2009年12月26日土曜日

相変わらずクラウド・ポリテイカル(雲の上の政治)か


今、ITではクラウド・コンピューテイングが2年ほど前から話題になっている。ネット社会では大きな転換点になるらしい。ソフトウェアーやセキュリテイーなど面倒な仕事は雲の上に任せ、パソコンを楽しむ。雲の向こうには「データセンターがあり、ユーザーにいろんなサービスを提供できるというのだ。

  しかし今、逆の意味で政治もクラウド・ポリテイカル(雲の上の政治)になっていないだろうか。

  税制改正、予算編成、外交、小沢さんへの権力集中、参院選に向けた政策など重要なことが、「雲の上」で決まっている。

 「政治が変わりそう」と期待し政権交代した民主党政権で、「事業仕分け劇場」はその期待を垣間見せた。しかしよく見ると何か「小泉劇場」に通じるものがあった。メデイアは連日仕分け現場を映し、仕切議員は脚光を浴びた。私もそれなりの成果はあったと思うが、後になって考えると、本当にこれで良いのかと疑問も出てくる。予算編成でその成果が生かされていない。

 鳩山政権樹立だって、その背後でどんなことが起こっていたのか。

 今回の鳩山総理の偽装献金問題は「知らなかった」「秘書に任せていた」とは言え、母親からの巨額な資金提供であり、脱法行為の疑いがある。一国のリーダーがこんなことでは政治への信頼は失うばかりだ。

  一体この巨額の資金が何に使われたのか。誰でも想像できるのが「総理になるための資金ではなかったか」だ。「私腹を肥やしたわけではない」から総理を辞めないともいう。しかし、総理の座を射止めたと言うことは、利益を得た以上のモノを得たことにならないか。

 政治を私達の手に取り戻すのは、容易なことではない。民主党は来夏の参議院選でも勝利し、単独政権を目指すという。自民党は再生が覚束ないほど痛手を被っているようだ。国民に対して積極的なメッセージを発する力もないらしい。

 しかし、民主党単独政権だけは許してはいけない。小沢さんの暴走は、クラウド・ポリテイカルを助長するばかりだ。

2009年12月23日水曜日

鳩山さんが辞めるとき


鳩山さんの立場が、だんだん悪くなってきた。総理を辞任するのであれば通常国会前だ。

 鳩山さんは「政治は税」と言っているが、民主党政権は増税へ加速しているようだ。景気の悪化で税収減が大きくひびいているが、これから自分の家計への負担が分かってくると民主党支持者も民主党から離れていくだろう。

 国民に税負担を強いながら自分の「政治とカネ」では、「知らなかった」で押し通す。恐らく贈与と言うことで、贈与税の納付になるだろうが、誰も指摘しなかったら脱税行為であり、立場がない。

 総理に就いた直後、国際舞台に華やかにデビューしたのはよいが、普天間基地移転問題では「常駐なき安全保障」の持論もあり、従来の日米合意が置き去りにされた感がある。鳩山さんは「クリントン国務大臣は理解を示した」というが、実情は違うようだ。駐米大使が呼び出され「日米合意の推進」を要求されたらしい。

 これで、一気に日米関係を危惧する論調が増えてきた。鳩山さんの発言の軽さが改めて指摘される。

 民主党政権の売りである「子ども手当」は、所得制限を刷るかどうかで異論が続出したが、所得制限なしで進めることになった。「暫定税率の廃止」は実質税率維持で決着するが、後味の悪さが残った。政権を維持するためには、マニフェストの変更もやむを得ないが、鳩山さんは「マニフェストが実行できなければ、総理を辞める」と見得を切ったこともある。

 そして、鳩山政権のリーダーシップに疑問を投げかける論調が多い。いろんな人の意見に耳を傾ける鳩山さんの性格も影響しているのだろうが、業を煮やした小沢さんが発言/行動するたびに鳩山政権の力は下落する。

 これ以上、総理の座に座り続ければ、通常国会は「針のむしろ」状態だ。国会審議で立ち往生し、自民党の追求の仕方では政局になる。鳩山さんが今、自分の置かれている立場が分からないのであれば、それこそ総理の資格はない。

もし、続けるのであれば、正式な記者会見をして国民に説明すべきである。

 総理になりたかった拘りはあったのだろうが、如何にせん器ではなかったことになる。小沢さんの担ぐ政権で成功した例はない。

2009年12月22日火曜日

小沢さんに頼りすぎる危うさはないか


鳩山さんは総理にむいているのか。性格から来ているのか、なかなか決断できず、周辺や国民はイライラするばかりだ。異論が続出する中で、最後は「私が決める」は麻生さんも口癖だったが、タイムリミットぎりぎりまで先送りしたのも似ている。

 そんな内閣だから与党幹事長の小沢さんの存在が大きい。

 鳩山総理誕生のお膳立てをしたのは小沢さん、政権交代への選挙を仕切ったのも小沢さん、予算編成での子ども手当、暫定税率に悩む政権に助け船をだしたのも小沢さん。こうなってくると小沢さんの存在は大きくなるばかりだ。

 世論調査では、内閣支持率は下落する一方で、政党支持率はまだ高い支持率を保っているのは何故か。まさか小沢さんの存在なのか、あるいは今の自民党では政権を任すことが出来ないためか。

 小沢さんが政権与党にいる限り、権力の二重構造は避けられず、政権発足時もそのことを危惧する人は多かった。それは細川政権時で前例があったからだが、今回もその心配は現実のものとなった。

 政府が頼りないと思われると、皆小沢さん詣でをするようになる。小沢さんの意向で政策が決まるようになる。小沢さんにしてみれば満足かも知れないが、これが一番危険なことだ。

 小沢さんは総理として国民の信を受けていない。国民の信を受けていない者が日本の政治の主導権を握り、政策を決めていくのはまずい。

 「小沢さんも変わった」という人もいたが、小沢さんは変わっていないのではないか。小沢さんに苦言を言える人達が去っていったと聞く。しかし、小沢さんは「裸の王様」にはなっていない。国民の声を知っているのは、選挙で各地を回って国民の声に耳を傾けているためだろう。

 小沢さんの役割は何なのだ。

 幹事長として選挙、党運営、国会対策を任されたと言うが、国民の声を政府に伝えないのは、与党幹事長として職務怠慢ではないかといって、自分(?)の考えを政府に伝え、政府の政策選択に影響を与えたことを正当化している。

