新聞を読んでいると、孫(3歳)が「じいちゃん、散歩に行こう」と誘う。孫は外で遊んでエネルギーを使わないと食事や睡眠に影響が出るらしい。娘は「良かったね、じいちゃんと行っておいで」と喜んで送り出す。
孫との散歩は効用も大きい。他人の家の植木や車をのぞき見しても不審者がられない。近所の犬とも仲良しになる。名前を呼んでも寄ってこないので諦めて立ち去ろうとすると、「ワンワン」といって呼び戻す。飼い主が出てきた「お孫さん かわいいね」と会話が始まる。
しかし、段々会話も難しくなってくる。「どうして、何で」が多くなってきた。雨にあった時、「じいちゃん 雨はどうして降るの」と聞く。「頭の上の雲の中には水が一杯あるんだよ。そこに空気中のゴミが入ると、水が取り囲み雨の赤ちゃんができ、それが大きくなり、重くなると降ってくるんだよ」と教えた。
「顔に当ると痛い時があるね」という。確かに、豪雨などで雨粒が大きくなり、落下速度も速くなると痛く感じる時もある。しかし、数千mも高いところから落下するとすれば相当痛い場合もあると思うが、何故この程度なのか。「雨降りとはこんなものだ」と思っているので、改めて孫に聞かれると分からなくなる。
帰って早速百科事典を引いて見た。
空から降ってくる水滴で直径が0.5mm異常、落下速度が2m/s異常のものを雨と言うらしい。降雨の機構も上空のー20℃付近で出来る場合と暖かい雨と言われ上空が0℃付近で出来る場合と2種類あり、図で説明されている。雨粒の大きさ0.5mmでの落下速度は206cm/s(時速で7.5km程度)、雨粒がおおきくなり2mm位になると時速約24kmの落下速度になるらしい(現代世界百科事典 講談社 昭和46年)。
この雨粒が空気中を重力で落下し出すと空気の粘性力を受けるという。雨粒が自由落下すれば速度も速く、雨粒といえどもあたれば危険になるが、空気の粘性力により空気の支えから“ずり落ちる”ようになるために、危険のない速度になるらしい(「雲はなぜ落ちてこないか」 佐藤文隆 岩波書店 2005.1)。
こんな事を孫に話してもわからない。大きくなって興味を持った時に、自分で調べるのが一番良い。
空気の粘性力が頭の隅に残っていたある時、週刊新潮の「売れるには理由がある。ヒットを生む発想術」(第187回)という欄に(株)タカラトミーの『エアロソアラ』の開発秘話が載っていた。わずか3.5gで、室内で低速で飛ばすことの出来る超軽量ラジコン飛行機の開発である。空気などの流体の粘度は、ジェット機並のスピードではサラサラであるが、昆虫がバタバタと羽ばたくような低速では、粘り気が強くなる。低速飛行をする小型飛行機には全く違った力学が働くという。
気に入ったので、近くのおもちゃ屋に注文して、取り寄せてもらった。「孫に買ったよ」と連絡すると、「じいちゃんとJALを飛ばすんだ」と楽しみにしているという。
孫の疑問に答えようと調べていくといろいろなことが分かってくる。孫との散歩では百科事典は手放せない。
この百科事典もチョット黄ばんでいるが、カラーもしっかりしている。パソコンで「雨」を検索したら404万件がヒットした。これから更に絞っていかなければならないが、内容の信頼性には疑問が残る。最小限の情報を短時間に得るには百科事典はうってつけである。よくも今まで追い出されずに本箱に座っていたものだ。
46年頃は百科事典が花盛りで、各出版社が工夫を凝らしていたし、訪問販売でも高価な百科事典セットが売られていた時代である。
当時の出版関係者や学識者は、百科事典をどう考えていたのか。
社長の刊行の言葉に、「相次ぐ技術革新によって、かってない物質的な繁栄を招来したが、反面自然の荒廃、生活環境の破壊を招き人間は〈文化とは何か〉〈人間とは何か〉〈進歩とは何か〉を根源にさかのぼって問わざるを得ない。こういった現状を踏まえて〈新の文化とは何か〉ということを利用者と共に考えてみようという念願で刊行した」という。
また、刊行に当たり寄稿した湯川秀樹先生は「百科事典は国の文化の所産だ。その時代の知識の全体を基盤とする学問を集約し、それを普及するという役割を担っている。エレクトロニクスの生み出した情報処理機械が大いに威力を発揮しているが、それだからこそ百家事典は新しい使命を持つ。電算機から得られる情報とは質を異にし、まとまりを持ち「利用者自らに考えさせるような知識」を百科事典は提供することが出来るのである」と言う。
