2010年10月28日木曜日

社会資本整備事業:効果は大きく、費用は小さく、後に膨張?







国の会計は複雑だ。一般会計約92兆円に対し、特別会計は176兆円と巨額だ。しかも一般会計から約40兆円が特別会計へ廻されている。10%カットで20兆円が浮く特別会計は事業仕分けのうってつけと思っていたが、そうはいかない。財源確保が目的ではないと予防線だ。

初日の仕分けの状況をテレビで見ると、官僚は決められた事業を淡々と遂行しているようだ。「民間でどうしてやれないのか」と聞かれると諸外国の例を挙げて正当化する。「米の備蓄にかかる費用が巨額すぎる」と指摘知れば、「食の安全保障だ」と安全保障には費用がかかると言わんばかりだ。

当然かも知れない。官僚はやっとの思いで利権に係わる事業を手に入れた。当時の社会事情があったにしても状況が変われば見直しをすべきであるが、先輩達の築いた利権を見直すことは、官僚にとってはやってはならないことだし、出世にもひびく。

その事業の役目、今の時代に即しているかなど省みず、毎年経費を計上する。誰からもチェックを受けないのだから「費用vs効果」など何処吹く風だ。官僚だって税金を納めているのだから無駄な事業には抵抗があると思うのだが、彼らには利権という美味しい餌がある。逆に国民は税金の無駄使いには強い抵抗がある。

その事業が今も意義があるのか、費用vs効果は我慢の出来る範囲にあるのか、大事なことなのだ。

2日目の事業仕分けでは、長期にわたるスーパー堤防事業に対して仕分け人がどういう判断を下すのか確認したかったが、スケジュール変更で聞くことが出来ず、代わりに港湾事業で「費用vs効果」の議論を聞くことが出来た。

港湾整備事業は、2003年に30兆円のインフラストックになるが、我が国の全体の貨物量は1980年代から大きく増加していない。需要予測も126港のうち実績が計画を上回ったのはわずか16港で「釣り堀港湾」と指摘されているらしい。

この間韓国釜山港はコンテナ貨物が集まりハブ港湾となり、釜山港に追いつき、追い越す政策としては、スーパー中枢港湾として横浜、神戸に荷物を集中することで効果を計算するべきだと言う。一方港湾の耐震化も急がれている。

効果について、沖町を時間短縮するのが効果であって、他の港湾に集まっていた荷物が当該港湾に移ってくる効果もあげているのは、大きく見せるためではないのか。効果の数字を考え直す必要があると指摘されている。

費用の面では、積算が甘すぎる。個人的には30%はカット出来るのではないか、下積算を一社でやるのではなく、五社ぐらいでやって欲しいという。

費用の膨張率も大きい。当初計画では4027億円だったのが、完成時には5511億円
に膨らんである。理由を糾されて、土木工事なので予測していなかった事態が発生しているという。仕分け人から専門家なのだからいろんな事態を想定してやって欲しいと指摘。

公共事業で一番問題になるのは、需要予測だ。今回も126港湾のうち計画を上回ったのは16港湾だけだったが、乖離が大きすぎる。計画が過大ではなかったのか。需要の見直しが必要だ。

責任は誰にあるのかとの質問に、港湾管理者にあるという。デモ需要予測を間違い、費用vs効果で問題があっても責任を取った人はいない。

この事業の評定は、需要予測を見直し費用が膨張しないように。予算要求は10~20%圧縮すると言うことだった。

仕分け人に指摘されるまでもなく、事業担当者は、P→D→C→Aで、事業を適正に実施するのが当然なのだが、民間企業のように利益を挙げる必要がないので、公共事業はP→Dだけで事業を進めていることに問題がある。   

初日は一般席に空席があったようだが、2日目は満席だった。社会資本整備事業で公共事業だったのでわかりやすかったのだろうか。

願わくば、民主党主体ではなく野党も加えた超党派での「事業仕分け」であって欲しい。
写真上段左:ワーキンググループの仕分け後の評決 費用便益分析では情報公開を進めるよう指摘されている
写真上段右:作業終了後記者団に質問に答える長妻議員
奢侈下段:2日目w-キンググループBの会場 一般席はほぼ満席の盛況だった

2010年10月27日水曜日

民主党政権は、日本をどう導こうとしているのか




政権交代すれば、「ムダの削減で16.7兆円がたたき出せる、官僚主導から政治主導へ、子ども手当、農家戸別補償、米軍基地の県外、国外移設、クリーンで開かれた政治、4年は増税しない、高速道無料化、郵政見直し」出来るのであれば「面白い、やらせてみよう」と思い民主党支持に走ったのも無理はない。

半信半疑でも自民党政権が続くよりマシだと思った。

しかし、そう思うようには行かなかった。約束した政策を遂行しようにも財源がない。事業仕分けに期待したが、浮いたカネは1兆円足らず。米軍普天間移設問題でも県外、国外と言っても何の可能性もない主張だった。かえって日米関係を拗らせる結果になった。

「クリーンな政治」も鳩山、小沢の2トップにかかってきた政治資金疑惑は、両者の説得力のない言い訳で支持を失い、失脚する目にあった。「開かれた政治」もうまく行くはずがない。自民党政権時代と変わらない状態だ。かえって野党に転落した自民党の方が正論を吐く始末だ。

兎に角、出てくる総理、鳩山、菅さんの指導力の無さ、政策発言のブレが指摘され、バカだ、チョンだの批判が続き、海外に向けても大いに国益を損じている。

安全保障の問題は、米軍の抑止力が問題になり、その間隙を縫って中国が尖閣列島周辺に進出し、漁船が領海侵犯、船長、船員を逮捕し、国内法で処罰しようとしたら中国が猛攻撃をしてきた。あわてた政府は中国の恫喝に腰折れ、地検の判断(?)で処分保留のまま釈放してしまった。もう国内法で処することは出来ない。相手はVサインで大歓迎を受けた。

国益、日本の漁民の安全をどう考えているのか。国会での審議で丸山さんが「このままでは中国の属国になる」と批判したら仙石官房長官は「すでに中国の属国になっている」と答えた裏話を曝露した。

マニフェストで菅総理は現実に直面し、大幅な方針転換を試みているが、「政権交代時の約束は何としても守らなければならない」という党内反対派に押されてギクシャクしている。野党からは、党内で考えをまとめろと逆襲されている事態はみっともない話だ。

民主党のアキレス腱となった「政治とカネ」の問題は、小沢さんの強制起訴に至り、民主党を右往左往させている。常識で考えれば、ここは一旦離党すべきであるが小沢さんには、その気がない。小沢さんはかえって政局のカードに使おうとしている。

政治資金でどんな反省をしているのか。民主党は企業献金の全面禁止にしようとしていたのではないかと思っていたら、党財政の安定化の理由で企業献金を再開するという。小沢さんが幹事長だった時よりも緩和したことになる。

菅さんは「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と訴えているが、円高、株安もあって景気回復には至らず、支持率下落の要因になっている。アメリカのオバマ大統領も同じ要因で中間選挙では負けそうだ。

円高は収束する気配がない。菅さんが財務相だった時より10円高くなった。「必要なときは対応する」と口先だけかと思っていたら、一度介入した。しかし、市場も舐めている。効果は一時的だった。世界の動きから介入は難しくなっている。折しもトヨタは1ドル=80円で設定するという。

東京の株式市場もアメリカの動向に大きく影響するが、円安では株価は上昇する。経済界も為替対策を熱望しているが、日本単独ではお手上げ状態だ。

太平洋地域の貿易自由化を柱とするTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への検討を始めているようだが、農業自由化には反対する動きもある。

民主党の政策に整合性がない。財政健全化を訴え増税の検討を始めようと菅さんが主張したが、民主党内でも4年間は増税しないという約束に反すると反対している。自民党は財政健全化法案を用意しているが、民主党は乗れそうにない。国会運営の駆け引きに自民党は、子ども手当、農業戸別補償のバラマキ予算の廃止を持ち出している。

民主党と野党の攻防は続くが、民主党には党内野党がいる。いわゆる小沢系グループだ。菅政権は国会では野党を、党内では小沢系グループを野党に政策の調整をして行かなくてはならない。

これでは何も出来ないことだ。民主党も自民党も選挙戦では「国民のため」と言いながら内実は政権闘争をやっている。

一度、民主党政権は国民に謝罪し、「日本をどうしようとしているのか」「どう導こうとしているのか」しっかり説明すべきではないか。
写真左:首相官邸 総理は日本のビジョンを示せ
写真右:民主党本部 政権政党として、党内で政策の統一を図れ、小沢系グループは党内野党なのか

2010年10月26日火曜日

小沢氏強制起訴は人民裁判なのか




人民裁判とは、主に共産国で裁判所と関係なく人民が行なう裁判という(国語辞典)。小沢さんが自らの政治資金疑惑で、告発事実以外の案件も含まれての「起訴すべき」議決で強制起訴されたことにより議論を呼んでおり、人民裁判だと批判する者もいる。