 「政治とカネ」の問題も付きまとう。未だかって疑惑にははっきり応えず、「国民は信じてくれているものと思う」と身勝手な判断に終始している。

 民主党政権が国民の信を得るのは、小沢さん抜きの政治になったときだ。小沢さんが動けば動くほど政権の力は低下するだけだ。

 こんなことでも国際舞台でやっていけるのか。日本の国益を害することだけはやって欲しくない。

2009年12月21日月曜日

自民党よ 「少しは変わった」と言えるか


鳩山内閣の支持率が50%を切って48%に急落した世論調査(朝日新聞2009.12.21)が発表された。鳩山首相のモタモタ感、政権発足当初の閣僚の勢いが亡くなってきたのが原因だろう。技術系の首相だから、政策課題にいろんな条件を絡めて、一番よい結果を出そうとするから途中過程で揺れるのは当然かも知れない。

 それでも、政党支持率では、民主党42%、自民党18%で圧倒的な支持を得ている。まだ国民は民主党政権で「政治が、何か変わりそう」な期待を持っているのだ。鳩山さん自身の問題かも知れない。

 しかし、その鳩山さんの政治献金疑惑でも、40%が辞任すべきであると言うが、54%は辞任の必要はないと言う。鳩山さん自身は「知らなかった」と弁解するし、小沢さんのような悪事性は低いと判断しているのだろうが、脱法行為の疑いもある。「知らなかった」ですまされる程、甘くはないと思うのだが・・。

 これらの状況は、逆に自民党に有利に展開できる可能性がある。

 通常国会での審議を考えたときに、鳩山さん及び鳩山政権にとっては苦難が続くだろう。第2次補正予算、赤字国債発行での財政規律の問題では自民党政権時の違いを争える。マニフェストの初志貫徹か、臨機応変かでは自民党の現実重視で議論できるし、税制改革では増税なき財政再建の難しさでも民主党政権と渡り合える。

 自民党は、「変わろうとしている」ことを国民に示さなければならないが、今まで何をしてきたのか。

 「政治とカネ」では、二階さんの処分で従来と同じような対応に終始したが、中堅議員からの猛反発で役職を降りた。本人が議員辞職でもしていれば、もっと状況は変わっていたはず。民主党が繰り出す政策に何ら反論できていない。これでは間違っていたことを認めるだけだ。鳩山政権にはビジョンがないと言われている。自民党にこれが成長戦略だというビジョンはないのか。今一番大事なのは生活苦難者の救済と雇用創出であるが、何も政策がなかったのか。

 さらには、悪い情報ばかり目に付く。離党者も続いている。自民党は消滅するしかないとか、名称を変えて出直すしかないとか、ネガテイブな情報ばかりだ。

 今、民主党政権は、理想から現実への直面で大きく揺れているのだ。まず自民党は変わってきていることを示せ。

 まず、総選挙敗北の総括をすることだ。森さんや青木さんら今まで政権を維持してきた長老に気兼ねしていては、自民党は変われない。世代交代も進めることだ。来夏の参議員選では思い切って長老は辞退すべきだ。「政治とカネ」の問題では、党内で厳しく対応すべきだ。

 そして、成長戦略のビジョンを示せ。政権の座から滑り落ちると、莫大な情報を持っている官僚組織からも遠ざかることになるが、民主党に出来ないことを先んじてやることだ。

 自民党には、しっかりしてもらわなければ、健全な二大政党制は難しい。民主政治を守るためにも、自民党は今までのしがらみから脱皮し、がんばらなければならない。

2009年12月20日日曜日

一足早く、銀座に門松


マツヤ銀座店に一足早く、門松が飾られた。

まだ周辺はクリスマス商戦たけなわである。銀座も変わった。デパートは久しく売り上げが減少を続けている。ブランド店は閑古鳥が鳴き、ユニクロ、アバクロの低価格競争店が繁盛している。

2009年12月18日金曜日

また政治に裏切られるのか







民主党は、先の総選挙で政権交代を訴えた時、国民に向かって「「政治に裏切られてきた」「どうせ変わらない」と言うだろう」とも言った。一方、自民党は現実を見据えた政策があると訴えた。

 野党時代の発想だから威勢はよかった。自民党政権の180度転換した政策を掲げなければ政権交代はなかっただろう。長期政権での省利省益、族議員が育む環境、官僚の不祥事が明らかになった年金問題などは、当然のことながら脱官僚、官僚依存から政治主導に傾いた。

 しかし、政権交代後の鳩山政権が直面した現実は厳しかった。

 連立を組んだ結果、日本郵政の新社長に旧大蔵事務次官を選任したことで「脱官僚」のスローガンが剥げ、その後官僚出身者の人事が続いた。普天間基地移転問題では、新たな日米同盟を築こうと試みた間ではよかったが、現実は厳しい。結論を先送りしたことで鳩山総理の指導力が問われることになった。

  政治の仕組みを替える意欲は理解できたが、国家戦略相の存在感は感じず、目指すべき経済社会、成長戦略は一向に見えてこない。法律を作らなければ権限がないのでは心許ない。

 ムダの排除では、鳴り物入りで「事業見直し」をした。自民党政権時代も河野太郎さんや中堅、若手の議員が、ムダの洗い出しをやっていたが、これ程までにメデイアが飛びついたのには正直驚いた。異論もあるだろうが、政治を国民の身近に感じさせた功績は大きい。限られた事業の見直しだったために、成果はそれほどでもなかった。しかし、鳩山政権での目新しさはここまでだ。

 民主党政権での2次補正予算、10年度予算編成は、マニフェスト実現も含めて、その力量が問われることになったが、一向に改善しない経済、景気対策では財政出動か、財政規律かが問われる。折しも予想を超える税収減は、赤字国債の限度枠44兆円にも波及した。

 初志貫徹か、臨機応変か。

 悩む(?)鳩山さんに救いの声がかかった。小沢さんが「国民の声」として民主党の要望事項を政府に提出した。その内容は、政権幹部が雁首そろえて議論するも結論が出なかった政権の政策に逆行するものも含まれていた。

 民主党政権は、ここに来て臨機応変の政策へと大きく転換することになるのだろうか。
国民の期待にそぐわない結果になりはしないか。

 私は、PDCAで政策の実現を目指すべきだと思うが、そのためには国民にしっかり説明すべきである。要望、陳情なしの事項もあるとなると、小沢さんの「天の声」ということになる。

 鳩山総理は、通常国会できちんと国民に説明できる政策の選択をして欲しい。そしてビジョンを持って国民に訴えるべきだ。勿論自身の政治資金問題についての身の施し方を国民に納得させられるかどうかだが。

 そうしないと、何やら自民党政権と変わらない様相を呈することになり、国民は又、政治に裏切られる羽目になるのだ。

2009年12月15日火曜日

「貧しいときは、親は子供に飯を分け与えたものだ」

この言葉を聞いたことがある人が何人いるか。
 私は終戦直後に生まれたから食糧事情は悪かった。しかし、田舎で生活していたので食べる物は何とかなったようだが、量は十分ではなかった。

 毎日がそうだったから男の子供を持った母親は大変だ。母親の分を私達に分け与えてくれたものだ。その当時はそんなことは気づくはずもなかった。母親は、その後、皆が集まってチョッと豪勢な(?)な食事をするときに、「あの頃は、生活が苦しかって十分に飯を食わせてやれなかった」と申し訳なさそう言いったものだ。

