日本学術会議の新メンバー6人の任命を拒否したということで菅総理の本性が見えてきて、「学問に自由」を守れという声が大きくなった。菅総理が名簿を見ていないと発言したことで法違反で無責任と批判されるが菅総理はかたくなに拒否の姿勢だ。
16日に日本学術会議の梶田会長が菅総理と会談したそうだが日本学術会議の声明文を渡しただけで今回はこれに関しての話は無かったと記者に囲まれコメントしたことで「何のための会談か」と疑問が沸き起こった。
「未来志向」で貢献していこうということになったというが、表ざたにはなっていないが、任命拒否で話したことは間違いないのではないか。百戦錬磨の菅総理にニュートリノの航跡を追っかけてデータを解析する梶田さんでは太刀打ちできないのではないか。寧ろ憲法の専門家を連れていたほうが良いのだ。
私も学生時代に憲法を勉強した「憲法Ⅱ 法律学全集 宮沢 有斐閣」を改めて開いて読んでみた。
憲法には23条「学民の自由」のほかに「良心思想の自由」「表現お自由」が認められている。
何故、別に「学問の自由」が認められているのか。
学問の研究というものは常に従来の考え方を批判して新しきものを生み出す努力であり特に高い程度の自由を要求されるという。その自由には、「どのような学問的見解を抱える自由」、「学問的見解を表現する自由」「その学問を教授する自由」があり、学校での教育という点で特徴があるというのだ。
だから学問的見解についてのみ認められるのであって、「実際政策的見解」には必ずしも波及しないというのだ。
つまり「思想良心の自由」「表現の自由」があることを考えると「学問の自由」とは大学における研究および教育的自由」または「大学の自由」であるという。
1933年の京大の滝川事件は考え方が自由主義的であるという理由で休職を命じられたのは「学問の自由」に反するのだ。
しかし、今回6人が公聴会などで政府の考えに反する意見陳述を行ったことは「学問の自由」には触れないのではないか。もちろん学校での教育の場、教科書での反対になると別である。「学問の自由」にふれることになる。
こう考えれば菅総理は堂々と拒否理由を説明して良いのではないか。そうして初めて新しい展開になるのではないか。
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2020.10.7掲載
日本学術会議6人任命せず(1):今何故拒否か、政府は説明すれば良いだけの話では
yamotojapan.blogspot.com/2020/10/6_7.html
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