小沢さんは「不正はない」の一点張りで理解を求めてきたが、ここに来て起訴を回避すべく手続き差し止めなどの訴えを起こしたが「刑事裁判で手続きも争える」として却下され、即時抗告したが高裁も同じ理由で却下した。

捜査権を持つ地検特捜部が2度にわたり不起訴にした案件を、検察審査会が「起訴すべき」と議決したこと、更には告発事実にない事実が追加されての議決だったことが波紋を呼ぶ結果になったのだろう。

小沢さんの政治資金疑惑は、単なる記載ミスの形式犯と小沢さん側は見ているようだが、この案件では土地取引に関する原資の所在も問題になる。小沢さんの此までの説明は2転3転している。小沢さんにとっては触れられたくない問題だ。

私もこの点が一番の疑惑だと思うし、この真相がはっきりしなければ小沢さんの疑惑は晴れないと思う。人民裁判だと反論している連中は、真実をはっきりさせようとしているのか。ただひたすら小沢さんを擁護しようとしているのか。

確かに、検察と審査会では判断基準が違うのだろう。検察は、「証拠上有罪を確信できなければ起訴しない」(大阪地検特捜部の件は別として)と言うことだが、審査会は「疑わしきは起訴し裁判ではっきりさせる」と言うことだろう。極言すればえん罪を有無危険もある。

法の下に平等であるべきだが、国民の負託を受けた国会議員は、一般の人よりも厳しい責を負うのは当然だ。国民の税金から年間1億円もの大金を支出し議員活動を援助しているのだ。

一般国民の良識を検察官の職務に反映させる目的が検察審査会制度にはあることを考えると人民裁判という批判は当たらない。

検察審査会法を見ると、あらゆるところで裁判所が関与して、検察審査員の権限、義務その他必要事項を説明し宣誓までさせている。勿論検察審査会長の責任は大きい。私達が新聞報道などで知る以外にも重要な証拠を把握しているのかも知れない。
更に審査会が起訴相当の議決をする場合は、予め検察官に対して会議に出席し意見を述べる機会も与えられている。その時どういう意見が述べられたのか分からないが、会議録には記載されているのだろう。公表されるべき者かどうかは法には規定がない。審査会が公開されないのだから、非公開なのだろう。

小沢さん側や学識者、興味のある人には公開して欲しい資料だろう。

小沢さんは自らの疑惑事件を、政局のカードにしようとし、スムーズな国会審議の担保を取ろうとしている。何処までお騒せの小沢さんなのか。

小沢さんの言う「不正は一切ない」のであれば、政治倫理審査会ばかりでなく、参考人招致、ウソの証言は罪になる証人喚問だってでれるはずであるし、政治家経歴に汚点が出来るだろうが、裁判で真相を明らかにすべきだ。

取り巻き政治家や一部ジャーナリストが「人民裁判だ」と批判しているが、裁判所抜きの裁判ではない。

検察審査会制度自体に対する疑念もでているのは確かだ。国会審議で検察審査会のあり方が質問されたが、最高裁、法務省の答弁はありふれた手続きに終始した。

裁判員制度、検察審査会制度は、一般国民の良識を司法や行政(検察は行政の一部、裁判所は司法)に反映させる目的がある。検察審査会法が強化されたときに、小沢さんをはじめ国会議員は審議にどう係わったのか。法案が一括処理されたから分からなかったのか。
写真左: 小沢氏の「政治とカネ」問題で揺れる国会
写真右:東京地方裁判所 即時抗告も却下、手続き上の問題も裁判で争われることになる 

2010年10月25日月曜日

クリーンな政治:御株を奪われた民主党?


「クリーンな政治」を掲げて颯爽と登場したのは、民主党菅総理だったが、小沢政治資金疑惑での処理に手こずる間に、今回の北海道5区補選で自民党町村さんに御株を捕られた格好になった。

24日の衆院北海道5区補選で自民党の町村さんが民主党候補を大きく(?)引き離し当選した。テレビでは開票率0%で当選確実を打った。

その町村さんは「クリーンな政治」の実現を掲げての選挙戦で、前回の衆院選で民主党議員が選挙違反の責任を取って辞職した特殊事情と小沢さんの政治資金疑惑で強制起訴、更には民主党候補者後メイドの低さも要因になった。

民主党の「クリーンな政治」の御株を取っての勝利だった。

民主党は、小沢さんの処理に右往左往する一方で、もう一人母親の巨額の政治資金援助を知らなかったと主張した鳩山さんは引退撤回の意向が伝わっている。民主党は、この2人のために政治資金疑惑の巨塔となっているのだ。

今の民主党の再生の第一歩は、勘違い行動を今もやっている鳩山さんと、悪しき金権体質の権化である小沢さんの離党しかない。

「小沢さんがいなければ」という政局での不安視もあるが、多くは小沢さんに集ることしか自分の存在価値を見いだせない擁護者の考えであって総意ではない。

小沢さんを擁護するメリットと脱小沢のメリットをしっかり検証すべきだ。小沢さんは多くを語らないが故に、メデイアは虚像を造っていないか。更には何時までも小沢さんに頼らなければならない政界に不甲斐なさを感じる。

鳩山さん、小沢さんは自らの判断で離党すべきだ。さもなければ有権者が判断すべきだろう。国会議員は全国民の代表者であって、選挙区の代表者ではない。

相変わらず公共事業を差配する国会議員の選挙区で有権者が「あんな人を国会に送って国民の皆さんに恥ずかしい」とコメントしていた年配の女性を思い出す。


写真:自民党町村さんの大勝を報じる読売新聞 2010.10.25

ニュースは紙媒体の新聞を読むことから

米国では、紙媒体の新聞の落ち目が伝えられる。記者のリストラ、会社の身売り、ネットへの志向とその有料化など有名な新聞社が直面している事態は厳しい。

翻って日本ではどうかというと、リストラ、印刷の委託、共同通信からのニュース配信、地方支局の縮小など程度の差こそあれ、同じように経営は厳しいらしいが、今すぐ配達システムが崩れることはないらしい。

新聞社の経営が厳しくなった原因に「新聞を読まなくなった」ことが挙げられている。よく耳にする「若者の活字離れ」だ。

新聞を読まなくなったために、新聞社の経営が厳しくなると共に、国民の世論も怪しくなってくる。

紙媒体の新聞を読む代わりにニュースを無料のネット(勿論有料のネットもあるが、どのぐらいの購入者がいるのかは分からない)やテレビに頼るようになった。

しかし特殊な情報源は別として、ネットでもテレビの情報番組でも基本的には新聞記事に
頼った報道である。

ネットでも新聞社系の電子版は別として、そのニュースの信頼性に疑問を投げかけられている。プロの記者が集めた記事の方に信頼性があるというのだが、記者クラブに批判がかかっているように苦労せずリーク情報を垂れ流すことの是非が問われている。

一方、小沢さんの政治資金疑惑での検察審査会の2回にわたる議決で強制起訴されることにも関連し、「国民は素人」「メデイアに操作された世論」が為政者や一部ジャーナリストから指摘されるようになった。

健全な国民感覚を身につけるにはどうしたらよいのか。世論が信頼を持たれるようにするにはどうすればいいのか。

それには、継続して新聞を読むことだ。問題の発端、経過を知ることが出来る。その中には検証記事もある。「そうだったのか」と認識を改めることも出来る。その間報道される記事に齟齬があったとしても、長期に新聞を読むことで理解を修正することも可能だ。

ネットサーフィンでは、断片化された信頼性の乏しい短い情報を積み上げて考えを構築することになり、新聞などの活字を読むことによる考える力は弱まる。

新聞を読み、考える力を養おう。そうすれば健全な国民感覚が育成でき、新聞社の経営を助けることになる。優秀な記者を育てることにもなるのだ。

2010年10月23日土曜日

スーパー堤防の費用vs効果:何時起こるかわからない大洪水、巨大地震に備える公共事業











大洪水、地震など災害から街を守る高規格堤防(スーパー堤防)が事業仕分けの特別会計事業仕分けのやり玉に挙がりそうだ。計画を初めて20年も経つが、その整備率は低く「国民の安全かムダ削減か」が問題になりそうだ。

それも100年か200年に一度起こるか分からない洪水とか、何時発生するか分からない大地震への対応だから無理もない。財源が足りないのだから差し迫った事業に廻せと言われれば仕方ないと思うかも知れない。

この「スーパー堤防整備事業」(社会資本整備事業特別会計)は、計画を越える大洪水による壊滅的な被害から街をまもるために昭和63年から始まった。人口や工場などの密集地が対象になるらしい。

時事通信やSANSPOによると、首都圏、近畿圏の6河川で872kmを造る計画で、今までに整備済み、整備中を入れて約50km、6943億円を使ったと言う。整備が終わったのはたったの6%だ。2009年度は224億円使用した。

