深読み視聴率 読売新聞2013.6.5 |
NHK大河ドラマの不人気が続いている。「八重の桜」もご多分に漏れず不振(?)で、讀賣新聞(2013.6.5)の「深読み視聴率」(5月27~2日)の20位以内にも入っていないのだ。以前11%台と聞いていたので無理なことは明らかだ。
新島襄と八重が結婚したとき、襄が友人に八重のことを「彼女は見た目は美人でないが、生き方がハンサムだ」と書き送ったことが記録に残っているらしい。今まで女伊達らに砲術家としてのストーリーが続いていたが、これからは襄が言うように「ハンサム」な生き方をどう演出するかが課題ではないか。
22日の「弟のかたき」をニュース、「ダーウィンが来た」に引き続き家内の希望でチャンネルをそのままにして見た。
相変わらず、画面は薄汚く、暗く、人物像が大きく映し出され、動きが速いるので見ていて疲れる。もっと背景がどうなっているかも広く映したほうが「その時代の生活」も分かると思うのだが、人物だけが画面の中をあっちに行ったりこっちに来たりしているようだ。
当然のことだが家内は居眠りに入るし、私も他の局の番組を探すことになる。
よく内容が分からなかったので、NHKのHPから第22回放送「弟のかたき」のあらすじを見た。
それによると、弟・三郎と兄・覚馬が死んだという知らせを受けるが、三郎には遺髪や形見の服が合ったが、兄にはないことから、「兄は死んでいない」と言い張った。覚馬は薩摩藩士に捕まり獄中から会津藩救済を申し出る。西郷は江戸に兵を進め江戸城総攻撃を計画していたが、勝と西郷の会談で中止になった。その攻撃の矛先が会津にむいたのだ。
江戸城無血開城の歴史的に重要な場面であったが、八重はどう描かれていたのか記憶にない。あらすじが分かっていれば見方も違っていたのだが・・。
京都で知り合い2人は結婚した 襄は友人に八重のことを「彼女 は見た目は美しくないが、生き 方がハンサムだ」と書き送ったという |
その後兄・覚馬が生きて京都にいることが分かり八重も京都に移った。そして新島襄と知り合い2人が結婚した。その時、襄32歳、八重30歳だった。覚馬は資産を築いていたようで、新島襄が学校を設立するための援助を惜しまなかった。その学校は同志社英学校という。
八重は、その後クリスチャンになり襄の死後は学校を手伝い、日清戦争では従軍看護婦として活躍など余り知られていないが多くの業績を残したようだ。
新島襄が画面に登場するようになると、又違った人気が出てくるだろうが、襄が認めている「ハンサム」な生き方を演出してほしいと思う。
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2013.4.29投稿
「新島襄と八重:キリスト教に支えられた偉大な教育者と自由奔放に生きた妻」
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