手前と道路を隔だてて空き家が並ぶ。空き家は過疎地ばかり でなく、都会でも同じ問題を抱えているのだ。 東京・大田区 久が原で |
先日、田舎で公民館長も経験し自営業をやっている従兄弟から「最近集落で10軒の空き家が出て来た」と言う。そんなに戸数のない部落だから10軒は多いのだ。
「東京もそうだ」と答えた。私が孫の保育園への送迎に使っている道中で5軒の空き家を見る。広い庭に平屋建てや2階建てでペンキは剥げ、壁には蔓状の植物が這っている。松など植木は伸び放題で敷地からはみ出ている。庭には住んでいたときに使った道具類が散乱し、さび付いている。
以前は広い庭に一戸建てが建っていたが、 25坪程度を3区画に分割して売りに出ている 東京・大田区 東嶺町で |
親が生きている内はそのままにしておこうと思っているのか、先祖からの土地で売りたくないのか。私の感覚からすると維持管理も怠り荒れ放題だ。
まず、こう言う空き家があると周りの家に迷惑がかかるし、防犯上も問題になる。道沿いは近所の人が掃除しているのだろうが、庭は落ち葉や草で荒れ放題だ。火の付いたままのタバコの吸い殻をポイ捨てされると火事の危険もある。
良く話をする80歳代のおばあちゃんが、やはり古い2階建ての一軒家に一人で住んでいる。長く飼っていた秋田犬が死ぬと直ぐに柴犬を飼うことになった。寂しさを紛らわすことが出来るのだ。おばあちゃんは「私が死ぬ方が早い」と言って笑う。
近くに娘さんが住んでいて、「「いつでも一緒に住めるよ」というが「しばらくは一人で生活したい」と断った」そうだ。話の好きなおばあちゃんで犬の散歩でお友達が増えるそうだ。
今、空き家問題は所有者だけの問題ではなく、地域にも影響する社会現象、「公共的課題」になっている。
私も空き家問題が他人事ではなくなってきた。
私も東京に移り住んで6年になるが、岡山県には限界集落とまでなった田舎には親父の実家と墓、人口が6万人の町には先祖代々の土地に母が建てた一戸建て、群馬には妻が週のうち半分利用している一戸建住宅がある。
親父の実家は叔母が一人暮らししていたが施設に入りズッと空き家になっている。所有権は私にはないが叔母が亡くなったらどうするかが問題だ。田んぼは良いところは売却したようだが、ほとんどは荒れ放題の状態だ。
母が建てた一戸建ては、近くに住んでいる従兄弟に贈与した。それまでは年に2回、庭の手入れ、掃除のために群馬から帰っていたが、これが大変な仕事だ。仕方なく植木屋に手入れを頼むと20万円近くかかった。維持管理も大変だ。
群馬の一戸建ては35年ほど住んだ。場所も良いところで軽井沢や観光地にアクセスしやすく娘や孫が売らないでくれという。でも垣根や植え込み、植木、庭の手入れなどは私がやっている。植木の剪定の仕方は東京で孫を保育園に送り迎えする道中で植木職人のやり方を見て覚えた。
東京は将来かならず首都直下地震に襲われる。そのとき一時の避難所としての利用価値はあると考えている。
だから私の体力が続く限りは維持管理をやろうと思うが、出来なくなったときにどうするかだ。植木職人、塗装など家の維持管理費用はバカにならない。
売却するにも買い手が付くかだ。木造だから撤去には200万円、土地代金を入れても大したカネは残らない。役に立つのであれば福祉施設に寄付ということも選択肢だ。
意外にもテレビ番組で「田舎で暮らそう」という内容のものがある。テレビだからやらせの面もあるが好評のようだ。
過疎の町が税法上優遇策を採っているので安く一戸建てが手に入り、こんな自然環境で子育てするのは夢だったと言う。でも仕事は大丈夫か、病気したときの医療機関は、これからの教育をどう考えているのか。
東京は人口流入が増え、地方は過疎になる。逆に「地方へ行け」という。私も好きこのんで東京に来たわけではない。娘夫婦が共稼ぎで3人の孫の面倒を見てやるために引っ越してきた。所謂、子育てと女性の社会進出支援のためだ。
遺産相続は持てる者と持たざる者との格差拡大の要因にもなるが、田舎に持っていることは負の遺産なのだ。
東京は大きく変わろうとしている。
ウーターフロントの超高層ビル、マンションの林立には驚くが、首都直下地震、遠方で起きる巨大地震による長周期地震動での揺れは未経験だ。
そして、私たちの住んでいる街は広い庭に平屋建ての住環境から小さな3階建てが増えている。工事現場を見た年配の女性が「前は大きな一軒家が建っていたが、同じ土地に今は小さな家が7軒も建っている」と住環境の悪化を懸念する。
東京では大震災時の木密住宅が問題になっているが、こんな家が密集すると火の廻りが早く危険だと思うのだが。
若い人口が増えて住居を供給しなければならないが、若者向けにマンションを購入する資金で一戸建てを建てるので、こう言うことのなるとデベロッパーは言う。
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