私の住んでいる東京都大田区も多摩川下流域として整備の対象に上がっている。京浜河川事務所のHPによると、多摩川では11カ所が完成し、6カ所が整備中だという。

近くなので下丸子地区に行ってみた。「スーパー堤防特別地域」の表示が出ている。多摩川があり、河川敷は野球場に整備され、堤防が高く盛られている。これがスーパー堤防で桜並木となっている。市街区域は堤防の高さに盛り土され、洪水や地震に強い地盤になっており、万一浸水しても緩い傾斜面を流れるので建物が流されることはないらしい。

しかし、これもマンションや高層ビルを建てたりする新しい開発区域であればよいが、市街地が工場や古い民家の密集地であると河川側は整備されても住工密集地側は整備が出来ていない。洪水や地震に強い街づくりの難しい処だ。

多摩川の過去の災害を、京浜河川事務所の多摩川歴史年表から見ると、平安時代の878年には関東に大地震が発生し甚大な被害が発生してというし、安土桃山時代の1590年には多摩川に大洪水が発生し、川崎市多摩区内の流路が変わり、ほぼ現在の位置になったという。

最近も豪雨で水嵩が増し、逃げ遅れた人達を救出するニュースが絶えない。普段は休日になると野球やサッカーの試合などで賑わう河川敷のグランドも洪水で簡単に姿を変える。

大田区の洪水ハザードマップ多摩川版を見ると、下丸子、六郷地域は2~5mの浸水が予測されているが、下丸子の一部区域は平成16年度に整備されたスーパー堤防により多摩川の堤防が決壊しても浸水のおそれがなくなったと記されている。しかしその周囲の区域は、浸水するのだ。

費用vs効果で考えると、どうだろうか。事業仕分けの判断に注目する。
写真上段左:かさ上げだけすんだ堤防 住工密集地ではなかなか進まない
写真右:川崎側の整備中の区域
写真下段左:下丸子地区のスーパー堤防特別地区表示
写真下段右:下丸子地区の整備済み地域 桜並木が作られ市街区側は堤防の高さに盛り土され、マンションや高層ビルが建っている。こういう地域は本当に少ない。 

2010年10月22日金曜日

小沢政治資金疑惑:どうして小沢戦術は民意を損ねてばかりいるのか


政治資金規正法違反事件に絡む小沢さんの戦術は、国民の常識に反する結果、何らの説明にも為らず民意を損なうばかりだ。

強制起訴の議決を受け、起訴議決の執行停止などの申し立てを東京地裁にしたが、却下され高裁に即時抗告したが、此も却下され、最高裁に特別抗告するという。小沢さんは「何ら不正はない」と強調しながら、何とかして起訴を避けようとあらゆる手を打っている。

疑えば疑うほど、解党時の残った政党助成金の行くへ、4億円に上る土地購入資金の原資、水谷建設からの政治献金などに疑いが高まる。

小沢さんは、どうして民意を損なうような戦術しかとれないのか。

小沢さんは今までどんな選択をしたのか。記憶に新しいところでは、国会で参考人か政治倫理に出席すると良いながら、一向に進展せず、回避しようとの姿勢が強い。挙げ句の果ては新聞報道以上の情報を持っているのかと逆襲する始末だった。

そして、国民の皆さんの理解を得るようにすると良いながら、その手段は地方行脚や党大会での民主党支持者向けだった。それも何の根拠も示さず、「不正はない」の一点張りだった。

幹事長辞任劇もカードを有利に使おうとした余り遅かったし、一兵卒になってがんばると言いながら、代表選に立候補し識者を唖然とさせた。

その選挙戦では、検察審査会を「素人の集まり」と批判し、制度そのものの存在意義を否定する見解を述べた。

そして、強制起訴になると、何とか回避しようとあらゆる手を打って出る。政治家でなければ出来ない行動だ。

これらは何ら民意を好転させるモノではないことぐらい分かっているはずだ。

しかし、好意的に見ると小沢さんは本当に自分の意思で決断しているのかと疑問も出てくる。

今までの新聞報道の端々に、「そうしよう」「任せる」「親父さんと同じようにしなければならないのか」「みんなで相談してやってくれ」という発言が伺える。

小沢さんの今の境遇を利用し、自分の存在を強調したい取り巻き連中に振り回されているのではないのか。

そのことが、政治資金疑惑が小沢さん個人の問題であるにもかかわらず、政治的にどう処理するかにかかっている。

国政の混乱の原因にも為りかねない。自分が政治倫理委に出る代わりに国会での審議を円滑にするカードに使おうとしている節もある。

「小沢さん 貴方の政治資金疑惑は貴方自身の問題であり、取り巻き連中と一緒に駆け引きすべき問題ではない」と言いたい。

民意を損ねることは、政治家生命に関わる問題である。

取り巻きのアドバイスではなく、自分の考えで戦術を決めるべきだ。
写真:検察庁 「小沢起訴すべき」の議決を検察はどう受け止めているのか 検察が嫌疑不十分で不起訴処分にしたとき、検察庁内の人事も絡み現場検察官と幹部とで解釈の違いがあったという。不起訴が正当だったのか、判断を誤ったのかはしばらくして結果が出るが、小沢氏自身に対する捜査が不足だったことはいなめない。

姿を消す旧京品ホテル




ホテル単独では利益を出していながら、経営者の放漫経営による60億円とも言われる借金の返済のために売却されることになり、経営者側と元従業員の間で闘争が続いていた京品ホテルも解体工事が終盤に近づいていた。

私が京品ホテルの闘争を知り、最初に取材に行ったのが2008年の11月だった。建物内外には多くの関連組合の檄文がはられ、従業員により一部の宿泊施設とレストランで自主営業がされていた。

ホテル内にはいると宿泊予約に訪れていたサラリーマンもいた。内部は歴史を思わせる造りで、日光金谷ホテルや軽井沢の万平ホテルを小さくしたような感じだった。

檄文には「ハゲタカは死んだ。よみがえれ京品ホテル」など多くの檄が寄せられ、従業員を勇気づけていたようだ。

ところが2009年1月に自主営業に対して立ち退き強制執行が為された。確か夕方だと思うが、警官隊の警備を背後に、執行された。

これで終わりかと思っていたが、元従業員側も闘争を続け、2009年6月に取材に行ったときは、ワンコインのカンパ弁当を販売していた。「組合側の了解が取れない限り、物件は売れない」と幹部は言うが、10月に破産裁定が下された。

その後、解決したというニュースを見て、2010年5月に行ったところ、封鎖に使われたベニヤ板に張られた警告文などは剥がされた状態だった。

そして、2010年10月21日、羽田殻の帰りに寄ってみると、工事用の囲い壁で囲まれ、中を見ると重機で解体工事が行なわれ、一階部分の壁の取り壊しにかかっていた。

今回の闘争は、会社側が従業員に退職金を支払っての廃業であった。解雇された元従業員方は職を見つけることが出来たのだろうか。時期が時期だけに心配だ。

それにしても今回の闘争で考えさせられるのは、「会社は誰のモノか」と言うことだ。法的には経営者のモノであるが、企業は従業員なしではやっていけない。従業員の生活の基盤でもあるのだ。やたらに経営側の理由だけで廃業などできない。

英国では,そう言う考えもあり、廃業に制限があるが日本ではない。文化の違いだという。

組合幹部が「闘争するというとマスコミはドッと来るが、普段は全く来ない」と言った言葉が印象に残った。

2010年10月21日木曜日

羽田国際空港化:期待と危険をはらんでいるが、「儲かる空港」か
















「新しい羽田から海外へ」とでも言うのか、羽田が新しくなった。日本のゲートウェイか、テーマパークか、エンターテーメントか。「儲かる空港」にしなければならないと言う意気込みは分かるが、期待と危険をはらんだスタートになった。

民主党政権になって、当時の前原国土交通相が、「羽田ハブ空港化」を発表した時は、余りにも唐突すぎた感がしたが、工事中のD滑走路、ターミナルビルを目前にして本当だと確信したものだ。

そして21日のオープンになった。自由化に遅れて発着枠不足、乗り継ぎの悪さも誘致も不利だったが、発着も30万回から37万回に、うち7万回は早朝/深夜便になるとあって大きな期待とともに大きな危険もはらんでいる。

狭い敷地に4本の滑走路だ。おまけに空域も制限されている。離陸/着陸で航空機が交差する管制上のハザード/エリアが出るという。最近、機長が管制の指示なしに勝手な離発着をしている事件も報道されており、心配の種だ。

更には、騒音の問題も約束が守れるかどうか。私の住んでいる大田区久が原地区は、閑静な住宅街と考えられていたが、今は騒音が気になり出した。時間帯にもよるが30秒毎に航空機の騒音が聞こえる。羽田を発った航空機が、私達の住んでいる地域の上空でターンし、西側に向かっているのだ。

多くに利用者が、羽田の利便性を強調しているが、利便=効率=潜在的危険の構図だ。
エスカレーターに乗っても両壁面に航空会社の早朝便、深夜便のPRポスターが、これでもかこれでもかと張ってある。

実際に行ってみて驚いた。日本へのゲートウェイか、テーマパークか、エンターテーメントか、ただのショッピングセンターなのか分からない。

江戸の町並みを再現したような「江戸小路」では、江戸舞台で三遊亭円楽師匠のトークが始まっていた。カメラは携帯を向けると、係員が「撮影は禁止です」と手を挙げる。「だったら止めろ」と言いたい。