 ところが最近、立て続けに2回、この言葉を聞くことになった。

 一回目は、東京に向かっていた車に中でNHKの「子育て」に関する対談を聞いていた時だ。

 5年前に離婚した男の子供を持つシングルマザーの家庭の話だ。御多分にもれず生活は厳しい。男の子は話しもしないし、問題のある家庭なのだ。1日3食の所を2食にし、それでも自分は我慢して子供に分け与えていた。貧しいなりにがんばる生活だったらしい。

 そうした生活が続くなかで、ある時突然、子供がまともになったというのだ。その男の子が、貧しい生活の中で母親は我慢して自分に飯を分け与えてくれていたことを知り、真面目な子供に変わったという。

 これこそ食育だという。

 2回目は、「たけしのTVタックル」の番組で、「子ども手当」が話題になった時、政治評論家の三宅一生さんが「昔は、親は我慢して子供に飯を分け与えたものだ」と発言された。生活が大変だから子育ての手当を出して、社会全体で子育てを助けることへの是非を問う議論の時だったと思う。

 三宅さんは、「貧しければ貧しいなりに子育てをするやり方がある」と言いたかったようで、私も同感であるが、「時代が違う」という多数の意見にかき消された。

 民主党が進める「子ども手当」は議論のあるところだ。子供に支給するのではなく、待機児童解消のための施策にまわし、親が仕事に就き家計を助け、貧しいなりにも生活を確保できる方が良いと思うのだが・・。
 「子ども手当」がテーマになると、子持ちのシングルマザーの家庭がテレビ画面に映る。今の生活は、「3食を2食しにし、自分は我慢して子供に分け与えている」とコメントしている。

 望んでそう言う境遇になった訳ではないだろう。貧しい成りに親子で生活できる手助けは、政治の責任だ。

2009年12月14日月曜日

「政治が変わる」のなら、どんなことも許すのか


「どんなことでも」とまでは言わなくて、「少々のこと」と言うべきか。

 何やら民主党政権もおかしい。

 中国に行った小沢さんのゴリ押しで、「無理」と判断されていた天皇と習・中国副主席会見が急遽決まったという。慣例上からの是非が議論されているが、内閣の要請があったとは言え、政治利用の疑念は消えない。鳩山さんは「特に日中関係を発展させると言う判断は間違っていない」というのだが・・。

 小沢さんのライフワークである草の根外交の長城計画で共に中国に行く細野副幹事長がテレビの取材で、トップ会談が予定されているとコメントしていたが、日本のトップは小沢さんなのか。こんなことを言うと完全におかしな政治構造になる。

 マニフェストに対する考え方、財政規律の考え、米軍基地問題などで鳩山さんの考えがフラフラしているように見える。基地移設問題では、どちら就かずで、二進も三進もいかなくなってきた感がする。これに08年サンフランシスコ連邦地裁のジュゴン訴訟も絡んでくるらしい。

 一方、辺野古移転では、埋め立てに大きな利権が絡んでいるらしい。利権問題で責任をとった元防衛事務次官の守屋さんの話だが、辺野古移転でも問題は消えない。

 そして民主党政権の総理、政権与党の幹事長という2人が、政治資金規正法違反疑惑に絡んでいる。そんな政治家が日本の政治を動かしている。鳩山さん自らの政治資金疑惑では、自民党も追求のためのプロジェクトチームを立ち上げ、通常国会で追及するらしい。これが理由で、国会審議が滞る恐れがある。

 国民に負託された民主党国会議員の多くが、小沢さんの顔色を見ながら行動しているのも問題だ。これでは民主政治ではなく、独裁政治のはじまりである。こんな議員に1人年間1億円モノ歳費を税金から拠出していて良いのか。国会議員は全国民の代表として行動しなければならない。

 鳩山さんは国民にメッセージを送れていない。官邸内の会見やぶら下がり会見では、誠意ある対応をしているように見えるが、ブレたり、決断できていないようにも思える。しかも政権内での意見の相違、官邸と与党・民主党とのコミュニケーションの欠如は、官僚につけ込む隙を与えることにならないか。「政治主導」が危うくならないかと心配になる。

 そして、数合わせの安易な3党連立はどうか。鳩山さんは「政権運営のベースは、民主党政権」と言うが、老練な国民新党の亀井さんとの太刀打ちは難しい。連立に拘るなら鳩山政権は危うくなるし、民主党に飲み込まれるようでは、社民党、国民新党は消滅の危険もある。

 政治にも規律がある。

 「国会審議の確保」・・国会審議に支障を来すようなことがあってはいけない。今までの総理の辞任会見での口癖は、「国会審議に支障を来す」だ。

 「政治家の道義的責任」・・当たり前のこと。政治家には特に必要で一般人よりも高いレベルの責任がある。「知らなかった」ではすまされないのだ。

 「滅私奉公」・・自分の名誉のため、自分の力を増すため出はなく、国民のために行動すべきである。故人の利権に走っては行けない

 「民主主義の厳守」・・一人の政治家に権力が集中する政治体制は避けなければならない。

 鳩山民主党政権は、まだ3ヶ月しか経っていない、鳩山さんは人柄が良いと言うことで許して良いのか。こんな政治規律に反する政府、与党を糾弾すべきではないか。

 12月上旬のテレビ朝日世論調査(回答者数571にん)で、内閣支持率が56.2%、民主党支持率は43.8%になったという。難問山積で政権内がゴタゴタしたようにみえた結果なのだろう。

自民党は今、政権復帰への力はない。民主党政権が何らかの形で続くだろうが、もっと襟を正すべきだ。

2009年12月12日土曜日

納得のいかない地球温暖化 もっと検証を




ポスト京都議定書、COP、温暖化対策、温室効果ガス削減が話題になると本当に憂鬱になる。温暖化人為起源説が科学者らの十分な検証を経ないままに、政治課題になりドンドン進んでいることだ。

 今開催されているCOP15では、日本は2020年までに25%削減することを政治合意文書に盛り込むことを決めたという。確か麻生政権では8%だったと思う。既に省エネが進んでいる我が国では25%は厳しい目標値だ。

 この温暖化対策をとった場合、所得は2.5~16.2%減少するらしい。ある機関の試算ではそれが13~76万円減ることになるのだ。環境分野で内需拡大を狙っているのではなかったのか。

 更に役50%の排出量を占める途上国の削減目標に対して、反発が強いらしい。当然だろう経済成長にも関係する重大な問題だからだ。そこで先進国からの支援が必要になるが、先進国の経済状況も厳しい。日本も3年間で約8000億円の拠出を考えているようだが、他の先進国に比べるとかなりの高額である。鳩山さんは初めての国際舞台でいい顔をしすぎたのではないか。

