朝日新聞 2015.5.29 |
IAEAが東電・福島第一原発の事故報告書をまとめ、その要旨から事故は起こるべくして起きた甚大事故であった事が分かった。朝日新聞(2015.5.29)によると「事故当時は原子力事故と大規模自然災害の同時発生を想定した備えがなかった」という。
あれだけの取り返しの付かない事故を起こしておきながら東電の経営者の責任が問われないなんて可笑しくないか。事故が大きければ大きいほど問われる責任も大きくなる。
社長の日常業務で業務上注意義務があったかと問われれば難しい面もあるが、安全、技術担当の役員には巨大地震とともに発生する巨大津波による原子炉機能不全の予見可能性は認めるべきだ。
ところが当時、東電には原発のリーデイングカンパニーとしてのプライド、思い上がりが大きく周囲の意見を無視した傾向があったのではないか。原子力発電と火力発電では扱っている物質に大きな違いがあり注意義務も厳しく問われるべきだ。
IAEAの報告書では、「東電は最新の知見に基づく評価手法で東日本大震災とほぼ同等の津波を試算したが処置しなかった」と指摘している。福島第一原発を襲った津波の高さは15.5mだが東電の想定は5.7m、ところが福島沖でM8.3の地震が起きれば津波高さは15mになる試算が出ていたが措置をしなかったのだ。
この点は今までにも良く指摘されていたことであるが、東電は正式な会議での報告ではなかったとか、地震の専門家はM8.3クラスの地震を認めていなかったと抗弁した。
当時福島第一原発の所長をしていた吉田さんが本社の上級管理職についていたとき専門家は認めていないと措置を講じなかったと聞いている。更に防潮堤のかさ上げが80億円程度かかるとも言われていた。80億円をケチって村を離れて暮らしたり、帰宅困難者が多数出ている事故を起こしてしまった損害は遙かに巨大であることを認識すべきではないか。
また、2007年には原子力安全基盤機構(JNES)が15mの津波で炉心損傷がほぼ100%起きることを指摘していたのだ(東日本大震災SP 2014.3.9サンデーモーニング)。
折角の指摘も原子力の安全神話を守るために原子力安全保安院が公表を抑えていたらしい。
原子力の3原則の中に「情報公開」があるはずだが「原子力村」の面々は国民を騙してばかりだ。
又、報告書は「複数の炉の電源や冷却機能を失った場合の備えが運転員になかった。適切な訓練を受けていない上、対応する機器も不十分だった」と指摘する。
今回の福島第一原発の事故が地震によるのか、津波によるのかは未だ最終的な結論が出ていない。ある報告書では津波による被害と認めている。
ところがこの全電源喪失により冷却不能に至る危険は2人の所長経験者は予見していたのだ。
当時の吉田所長と所長経験者で東工大特任教授の二見さんは「福島第一原発が抱える問題は外部電源喪失」であることを認めていたのだ(週刊現代2013.12.14)。その週刊誌の記事「墓碑銘2013忘れない夢」で二見さんが吉田さんのことを述懐していた。
それによると、2人は歓送迎会の帰りに二見さんが福島第一原発の抱える問題点として外部電源喪失を指摘したとき吉田さんは深くうなずいたというのだ。事故はその10ヶ月後に発生した。所長となって赴任したばかりで10ヶ月で何が出来るか分からないがどの程度吉田さんが認識していたかだ。
私たち国民は「原子力は安全」と思い込まされていた。御用学者も率先して安全を吹聴し、
理論物理学者の武谷さんのように「原発の危険性」を論じる専門家は影が薄かった。
また「原子力村」の人間に頼っていて良いのかという不安は残る。今の規制委員会の田中さんも原子力村の人間だ。原発反対運動の集会でそのことを指摘する団体があった。
そして今、田中さんは川内原発の審査に関しで地震学者の石橋さんの指摘に反論している。
こんな調子で地震や火山大国の日本で原発の安全、国民の生命、財産の維持が出来ると言うのか。
更に報告書では「安全性の定期的評価、災害の再想定、過酷事故に対する対応の基準や指針が国際的な慣行などに沿っていなかった」という。見劣りする自分勝手な安全施策に東電など原発事業者、規制委員会など原子力村の人たちはどう言い訳できるのか。聞きたいところだ。
正式に報告書が出たら読んでみたい。
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2013.12.3掲載
東電・福島第一原発の「外部電源喪失」:2人の元所長は危険を予知していたのではないか
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