多くのショップ、レストランが開店している。メーカーズシャツ鎌倉で「何故、シャツなの」と聞くと、「メイド イン ジャパンです。価格も手ごろになっています」という。確かにコンセプトは「メイド イン ジャパン」だ。4900円は5000円を切り割安感を出している。ユニクロと同じだ。
ラーメン店も出店しており、価格は800~1000円。長蛇の列がここでもできている。ここまで来て長蛇の列かと感心する。

京都で400年の綿織物の老舗の「RAAK」が、「京都(洛)から発信する」と、1000~5000円の手ぬぐいなどで老舗の歴史、技術を紹介している。絵柄は勿論尾形光琳筆だ。

1753年創業の老舗宇治茶舗「京はやしや」は、ソフトクリームなどにお茶を使ったスイーツを提供しており、付属する「庭園」は和の趣がある。

5階では、Starry Cafeでコーヒーや軽食をとりながらプラネタリュームを見ることが出来るし、博品館ではスロットサーキットが設けられ遊んで楽しめるなどエンターテーメントの趣がある。

眺望を見るために5階の展望デッキに出たが、あいにくの雨模様だ。不思議なことに、案内図が何処にもない。アトラクションの準備で近くにいた航空会社の職員に「D滑走路はどの方向ですか」と聞くと「あちらの方です。雨で滑走路は見えませんが、離着陸の航空機は見えます」と教えてくれた。

霞んで見えるが、真っ正面に新しい管制塔も見える。

「本当に儲かる空港」を目指しているのか。国のやることだ。羽田のハブ空港化に重点を置いているのだ。

しかし、今回気が付いたのだけど見学者に感想を話している会話が全く聞けなかった。大勢の見学者と行き交ったが不思議だ。あるテレビ局の取材班が、見学者に「感想は」と聞いていたが、直ぐには返答できなかった。

結局は、よく分からない羽田ハブ空港化なのだ。
交通機関は京浜急行で行ったが、ホームが2本、羽田方面(1番線)と品川方面(2番線)と隣りあわせでできているのは当然としても、改札口は1番線がB2階、2番線は2階と大きく離れていた。不便この上ない。1番線の改札を入っても2番線に行ける方法を考えた方がよさそうだ。
写真上段左:チェックインカウンター まだ便数が少ないので暇そう
写真上段右:展望デッキから新しい滑走路を望む 向こうが新しい管制塔など 
写真中段左 江戸小路 江戸の町並みを再現 テレビ局の取材クルーが活動していた
写真中段右:エンターテーメントというべきか コーヒー、軽食を食べながらプラネタリュームが見える 15分 500円だ
写真下段:にぎわう出発ロビー

2010年10月19日火曜日

「操作された民意」、「国民は素人」という前に、情報公開、説明が十分だったか


最近、政治家やジャーナリストに「メデイアに操作された民意」、「専門家ではない素人の国民が司法の判断をする」など主権者たる国民を見下した意見が目立つ。

十分な情報も持たず、全くの素人同然である国民が、メデイアの世論調査で内閣の浮沈に係わる判断をしたり、捜査機関が不起訴にした案件を起訴にしたりすることに対し懸念と言うより、批判した発言だ。

しかし、その前に政府や行政機関、政治家は十分な情報公開と説明を果たしているのか。

情報公開、説明が十分でなかったからメデイアは、独自に調査したり状況判断から推論の記事を書く。記者クラブ制も批判されているが、貴重(?)な情報源になる。残念なことに大手新聞社の記者の考えは大体同じ傾向だ。

国民は、その新聞の記事で情報を得、判断することになるし、テレビの情報番組も新聞記事の切り抜き解説がほとんどだ。メデイアの報道は画一的になる。各メデイアの世論調査で同じ傾向が出るのは当然だ。

そこから、メデイアが世論を操作していると危惧する人が出てくる。小沢さんの政治資金規正法違反事件での容疑者の供述の新聞報道が検察リーク情報の垂れ流しだったことで検察が情報操作し小沢=悪者の構図を築いたと批判した。

しかし、小沢さんは自らの嫌疑に対して積極的に国民に説明したか。地方行脚や党大会で「1年余りの地検特捜の操作でも不正はなかった」と自らの潔白を主張したが、「真実がどうだったか」は未だ分からないままだ。

世論調査でも、「小沢さんは説明を果たしていない」が、圧倒的だ。

著名なジャーナリストがテレビの情報番組で、「メデイアの世論操作を危惧する」発言をした。しかし、十分な説明責任を果たさずに結果が悪者扱いになったことには、小沢さんに非がある。

このジャーナリストは、新聞に記事を書いたり、テレビでコメンテーターを務めて報酬を得ているのではないのか。そう言った人間がメデイアを批判するのであればコメンテーターを止めるべきだ。
一介のジャーナリストとして、ブログで調査報道をしたらどうなのか。今もコメンテーターとしてテレビに出ていること自体が節操がない。

「国民の素人」発言も、小沢さんの政治資金疑惑での検察審査会の「起訴すべき」議決から強制起訴になったことへの反論である。

小沢さんは、「不正はない」と言いながら、あらゆる手段を使って強制起訴を阻止しようとしているが、裁判所が言うように刑事裁判で争った方がよい。

確かに「起訴すべき」議決が出るに至った経緯が不透明であることは否めない。先の国会の審議でも民主党議員が最高裁、法務省の官僚に質問していたが、内容は非公開らしい。
当然に検察審査会制度そのものへの見直しの機運も出てくるだろう。

先日の「たけしのTVタックル」を見ていたら、民主党の原口さんが「民主主義国で、人民裁判はあってはならない」という主旨の発言をしたことに対して韓国人の出演者が反対意見を述べていた。どう考えても韓国人の出演者の法が正論である。検察審査会制度について、原口さんより正しい見方をしていた。

「国民は素人」とか「疑わしい民意」という前に、情報公開、十分な説明を政治家など為政者は為すべきだ。

正確な情報、十分な説明をすることにより正しい世論が構築され、国民も正しい判断が下せるはずだ。

不正確な情報により形成される世論は政治家や内閣の信頼を落とす。その非は政治家や内閣にある。

中国漁船領海侵犯衝突事件、普天間移設問題、対米・対中問題、円高・株安、景気対策、「政治とカネ」等重要課題が山積している。菅政権がどの程度情報開示できるか、十分な説明
が出来るかにかかっている。

「正しい民意」、「国民は常識人」は、為政者の正しい情報公開、説明責任に負うところが大きい。
写真:首相官邸 どの程度情報公開ができるかが、政権の命運を負う

2010年10月18日月曜日

マツタケ:「香り」と「歯ごたえ」だけの食材だが「安さ」求めて


ただ「香り」と「歯ごたえ」だけの食材の松茸であるが、この時期になると「今年は松茸が食べれるか」と一度は思う。

私が小学生に頃、60年前になるが家が所有する山では松茸が採れた。朝、魚籠(背負いカゴ)を背負って山には入り、魚籠一杯の松茸を採って家に帰る。七輪に炭火をおこし、鉄器で松茸を焼き、それをおかずに朝ご飯を食べた。
      
香りと歯ごたえはあったものの、おかずとしては満足な食材ではなかったが、当時この時期は松茸しかなかった。今から思えば超贅沢な食事だ。

しかし、その後全く取れなくなった。山の手入れができなくなり富栄養化で雑菌が繁殖したためだ。

最近松茸を食べたのは、3年前に長野県の別所温泉で焼き松茸と鍋物を食べたが、ほとんど「香り」はせず、国産の松茸は「香り」が強い徒効いていたので、「本当にここで採れた松茸か」と疑ったこともある。

ところが今年は、夏が暑かったこともあり、9月は松茸が不作で日経新聞によると、東京卸値は400g/箱 約90,000円だったが、10月に入って入荷量が急増し15、000~20,000円に急落したという。9月に入って冷え込んだり、雨量が多かったためだという。

豊作で値を下げ産地によっては1/10になったと言われているが、アメ横の店員の話では昨年の1/2の値段だという。

勿論本数、重さによって異なるが、アメ横では岩手産などの国産で7,000~10,000円、カナダ産で3500円、韓国産で5800円前後だ。韓国産は国産と同じ色であるが、カナダ産は少々白っぽい。

国産の高いモノで値札は400g 23、000円~30,000円を付けている。これから交渉でいくらになるかだ。黙って聞いているだけで、簡単に半値になる。良い返事をしないと更に下げてくる。交渉すると値札の1/3付近までは落としてくる。

ある店では価格を下げたとき、「この価格は卸値と1000円しか差がない」と嘆いて見せた。本当か。
東京中央卸売市場(太田)で、10月15日の松茸の卸値はせり数量1,114kg 国内産400gで高値21,000円、カナダ産が7,350円だ。値札に2~3万円を付けるのは当然かも知れないが、直接生産者から入手していればもっと安くなるかもしれない。