今、世界中の膨大な量の情報が駆けめぐっている。複雑化した現代社会で発生する諸問題に迅速に対応し、的確な判断を下すためには基本的知識となる良質な情報の入手が先決であり、いまでも百科事典はそれに充分に答えることが出来る。
湯川秀樹先生は、この百科事典刊行にあたっての寄稿で「利用者自らに考えさせるような知識を百科事典は提供することができる」という。
作家の小松左京さんは、売れない時期に百科事典を貪り読んだという。そして映画化もされ、ベストセラーになった「日本沈没」を書き上げた。当時話題になっていた科学的根拠(プレートテクトニクス理論)を発展させ、圧倒的スケール感で迫った小説で、当時大反響を呼び、わたしも読んだ。
米国の著名な物理学者で、ノーベル賞受賞者のリチャード.P.ファインマンさんも大英百科事典のことを書いている。人間形成に少なからず影響を与えられたお父さんが、ファインマンさんを膝に乗せて、よく読んで聞かせたという。
立派なお父さんで読むと言ってもただの棒読みではなく「どういうことなのか、考えてみよう」と一緒の考え、自然界の出来事に興味をそそられたという。
ファインマンさんはその著書で「親父のおかげで、僕はものを読めば必ずそれが本当はどのような意味があるのか、いったい何を言おうとしているのか解釈することを学んだ」という。
娘に「『どうして、なんで』と聞かれると、お前はどう答えているのか」と聞くと「面倒なので適当に答えている」という。そんなことでは好奇心も失われていく。娘の家には百科事典はない。何かあるとパソコンで検索している。
孫との散歩は効用も大きい。他人の家の植木や車をのぞき見しても不審者がられない。近所の犬とも仲良しになる。名前を呼んでも寄ってこないので諦めて立ち去ろうとすると、「ワンワン」といって呼び戻す。飼い主が出てきた「お孫さん かわいいね」と会話が始まる。
しかし、段々会話も難しくなってくる。「どうして、何で」が多くなってきた。雨にあった時、「じいちゃん 雨はどうして降るの」と聞く。「頭の上の雲の中には水が一杯あるんだよ。そこに空気中のゴミが入ると、水が取り囲み雨の赤ちゃんができ、それが大きくなり、重くなると降ってくるんだよ」と教えた。
「顔に当ると痛い時があるね」という。確かに、豪雨などで雨粒が大きくなり、落下速度も速くなると痛く感じる時もある。しかし、数千mも高いところから落下するとすれば相当痛い場合もあると思うが、何故この程度なのか。「雨降りとはこんなものだ」と思っているので、改めて孫に聞かれると分からなくなる。
帰って早速百科事典を引いて見た。
空から降ってくる水滴で直径が0.5mm異常、落下速度が2m/s異常のものを雨と言うらしい。降雨の機構も上空のー20℃付近で出来る場合と暖かい雨と言われ上空が0℃付近で出来る場合と2種類あり、図で説明されている。雨粒の大きさ0.5mmでの落下速度は206cm/s(時速で7.5km程度)、雨粒がおおきくなり2mm位になると時速約24kmの落下速度になるらしい(現代世界百科事典 講談社 昭和46年)。
この雨粒が空気中を重力で落下し出すと空気の粘性力を受けるという。雨粒が自由落下すれば速度も速く、雨粒といえどもあたれば危険になるが、空気の粘性力により空気の支えから“ずり落ちる”ようになるために、危険のない速度になるらしい(「雲はなぜ落ちてこないか」 佐藤文隆 岩波書店 2005.1)。
こんな事を孫に話してもわからない。大きくなって興味を持った時に、自分で調べるのが一番良い。
空気の粘性力が頭の隅に残っていたある時、週刊新潮の「売れるには理由がある。ヒットを生む発想術」(第187回)という欄に(株)タカラトミーの『エアロソアラ』の開発秘話が載っていた。わずか3.5gで、室内で低速で飛ばすことの出来る超軽量ラジコン飛行機の開発である。空気などの流体の粘度は、ジェット機並のスピードではサラサラであるが、昆虫がバタバタと羽ばたくような低速では、粘り気が強くなる。低速飛行をする小型飛行機には全く違った力学が働くという。