 それにしても納得のいかない地球温暖化論争だ。

 私が学生の頃、1960年代、地球は寒冷化に向かっていると言われて今から考えると笑い話であるが、就職するには繊維会社が一番だと言われたモノだ。長期トレンドの中で気温はグッと上がったかと思うと、グッと下がる。その下がっているころの話だったのだろうか。

 大気のCO2の測定は、1958年頃からハワイ上空で毎日測定され始め、CO2の濃度は上がり下がりを続けながら着々と上昇していることは分かっていた。

 それが政治の舞台に躍り出たのは、1988年、NASAゴダード宇宙研究所のジェームス・ハンセンが連邦議会で、「温暖化傾向は自然変動ではなく、大気中のCO2ガスなどの増加に寄ることが99%確かだ」と証言したことから始まる。

 1992年に国連総会で採択され、リオデジャネイロで地球サミットが開催された。確かこの時、日本は政界の実力者・竹下元首相を送り込んだ。これと言った政治課題がない時で環境問題に飛びついた格好になったと当時新聞で読んだことがある。
 日本がイニシアテイブをとって、1997年12月のCOP3で、温室効果ガス削減義務を定めた京都議定書が出来た。

 なかなか発効を見なかったが、2005年5月ロシアが批准して京都議定書が発効した。「政治的課題」に大きく飛び込んできた。

地球温暖化は不幸なことに科学者による十分な議論、検証を経ないままに「政治的課題」になったのだ。これが後後の禍根を残すことになった。

地球温暖化に異論を唱えたのが、1998年のビヨルン・ロンボルグの「環境危機を煽っては行けない」(邦訳 2003年)だ。私も読んだが、莫大な資料から検証を試みており納得がいく。環境団体やビジネス・ロビイスト、メデイアだけに優先付けの提案を任せておくべきではない。環境論争において慎重な民主的チェックをがんばって追求すべきだと言う(本書より)。どっちの議論が正しいのか判断するのは貴方だともいう。

2007年元副大統領のアル・ゴアが「不都合な真実」を著したが、今まで言われていた資料を羅列したモノで、何ら新鮮さは感じられなかった。

そして、IPCCの第4次報告書で「20世紀半ば以降の温暖化は、人為的起源温室効果ガスが原因である可能性が非常に高い」と一歩踏み込んだ。これには日本のスーパーパソコン「地球シミュレーター」の解析結果が大きく貢献していると聞いた。あの「事業仕分け」で「何故世界一位でなければならないんですか。第二位ではダメなんですか」と質問されたスーパー・パソコンだ。

 そう言った論争が続く中で、日本エネルギ・資源学会が貴重な科学的論争の企画をした。e―mail討論「地球温暖化:その科学的真実を問う」を実施したのだ。5人の学者が論争に挑んだ。

 赤祖父先生は、気温上昇は2001年頃止まっているが、それでもCO2は上昇している。IPCCの報告の仮説は間違っている。自然変動しか考えられないと言う。

 伊藤先生は、大気や海洋の大きな振動も平均気温に動いているのでモデルにいれなければならない。温室効果ガスの影響を「検出」出来たとは言い得ない。温度測定も不確かで結論を急ぎすぎだと指摘する。

 江守先生は、このプロジェクトに参加した研究者だ。反対意見には誤解が多く整合性と定量性に欠けるとして、本質的な非半紙はなっていないと反論する。

 草野先生は、エアロゾル、雲も影響するがその挙動が積極的に理解されておらず、ファクターが欠けている。今の気候変動モデルは試行錯誤のモデルで気温上昇は仮説する仮説を導いているだけだと言う。

 丸山先生は、古気候額の観点から地球の平均気温は±1℃で変化してこれを越えていない。理由は地球の緩衝機構だという。

 正確さを期すためには、学会のHPhttp://www.jser.gr.jp/index.htmlを参考に。

 データの読み方、長期トレンドで見るか短期トレンドで見るか。それぞれの研究分野での重要なファクターをどう取り込んでいるか、気温の測定法など論争は尽きない。

 そして、「温暖化データの誇張疑惑に波紋 発信源の英米 沈静化に必死」という記事を目にした(朝日新聞 2009.12.12)。

 それによると、イギリスの気候変動研究の中心的大学のコンピューターがハッカーの攻撃を受け、盗まれた電子メールのなかに、英国の研究者と米国の研究者が、地球気温データを操作して温暖化の進行を誇張していたことを疑わせるやりとりがあったことが発覚したという。約1000通の中から、「気温の低下を隠す策略を終えた」などと書いてあったらしい。

 地球温暖化対策は、莫大な費用を要する割には、投資しても直ぐには効果は現れず、100年以上は続くという報告も見たことがある。

 ここは、急がずもう一度各分野の研究者を加えての検証をやる必要があるのではないか。これ程論争があり、各国で利害が絡んでくる政治問題では、「確かに、そうらしい」という確証がいる。

 国民全体のコンセンサスを得なければ、温室効果ガス削減対策もうまく行くはずがない。

本当の「政治が変わる」は脱小沢から


小沢さんの留守で、民主党は束の間の自由を取り戻しているようだ。鳩山さんは連立与党の党首を呼んで慰労会をするという。その本音がどうあるか知らないが今の政局の話が出ることは推測できる。

 また、党内では渡辺さんをはじめ、小沢さんと距離置く議員が集まったらしい。テレビで記者が渡辺さんに「小沢さんら600人が中国に行ったことを知っているか」と質問したところ、「知らなかった」と応えていた。私だって相当前から予定があることは知っていたので、渡辺さんが知らなかったことは信じがたい。

 恐らく、小沢さんの居ない間にやったことが分かったら拙いので、知らなかったことにしたのだろう。

 今の民主党は、小沢さんに異常なまでの遠慮をしていることが分かる。

 小沢さんの恐怖政治は、その強面、考え方、反対者への人事報復、自らははっきり言わないことから、周囲が憶測して変な動きを導き出すことにある。「数は力」の論理、「政治は闘争」と言って憚らない姿勢は昔の自民党そのものだ。

 それだけの力があるのなら総理を狙うことも出来るだろうが、如何にせん「政治と金」のダーテイーな問題を抱えており、幹事長止まりだろう。そうなると当然に権力の二重構造が出来あがるが、陳情の処理も含めて、今の民主党はそれを乗り越えて権力の一元化構造だ。

 こんなことでは、政府の力は落ちる一方で、外国や官僚は、小沢さんに話を通せば何とかなると考えるのも当然だろう。今回の中国への長城計画での草の根外交(?)で皆思い知ったはずだ。

 一国の権力者が大多数の議員らを引き連れての中国外交はが、国益に叶っているかは甚だ疑問である。

 形振りかまわず、来夏の参院選では過半数を確保し、安定多数を確保し、あわよくば自民党を壊滅状態にさせてしまおうという政治闘争は、小沢独裁政治をもたらすモノで、民主政治に反する。