韓国産に香りを強くするために松茸エッセンスを振りかければ国産に偽装も出来る。 アメ横は何でもありだ。

アメ横では、岩手産か長野産か、乾燥していないか、包装に生産者が表示されているか、詰め替えをしていないかなどを考慮し値札の1/3程度まで交渉し購入するかどうか決めると良い。

量を少なくして国産(?)を買って帰り、焼き松茸を食べた。大人は高価な食材と言うことが分かっているので「美味しい美味しい」と言って食べるが、孫はキノコ類の好きな孫は食べるが、嫌いな孫は食べない。家内が作ったおかずの方が良いらしい。

確かに「香り」と「歯ごたえ」だけではおかずにならない。子供の頃も松茸よりも漬け物、梅干しの方が食も進んだ。

松茸は、料亭や旅先の旅館、産地での松茸狩りで食べる物かも知れない。

家内は残りで松茸ご飯を作るという。これなら孫も食ってくれるかも知れない。部屋は1日中マツタケの「香り」がした。

2010年10月17日日曜日

では政治家の盗人行為をどう監視するか


「国民監視怠れハ治者為る盗人」と警告したのは田中正造だ。私達は政治家、国家公務員の不正を暴くことに地検特捜部を期待した。しかしその検察への不信、検察情報を垂れ流すメデイアのあり方が今問題になっている。

ではどうやって政治家、国家公務員の不正行為を監視していけばよいのか。

郵政不正事件に絡む大阪地検特捜部主任検事のFD改竄事件はおおきな ショックだった。政治家や国家公務員の不正を監視し、暴くことが期待された岳に検察不信は大きな社会問題になっている。

此は「検察組織のあり方」だけでなく、政治家や国家公務員の不正行為をどうやって監視して行けばよいのかと言う特捜検察に期待できないという社会問題を含んでいる。

勿論メデイアの根気強い調査で暴くことも可能であるが、言われているように検察情報を垂れ流すメデイアの姿勢では大きな期待は出来ない。

性善説を採れば、政治家は政治献金、パーテイーや政党助成金で政治活動をし、その結果は政治資金規正法により報告されている。国民はそれを閲覧することにより政治家の活動を監視することが出来ると言うことになる。

しかし、そう行かないことは、事務所経費での不正追及で大臣経験者が自殺した事例やとんでもない費用に支出されていたり、裁判になり辞職した国会議員もいることからもわかる。

パーテイーや政治献金だってまともなことがやられているかどうかはわからない。「口利き」による行為は誰でも予想できることである。

小沢さんのような力のある(?)政治家なら何でも出来るだろう。だから疑惑には率先して答えなければならないが、小沢さんの悪いところは、自ら説明しようとしないことだ。「1年かけて捜査権のある検察が捜査しても、不正は見つからなかった」だけでは説明したことにならない。

検察組織も行政組織の一部だ。検察トップにいれば政界への気配り(?)は避けられない。当初小沢さんを起訴するかどうかで揉めたときも検察のトップ人事が絡んでいたという話もある。検察トップは政界の実力者を敵にはしたくないのだ。

小沢さんの政治資金問題を論ずるときは必ず「反小沢vs小沢擁護」の構図になる。小沢バッシングに対して、正義の味方とばかりに小沢擁護の立場に立った見解を述べる人もいる。

今回の第5検察審査会の議決範囲が、告発事実と異なっていたことを理由に議決無効を主張する人もいる。更に本質的に政治資金規正法違反で小沢さんに責任を求めるのは無理だという主張もある。

小沢さんには、政党助成金として相当多額の税金が配分され差配するチャンスが多かった。解党時の政党助成金の処理(残っても返す必要はないそうだ)をどうしたかの嫌疑もかかっている。

国民は、小沢さんが自ら説明責任を果たさないから、何らかの手段で暴こうとしているのだ。

ところで、共同通信は16日に報道のあり方を第三者機関に問う「報道と読者」委員会を開き、厚生労働省元局長無罪事件と大阪地検特捜部の証拠改竄事件、民主党代表選を議論したという。

事件報道についての問題提起や証拠と部下の自白の違いを認識していたかなどの疑問が投げかけられたと言う。

「では政治家や国家公務員の不正をどうやって監視するか」は今後の課題か。
差h審:検察庁

2010年10月16日土曜日

おおた商い観光展2010:ユニーク商品の発想の原点を追う
















消費者が欲しい製品がないことが消費が冷え込んでいる原因だと言われている。ブームになり消費を押し上げる程の新製品が出て来て欲しいが、そこまで行かなくとも、新しい製品、ユニークな商品開発の発想の原点を追って「おおた商い2010観光展2010」を見学した。

ここ東京都大田区は、家族経営、小規模企業の製造業が集積し、ピーク時は9190の工場数で、出荷額は2兆円に迫っていたが、バブル崩壊、海外進出による空洞化で半減した。産出する製品は汎用品から特殊技術の製品まで多義にわたっているが、工業化の始まりは江戸時代の「麦わら細工」で、女性の手仕事だったらしい。

会場となった太田産業プラザには、近県の特産品の販売から、「巧みの技」のコーナー、写真展、羽田拡張に伴い国際便の増発で便利になった海外旅行のコーナーが設けられていた。

「工業フェア」とは違って、「巧みの技」のコーナーでは、風呂桶、太鼓、仏壇、切り子、爪切り、畳など日常使用する商品が多く、少し期待外れの処もあった。

その中で、「詰め替えそのまま」、「水書きグー」が面白そうだった。

「詰め替えそのまま」(sanki)は、家庭用洗剤など使い終わった後、詰め替えを買って、ボトルに入れ替えせずに、詰め替えパックにそのまま「ポンプ」と「ホルダー」を取り付けてポンプで必要量だけ、絞り出せる。

液漏れもしないし、手も汚さない。詰め替え時に起きる飛び散りや汚染なども防止できる。sankiは本来が、ガスのバルブ、乾式安全器を作っている会社で液漏れには強い。

「開発のきっかけは」と聞くと、社長が奥さんを亡くして、洗剤類の詰め替えに苦労されたらしい。自分の会社の技術を応用して何かできないかと考えた結果、このポンプの開発に至ったらしい。東京都大田区新製品コンクールで優秀賞を得た。今では年間15万セットの売れ行きだという。

ブースは人だかりで、説明を受けた客は、ほとんど買っていく。特別価格で通常の半値になっている。

もう一つは「水かきグー」だ(木と字の神林)。筆に水を含ませて加工紙に書くと墨で書いたようになる。水が乾くと又、元の紙に戻る。1000回繰り返せるらしい。書道の練習にはうってつけだ。うまくなったら半紙に書けばよい。

紙を手にとって裏返しながら、どうなっているか調べていたら、「特に細工はしてありません。大手製紙メーカーが開発した紙を使っています」という。

開発の発端を、パンフレットから知ることが出来た。それによると、「乾いた道路の雨粒がおちると、白っぽかった道路が黒くなる。通常は表面が光を反射するために白っぽく見えるが、濡れると光りを透過して下地の色が見える」と言うことだ。

何度でも繰り返し使えることでエコロジーだという。エコロジーは今では重要なセールスポイントになる。シート3枚と筆で2000円の特価だ。孫にプレゼントするために買った。

この2つの商品は見ていて面白い。販売員が「今朝もテレビで紹介されました」と言えば、客も「今朝テレビでやっていたわね。これもらっていくわ」と商談が進む。メデイアの力は大きい。

職人さんの技に非常に興味があるが、今回の「匠の技」は、チョット期待はずれだった。

外に出ると、各県の特産品などの販売と、鮎ではなくニジマス(?)の塩焼き、山形牛の牛丼、大田区ご当地B急グルメで「東京太田汐焼きそば」に列が出来ていた。
写真上段左:虹鱒の塩焼き
写真上段右:ご当地B級グルメ 大田汐焼きそば 300円 長蛇の列ができていた
写真中段左:「詰め替えそのまま」 写真では製品の全体像が分からないが、ポンプとホルダーからなっている
写真中段右:「水書きグー」 実演販売 エコロジー製品とうたっている
写真下段:大田産業プラザ会場内 10/16~17

2010年10月15日金曜日

鬱陶しくなってきた小沢政治資金疑惑


小沢さんの政治資金にまつわる疑惑問題もだんだん鬱陶しくなってきた。強制起訴になった小沢さん側が、検察審査会の議決の無効を求める行政訴訟を起こすという。これに対して仙石官房長官は「刑事裁判の中で争うしかないのではないか」という一方で、菅総理は「政治倫理審査会か証人喚問などでやらざるを得ないときには党として判断する」と一歩踏み込んだ発言をした。

政府、党幹部が右往左往する間に、輿石さんは「衆議院政治倫理審査会への出席は必要ない」と発言、党方針に異議を唱えた。

輿石さんの記者会見の発言は、新聞では5行ぐらいの内容であるが、テレビのニュースでは、民主党の「国民の生活が第一」のパネルを背景に、口を曲げて、左右に顔を動かしながらの強面の発言は、小沢さんの政治資金疑惑を更に鬱陶しくした。

