を言葉でなく、イメージ重視しているとし、結論は決まっており議論は無駄のような「勝者の驕り」を見るという。
そして個々の政策について有権者の理解を深めるために首相や閣僚に説明を求める責任を負っている。後半国会では深みのある論戦の展開を求めるというのだ。
全く同感だ。
私も2014.3.4掲載のブログ「NHK国会中継は誰のためにあるのか」で、今の国会は「やらせではないか」と疑問を呈した。
質問者は予め質問書を提出し、担当部署の官僚が答弁書を作成、総理や閣僚はそれを棒読みする。NHK国会中継では質問者は有権者向け(?)にフリップを用意し質問するので見ていて内容が良く理解できるが、総理、閣僚、答弁する参考人はペーパーの棒読みなので数値を喋ってもよく理解できない。お互いに言いたいことを言っているだけだから「新しい何か」を見いだす余裕などない。これでは官僚政治を代理執行している事に気がつかないのかと言う意味のことを書いた。
参考人として出席した官僚が答えていては大臣は勉強しない。だから国会改革で官僚が代理答弁することを禁止したのだ。そのためばかりではないが、ペーパーの棒読みが始まったが衆参の規則では棒読みは禁止されているはずなのだ。
だからNHKの国会中継を聞いていても「やらせ国会」としか思えない。そんな国会審議では審議日数、審議時間を重ねるだけで意見は平行線に終わるのが落ちだ。
ある週刊誌で「NHKは総理が野党議員を論破している」ように編集しているとNHKのやらせを批判していた。野党議員が質問し、総理が「○○でありますから○○」式に答えると論破しているように見える。
総理の答弁の後で再度野党議員が発言するワンシーンが入れば、今度は総理が野党議員にやり込められていると言う風にも見えないか。テレビのニュースを公平に見るのも大変なことだ。
それにしても、国会改革は「審議の活性化」が第一歩ではないか。「やらせ国会審議」は止めよう。見ていて、聞いていて無駄名気がする。
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