 小沢さんが望む政権交代が出来、民主党安定政権が出来たときは、小沢さんの本望を達成したのであるから政治から引退すべきである。

 最初は遠慮がちに低姿勢で中にはいってくるが、そのうちに引っかき回して相手の力をへし折り、権力を手中に収める。これが今までの小沢さんの政治手法であった。

 しかし、もうこれ以上小沢さんにがんばってもらうことは、弊害が大きくなるばかりで、日本の政治にとっては疑問が残る。おまけに与野党問わず、優秀な政治家の芽を摘むことにもなりかねない。

 今の民主党政治が「政治が何か変わりそう」を期待した政治なのか。脱小沢戦略が必要なのではないか。

2009年12月11日金曜日

鳩山さんの「自分が決めます」は、麻生さんの二の舞か


麻生さんと鳩山さんの最近の発言何かにていないか。
 
 麻生さんは、解散・総選挙の日程が与野党問わず、メデイアからも出ていた時、官邸での会見、記者クラブの会見でも「状況を判断し、私が決めます」と繰り返していた。

 もうすぐかと色めき立ったが、一向に解散権を行使しできずに、結局は会期末間際になって解散に出た。もっと早く解散せいておけば、これ程の敗北は避けられたのではと悔やまれる。

 麻生さんは「決断できない」「ブレる」総理が定評になった。

 一方、国民が望む「政権交代」で民主党鳩山政権が実現したのはよいが、普天間基地移設問題、赤字国債発行など重要課題に直面はするが、周りがいろんな発言をするが方針が出ず、最後は「自分が決める」と先送りになる。

 発言もブレるので関係者は右往左往するばかり。能力がないのかと疑う。

 鳩山さんも何やら麻生さんに似た状況になってきた。

 鳩山さんも麻生さんも軽い総理と見られているのか、閣内、党内でいろんな意見が出てくる。何かのきっかけで思わぬ方向に動くかも知れない。それを回避するためにも自分に最終的決定権があることを言いたいのだろう。

 麻生さんと違って、会見でも鳩山さんは丁寧に応えている。その真面目さは評価できるが、逆にどうなっているんだろうと不安感が増す。

 民主党政権は、「政治主導」を掲げて官邸を強化したはずであるが、初めての政権だから経験も乏しく、野党時代と違って現実を前にすると戸惑うことも多いのは確かだ。

 しかし、今大事なことは国民に安心できるビジョンやメッセージを送ることと決断、実行力を示すことだ。官邸内、政権与党内でのゴタゴタは、相でなくても国民を不安に晒すことになる。

 臨時国会中の党首討論は実現しなかったが、直接国民に向かって会見すべきではないか。

 鳩山政権での経済ビジョンは何か、政権内で起こっていること、自分の政治献金疑惑などについても直接説明すべきである。

 出来なければ、通常国会に向かって不利になり、支持率も更に下落し鳩山政権運営が難しくなる。

 自信がなければ辞任すべきだ。今はぐいぐい引っ張っていく指導者が必要なのだ。小沢さんは海部総理の時だったと思うが、「担ぐには軽くて、バカがいい」と言ったという話が伝わったことがある。そんな総理ではダメなのだ。

2009年12月10日木曜日

この悪化する経済を財政規律で切り抜けられるか


 経済は本当に難しい。「自分が経済学者になったのは、経済学者にだまされないためだ」といったのは大経済学者ケインズの愛弟子だときいたことがある。経済学者が10人集まれば、10通りの見方があるのだ。現下の経済情勢に対して、いろんな見方が出されている中で、鳩山政権の経済対策が発表になった。

 09年度の第2次補正予算案の新たな経済対策で財政支出が7.2兆円、事業規模で24.4兆円が決まった。財政支出は当初7.1兆円といわれていたが、国民新党の亀井さんが8兆円を主張してもめたようだが、鳩山さんが7.2兆円で決定したそうだ。

 この結果、税収は36.9兆円に落ち込むために、借金になる新規国債発行額は53.5兆円にのぼり、麻生政権で44.1兆円だったので、44兆円以下にしたかった鳩山さんだったが、景気低迷での税収減、公約実現のため9兆円を越え、過去最大になるらしい。

 民主党政権、財務省は財政赤字を抑えるために赤字国債発行額にこだわったが、亀井さんは、「景気対策には財政出動が必要だ」という考えのようだ。今回は8兆円を要求していたが、1000億円の増で我慢したらしいが、10年度の予算では大幅な財政出動が必要だと怪気炎を上げている。10年度の予算の概算要求は95兆円だ。仙谷さんは、事業仕分けで3兆円削減を目標にしていたが、今回は1.7兆円で終わった。

 財政出動か、財政赤字の抑制か。

 景気対策に財政出動し赤字国債が増えると、国民や投資家の信頼を落とし、長期金利は上昇、経済は停滞するという見方を、民主党政権や財務省はとっている。

 しかし一方で、今は景気対策で思い切った財政出動しなければならないときだと主張する人も多い。景気が回復すれば、雇用、税収も増え、家計もよくなるので消費が戻るとみる。国民新党の亀井さんもこっちのほうだ。

 ほかにも国内でも財政出動を訴える学者もいるが、どちら正しいというか、どちらが経済対策として適しているのかわからない。ノーベル経済学賞受賞のクルーグマン教授も財政出動派だ。今は思い切ったことをやらなければ、景気は回復しないという。

 今回の政府の経済対策の見方もさまざまだ。エコカー補助金、エコポイント制度の延長、更には拡大政策で景気を下支えする効果に期待し、適切な規模だという産業界の評価があるが、市場関係者は雇用調整助成金の至急条件緩和などで雇用に安心感が出て、個人消費を下支えし、物価の下落も支えるのではないかと期待する一方で、エコカー、エコポイントは需要の先食いだと疑問を投げかける。

 なんら麻生政権の政策と変わらず、目新しい政策がないことに失望する人もいる。当たり前のことだ。みな官僚の政策に頼っているのだ。政治主導といって、民主党側から特に出てくるものもない。考えることは皆同じなのだ。

 「明日の安心と成長」のための緊急経済政策と銘打ってはいるが、雇用創出、新産業の育成といってもこれといった妙案は思いつかない。経済ビジョンを知りたいのだけど、民間研究機関からも官庁経済機関からもでてこない。

 すでに国の借金は600兆円を超え、先進国では一番の悪い財政事情であることから、「財政危機」を心配する向きは多い。当然である。思い切った無駄の削減をして、その分を有効な経済政策にまわすことも重要である。

 しかし、不思議なことに霞が関から積極的な事業見直し、予算削減の話は一向に出てこない。メデイアも独立法人のピンハネ体質、法外な役員報酬をすっぱ抜いているが、税収が落ちれば自分たちの報酬も減ることぐらいわからないのか。