一方国会内では、1回生議員を中心に小沢支持を鮮明にしたグループ活動を目指し、約50人が集まるという。

国民の80%は、小沢さんに嫌気が差しているが、国会の民主党は民意と乖離した動きをしていると思ったが、民主党国会議員総勢約410人のうち50人が新グループに参加するとして約12%になれば、世論の民意をかけ離れていないと見るべきなのだろうか。

それにしても、小沢さんの「政治とカネ」の問題は疑惑の根が深い。15日の参議院予算委員会で民主党の森ゆうこ議員が「「政治とカネ」の問題で何処が問題になっているのか」と発言したが、野党から激しいヤジを受けていた。

やはり一番問題なのは、検察審査会の審議内容が全く不明であることだ。小沢さん側が無効を求める理由が、告発内容になかった「土地購入原資の4億円が記載されていなかった」という犯罪事実が、議決内容に追加されたことだ。

小沢さんの今回の政治資金規正法違反事件では、この点をはっきりさせなければ何の意味もない。追求を恐れた小沢さん側の抵抗だろう。何の不正もないのなら、こんな無効を求める提訴(手続き差し止め訴訟)はしなくて良いはずだ。

重要課題が山積し、時間をかけての議論が必要な国会で、質問者は「政治とカネ」で小沢問題を避けて通れない状況だ。
小沢さんは一旦離党し、一人で裁判にあたり無罪を勝ち取って復権を目指すのであれば、さすが実力者と思うのだが、今のところ期待できそうにない。

小沢さんの政治資金問題が、鬱陶しく思われてきたら、小沢さんの政治生命は終わりだ。

16日の参院予算委員会で、検察審査会制度が議論になった。検察審査会の審議内容、補助員の発言内容などが公開されていないことでいろんな疑惑が発生している。検察審査会においては審査員に強い権限が与えられている。議事内容の公開については、法務大臣は「国会で議論して欲しい」と答弁した。
写真:第5検察審査会の「起訴すべき」議決 2010.10.5 東京地裁検察審査会掲示板

2010年10月13日水曜日

間違いだらけの政権交代か:不甲斐ない民主党政権と正論を吐く自民党




影の総理がおり、党首の存在も曖昧で菅さんは何なのか。小沢さん1人の処理に右往左往し、野党時代の威勢に良い発言は何処へやら、著しく整合性を欠く。一方で、自民党は野党になってああか抜けしたのか「正論」と思える発言が多く、何故政権党の時に出来なかったのかと不思議だ。

国会で菅政権に対する本格的な政策論争が始まった。いつものことで、質問者はボードまで用意して持論を延々と開陳し、最後に大臣などにその考えを質っするが、肝腎の大臣の答えは数十秒の味気ない内容だ。

それは民主党政権に対する期待を大きく失うモノだ。

日本の主権を脅かす中国漁船の領海侵犯と衝突事件での船長への対応は、政府がどういう方針で持って中国と向き合っているのか甚だ疑問である。

言われているように「那覇地検の処置を了とした」のであれば、「国内法で粛々と進める」と行っていたのは何だったのか。中国の言われもない恫喝に弱腰になったとしか思えない。

そんな民主党政権に国を託す不安が残る。菅総理は海外にいたことにもよるが、すべて仙石さん頼みでは総理の資格はない。

一方、自民党は、その対応への責任追及を強める。しかし、自民党だって小泉政権の時に、北朝鮮の金正男氏が不法入国しようとし身柄確保したとき、何ら策もなく曖昧なままに国外追放した。拉致問題解決のカードを無意味に失ってしまった。

この時、野党であった民主党はどう責任追及したのか。外交に整合性がない。

今国会も「政治とカネ」の問題では、小沢さんの強制起訴もあり、野党の追及は激しさを持つ。しかし民主党は党内最大の実力者でもあり、党内事情もあって「まず本人の意思確認」と逃げの一手である。

小沢さんが自ら辞職なり、離党してくれるのが最善の方法ではあるが、「独りぼっちになる危険」を一番よく知っている小沢さんは、容易に決断するとは思えない。菅さんは「国会で決めること」と繰り返す。

しかし、国民が注目しているのは民主党党首としての決断であるが、指導力の欠ける菅さんでは期待できない。

民主党は、野党時代の「政治とカネ」の問題での威勢の良い追求、発言をどう思っているのか。事務所費問題でもしつこい質問に自殺者まで出した。自民党の方がまだ自浄能力があるようだ。

急がれる雇用対策、景気対策か財政再建か、公務員制度改革、地方分権など山積する政治課題に本当に菅政権は対応できるのか。

国会の審議を見ても民主党政権の受け身姿勢、安全運転では、政権交代が何だったのかと疑問に思う。

逆に、野党になった自民党は、何故か正論を言っているように聞こえる。何故政権時代に出来なかったのか。

どんな政党でも、政権党と野党では政治姿勢が異なるのか。民主党は原点に返り、「クリーンで開かれた政治」「見える政治」を目指さなければ、直ぐに自民党に取って代わる運命にある。

世論調査での民主党政権支持の理由は「非自民」だからだ。
写真左:民主党本部 不甲斐なさが目立つ民主党政権、小沢問題の処理も本人任せでは政党ではない。
写真右:自民党本部 野党になって正論を吐くようになったが、政権復帰へ妙案があるのか

2010年10月12日火曜日

池上本門寺「お会式」:多くの人が集まり、賑やかに振舞う(2)

















「お会式」の2日は、午後6時の鐘の音とともに、カネのリズミカルな音とともに、振り回す纏と万灯、踊る随伴者の練り歩きが始まった。数グループに分かれて、霊山橋の方から参道を通り加藤清正が寄進下という96段の此経難持坂を上がっていく。左側が参観者、お参りする人達、右側を纏や万灯が上っていく。

境内に入り大堂に近づくと参観者も手を振りあげて踊り出す。

「お会式」は、感謝を込めて元気な生き生きとした姿を日蓮聖人に見せることが目的らしいが、まさにその通りになった。大堂内では、「ドン ドンドン」という太鼓の音に合わせお題目が唱えられている。

しかし、「今年は余り元気がないね」と言う参観者がいた。政治も経済の不透明なご時世で、無理もないことだ。

お賽銭も硬貨が多い感じだ。社務所の人が「今年は平日なので人出は少ないのでは」と言っていたが、どうもそんな感じだ。

「「ありがとう」からはじめよう」という運動をPRするポスターが張り出されていた。

2010年10月11日月曜日

池上本門寺「お会式」:日蓮聖人と手を結び、一時の教えを(1)











日蓮聖人が健康を害して、身延山から身を癒やそうと常陸に向かう途中立ち寄ったここ
池上でなくなったのが1282年、今年も池上本門寺で729年目の報恩感謝の「お会式」(10月11~13日)が始まった。

東京へ引っ越して、池上本門寺も近く、家も代々日蓮宗であったことから、前日10日、初日11日に行ってみた。

マンションから呑川沿いを池上方向に向かい、第2京浜の池上2丁目交差点を横切り本門寺界隈に出た。今まで何回か通ったが、素通りしていた大坊本行寺が日蓮聖人の終焉の地なのだ。今は「お寄り掛け柱、御会式の桜あり」の案内看板が出ている。

境内に「御会式の桜」が一本植樹されており、開花が始まっていた。咲き誇るのは利月らしい。

日蓮聖人がなくなった時、地面が大きく揺れ、時ならぬ桜が咲き誇ったという故事があるが、その桜がこれらしい。纏などにも桜をさすらしい。「地面が大きく揺れ・・」とはどういうことかと聞くと、偉人が亡くなるときによく言われる奇瑞現象だという。

10日は、池上本門寺の支院や末寺の代表でもある本行寺も本門寺も準備で大わらわの様相だ。

加藤清正が寄進したという96段の石段(此経難持坂)もケーブルの架設や、紅白の幕張中だ。

この日蓮聖人命日に行なわれる大報恩会も熱烈な信仰の高まりと共に、本門寺の「御会式」は益々盛んになり、1800年代後半には、歌川広重の浮世絵にも多く描かれている。今では東京の風物詩になった。

御会式初日の11日にもお参りした。

本門寺境内では大きな塔が建ち、結ばれた白い布の「お手綱」が、本堂に伸び、本堂内で緑、黄色、赤、ブルー、紫の5色のヒモに分かれて日蓮聖人の手に結ばれているという。「何で5色のヒモか」と聞いたが、難しい説明があった。何でも東西南北などいろんな意味があるらしい。年配者も若者も綱を手にして本堂に歩いている。日蓮聖人と手を結んでいるのだ。

善光寺でも同じことがあったが、善光寺は塔のてっぺんから綱がのびており、塔に触れるだけだったが、本門寺は低い位置に綱が結ばれているのでみんな手にすることが出来る。気分的にはこちらの方が、ありがたみが大きい。

