オピニオン「道徳は市場に勝てるか」 朝日新聞 2012.6.7 |
「道徳は市場に勝てるか」と問われれば「NO」と答えるだろう。今ほど市場が社会をかき回し混乱させている時はない。為替、株価はプログラム化されたコンピューターで瞬時に取引され、巨大な利益を生み出している。そのプログラムに道徳、倫理観などない。
市場はまた、政治に口出しする。財政再建、政府債務問題で緊縮政策を要求するが、欧州経済危機の本拠地ギリシャでは反緊縮の狼煙を挙げた。フランス大統領選でも成長路線に舵切りを要求された。
我が国でも市場は財政再建、社会保障制度改革のために消費税増税を要求、野田総理は増税採決をめざし野党との修正協議入りしそうだが、合意へのハードルは高い。会期末までどういう議論を尽くすのか。野田総理は熟議というが、「決められない政治」が続く。
折しも、朝日新聞(2012.6.7)オピニオンで「道徳は市場に勝てるか」という記事が目に留まった。あの白熱教室で有名なハーバード大学のマイケル・サンデル教授の話だ。
「道徳は市場に勝てるか」と問われれば、答えは「NO」だろう。
「市場に心がない」と言ったのは、米国の大経済学者ポール・サムエルソンだ。市場化には人間生活の福祉からの逸脱や市場の失敗というネガティブな効果も否定できない(「市場には心がない」 都留重人 岩波書店 2006.6)。
一方で、社会の行き過ぎに市場が調整機能を発揮することを期待して、「市場の見えざる手」と言ったのは確かケインズだったと思う。
マイケル・サンデル教授は、市場はお金に偏って議論している。大事なのは「目指す社会とは何か」を考えないと政策の結論は出せないが、今は道徳に関わる領域まで市場の論理が入り込んでいる。市場がどんな問題でも解決できると考えたのだという。
このことが道徳や共同体の価値を損ねる可能性まで認識しなかったのだ。リーマンショックの時も規制の是非は論じられたが、市場の道徳の議論はされなかったという。
この道徳的に空疎な議論が、政治の空白を生む。兎に角議論というものが大事で、熟議のほかに、時間をかけて話し合うことも大事だ。そうして参加したことにより満足感と尊重意識が生まれ、こうした市民としての尊厳が政治に重要なのだと説く。
教授は、「市場経済」は良いが、「市場社会」となると話は別だという。市場の論理が社会の隅々に入り込み、道徳や価値の議論が押されっぱなしの市場社会に警告を発するのだ。
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