東京都が想定した4地震 2012.4.18首都圏直下 その 時何が NHKニュースウオッチ9 |
首都直下地震 震度7は、いつ起きても不思議ではないと言われる巨大地震だが、「今すぐには起こるまい」という安心感で日常生活? 首都直下地震、M7.3、「震度7の揺れも」、「震度6強の範囲広がる」との語句が目立つ最近のメデイア報道が続いている。
昨年の3.11以降、迷いがブッ切れたように地震学者は思い切った予測を発表するようになった。文部科学省の首都圏直下型地震の見直しに続いて、東京都も東京湾北部地震などを震源とする巨大地震の被害想定を見直した。
震災の無残さを見たこともないので、思いついて東京復興記念館を見学したことがある。
大正12年9月1日午前11時58分44秒、東京帝国大学理学部地震学教室の地震計の東西動の針が突然大きく振れだした。M7.9関東大震災の発生だ。震源地の相模湾に面した小田原付近は壊滅的な被害を被ったが、東京は主として火災旋風による惨禍と言われている。(1)。
東京都の被害想定見直し 2012.4.18 首都圏直下 そのとき 何が NHKニュースウヲッチ9 |
当時通信施設も壊滅状態で、この惨状を世界に発信した第一報は東京湾に停泊中のコレア丸からで、「横浜地震後、火災岸壁に近づく」だったという。その後「正午横濱大地震 大火災死者多し」「交通機関普通 水食糧なし」と続いた(2)。
資料によると、1923年の関東大震災による死者99331人(当時の東京市の人口は243万人)、焼失家屋447,128戸、薬品の転倒や昼時と相まって各所から火の手が上がり木造建築物が多かったために5か所で火災旋風が発生、これによる死者は38,000人にも上ったらし。ここ記念館のある横綱町公園は、当時公園工事中の陸軍被服廠跡だったが、最大の火災旋風が発生、惨禍をきわめた(3)。
当時と今では、インフラも雲泥の差だろうが、震災による被害には新たな問題も多い。交通機関の不通は多くの帰宅難民を生み、車であふれる幹線道路は災害発生時緊急車両の通行が確保されるのか。災害時緊急車両専用道路表示がある道路や環八を走っていると心配になる。重油など燃料タンク群の被災は薬品の転倒どころではないし、港湾施設、船舶などによる被害は想像絶するものがある。避難所になる公園によっては火災旋風の危険が指摘されているところもある。
東京復興記念館 |
今でも参考になる資料があった。1923年の関東大震災でも、緊急処置として「自動車の仕事を邪魔しないように」との通達が出されていた。またいろんな噂が飛び交い混乱を招くことを防止するため「ありもしないことを言い触らすと処罰される」(警視庁)という通達や、橋の修理のため爆破・破壊するための「爆音に関する注意」など今でも重要且つ必要な処置で参考になる(4)。
しかし予知とか予兆はどうなっているのか。大気中のイオン濃度の変化、FM波の異常が予知技術として7年ほど前に脚光浴びていた時、顕著な異常値を観測したために地震予知警報を出したがこれが外れ、メデイアの注目から遠ざかった。観測経験から相当の確信を持った勇気ある行動であったと思うが、残念である。でもまたFM電波の異常から予知する北大の研究が注目を集めている。
唯一、「微小地震の減少」「地下水位の上昇」が前兆現象として学会で認められているが、「いつ、どこで、その規模は」までは無理なようだ。
京都大学防災研究所地震予知研究センターでは、「近畿北部における最近の地殻変動」で、琵琶湖の西から京都府中部、大阪府北部にかけての丹波高地で日頃小さな地震がたくさん起きているが、2003年3月から回数が減った。この地域は数年の静穏期の後、M4~5の地震が起きている。南海地震も近づき西南日本全体が活動期に入り、どこで大地震が起きてもおかしくない状態だと指摘している(同センター ホームページより)。
そして3年ほど前に「いつ、どこで、どのくらい」とは言えないが多くの人が地震に対する意識を高めることを期待して情報を公開すると宣言しデータが公開されていたが、地震は発生せぬままにデータは削除されていた。勇気ある行動と思っていたが残念だった。
しかし、今、立命館大の熊谷先生の研究で琵琶湖底に泥を噴出する現象が起きているようだ。近くには琵琶湖西岸断層(北部)があり、南に琵琶湖西岸断層(南部)が存在する。琵琶湖大地震に関連する地殻変動ではと警戒されている(プレイボーイ 2012.4.23)。
今回の3.11東日本大震災後、「想定外」が2度とあってはならないと研究者は最悪レベルの発表するようになり、自治体も震度、揺れ、津波高さを見直し対策に追われている。
我が家も家具類、本棚、食器棚の転倒防止、ガラス飛散防止など実施した。ホームセンターに行くと防災コーナーは、若者、年配者などでにぎわっている。特にメデイアで被害予想などが出た後は目立って多くなる。年配者が眼鏡を外して細かい仕様を読んでいる姿が目につくのだ。しかし、防災具一式を用意しようとすると高価だ。ついつい「今すぐには来ないだろう」という感情が優位になる。
どんなに対策をしても震度6までだ。震度7になると家具類や人間が飛ぶのだ。
子供を学校や保育園に預けている親は、こどもの引き取りを優先しなければならない。「最後まで保育園児の面倒は見る。避難場所は掲示するのでそこへ迎えに来ること」という通知が出ている。小学校でも運動場にクラスごとに並んで親が迎えに来るのを待つというが、時間が来ても迎えがない場合は体育館で待機する」という。定期的に引き取り訓練も実施されている。
電車で遠くの私立名門校に通わせていた親が、今回の地震で迎えに行くことが困難と判断し、近くの小学校に転校した例も出ている。
私に住んでいる東京・大田区も町会、自治会単位で、避難・救援が行われるようだ。一時避難所は近くの小学校だが、最終避難所は多摩川河川敷になっている。しかし、東京湾での津波高さが見直されれば、多摩川河川敷も浸水するため避難所の見直しも必要になる。
関東大震災のような非局地大地震の発生は周期的にもまだ先のようだが、60年、70年と言われる首都圏直下型地震は何時発生しても不思議ではないと見られ、「備えよ常に」と注意が喚起されている(5)。
この頃は出かける時は、地震が気になる。電車に乗って周りを見れば寝ている人、新聞や本を読んでいる人、携帯でメールしている人、音楽を聴いている人などまちまちだが、心配はないのか。
「今すぐには起こるまい」とは思うが、時間的に歩いて帰ることができる駅まで来ると何故だかホッとする。
注:(1)~(5)は、東京復興記念館の資料から(写真撮影、メモは禁止されているので、記憶して記事に)
注:2008年5月に市民メデイア・オーマイニュースに投稿した記事を大幅に見直して再投稿する。
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