本堂で、左右に23人ずつの僧侶、総勢62人で「南無妙法蓮華経」の読経が始まっていた。

しかし、風物詩として見るだけでなく、宗派に関係なく偉人の教えは、今も言い得ている。一時、考えてみることも大事だ。

日蓮聖人の「立正安国論」に中には「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の
一善に帰せよ」とある。その意味は公務に携わる人が市民の手足となって思いやりの心で勤めることだという。思いやりのない心で職務を遂行することは許されないとい。「人のふり見て我がふり直せ」だ(この項 日蓮宗新聞2010.10.10より)

確かにこのご時世だ。思いやりの心が欠けている事案が多い。

この「御会式」も明日12日がクライマックスだ。私達が元気である姿を日蓮聖人に見せるために多くの人出と、万灯行列で賑わうのだという。

明日、又行こうと思う。
写真上段左:本行寺の「お会式桜」 今開花し始めたばかり
写真上段中;池上本門寺の「お手綱」 白い布テープが日蓮聖人の手を結ばれている
写真上段右:纏(右下) 12日にはにぎやかに振り回される
写真下段:お会式のポスター

2010年10月10日日曜日

百科事典の効用:「じいちゃん 雨はどうして降るの」




新聞を読んでいると、孫(3歳)が「じいちゃん、散歩に行こう」と誘う。孫は外で遊んでエネルギーを使わないと食事や睡眠に影響が出るらしい。娘は「良かったね、じいちゃんと行っておいで」と喜んで送り出す。

孫との散歩は効用も大きい。他人の家の植木や車をのぞき見しても不審者がられない。近所の犬とも仲良しになる。名前を呼んでも寄ってこないので諦めて立ち去ろうとすると、「ワンワン」といって呼び戻す。飼い主が出てきた「お孫さん かわいいね」と会話が始まる。

しかし、段々会話も難しくなってくる。「どうして、何で」が多くなってきた。雨にあった時、「じいちゃん 雨はどうして降るの」と聞く。「頭の上の雲の中には水が一杯あるんだよ。そこに空気中のゴミが入ると、水が取り囲み雨の赤ちゃんができ、それが大きくなり、重くなると降ってくるんだよ」と教えた。

「顔に当ると痛い時があるね」という。確かに、豪雨などで雨粒が大きくなり、落下速度も速くなると痛く感じる時もある。しかし、数千mも高いところから落下するとすれば相当痛い場合もあると思うが、何故この程度なのか。「雨降りとはこんなものだ」と思っているので、改めて孫に聞かれると分からなくなる。

帰って早速百科事典を引いて見た。

空から降ってくる水滴で直径が0.5mm異常、落下速度が2m/s異常のものを雨と言うらしい。降雨の機構も上空のー20℃付近で出来る場合と暖かい雨と言われ上空が0℃付近で出来る場合と2種類あり、図で説明されている。雨粒の大きさ0.5mmでの落下速度は206cm/s(時速で7.5km程度)、雨粒がおおきくなり2mm位になると時速約24kmの落下速度になるらしい(現代世界百科事典 講談社 昭和46年)。

この雨粒が空気中を重力で落下し出すと空気の粘性力を受けるという。雨粒が自由落下すれば速度も速く、雨粒といえどもあたれば危険になるが、空気の粘性力により空気の支えから“ずり落ちる”ようになるために、危険のない速度になるらしい(「雲はなぜ落ちてこないか」 佐藤文隆 岩波書店 2005.1)。
こんな事を孫に話してもわからない。大きくなって興味を持った時に、自分で調べるのが一番良い。

空気の粘性力が頭の隅に残っていたある時、週刊新潮の「売れるには理由がある。ヒットを生む発想術」(第187回)という欄に(株)タカラトミーの『エアロソアラ』の開発秘話が載っていた。わずか3.5gで、室内で低速で飛ばすことの出来る超軽量ラジコン飛行機の開発である。空気などの流体の粘度は、ジェット機並のスピードではサラサラであるが、昆虫がバタバタと羽ばたくような低速では、粘り気が強くなる。低速飛行をする小型飛行機には全く違った力学が働くという。

気に入ったので、近くのおもちゃ屋に注文して、取り寄せてもらった。「孫に買ったよ」と連絡すると、「じいちゃんとJALを飛ばすんだ」と楽しみにしているという。

孫の疑問に答えようと調べていくといろいろなことが分かってくる。孫との散歩では百科事典は手放せない。

この百科事典もチョット黄ばんでいるが、カラーもしっかりしている。パソコンで「雨」を検索したら404万件がヒットした。これから更に絞っていかなければならないが、内容の信頼性には疑問が残る。最小限の情報を短時間に得るには百科事典はうってつけである。よくも今まで追い出されずに本箱に座っていたものだ。

46年頃は百科事典が花盛りで、各出版社が工夫を凝らしていたし、訪問販売でも高価な百科事典セットが売られていた時代である。

当時の出版関係者や学識者は、百科事典をどう考えていたのか。

社長の刊行の言葉に、「相次ぐ技術革新によって、かってない物質的な繁栄を招来したが、反面自然の荒廃、生活環境の破壊を招き人間は〈文化とは何か〉〈人間とは何か〉〈進歩とは何か〉を根源にさかのぼって問わざるを得ない。こういった現状を踏まえて〈新の文化とは何か〉ということを利用者と共に考えてみようという念願で刊行した」という。

また、刊行に当たり寄稿した湯川秀樹先生は「百科事典は国の文化の所産だ。その時代の知識の全体を基盤とする学問を集約し、それを普及するという役割を担っている。エレクトロニクスの生み出した情報処理機械が大いに威力を発揮しているが、それだからこそ百家事典は新しい使命を持つ。電算機から得られる情報とは質を異にし、まとまりを持ち「利用者自らに考えさせるような知識」を百科事典は提供することが出来るのである」と言う。

今、世界中の膨大な量の情報が駆けめぐっている。複雑化した現代社会で発生する諸問題に迅速に対応し、的確な判断を下すためには基本的知識となる良質な情報の入手が先決であり、いまでも百科事典はそれに充分に答えることが出来る。

湯川秀樹先生は、この百科事典刊行にあたっての寄稿で「利用者自らに考えさせるような知識を百科事典は提供することができる」という。

作家の小松左京さんは、売れない時期に百科事典を貪り読んだという。そして映画化もされ、ベストセラーになった「日本沈没」を書き上げた。当時話題になっていた科学的根拠(プレートテクトニクス理論)を発展させ、圧倒的スケール感で迫った小説で、当時大反響を呼び、わたしも読んだ。

米国の著名な物理学者で、ノーベル賞受賞者のリチャード.P.ファインマンさんも大英百科事典のことを書いている。人間形成に少なからず影響を与えられたお父さんが、ファインマンさんを膝に乗せて、よく読んで聞かせたという。
立派なお父さんで読むと言ってもただの棒読みではなく「どういうことなのか、考えてみよう」と一緒の考え、自然界の出来事に興味をそそられたという。
ファインマンさんはその著書で「親父のおかげで、僕はものを読めば必ずそれが本当はどのような意味があるのか、いったい何を言おうとしているのか解釈することを学んだ」という。
娘に「『どうして、なんで』と聞かれると、お前はどう答えているのか」と聞くと「面倒なので適当に答えている」という。そんなことでは好奇心も失われていく。娘の家には百科事典はない。何かあるとパソコンで検索している。
写真左:今も役立っている昭和47年発行の百科辞典とタカラトミーのAEROSOARER。上手に飛ばすには調整と練習が必要という。そのとおりでうまく飛ばせなかった。
写真右:雨模様 シトシト降る雨は良いが、最近は局地的で雷を伴った豪雨が多い。災害への警戒が必要だ。



この記事は、2006年10月に当時のインターネット新聞JANJANに投稿したモノだ。
雨も、しとしと降るのはよいが、最近は災害を警戒しなければならない豪雨が多い。今日も低気圧と前線が影響しあい、局地的に雷を伴った激しい雨になると災害に警戒を喚起している。

一方、百科事典類も電子辞書化が盛んだ。何十冊という辞典類が1台に納められ安価に提供されている。しかし、紙の百科事典には独特の趣があり棄てがたい。

そんな気がして、同じ記事をブログに再投稿した。

2010年10月9日土曜日

小沢氏離党・辞職否定宣言:また判断を誤ったか、まだ捲土重来を期すのか




小沢さんの「離党、辞職否定」宣言を聞き、また判断を誤ったのかと疑ったが、「不正はやっていない」、「私が必要とされる限り、政治活動を続ける」と宣言した。

民主党が野党時代だったら、離党勧告をする事案であるが、ことが小沢さんのことだ。その処理に右往左往始めた。一方自民党など野党は責任追及にいきり立つ。

小沢さんの疑惑は根深い。裁判になっても長期化するだろう。その間国会は「政治とカネ」で揉め続けるのは無駄な時間を費やすだけだ。政界再編に至っては混乱は免れない。

今になって、告発容疑内容と議決内容の相違、告発団体の素性、ベールに閉ざされた審査会の審議、更には検察審査会制度そのものへの疑念がもたらされている。

政治資金規正法での不記載、虚偽記載を小沢さんが了承していたかどうかもさることながら、国民が注目するのは原資である4億円の出所だ。これを含めての政治資金規正法違反事件だ。

