国連防災も気候変動も同じ穴のむじなか。途上国vs先進国の政治的駆け引きで資金の奪い合いではうまく行くはずがない。仙台で開かれていた第3回国連防災世界会議もやっと「仙台防災枠組み」が採択され数値目標なしの7項目の世界目標が決まったという。
なにやら地球温暖化防止でCO2など温暖化起因物質の削減の枠組みを決める国連気候変動と同じような状況ではないか。先進国と途上国が財政支援を要求し合う構図と同じなのだ。
そう考えればうまく行くはずがない。結局は国際防災、気候変動を仕事とする○○村のグループの利権(?)獲得競争になるのだと言えば言い過ぎだろうか。国連防災の活動も各国が政治的駆け引きで動いている限り被災民、低開発国の救済にはならない。
国内でもうまく調整できない政策課題を国連の場で調整できるわけがないのだ。
新聞でやっと決まったという7項目の世界目標を見てみた。
災害による死亡率、被災者数を2030年までに減らす。災害による経済損失のGDPに対する比率を減らす。30年までに重要なインフラ施設、基本サービスに対する被害を大幅に減らす。20年までに防災戦略を策定した国を大幅に増やす。30年までに持続的支援により新たな枠組みを途上国が実行できるように国際協力を大幅に強化する。30年までに早期警戒システム、災害リスク情報とその評価を大幅に普及させるの7項目が挙がっている。
確かに数値目標もなければ災害の定義も分からない。持続的支援で国際協力を強化するというが財政支援の枠組も決まらなかったようだ。これではどうしようもないと思うが、逆にここまでよく出来たことものだと思う専門家もいるだろう。
災害の中でも気候変動による災害は大きな比率だろう。発生件数は減っているが、その勢力は大きくなっているとよく言われる。我が国を襲う台風もそうだが、時を同じくして発生した大型サイクロン「パム」による島国バヌマツの被害をメデイアの報道で見るにつけ被害の甚大さを目の当たりにする。
簡単な住まいが吹き飛ばされた被災民を救済するのにどうするか。まさか仮設住宅を建てるわけにはいかない。テントの支給になるのか。島国の身分相応な救済策は被災国が考えることだ。それに財政支援するということか。
でも、途上国が財政支援の責務の明確化を訴えたのに対して先進国は反発したという。仕方ないことで支援策は何時もこうなるのだ。
国連気候変動枠組の会合がパリで開催を予定されているが、京都議定書のあとの新たな枠組みができるかどうか。国内経済への影響を懸念しての排出量問題、そして途上国vs先進国の財政支援闘争になるのだ。
ところで今回の第3回国連防災世界会議をなんで仙台で開催されたのか。東北地方太平洋沖地震での復興を世界の人にアピールしたかったのだろう。防災、減災、復興事業はビジネスにもなるのだ。
ところが、第1回が1994年横浜で、第2回が2005年に神戸で、そして第3回が2015年仙台で開催された。1990年から10年ごとの「国際防災の10年」ということで中間の年に国連防災会議が開かれているが、今まですべてが日本の開催だ。
外務省のHPによると、日本の防災ノーハウを世界に紹介し東日本大震災の経験、教訓を国内外に発信するというのだそうだ。
しかし、復興に関しては被災住民の意向を十分に反映させているか、カネにものを言わせた強引な復興になっていないか。そして福島第一原発の事故はチェルノブイリを超す事故だがその対応を世界にどう発信しているのか。
放射能汚染では安倍総理の「under control」が対策の障害になっていないか。先の国会審議でも東電・広瀬社長が答弁に窮していたシーンがあった。総理が世界に向けて発したメッセージなのだが、これにこだわっていては本当の解決策は出てこない。
毎回日本でやったということは、日本にとっても政治的野心があるからだ。ODA予算も増やし、国連安全保障会議の改革を謳っている。これには国連で議席を増やしている途上国の支持が欠かせないのだ。
しかし、どうであれ自然災害に勝てる技術はない。その風土に合った対応で減災に立ち向かうしかないのだ。先進国vs途上国の構図で考えていては「より安全な世界に向けての戦略」など出てこない。
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