2016年3月1日火曜日

東電・旧経営陣3人強制起訴:従来の法廷闘争ではなく、経営者に新たな安全義務を問え

東電旧経営陣強制起訴で争点を伝える
読売新聞2016.3.1
東電旧経営陣の3人が強制起訴になった。当然だろうが、従来の法廷闘争、手法を踏んでいては経営トップに業務上安全配慮義務があったかどうかで「予見可能性」も含め否定されかねない。企業の安全配慮に欠ける事案が多くなっている現在、経営者に新たな安全配慮義務を課す判例になって欲しいものだ。

3.11東北地方太平洋沖地震で壊滅的被害を受けた東電・福島第一原発の事故は震災被害の復旧に大きな足かせとなっている。被災者の帰宅問題や廃炉が40年先という途方もない事態になり、原発敷地内は放射能汚染水の貯蔵タンクで何時限界に来るか。

そういう中での業務上過失致死罪での強制起訴だ。

メデイアでは、2008年の東電の最大15.7mの巨大津波の来襲の可能性の試算の信憑性、当時貞観地震の可能性を地震学者がどう考えていたか、地震学会などの状況、東電の経営トップが試算結果を把握していたかどうか、経営者の日常の業務に自社の事業活動における安全配慮義務があったかどうか、更には防潮堤をかさ上げしたり、非常用電源の防御をしていれば今回のような事故を軽微化出来ていたかどうかが重要な論争点になる。

起訴された旧経営陣は「知らなかった」「報告は受けていない」「日常業務に安全配慮はない」などと言って責任逃れをするのが常套手段だ。

そして旧来の法廷闘争から考えると「無罪」の可能性が強い。

しかし、考えてみよう。原発は現在でも巨大技術であり物理学者などからは高度の安全配慮が必要と言われている。

例え、研究者、技術者の検討会であったとしても巨大地震、15.7mの巨大津波の発生が予想されそれに基づき被害を検証したとなるとしたら当然にトップへも報告すべきではないか。事故調査委員会の調査では、事故当時所長をやっていた吉田さんが本社の管理部門の責任者であったときの話だ。吉田さんは「学会でも意見が分かれている」として眼下に否定したという情報もあれば経営陣に報告したという情報もある。

福島第一原発の問題が起きる度に事故調の責任者が吉田さんの責任に言及していた。吉田さんは今回の事故に遭い「一番反省しているはずだ」と思う。

更には、原発他社の動きも大事だ。

東電の福島第一原発のタイプは古く、アメリカ方式だったために日本の風土に合っていない設計だったとしても、原発事業のリーデイングカンパニーとしてそれだけに注意が必要になる。

良く比較されるのが近くに立地する東北電力女川原発の存在だ。聞くところによると、盛り土して海面から高い場所に建設したと言うが津波対策も十分に講じられていたという。

その結果、福島第一原発は壊滅的被害を受けたが、女川原発は地域の被災住民が避難場所に利用したというではないか。

法廷闘争では、従来の法律論ばかりでなく、事故調査委員会の報告書、女川原発の考え方。地震学者、地震考古学者の考えを十分に生かした判決になって欲しい。

更には、「業務上過失致死罪」の経営トップの「業務上とは」、予見可能性も「そういう可能性があれば対策を考える」姿勢、「知らなかった」「報告を受けていない」で責任逃れが出来るのか。

21世紀の始まりに、安全に対する考え方も一歩前進させることが大事ではないか。古い法解釈を振り回す法曹界こそ存在価値を疑う。

「これほどの被害を及ぼしながら誰も責任を取らない」法解釈では被災者は勿論のこと国民は納得できないだろう。

巨大技術を持った原発事業を担っている東電としてはコストより安全、経営トップにも日常業務で安全配慮義務があるはずだ。こう言う事故が起きると決まって現場で実際の業務を担う課長クラスの中間管理職が責任を問われ有罪になるケースが多かった。だからいつまで経っても企業の重大事故は減らない。

経営者が常に従業員に対して「安全第一」を要求する社風を作らないといけない。

そのためには経営トップに高度の安全配慮義務がある事を判示して欲しい。

0 件のコメント: