2016年10月16日日曜日

今日の新聞を読んで(29):熊本地震から半年、震災復興を考える

熊本地震での活断層上の益城町
NHK「活断層のムラの苦闘」 2016.10.14
熊本地震から半年、活断層による被害の大きさ、倒壊家屋の整理が付かないままに復興も遅れているニュースを見るに付け、活断層上及びその付近の震災復興の是非が問われる。

こういう時に何時も思い出されるのが寺田寅彦博士の随筆だ。

震災直後は、被害を受けると危ないので少し離れた高台で町作りをするが、職場は海岸縁、平坦地だ。時間が経つに従って震災の痛手もうすれ、「便利さ」「不便さ」が台頭し忘れたかのように平地に出てくる。役人も最初は規制を考えていたが「不便さ」には勝てず、更に担当者も交代し規制が緩み、震災前の街作りに戻っていった。

町は活況を呈し住民の生活も安定し「震災を忘れた」頃、再び大きな被害を受け、「あの時」の痛手を思い出すのだ。「その繰り返しではないか」と博士は言うのだ。その通りだろう。3.11東北地方太平洋沖地震では先人の「ここから下に家を建てるな」の碑に従って高台に家を持つ住民は皆助かっている。

NHK「活断層のムラの苦闘」より
熊本地震被災地の現況をニュースで見ると、活断層上及びその付近での家屋、宅地、農地、山間の被害は大きく震災復興には大胆な決断が必要だ。熊本城の石垣だけで支えられている飯田丸五階槽の補強写真を見ると倒壊も熊本地震の歴史ではないかと思うし、阿蘇町だったと思うが倒壊した神社をどうするのか。場所を移しての復興に意味があるのかと心配になってくる。

震災復興に障害となるのは「この町を離れたくない」「このコミュニテイーを守りたい」「仕事場を失いたくない」「高齢者の住居の確保」は決して他人事ではない。

一方で、一度大きな地震が起きると、今度発生するのは数百年、数千年後だ。勿論ワンランク下の余震、アウターライズ地震の心配はあるが、しばらくは安定するのではないかと言う期待感、そして活断層から1km程離れれば被害は激減するのだ。

そんな事を考えると活断層上から少し離れた場所での街作りが重要になる。

既に実施している自治体もある。朝日新聞(2016.10.16)によると横須賀市では活断層から両側25mずつの範囲で住宅建設を制限しているし、福岡市では警固断層帯での震災から断層周辺にビルを建てるときは耐震強度基準を25%上乗せするし、徳島県では県北部を走る中央構造線断層帯の直上の建設を規制しているという。

一方で、私の住んでいる東京・大田区から26km(?)離れた所に立川断層がある。都下でも有名な断層で一時メデイアが騒ぐので立川を取材したことがある。都内地図に立川断層の予想場所を線引きして町を歩いてみた。

この下を立川断層が走っていると考えられている
立川市にて
そして市役所によって「何故、規制しないのか」と質問すると、「断層の存在ははっきりしているわけではない」ということだった。5年ぐらい前の話だ。


震災復興は難しい。震災を受けた同じ場所に町つくりをし、「忘れた頃に」再び痛手を受ける。この繰り返しが歴史なのだ。

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