朝日新聞(2012.5.179のクルーグマンコラム「失業問題 構造的と逃げずに需要増を」を読んで「なるほど」と相槌を打った。日本経済の現状は、円高で企業は生産を海外シフトし国内は空洞化、当然のことながら新卒者を始め若年労働者、中途採用希望者、高齢者の職はなく失業問題は大きな社会問題になってきた。
「米国の高い失業率には構造的に深い根がある」と言われているが、クルーグマン教授は「構造的な失業問題をかかえてうるというのはどういう意味だろう」と問いかけている。
政治家、金融、財政政策に係る関係者、エコノミストに政策上の手詰まりで早急な改善が期待できない時に「それは構造的問題」だと主張、解説する人が多いのも確かだ。
クルーグマン教授は、多くの労働者が間違ったスキルを身につけたり、間違った場所で働いたりしていることが問題であるなら、正しいスキルを持ち、正しい場所で働く労働者は賃金の大幅上昇が期待できるだろうが、労働者に勝者はほとんど見当たらないという。
これは、構造的変化の変わり目に生じる問題ではなく、全体的に十分な需要が不足していることだといい、このような需要不足は支出を増やすことで早急に解決するというのだ。
クルーグマン教授は、今の経済状況下では「財政健全化よりも財政出動で需要を掘り起こし、経済成長をめざせ」と従来から主張していた。そのことを繰り返しているのだろう。
では、「何かに取りつかれているように問題が構造的だというのは何故か」とクルーグマン教授は言い、その答えは「行動をしないこと、失業者の窮状を緩和するために何も手を打たないことの言い訳ではないか」という。
政治家は政策に手詰まりで、何ら効果のある政策を実施できない口実、責任逃れに「構造的問題なのだ」というのだ。
そういえば、17日の衆院社会保障一体改革特別委員会で、確か前原さんからデフレ対策について問われ日銀・白川総裁は、「物価上昇率が高まっていくには、様々な構造政策への取り組みが必要」と指摘した。
白川総裁が、構造的政策といったことは「行動しない、何ら手を打たない」ということではないだろうが、効果のあるうまい手が見つからない時の口実であることはわかる。
そしてクルーグマン教授が言うには、若者が直面している最大の課題は、将来背負うことになる借金の問題ではなく、むしろ「雇用の不足」だというのだ。歳出削減策でその負担が軽くなるのではなく、むしろ重くなるともいう。
最後に、構造的失業を巡る話しは、現実の問題に正面から向き合いものではなく、問題から目をそむけ、安易で無用な解決策とることにほかならないとして、クルーグマン教授は「そんなことは終わりにしよう」という。
失業問題は、私たちの喫緊の課題である。菅総理の時に新成長戦略を掲げ、政策ごとに雇用の創出が目論まれており、今、野田政権でその成果が検証されているが、思うような成果は出ていないらしい。
若者に仕事がないことは、結婚して家庭を持ち次の労働力を再生産する機会も持てないことだ。これは必ず大きな付けとなって企業に跳ね返ってくる。政界のみならず財界も巻き込んだ真剣な取り組みが必要だ。
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