京都への交通の要所 「地図で訪ねる歴史の舞台」帝国書院 平成11年 地図上では小浜から保坂の手前まで若桜街道 手前を直角に曲がって今日まで敦賀街道を鯖街道という |
当時は、日本海の交通航路は日本ばかりでなく世界中から人物荷物が小浜港に集まり、ここから鯖街道を通って京へと運ばれたのだ。いわゆる交通の要所だったのだ。ゾウまで陸揚げされたことには驚いた。
鯖はちょっと塩をふりかけ72㎞を1日で運んだという。鯖寿司はうまかった。
当時京への道は5つほどあったというが、この鯖街道は遠回りになるが主要なs道路になった。小浜から保坂まで東に進み、その手前を直角に曲がって京まで延びるのだ。
途中の熊川宿は当時は物、人の行き来が多く栄えたようだ。道幅も広く荷物の積み替えもやったそうで記帳されている。
保坂の手前を直角に曲がり朽木の方に行くが、この直角に曲がる理由の説明があった。断層が動いた結果らしい、花折断層だ。3~5mずれたらしいがそれを利用して街道がつくられたのだ。
朽木は山間部の村と思っていたが、当時は朽木氏の領地で室町時代の造園手法を使った庭園がある。室町時代の12代、13代将軍がここに住んでいたというから当時はすごい街だったのだ。
そして京都の出町柳付近が鯖街道の終点か。
地震には興味があり、9世紀は3度に渡り京都が大きな群発地震にみまわれた。しかし花折れ断層は何時動いたかはっきりしない。今後M.5no地震の発生確率は0~1%と言われている。むしろ亀岡付近の京都西山断層帯が最近も地震が発生している。M7.5の確率は1%ともいわれている。
私も京都に住んでいたが、宇治から京大グランド、修学院、八瀬、大原三千院を通り若狭湾に抜ける断層は有名だ。三千院の前の階段で記念写真をとっているが、これは花折れ断層の作った崖なのだ。
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