 わかってはいたことだが、官僚国家の弊害は一夜にして“CHANGE”できるものではない。

 財政出動か、財政規律か、難しい判断だが民主党政権は財政規律で進めるようだが、政権内部でのゴタゴタは、国民に不安を掻きたたせるだけだが当分は改善の見込みはない。

 ビジョンに欠ける民主党政権、税制改革で家計に増税/減税の二極化がはっきりしてくると、「こんなはずではなかった」と考える国民が多くなってくるだろう。そうなると民主党支持は落ちてくる。

 自民党にはそれに変わる政権復帰への体制ができていないので、すぐには政権交代はないだろう。
写真 首相官邸
    経済ビジョンを示して国民に安心感を与える必要があるが、政権内、政権与党内でのゴタゴタが     国民の不安感を増長している

2009年12月8日火曜日

国益? 国民は疑い、政府は否定した密約


来年は日米安保50周年に向かって「普天間基地問題を解決しない限り、すっきりした気分で50周年を迎えることは出来ない」と岡田外相は発言している基地移設問題に加えて、日米間での密約文書の存在も問題化してきた。

 1972年の沖縄返還時の土地原状回復費400万ドルを日本が肩代わりした費用肩代り問題と、60年安保時と沖縄返還時の「核持ち込み」に関して密約があったと言うのだ。

 当時、毎日新聞の西山記者が外務省の女性職員の協力で、費用肩代わりの秘密文書をすっぱ抜いて大問題になった。当時の記憶では、密約内容よりもすっぱ抜きの行為がセンセーショナルに話題になったように思う。

 これらに関して、米国で公文書が開示され存在が明らかになったが、それでも自民党政権は存在を否定し続けた。麻生さんは「調査する必要もない」と言い切った。

ところが、「秘密文書」をめぐる情報公開訴訟で、当時の担当者だった外務省OBの吉野文六さんが文書の存在と金額について存在を証言し、さらに故大平首相の秘書官だった森田さんの証言も出てきた(大平さんは、秘密文書を公開すべきかどうか、大いに迷った唯一の政治家だ)。

 何時までも秘匿は出来ない。この辺で公開した方がよいと判断されたのだろう。

 外務省や旧大蔵省が、どうしてそう言う約束をしたのか。歴代自民党政権はどうし存在を否定し続けたのか。

 当時、国益をどう考えたか。

 沖縄返還は日本の長年の課題であり、更に事前協議から艦船の寄港を除外し、有事の際の沖縄への核兵器の再持ち込みの合意は、米の核の傘で日本の安全を確保することが当時の国益だったのではないか。

 当時核持ち込みなどは、国民の大方は知っていた。疑惑があると言うことで反対運動もあったと思う。核を持たない軍備など考えられなかったし、米軍基地があることによるいろんな問題は局地的問題だった。密約を否定することにより、大きな混乱もなく達成することが為政者にはあったのではないか。
 
 外交には秘密事項が付きものではあるが、主権は国民にある。情報公開は重要である。

 民主党議員が野党時代に情報開示を求めると、マジックで真っ黒に塗られた資料が渡されたが、政権与党になると、それが極端に減ったと言う。官僚は国益をどう考えているのか。官僚は特権的な身分ではない。職業としての国家公務員であることを忘れてはいけない。

 それにしても、普天間基地移転問題はどうなるのか。前政権との合意事項を望むワシントンは「猛烈に怒っている」と言うが、社民党の連立3党離脱の可能性を回避する為の鳩山案の一つであるグアムなどへの移転か、現実性を考え岡田外相の言う日米合意事項の履行しかないのか。

 日米ともに民主党政権にCHANGEし、「政治が変わるのではないか」という国民の期待は大きい。米国も米軍基地はどうあるべきか、新しい発想で再構築する必要があるのではないか。従来の在日米軍のあり方では、節目節目で、同じ問題が提起されるだけである。

 そう言う意味では、鳩山さんの言うグアム移転などは、良さそうな案だと思うのだが・・。

2009年12月6日日曜日

政治資金規正法は格下の法律か




 小沢さんは、巨額の不動産を購入していたと指摘され売却、公設第一秘書が逮捕された献金疑惑では「修正すればいいだけの形式犯で何故逮捕するのか」と真っ向から検察を批判した。鳩山さんは、故人献金、母親からの超多額の資金提供を「知らなかった。驚いている」、「公設秘書がやったこと」と終始曖昧な説明だ。

 政治献金疑惑で、議員辞職まで追い込まれた議員もいるが、それは少数例で多くは責任逃れで生き残っている。

 政治資金規正法は、「規制」ではなく、「規正」と言われているように重要な法律なのだと主張する法律家もいる。辞書の通りだと、「混乱しないように規則を作って制限することではなく、悪い点を正しい方に直すのだ」とすると、チョッと意味合いの違う法律だ。

 しかし、民主政治のために、我々が代表として国会へ送り込む人達の政治活動を規正する法律としては、格下の法律と見られてはいないか。

 法の解釈に迷ったら第一条(目的)をよく読めと教えられた。図書館で政治資金規正法を開いてみた。

 この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみー中略―政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行なわれるようにするためにー中略―政治資金の収支の公開並びに―中略―政治資金の授受の規正、その他の措置を講じることにより政治活動の公明と公正を確保し、もって民主政治の健全な発達に寄与することを目的とするとある(第1条 目的)。

 崇高な法の目的とは裏腹に、議員や候補者のその理念の低さに驚くばかりだ。「正直に報告しているから問題ない」とか「知らなかった」ではすまされないのだ。

 その基本理念では、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民に委ねー中略―適切に運用されなければならないという(第2条 基本理念)。

 昭和23年に制定された法律だから、国民の浄財を集めて活動することを前提にしているのだろうが、何か見返りを要求されているような、いやしくも国民の疑惑を招くようなことをしてはいけないのだ。 

 その政治資金の運用も金融機関への預金、貯金、債券などに限られている(第8条の3)。政治資金で不動産取得を取得するような蓄財なんて考えられないことだ。それが政治家個人のモノだとすると誰だって疑う。

 政治家が「オレは関与していない」、「秘書に任せている」と言い逃れ出来るのは、政治団体の会計責任者に報告書の提出義務があるのだ。国会議員本人は何ら関係ないのだ。
 しかし、これはおかしい。私達が何らかの報告書を自治体や国に提出するときは、企業では社長、事業所長など、施設では施設長や理事長の名前でするのが常識で、経理部長の名前ではない。

 本来は候補者や議員本人の名前ですべきである。そうすると責任が明確になる。

 お笑いは、報告書の真実性の確保のための措置として、「真実の記載がされていることを誓う」旨の宣誓書を添付する必要があるという(第29条)。

  監督上の措置として、総務大臣または都道府県の選挙管理委員会は、提出書類に形式上の不備があり、記載が不十分であると認めるときは、説明を求めたり、訂正を命じることができる(第31条)。

