経済の停滞にあって成長路線へ規制緩和の必要性が叫ばれているが、規制緩和には業界など関係者の自制が前提だ。行き過ぎた規制は職業選択の自由などから弊害であるが、無防備な規制緩和もまた社会悪だ。
経済成長に向け政府の規制緩和が、産業界からも強く望まれている。ところがなかなか規制緩和が進まない。担当官庁が業界などとの調整が必要であるが、自らの利権も絡んでくるとなると、利権を手放したくない官庁の動きは鈍いわけだ。
ところが、一旦緩和されるとどっと参入者が増え、過当競争になり業界の秩序、安全確保、授業員の収入減など問題が出てきた。
安全が疎かになった例が今回の関越道のツアー・バスの事故であり、自由競争により国民に利益になると思われていたタクシー業界では、授業員の待遇の悪化が顕在化して久しい。
以前、タクシー業界の規制緩和で、従業員の待遇悪化の是非が国会で論じられたとき、時の担当大臣だった竹中さんは、「離職者を受け入れたメリットがあった」と答弁していたが、為政者にとっては、従業員の収入減より、失業率がどうなったかが重要なのだ。
そもそも規制強化とは、新しい産業が生まれる時、あるいは成長するにつれて無秩序さが目立ち国民に不利益になることが分かった時に、業界の秩序維持、適度の発展と利益の保護のために監督官庁が規制に乗り出す。
ところが、業界を守るために、新規参入の妨げになったりすることがある。
更に悪いことに監督官庁の利権の温床にもなるのだ。
適正な規制緩和は、業界、新規参入者の自制が必要なのだ。事業者の私利私欲を求める行為が横行すると「国民の利益」のために規制が始まる。
憲法でも「公共の福祉」の概念があり個人の権利も制限されるのだ。
安易な強化/緩和は弊害を伴う。業界、参入者のモラルがあってこそ適正な業界の発展が約束されるのだ。
また、我々国民も自らの生命、財産を守るためには「安かろう悪かろう」を助長してはいけない。
国民の「安さ」の飽くなき追求が、危険を横行させたり、デフレから脱却できないでいる。デフレ脱却は政府、企業家の責任もあるだろうが、消費者=国民の意識の問題でもある。
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