小沢さんに付きまとう「政治とカネ」の問題は、告発事実にはないが、この点を解明しなければ何の意味もない。

又、素人集団であることも含めて審査会のあり方、強制起訴の今後について、小沢擁護(?)の観点からいろいろ問題提起されている。しかし、検察審査会の議決の強化は、捜査、起訴/不起訴の権限を持つ検察官の判断を国民の目線でチェックする重要な制度である。

問題があるからは制度を後退させるのではなく、これを機に改善し発展させることが肝腎である。

考えてみれば、これ程小沢さんの政治とカネの問題が拗れたのは、偏に小沢さんに非がある。

「不正はない」「分かってもらえるはずだ」と言いながら、その手は打ったのだろうが、我々国民に対して何ら説明していない。検察が「不正がなかった」と判断したモノをどう説明するんだという反論もあるだろう。しかし、国会でさえも無視している態度は頂けない。

また、小沢さんは「必要とされるかぎり、政治活動をする」という。では小沢さんは何のために必要とされているのか。

小沢さんは、政界再編にはなくては為らない存在と言われているが、今までの結党→解党は自分の都合であって、何ら成功した試しがない。やっと自由党時代に民主党と合体したことで、政権交代に漕ぎ着けることが出来たまでだ。

その意味で小沢さんの実力者ぶりは、メデイアが作り上げた虚像かも知れない。政治改革を掲げた裏では悪しき金権体質を温存していたのだ。

政権交代も小沢さんがいなかったら出来なかったと言う考えもある。確かに勢力拡大のために、なりふり構わず候補者をかき集め自民党候補者と競い勝ちしたのは確かだが、本当に仕事の出来る国会議員かどうかは疑問が残る。

小沢さんに牛耳られる国会、政局はもう御免だ。

小沢さんは、ひとりぼっちになる危険を十分に知っての行動だろうが、民主党代表選の結果、民意は小沢さんを否定している。よく言われることであるがメデイアも小沢さんに不利な報道が多い。強制起訴で小沢さんの政治生命はすでに終わったのかも知れない。

捲土重来、復権を目指す芽はもうないのだ。離党或いは辞任して、裁判に専念し真実を明らかにすべきだ。

写真左:小沢さんの離党、辞職の否定宣言を伝える読売新聞 2010.10.8
写真右:小沢さんの問題で右往左往する民主党 菅さんは岡田さんに処理を丸投げだ

2010年10月8日金曜日

検察捜査:筋読みが違ったら方針転換が常識では


大阪地検特捜部の検事が、筋読みとは違った状況に出くわし、証拠をねつ造してまで無理筋を通したために罪なき国家公務員を起訴してしまったことが明るみに出て検察組織に大きな汚点を残すと共に国民の信頼を大きく失った。

しかし、仕事に筋道をつけて進むのは当たり前のことである。

何でもそうだが、仕事は課題と、それに向かうプロセス(筋道)を付けて進めるものだ。その過程で想定外のことが発生し、筋道と違った場合は、勇気を持って方針転換すべきである。そうすれば、再検証して新たな方向を打ち出せるし、損失を最小限に抑えることが出来る。

方針を転換をして、当初の成果とは比べものにならない程、大きな成果を出した事例は、最も人気のあったNHKのテレビ番組「プロジェクトX」で知ることが出来たのはまだ記憶に新しい.

ところが、今回の検察は検察官一体の原則の元に外部からのチェックも受けることなく、検証を重ね方針の転換をすることなく、当初の筋書きを強行し大失敗した。

担当検察官の前田容疑者の考えたストーリーの強行が問題になっているが、その上司で前特捜部長の大坪容疑者が犯人隠避罪で最高検に逮捕されたが、証拠隠滅を「故意ではなかったと聞いている」と犯人隠避を否定、最高検のストーリー通りにはさせないと息巻いているという。

郵政不正をめぐる証拠品のFD改竄事件で、検察の間違ったストーリーを承認し上司が、今度は最高検の作ったストーリーに闘いを挑んでいるのだ。

検察リーク(?)の新聞報道からは、犯罪の成立条件を知り尽くした容疑者と最高検の鬩ぎ合いだ。取り調べを記録するノートが差し入れられたと言うし、可視化も要望されている。

話は変わるが、小沢さんの政治資金規正法違反事件の検察のストーリーは証拠不十分で不起訴だったが、検察審査会のストーリーは起訴すべきであった。

小沢さん関係者の取り調べの情報が新聞に流され、小沢さん=悪者の世論を形成したとして検察リークが問題になったが、今回の証拠隠滅、犯人隠避事件での検察リークは問題になっていない。小沢さんの時は「問題だ」と警告したジャーナリストも今回はダンマリだ。

何故だ。小沢さんでは良く「推定無罪」が叫ばれたが、今回の検察の事件は「推定無罪」はどうなっているのか。身内の問題として容認しているのか。

小沢さんの場合は、政治家の「政治とカネ」の問題、今回の検察の問題は検察組織自体の問題でもある。

しっかり検証し、正しいストーリーはどうだったのか、国民の前に明らかにすべきである。
写真:検察庁 検察の厳しい検証が求められる

2010年10月7日木曜日

シーテックジャパン2010:情報通信技術の進歩にどう付いていけるか
















センサーや小型カメラで情報を処理し、伝達し、モニターで確認できる情報通信技術の進歩は目を見張るもがあるが、その技術に人間がどう付いていけるか。今幕張メッセで開催されている「シーテックジャパン 2010」を6日に見学した。

家庭、オフィス、工場、送電、車あらゆる生活の中で、情報通信技術が係わり、日々進歩している。まだ我が家では人間の居場所を確認して効率の良い冷暖房するシステム、パソコンではタッチパネル、車では燃費や維持管理情報、カーナビなど運転アシスト情報やBluetooth機能を使ったワイヤレス携帯電話しかなく、まだモニターなしの人間の目での確認が必要だ。

今回の最先端ITエレクトロニック展で興味のあった技術を挙げてみたい。

なんと言っても各社が力を入れていそうなのが、3D映像だ。「3Dグラスで新しい世界を見よう」と出展も多い。パソコンでは勿論のこと、SONYに至っては横約22m、縦約5mの巨大なスクリーンで映像を流し、見学者の目を引いていた。

一方東芝は、メガネなしの3D映像がデモされているようだったが、待ち時間1時間ということで見るのを諦めたが、更には4K3Dの超高精細次元映像の600kmと言う長距離電送も可能になったという。

ただ、メガネをし、幼い子には健康障害が心配されている3D画像がどうして必要なのか疑問だ。

富士通は、ドライバーの安全をサポートする「全周囲立体モニタシステム」を開発している。車の前後左右4台のカメラ画像を3次元で合成し、全方位を表示することが可能になったという。他の社は「ルーフは無限の可能性」と唱って車の後方、室内確認を出来るシステムを展示していた。

技術としては面白そうだが、実際の運転にはどうかと思う。車の死角の解消、車内の様子はルーム・ミラーを幅広く、長いミラーに変えればある程度対応できるのだ。

モーションとボタンで何も持たずに簡単操作出来る「空間入力」をALPSが提案していた。ジェスチャー入力モジュール、モーション入力モジュールで離れた場所からTVを捜査できるという。
先のゲームショーでもこの技術が活用されていたが、年配者まで対応できるのか。

目を引いたのは、ワイヤレス電力電送だ。

村田製作所の「セイサク君」「セイコちゃん」には、いろんな先端技術が組み込まれている。ジャイロセンサーで転倒せずに揺れや向きの変化を感じ取ることが出来、電源モジュールでエネルギーを効率よく変換し、赤外線センサーで人がいるかどうかを感じ取り、充電もワイヤレスで出来る。更にはエネルギーの使用状況をむせんでモニターに送り見ることが出来る。

それぞれの技術が、各方面で実用化しているという。

タイコ エレクトロニクスは、マルチタッチパネルで操作出来る恐竜ロボット「ITサウルス」を出展していた。今回のテーマが「過去から未来へ」ということで、このままでは恐竜の同じように絶滅する危険がある。未来のために何をすべきか考えようと言う呼びかけだ。

私の都合の2時間という短時間では、十分に見ることは出来なかったが、健康、医療分野、省エネ・創エネなどエネルギー活用分野などに最先端技術の開発は期待されている。しかし技術がドンドン進歩することにより、私達一人一人が安全の確保がどう関われるのか。

高齢化社会に向かって、使い切れる技術かどうか疑問も出てくる。
写真上段左:村田製作所の「セイサク君」「セイコちゃん」 各種技術が実生活の各分野で実用化されている
写真上段右:タイコ エレクトロニクスのタッチパネルで操作できる「ITサウルス」 恐竜のように絶滅するしないように、私たちは何をすべきか考えようと訴えている
写真中段左:SONYの3D巨大スクローン
写真中段右:富士通の全周囲立体モニタシステム
写真下段:にぎわう会場