気に入ったので、近くのおもちゃ屋に注文して、取り寄せてもらった。「孫に買ったよ」と連絡すると、「じいちゃんとJALを飛ばすんだ」と楽しみにしているという。
孫の疑問に答えようと調べていくといろいろなことが分かってくる。孫との散歩では百科事典は手放せない。
この百科事典もチョット黄ばんでいるが、カラーもしっかりしている。パソコンで「雨」を検索したら404万件がヒットした。これから更に絞っていかなければならないが、内容の信頼性には疑問が残る。最小限の情報を短時間に得るには百科事典はうってつけである。よくも今まで追い出されずに本箱に座っていたものだ。
46年頃は百科事典が花盛りで、各出版社が工夫を凝らしていたし、訪問販売でも高価な百科事典セットが売られていた時代である。
当時の出版関係者や学識者は、百科事典をどう考えていたのか。
社長の刊行の言葉に、「相次ぐ技術革新によって、かってない物質的な繁栄を招来したが、反面自然の荒廃、生活環境の破壊を招き人間は〈文化とは何か〉〈人間とは何か〉〈進歩とは何か〉を根源にさかのぼって問わざるを得ない。こういった現状を踏まえて〈新の文化とは何か〉ということを利用者と共に考えてみようという念願で刊行した」という。
また、刊行に当たり寄稿した湯川秀樹先生は「百科事典は国の文化の所産だ。その時代の知識の全体を基盤とする学問を集約し、それを普及するという役割を担っている。エレクトロニクスの生み出した情報処理機械が大いに威力を発揮しているが、それだからこそ百家事典は新しい使命を持つ。電算機から得られる情報とは質を異にし、まとまりを持ち「利用者自らに考えさせるような知識」を百科事典は提供することが出来るのである」と言う。
今、世界中の膨大な量の情報が駆けめぐっている。複雑化した現代社会で発生する諸問題に迅速に対応し、的確な判断を下すためには基本的知識となる良質な情報の入手が先決であり、いまでも百科事典はそれに充分に答えることが出来る。
湯川秀樹先生は、この百科事典刊行にあたっての寄稿で「利用者自らに考えさせるような知識を百科事典は提供することができる」という。
作家の小松左京さんは、売れない時期に百科事典を貪り読んだという。そして映画化もされ、ベストセラーになった「日本沈没」を書き上げた。当時話題になっていた科学的根拠(プレートテクトニクス理論)を発展させ、圧倒的スケール感で迫った小説で、当時大反響を呼び、わたしも読んだ。
米国の著名な物理学者で、ノーベル賞受賞者のリチャード.P.ファインマンさんも大英百科事典のことを書いている。人間形成に少なからず影響を与えられたお父さんが、ファインマンさんを膝に乗せて、よく読んで聞かせたという。
立派なお父さんで読むと言ってもただの棒読みではなく「どういうことなのか、考えてみよう」と一緒の考え、自然界の出来事に興味をそそられたという。
ファインマンさんはその著書で「親父のおかげで、僕はものを読めば必ずそれが本当はどのような意味があるのか、いったい何を言おうとしているのか解釈することを学んだ」という。
娘に「『どうして、なんで』と聞かれると、お前はどう答えているのか」と聞くと「面倒なので適当に答えている」という。そんなことでは好奇心も失われていく。娘の家には百科事典はない。何かあるとパソコンで検索している。
写真左:今も役立っている昭和47年発行の百科辞典とタカラトミーのAEROSOARER。上手に飛ばすには調整と練習が必要という。そのとおりでうまく飛ばせなかった。
写真右:雨模様 シトシト降る雨は良いが、最近は局地的で雷を伴った豪雨が多い。災害への警戒が必要だ。
註
この記事は、2006年10月に当時のインターネット新聞JANJANに投稿したモノだ。
雨も、しとしと降るのはよいが、最近は災害を警戒しなければならない豪雨が多い。今日も低気圧と前線が影響しあい、局地的に雷を伴った激しい雨になると災害に警戒を喚起している。
一方、百科事典類も電子辞書化が盛んだ。何十冊という辞典類が1台に納められ安価に提供されている。しかし、紙の百科事典には独特の趣があり棄てがたい。
そんな気がして、同じ記事をブログに再投稿した。
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