経済政策が本当に国民に貢献しているのだろうか。このタイトルは朝日新聞(2017.3.31)の経済気象台「経済政策と国民の幸せ」を読んで思いついた。
それによると、日米経済は二国間の経済対話で協議することになったが日本の経済政策は1989年の日米構造協議、1994年「年次改革要望書」、そして今度は対日貿易赤字(7.7兆円)の均衡化に向け経済対話で協議することになった。米国へ1兆ドルのインフラ投資の話では公的年金基金を使うことにしていたらバレてしまって米国のインフラ債を日銀が買うことになるかもしれないという。
そこで筆者は、日銀は日本国民でなく、米国民のために利用されていると言い、経済政策や経済学が国民目線を取り戻し国民の幸せにつながることを切に願うという。
当然の主張であり完全に同意する。
私も経済政策には疑問を持っている。どうやって決まるのか。学生時代、経済学者が唱える政策は十人十色、同じ経済状況が眼前にあるにもかかわらず経済学者はそれぞれ違った評価をし、違った政策を打ち出す事に不思議さを感じていた者だ。
たとえばアベノミクスの異次元の量的緩和策を見ても「円高」に重点を置けば市場にカネをジャブジャブ流すことで「円安」になると自民党への政権交代時の総選挙で自民党の若手新人まで主張していた。
ところが、経済学の主流は「低金利では金融政策は効果が薄い」と言い、アベノミクスの政策に疑問を呈していた。案の定、円安には動いたが2%物価上昇、インフレはダメだ。
思い出すのは、リーマンショック後、イギリスで経済学関連の研究所開設にエリザベス女王が招待されていた時のこと、女王は同席した経済学の重鎮に「どうして経済学者はリーマンショックを見通せなかったのか」と質問されたそうだ。
経済学者達は即答することが出来ず、後日関係者が集まって検証した結果、経済学者はいろいろ指摘はしていたが、経済の全体を見て判断することが出来なかったことが要因だと結論づけ、女王に答えたという。
経済状況の部分的な見方は出来ても全体を見通すことに欠けていた結果だったのだ。勿論、経済記事では危機を訴える学者もいたが少数の説では国民に訴える力は小さかった。
日本でも危機を訴える経済学者の記事をみたことがあるが、危機感は湧き起こらなかった。皆が危ない方向に進んだのだ。
安倍総理の経済政策、アベノミクスに反対する正統派経済学者はいるが、安倍総理を取り巻く経済学者、政治家は見向きもしない。安倍総理に到っては「アベノミクスの第2ステージ」に進むと言うのだ。
最近ではシムズ教授が「増税を止めて財政出動だ」と言いだし、内閣参与で安倍総理のアドバイサーの浜田先生まで「アベノミクスを見直す」と言い出した。根拠はシムズ理論に感化されたらしい。
ノーベル経済学賞受賞学者が言っていることが正しいとは限らないと指摘した記事も見た。
国民の生活に貢献出来る経済政策とはどんな政策なのか。インフレに強制的に持っていこうとするが今の物価でも十分満足できるのではないか。
問題は雇用の確保だ。所得の再分配は雇用の確保しかないが、内需拡大、正規労働者の拡大、働き方改革も本当に国民のためになるのか。政府は失業率が3%を切ったと言うが問題はないのか。一部分しか見ずに評価していないか。
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