噴火を描いた絵図 |
富士山大噴火は、避けられない自然現象の繰り返しなのだ。3.11東日本大震災の発生後、日本列島は巨大地震の発生が危惧されている震源域での歪などの蓄積で、その確率が早まったという。そこで出てくるのが富士山の大噴火の恐れで、メデイアの報道も目立ってきた。
富士山は、私が高校生のころは休火山だったと思うが、いつの間にか活火山に分類される活動している火山なのだ。もう30年ほど前だったろうか、相良さんという気象学者が9月15,16日に富士山が爆発することを予知した本を出版されたことがある。低周波地震、地下水温、マグマの上昇など理由を挙げての警告だったと思うが、その時を過ぎても噴火はなかった。
予知が外れたのだから、それまで名声をさせていた相良さんはメデイアから消えていったが、直後に富士山と関連している三宅島かどこかの火山の噴火があり、強ち相良さんの予知も全くの嘘ではなかったのではないかと思ったこともある。
宝永の噴火のときに出来た火口 |
富士山噴火の歴史を見ると、貞観地震後の864年、宝永地震後の1707年11月23日の大噴火といわれているが、「火山災害の研究」(損害保険料率算定会 平成9年)によると、1707年10月28日東海道沖~南海道沖を震源とする大地震起きる。11月16日、地震頻発し、東麓で強い地震、16日8時、東麓で強い地震とともに噴火開始、ゴロゴロという音と黒煙が上がった。
10時に噴火開始、東麓、南麓で白い灰が降る。13時には江戸でも白い灰が降る。16時には江戸も黒雲に覆われ、降灰が続き、灰の厚さは5~7mm(江戸)、日暮れのようになった。夜は晴れて空も見えたが、17日は江戸で強い振動、南西の噴煙中に雷、強い振動が止んだり続いたりした。18日は江戸は曇り、霧が立ち込めたようになり、黒砂が降るようになった。富士山の近くの村では「砂の降ること雨のごとし」という。その後強い振動、雷鳴が続くが、23日には噴煙と火山弾が吉田で見えた。灰は降り止むが霧煙が深く火山弾の噴出も続くが、1708年1月、噴火が終息する。
噴火が始まって数時間は安山岩質の噴出物が噴出し、その後玄武岩質のスコリア噴出に変わった。爆発的な噴火は最初の3日間で、あとは断続的な噴火が1708年1月まで続いた。大量の火砕物が山や谷に堆積し、雨とともに酒匂川などの河川に流入し、洪水が頻繁に発生した。下流域では農地の埋積がたびたび発生、このような洪水は噴火後10年にわたって続いたそうだ。焼石の落下は近くの村を全滅させたほどだ。
降灰は酒匂川に大洪水をもたらし浚渫を繰り返したようだ。幕府は藩領を幕領にし、全国の藩に普請の要請、分担をしたようだが、生活弱者も生み、男、若者は他に仕事を見つけに出て被災地は子供、女、高齢者だけになったそうだ。
当然、社会的矛盾も明らかになってきた。この点は今回の東日本大震災にも言えることだ。
相模トラフ、東海・東南海・南海の連動による巨大地震の後には必ず富士山噴火の危険があることは災害歴史から見ても明らかだ。
今、富士山周辺では異常が見つかっている。異常出水、温泉の出現、富士山の永久凍土の減少、低周波地震、山頂直下での地震、富士山周辺での地震の発生、磁気異常、マグマの上昇、山体温度の上昇などを前兆として指摘する研究者もいる。
寺田虎彦博士の「自然災害は、必ず繰り返す自然現象だ」という言葉を思い出すまでもなく、肝に銘じておかなければならない。残念なことはその時期、規模まではわからないことだ。国は今、地震研究に年間400億円もの研究費をつぎ込んでいるのだから、専門分野にこだわらず、研究者の奮起を期待する。
写真:いずれも「大震災後の富士山はどうなる 噴火と崩壊の危険」 2011.12.15 テレビ朝日 スクランブルより
写真:いずれも「大震災後の富士山はどうなる 噴火と崩壊の危険」 2011.12.15 テレビ朝日 スクランブルより
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