最近特にそうだが、「国会議員って何なんだ」と思うことが多い。議員1人当たり年間1.2億円も税金を使い、720人という諸外国に比べても多すぎる人数を国会に送り込んでいる。しかも、国会の予算委員会審議を聞いていても質問者は持論をとうとうと開陳し、政府側の答弁は官僚の作成した答弁書を読み上げるだけ。すべての背景に主導権争いがあるから妥協点など見出す雰囲気ではない。これでも「国民の生活第一」と言っているんだからどうしようもない。
国は税収減で赤字国債を発行しなければやっていけないにもかかわらず、自ら身を削る政策は遅々として進まない。議員定数削減、議員歳費の削減(時限で削減されているが)、参議院廃止による一院制、政党助成金の見直し、非課税手当の見直しなどテーマは事欠かないが、国会審議でどう取り組んでいるのかわからない。
私たち国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動すると憲法前文に記されている。
その選挙だって正当かどうかは疑わしい。勿論「1票の格差」問題で違憲判決が出された選挙区割りもあるが、地方区で落選した候補者が比例区で復活する仕組みには大いに疑問がある。
候補者を探し出すのも大変らしい。テレビなどへの出演で知名度の高い者、支援基盤がある者、有名人でも選挙資金のある者など公正で平等な選挙からは程遠い状況だ。選挙ともなれば握手攻めで名前を売ることが第一になる。先の参院選で「〇〇です。名前を覚えておいてください」と選挙カーで呼びかけていた候補者がいた。
たまたま、現職、有名人を抑えて当選する新人がいるが草の根運動の成果だという。しかし、それが後援会として長続きしない。
候補者としてどんな制限があるのか調べてみたが、被選挙権では衆議院25歳以上、参議院30歳以上の年齢制限があるだけだ。議員としての活動には選挙人より高い年齢が必要という理由かららしい。
何か利権があるのだろうか。兄弟、親子さらには世襲で国会議員の職にある者が多い。世襲の廃止、制限で改革を進めようとするが「職業選択の自由」からうまくはいかない。
もし、改革の必要性を有権者が認めるのであれば、そういう候補者がいても投票しなければいいのであって、有権者の意識改革の問題ではないのか。
さらに、地域の代弁者、利便者として立候補や投票しているのだとしたら間違いだ。地方選出の国会議員でも国民全体の代表者である。地元の利益誘導に貢献できなければ次は危ないとか、防衛大臣、外務大臣で頑張っても選挙にはメリットにならないと言う。
国会議員は、総理候補であったり、議院内閣制なので大臣候補である。自民党時代に政治献金が多い出身団体からの議員を大臣にして顰蹙を買った議員もいるし、年功序列で大臣になったが適材適所から程遠い任命だったりする例もある。何かの分野で有名だから票が取れると安易な候補者選びは禁物だ。
集票マシーンとして動く企業、団体も政党に何かの見返りを期待してのことと思うが、公正で平等な選挙を害しているだけではないのか。
肝心な時に、自ら身を切ることもできない国会議員に国民生活に大きな影響を及ぼす社会保障と税の一体改革、消費税増税、TPPなどの制度改革など期待できない。
そして、「数は力」とばかりに議員を集め主導権争いに利用されるだけの国会議員に失望する。実力者に群れず、自分で判断し行動できる人材が必要だ。
ギリシャの政府債務問題が発端となり世界的に経済危機が危惧されているが、政治機能不全が支援を遅らせヒヤヒヤの政局運営になっている。先進国一の借金国と言われている我が国も御多分に漏れない。日本の財政状況も含め、しっかり広く議論すべきであるが社会保障と税の一体改革、消費税増税も議論すればするほど透明性が崩れてくる。
こういう時こそ、国会議員一人一人が、率先して決断し国民を引っ張っていくべきであるが、「増税は選挙にまずい」の考えが真剣な議論を妨げ、国民に尽くすべき国会議員や国家公務員が「私欲」のために、決断を避けているとしか思えない。
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