小沢元代表の政治資金収支報告書虚偽記載事件の第1審判決は「無罪」だったが、期待と不安の入り混じった複雑な心境だ。「私なら有罪とするだろう」と思っていただけにその意外感が大きい。専門家の間でも「勇気ある裁判官なら有罪」という意見もあったので、勇気のない裁判官の審判だったのか。
そもそも政治資金規正法の虚偽記載という、所謂形式事犯で修正報告すれば済んでいた事案が、東京地裁の大法廷で3人の裁判官による審判となったことに大物政治家の政界における影響の大きさをうかがい知ることができる。
2004年の収支報告書に4億円の収入、土地購入の支払いを記載せず、2005年に3.5憶円の土地購入を記載した秘書による虚偽記載と小沢さんとの共謀が争われた。当初4億円は裏献金の疑いがもたれていたが、検察は証拠不十分で不起訴処分にした。しかし、納得のいかない市民団体が検察審査会に訴え、2度にわたる起訴相当議決で、強制起訴になった異例の事案である。
小沢さんのこの虚偽記載を知っていたかどうかの共謀の有無とともに、検察の不起訴処分、検察審査会の強制起訴の是非も合わせて問われた。
そんな重要な事案でありながら、証拠の大半は却下され、おまけに検察捜査の問題点が大きくクローズアップされ、裁判所の検査に対する不信が最高潮に達した時でもあった。
更に、国民が付託した国会議員が、公明正大な政治活動をやっているかどうかを国民が容易に監視できる制度として政治資金収支報告書があるが、「今の今まで1度も見たことがない」、作成についても「秘書に任せていた」、「知らない」が押し通せるものかと思っていたが、一般の刑事事犯と同じように「知らなかった」が通用する法廷闘争に失望する。
そのうちに裁判官の判断の詳細が報道されるだろうからよく検討したいと思っている。
しかし、この「無罪」審判に期待と不安が入り混じる。
期待する面は、これを機会に本当に小沢さんが変わることだ。消費税増税に向け、国民のだれもが「もっとその前にやることがあるだろう」と思っているはずだが、野田総理が増税を推進したいあまり、反対論者の指摘をとりこんで中途半端な改革になっている。小沢さんなら官僚に屈さず強引に仕組みを変えてくれるだろうという期待はある。
「あの政権交代は何だったのか」は、国民の政治不信を掻き立てているのだ。
一方、不安も大きい。政局には必ず小沢さんの存在があり、常に親小沢、反小沢の構図で考えられた。「数は力なり」「政治は闘争」が小沢さんの 本音だ。いつも主導権争いの真っただ中にいる。
これでは小沢さんの言う「安定政権」など構築できるはずがない。政局を小沢さんに頼ることの不安は、いままでの政治がよく物語っている。
混沌とする政界にあって大義、政策を一にする政治家がガラガラポンで烏合集散し、再構築していくのに小沢さんが役立てば、それも期待になるだろうが、表舞台で政治をかき回すことだけはやめてほしい。
すでに過去の政治家として、小沢さんに頼らぬ政治をやってほしいものだ。裁判では勝ったが、政治的にはすでに負けているのだ。
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