 これに反する場合の罰則は、3年以下の禁固または50万円以下の罰金だ。

 政治資金規正法が、甘く見られているのは、その形式的処置からだろう。

 一方で、衆議院議員や参議院議員に係わる公職の候補者が代表である政治団体でも「政治資金監査報告書の提出が求められているが、この時は登録政治資金監査人(弁護士、公認会計士、税理士)が作成した報告書を合わせて提出することになっている(第19条)。

 政治資金規正法が、国会議員に軽視され、格下の法律のように扱われているのは、法の趣旨に反する。

 西松建設違法献金の問題のあり、企業、団体献金の禁止などが課題になっているが、議員本人が責任者となり提出義務を負い、政治資金報告書は予め公認会計士などの監査を受けるべきである。形式上の措置で済まない大きな疑惑のある場合は、議員辞職など罰則も強化すべきである。

 政治倫理に欠ける人が議員に選ばれたり、政治資金規正法で疑惑を持たれた人が政治の中枢に座り、その追及で政治が停滞することのないようにオンブズマンの活躍を期待すると共に、何よりも自分の選挙区の議員、候補者に疑惑のある人をあててはいけない。

 この法律の保護法益が何であるか、しっかり考えなければ・・。あっせん収賄、業務上横領、詐欺、脱税の隠れ蓑になってはならない。

 政治資金規正法は、格下の法律ではない。政治家の公明、正大な活動を希求する重要な法律なのだ。

2009年12月4日金曜日

ビジョンなき政権交代だったのか


鳩山民主党政権の右往左往ばかりが目立った、短い臨時国会が4日閉会した。
 私達は、「何か政治が変わるんではないか」と期待して、民主党政権を選択した。しかし、明けてみれば、ビジョンを欠く政権だったのではないかと疑う。野党時代は、自民党政権の政策に、何でも反対をしておけばよかったが、実際に政権の座に就くと、現実と前政権からの継続性で大きく悩む結果になった。

 おまけに、議席数で多数を確保するための国民新党、社民党と連立を組んだ為に、郵政民営化見直しや普天間基地移転問題で振り回される結果になり、さらに社民党のお家の事情から連立離脱の可能性まで出てきた。

 「ねじれ国会」が本当に悪いのかというと、決してそんなことはない。しっかり国会で審議し、それでも妥協点が見いだされない場合は、多数の議席数を使っての強行採決/再議決も許されると思うが、十分な審議が為されないままでの議席数頼みの議決は大いに問題がある。「ねじれ国会」は政権党の暴走の歯止めでもあるのだ。

そもそも国民新党や社民党のマニフェスト(公約)は、多数の国民の信を得ているのか。安易な連立は公約違反になりかねない。

「政治を根本から見直す」姿勢は評価できる。

 確かに「事業仕分け」は、事業費の半分以上が人件費であったり、ピンハネ法人の為に事業であったり、官僚の説明しにくい事業はムダな事業と思えた。問題はあるだろうが、公開で実施したことは国民から評価されている。しかし、100人の議員を霞ヶ関に送り込んで政治主導を目指したが、政務三役が認めた事業が「廃止」「見直し」の判定を受けることもあり、政治主導の難しさが伺える。

 子ども手当などは団体を通さない直接支給と言うことで、税のあり方を変えるものだろうが、国民の60%は反対している政策ある。少子化対策なのか、内需拡大策なのか、不透明な気がする。バラマキ予算であるのなら自民党政権と変わらない。

 税金の無駄づかい削減のための公共事業の見直し、高速道の無料化など耳さわりのよいことに違いないが、マニフェスト実現に向けた財源は十分にあるのであれば、はっきり示すべきである。

 今国会での民主党政権をみると、国民に示すビジョンを持っているのかと疑うこともある。

 雇用・経済対策では、「デフレ宣言」はしたものの、経済対策は示さず、日銀に放り投げの感もする。国際舞台で内需拡大による経済危機対策をぶち上げたのは良いが、どんな経済社会を描いているのか。是非知りたいところである。

 そして今必要なのは、「財政出動」か、「財政赤字削減」か。経済学者でも意見が分かれている。需給ギャップが40兆円とも言われているのだから、ここは思い切って財政出動すべきだという意見が強い。しかし、日本はGDPの170%を越える債務を抱えた、先進国一の借金国なのだ。財政赤字の積み上げは、国民や投資家の信頼を損ねる。

 円高、株安経済をどう乗り切るのか。財務相は円高容認発言をし、批判されると「異常事態」と認め為替介入の可能性も示唆した。事務次官や官僚に代わって大臣が会見するのか良いが、軽いコメントは禁物だ。

 地球温暖化対策では、他国に突出して25%削減を提案し、米国、中国、インドの削減目標を引き出したのはよいが、相当厳しい目標だ。改めて別メンバーで家計への負担を試算すると言うが、政権寄りの結果が出るのは目に見えている。

 さらには、これから政局になりそうな普天間基地移設問題では、国外、県外を提案しているが、具体的にはどこなのか。何も言っていない。今更「検討しろ」ではないだろう。
国内では社民党に配慮し、対外的には米国の不信を買う安全保障に未来はない。このままでは有事の際に本当に米国は助けてくれるのか。

 オバマ大統領は、東京演説で「日本を守ることに変わりはない」と特に言及したことは、米国の日本軽視を打ち消したのだろう。対等な立場での日米関係の維持は簡単にはいかない。

 後1ヶ月で通常国会が開会する。民主党政権は、国民にビジョンを示すべきである。ビジョンなき国会議論は政治ごっこだ。そんなことをやっている時ではない。

 政治資金規正法での疑惑で鳩山さんは「辞任すべきだ」と思うが、国民は、企業献金疑惑に比べ悪質性が少ないと言うことで鳩山さんに鷹揚な反応を示している。だとすれば、なおさら国民に応えるべきである。

 何をどう我慢すれば、どんな社会が見えてくるのか。
 自民党も押しつぶされることなく、しっかりしたビジョンを示せないのか。

2009年12月3日木曜日

住民の不安は募るばかりの八ツ場







話し合いを求める国土交通相、5万人を越える署名を集めて推進を訴える地域住民、そして生活再建事業がどうなるのか。前原さんは「生活再建事業はこれまで通りつづける」と言うが、前提になるのは「ダムに頼らない生活再建」だ。住民は「見直しされるのでは」との不安を募らせる。

 そんな時、新聞報道によると移転先の川原畑地区と川原湯地区を結ぶ「湖面1号橋」の4本の橋脚のうちの2本分の工事の一般競争入札を群馬県が公告したと言う。橋脚1本分は既に発註済みだが未着工だそうだ。

