民主党・鳩山政権での普天間基地県外移設の二転三転は、民主党政権の頼りなさを露わにしたが、その背景に政権の方針と官僚の抵抗があった事が話題になっているが、読売新聞(2016.3.6)に時の防衛大臣だった北沢さんの話が載っていた。
当時、鳩山さんは普天間基地移設問題で「原則県外移設」を掲げ政権運営に当たっていたが、諸般の事情でうまく行かない。結局は「考えれば考えるほど辺野古移設になる」と沖縄県知事をはじめ沖縄県民をがっかりさせたものだ。
その背景には「米軍の内規」ではヘリコプター部隊の拠点と訓練場の距離は約120km以内と言う。そうなると県外移設は無理なのだ。当時のことは何となく覚えている。
先日、鳩山さんが「そういう話を聞いたことがある」と言う意味のコメントをしていたが、官僚は「ない」とか「覚えがない」と責任逃れする。
それが、今回、北沢さんは「内規の説明を受けていた」、「外務省は盛んに言っていたし、防衛省の役人もペンタゴンで見ている」と証言したのだ。
時の政権の県外移設政策が米軍の内規、それを通そうとする官僚の抵抗で右往左往し、元の辺野古移設案に戻ったのだ。
これ以降、鳩山政権は小沢さんとの権力の二重構造もあって一気に政権の信用を失っていった。
防衛省などの官僚が頼りない民主党政権を揺さぶったことになる。鳩山さんの「考えれば考えるほど辺野古」の発言が「もうどうしようもない」と白旗を掲げたのだ。
当時の内閣は、安倍第一次内閣が政権を放棄し、本格派内閣として福田内閣にたらい回しされたが、選挙を打つだけの実力はないと、麻生内閣にたらい回しした。総選挙を睨んだ対応であったがリーマンショックで経済を優先する余り総選挙が先送りになったが,自民党は下野することになった。
「政権交代しませんか」の風に乗り民主党政権になったが苦難は続いた。
鳩山政権では普天間移設問題、小沢さんとの権力の二重構造、菅内閣にたらい回ししたが3.11東北地方太平沖地震による大震災は原発事故とも相まって大惨事をもたらした。
「何時、解散するのか」が大きなテーマで、与野党の攻防が続いていた。「○○をやったら辞任する」と言いながら次々に政策を打ち出し菅内閣は顰蹙を買ったが、たらい回しで野田政権へ。
野田政権も「何時解散か」と自民党から迫られ、党首討論で野田さんの「議員定数削減など約束してくれれば明後日解散します」発言が飛び出した。
政権内のゴタゴタ、「何時解散か」の大合唱の中では政権運営も困難だっただろう。
それにしても官僚は誰のために仕事をしているのか。自分たちが出した案を遂行するだけなのだ。
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