2017年11月27日月曜日

今日の新聞を読んで(122):小池劇場の「罪と罰」

今年の反省はまず第一に「小池劇場の罪と罰」だ。都民、国民の一時の期待を背負った「小池劇場」もメデイア、一部の都民の期待だけに終わりあっけない最後となった。今は小池知事がメデイアに登場するのは滅多になく、雑誌類も小池批判の記事が溢れている。

新聞報道によると、日本ばかりでなく、フランス、あのメルケル首相率いるドイツでも波乱含みの政局が続く。

そもそもあの「小池劇場」は何だったのか。何を小池さんに期待したのか。その程度の政治だったのか。

確かに直前までの都知事の行状は都民の反感を買う内容ばかりだった。石原さんは禄に登庁もせず側近による都政、パフォーマンス優先の都政だった。それが議会のドンと言われる存在を作り出し自民党の我が儘な都政が築かれることになった。

続く猪瀬さんは何を思ったのか徳州会にすり寄り政治資金疑惑を生み出した。議会の追求で鞄の中に5000万円を突っ込む様子が日本中に放映され赤恥をかいた。追及が厳しくなるとみて知事を辞任した。

そして舛添さんの登場だ。国会では自民党に反旗を翻し立ち位置がはっきりしなくなった。でも都知事選でも自民党の支持がなければ当選も覚束ない。参院選のようには行かないのだ。出馬会見が延びたのも自民党との関係があったからだ。

しかし、舛添さんが知事になってみて、あれほど批判していたオリンピック関連もあっけなく同意してしまった。数多い外遊も豪遊で税金の無駄遣いが批判され、自分の政治とカネ問題ではそのケチ振りが大きな批判となって辞任せざるを得なくなった。

今までろくな知事が出ていないのだ。

そこを小池さんはうまくついてきた。国会では自らの立ち位置が分からず不遇だったが、「東京大改革」を掲げて今までの知事達を敵に回して出馬したのだ。
自民党の公認を得ようとしたが自民都連との関係が悪く一人、「がっけぷし」の出馬となった。女性や都民の一部は「弱い者虐め」と映り判官びいきが始まった。小池さんもその点を強調する言動が続く。

都民第一を「都民ファースト」とし会を立ち上げた。「都民ファーストの会」だ。これが母体となり知事選を戦った。都知事選は人気投票の傾向もある。知事が無能でも7割方は都庁官僚がしっかりやってくれる。

自分の人気と誤解した小池さんは国政への進出も考えた。「国民ファーストの会」と言い出した。しかし国政進出はそううまくは行かない。政策? 地方組織? 政治資金? 東京都という地方から全国区へ支持が広がるのか。

折しも民進党から生き残りをかけ合流話が持ち上がった。前原さんは「それしか民進党の政策を遂行する」手段はないと思ったのだが、小池さんと考えが違っていた。前原さんは全員合流を考えていたが小池さんは第2民進党になる事を恐れて「排除します」発言が飛び出した。

小池さんの側近は、「さきがけ」が民主党と合流するとき竹村元官房長官を鳩山由紀夫さんが「排除」したことを例に挙げ進言したらしい。男の世界では通用しても女の世界では通用しなかった。「小池さんは嫌いよ」が一挙に小池人気を捨て去ったのだ。

結果は惨めで、50人の当選者のうちほとんどが旧民進党出身者、それでも比例区1000万票は小池さんの人気と考えていたようだが、直近の葛飾区議選では5人の候補者を出したが1人のみの当選でしかも旧民主党出身者だった。

こうなったら覚悟しなければならない。「希望の党」代表の辞任だ。創業者の責任を主張していたが「何らかの形でサポート」すると言わざるを得なかった。

都知事はまだ、都の官僚がしっかりしているからゴタゴタさせていても70%は何とかなるが、国政となるとそうはいかない。党体制もはっきりせず、政策も第2自民党、そして小池さんの人間性もはっきりしてきた。

小池離れだ。

「悪さ加減の少ない者」は誰だ。小池ではなかったのだ。政治に万一はないだろうが自民党公認での増田さんが都知事に当選していたらどうなったか。

議会改革は出来なかっただろうが、オリンピック関連のゴタゴタはなかっただろう。豊洲移転も計画通りに進んでいただろう。東京都から日本を変えることはどうなったか。

増田さんは東京一極集中を批判していた。年寄りは地方に帰れという。そんな事で東京の将来はどう描いていたのか。

やっぱり都知事選は人気投票なのか。「悪さ加減の少ないこと」が選択基準なのだ。



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