政治資金規正法違反事件は、犯罪の成立要件も重要ではあるが、その法の目的、基本理念から白黒をつけるべきではないか。小沢氏公判で裁判所が起訴の拠り所となっている検察調書の一部を不採用としたことで、メデイアは一気に「小沢氏無罪か」の見方を流している。
弁護人側も記者会見で、公訴棄却か無罪を追求すると意気軒昂だ。
デモ、今までの小沢さんの公判での言動を新聞で見ると「知らぬ、存ぜぬ」、挙句は「政治資金収支報告書など見たこともない。ほとんどの議員がそうではないか」といったのには驚いた。虚偽記載は訂正すれば済む形式犯と考え、政治資金規正法を格下の法律とみているのだ。
そうではないのだ。国会議員、政治家として政治資金規正法は憲法のような位置にある法律なのだ。
その目的では、この法律は、議会制民主主義の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ・・中略・・政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため・・中略・・政治資金の収支の公開・・中略・・政治資金の授受の規制を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もって民主政治の健全な発達に寄与することだという。
そして、その基本理念では、政治資金が民主政治の健全な発達を気球して拠出される国民の浄財であることをかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、判断は国民にゆだね・・中略・・適切に運用されなければならない。政治団体はその責任を自覚し、その政治資金の授受に当たっては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行われなければならないともいう。
小沢さんは「知らぬ」「存ぜぬ」と肝心なことは全幅の信頼を秘書に任せていたと逃げの手を使い、疑惑について国民に説明しようという意思はない。裁判戦術であると思うが、今まで良きにつけ、悪しきにつけ政界に存在感を示してきた政治家としては残念な姿である。
また、小沢さんは野田政権が消費税増税にひた走る政局を見て、それに反対し「政権交代の時期に帰って、本当の民主主義を築かなければ死んでも死に切れない」と言う趣旨の発言したことが報道された。
遠大な政治を目指すのはよいことであるが、小沢さんには、まず政治資金規正法の理念にのっとった行動のできる政治家に代わってほしい。
小沢さんは政治家として責任を取るべきであるが、この裁判が万一、小沢さんに有利な判決であったとしても国民に疑惑をもたれたままであることに違いはない。政治団体の責任者として民主政治の健全な発達を害するものである。
国会議員をはじめ、政治家は政治資金規正法の重要性を再確認し、政治資金収支報告書には目を通し、全責任を持つべきである。
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