2016年10月13日木曜日

(仮説)オリンピック開催の見直し:2020年東京オリンピックから2020年オリンピックへ

2020年東京オリンピックの開催での施設、開催費用、大会後の維持管理でゴタゴタしている。一カ所に膨大な数のアスリートを集めての大会開催は本質的に無理なのだ。一層のことオリンピック開催方法の見直しをしたらどうか。たとえば2020年東京オリンピックから2020年オリンピックとする。

20○○年○○月○○~○○日をオリンピック月間として各競技団体が世界各所で独自に世界大会を催し成績優秀者に従来通りメダルを授与するのだ。今までも各種世界大会が実施されているのだから問題はなかろう。

一カ所に多数のアスリートが集まり、多数の観客を集める必要がないので従来の施設をそのまま使えるのではないか。

選手には、「多数の人に見てもらいたい」とか「東京でやりたい」とか「良い施設を世界に見てもらいたい」など希望があるようだが、成績には関係ないのではないか。

開催にはカネがかかるので利権も絡んでくる。招致のためには不思議な名目のカネも必要になるし、IOC,JOCでもオリンピック貴族が幅をきかす。同じ人が世襲で地位にしがみついているのだ。招致委員会、組織委員会も利権がらみだろう。

その人たちの杜撰な計画が今、施設の見直し、運営費用のかかりすぎ、大会後の再利用が問題になりゴタゴタしている。組織委員会にとっては今までIOCと話し合いを重ねて決まったことが変更されようとしていることを批判しているし、世界にゴタゴタが報じられることは恥なのだ。

東京のゴタゴタを見てオリンピックを招致使用としている都市は躊躇するのではないか。実際にボストンは諦めたしローマは名乗りを上げていたが辞退することを決定した。女性市長が決断したのだ。その理由の中に1960年開催時の借金が残っているというのだ。

ブラジルも開催間際まで「オリンピックより社会保障」(?)の対政府デモが相次いだ。施設費を削減するために仮設を重視したところもあるそうで、小池知事もパラリンピックで訪問したとき仮設施設を見学したという。

3施設の見直しが上がっているが小池知事はどう判断するのだろうか。そもそも開催に当たって哲学がなかった。だからボート/ヨット会場を宮城に移す段階で「復興五輪」の考えが出て来た。大会時の宿舎に仮設住宅を使うと言えば小池さんは「もったいない」精神に共感する。

オリンピック貴族、各種競技団体の利権者、東京都の杜撰な計画が知事が替わって疑惑を露わにしたようだ。

今後のオリンピック開催は分散型にして巨額の借金を開催都市に残さないように工夫しなければオリンピックの将来はない。

この辺で一度IOC,JOC、組織委員会のオリンピック貴族、利権者、アスリートはオリンピック憲章を読み直したらどうか。

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2015.5.22掲載

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