 前原さんは、はっきり言わない。県も先行き不透明としながらも予定通り実施する立場をとっている。

 1ヶ月半ぶりに長野原を訪れた。紅葉も終わり観光客もまばらだが、「やんば館」や湖面2号橋の工事現場付近は、観光のポイントになっている。

 ダム湖に架かる3本の橋のうち、もうすぐ完成するという3号橋(林地区と横壁地区を結ぶ一番奥の橋)のある横壁地区に初めて行ってみた。国道145号から橋を渡って吾妻川の対岸にあるが、「工事関係者以外進入禁止」など立ち入ることを躊躇させる看板が多く立っている。古い家屋が多いが、護岸工事が終了し新築の家が建っているところが新しい移転先なのだろう。

 3号橋とその向こうにクレーンのそそり立つ2号橋工事現場が目に入った。土建会社の現場事務所の看板も目立つ現場を、あちこち走っているうちに、工事が途中で止まっている3号橋工事現場と解体中の家屋、解体撤去後の平地、木々の切り株など工事再開に向けての準備が進められている場所に出た。

 解体中の家屋では、元の家主だろう年配の男性が業者に混じって片付けをしている。「解体ですか」と声をかけるとウンとうなずいた。必要なモノは運び去った後のようだが、それでも片づけている。何十年も暮らした家だ。思い入れがあるのだ。近くの民家でも植木の移し替えが始まっている。

 付け替え国道、県道、移転先を結ぶ為にダム湖に3本の橋が必要であること自体、何か無理なダム計画であるような気がする。

 総事業費4200億円のうち予算ベースでは7割ほど使っていると言うが、学校の移転、個々のトンネルを除いては、何一つ完成しているものはない。八ッ場ダム建設反対者が、「事業費はもっと上がるはずだ」ということもうなずける。

 次いで、1号橋の架かる予定の川原畑移転先に行ってみた。現場に架かっているこの付近の完成図を見ると立派な橋が架かるようだ。この橋の橋脚2本分の一般競争入札を県が公告したのだ。新築工事も進んでいるが、まだ数は少ない。神社は一番早く移転した。

 最後に川原湯温泉街にいった。平日の午後だから温泉街には特に活気がない。美容院が解体されていた。すでに移転先で営業をしているらしい。

 昼食をとるために、ラーメン屋に入った。注文した野菜ラーメンは野菜がたっぷりのっている。「すごいな」というと、ご主人が笑った。

 「反対運動は進んでいるんですか」と聞くと、「民主党案にですか」と問いかけてきた。そうなんだ。ここでは反対というと「ダム建設に反対」なのか、「民主党の建設中止に反対なのか」、区別しなければならないのだ。

 移転を1年先位に考えているそうだが、まだ移転先は造成中であり、移転先で営業しても商売になるかどうか不安なのだ。計画がはっきりしないと温泉旅館も大変なことになる。ある旅館で200万円以上かけて修理したそうが、移転が決まっていれば必要のない金を使ったことになる。

 この温泉街は、源泉から温泉水を木管で各温泉旅館に送水しているが、これも痛んでいるらしい。埋設し直すにも移転の問題が絡んでくる。

 ご主人は「ダムを作らないのであれば、橋を3本も作る必要はない。こんなに大きな環境破壊をしてまで」と言う。JRの新川原湯温泉駅もまだ工事もやっていない状態らしい。

 温泉街の一番奥が予定地だというので行ってみた。何回も来た所だがここが新駅が出来る場所とは気が付かなかった。何のための工事かは分からないが始まっており、その先には有名になった湖面2号橋につながる。

 生活再建を優先するにしても、移転先もままならず、商売になるかどうかも不透明、温泉街はどうなるのか。ダム湖のない温泉街では魅力がないし、今の場所で温泉街の再生が出来るのか。

 上流の住民には、また違った考えもあるようだ。

 ダムに頼らない生活再建と言うが、50年もダム建設と付き合ってきた人達だ。ダム前提での生活を考えていた所に、「ダムに頼るな」と言われても頭の切り替えには急には出来ない。ダム計画を中止し、生活再建に切り替えた先例もあるが、住民のコンセンサスを形成するには相当時間がかかったらしい。
 
 政治に振り回された無謀な計画だったと考えられるが、途中で止めるのも無謀過ぎる。民主党政権は「政治主導」でどう解決しようとしているのか、前原さんは早急に生活再建策を提案すべきである。

2009年12月1日火曜日

鳩山さん 潔く辞任を


総理の座について早3ヶ月、鳩山さん自身に降りかかる問題が厳しくなってきた。「友愛」を政治理念として主張するなどおこがましいのだ。

 政権交代を目指していた野党時代に、小沢さんの公設第一秘書が政治資金規正法違反事件で東京地検特捜部に逮捕されたとき、「国策捜査」と批判の急先鋒だった。野党幹事長の発言としては違和感を感じたものだ。

 その背景には、小沢さんの援護で総理の芽が出ていたのだが、「政治と金」の問題で火種を抱えていた。総理の座に就くやいなや、許容限度を超える様相を呈してきた。

 個人献金、偽装献金さらには実母からの多額な資金提供は脱税の疑いが濃いほど、疑惑に関して本人が説明できない程の悪質さがある。

 誰かが言っていたが、子供の時から大金持ちで、政治以外にも遊び歩ける(決して悪いことではないが)人間に「国民の目線」での政治など期待できないという疑問には同感だ。貧困率15%、低所得化が進む中であらゆる事に課税され可処分所得も減少し、生活が厳しい者にとっては、怒りがこみ上げてくる。

 案の定、政策の節目に、その決断が出来ていない。少しでも先延ばししようとするから、混乱が起きる。

 国会審議も十分ではない。総選挙後の国会開会がおそかったし、円高、株安、デフレで国民の生活は更に厳しくなるにも関わらず、何ら対策は示されていない。それなのに会期を4日で閉めるらしい。

 その原因の一つに鳩山さんの「偽装献金問題」で追求されることを民主党が恐れている為だという。「鳩山総理隠し」でこのような国会運営を余儀なくされているとしたら、何をか言わんやだ。

 即刻、総理の座を辞任すべきだ。

 国権の最高機関としての国会をどう思っているのか。国民をバカにしているとしか言いようがない。

 「政治と金」の問題は、政治倫理の問題だ。疑惑を持たれると言うことは、政治家として命取りだ。小沢さんの問題も含め、総理、与党幹事長の2人が政治資金規正法で疑惑を持たれていること自体、日本の政治の恥ではないか。

 最近の世論調査を見ても、国民は、鳩山さんが総理だから民主党政権を支持しているわけではない。「政策」あるいは「政治が変わることが期待できそう」だからだ。

 潔く辞任し、通常国会では国民が必要とする議案の審議を存分にやれる体制を早くつくって欲しいものだ。