2010年10月19日火曜日

「操作された民意」、「国民は素人」という前に、情報公開、説明が十分だったか


最近、政治家やジャーナリストに「メデイアに操作された民意」、「専門家ではない素人の国民が司法の判断をする」など主権者たる国民を見下した意見が目立つ。

十分な情報も持たず、全くの素人同然である国民が、メデイアの世論調査で内閣の浮沈に係わる判断をしたり、捜査機関が不起訴にした案件を起訴にしたりすることに対し懸念と言うより、批判した発言だ。

しかし、その前に政府や行政機関、政治家は十分な情報公開と説明を果たしているのか。

情報公開、説明が十分でなかったからメデイアは、独自に調査したり状況判断から推論の記事を書く。記者クラブ制も批判されているが、貴重(?)な情報源になる。残念なことに大手新聞社の記者の考えは大体同じ傾向だ。

国民は、その新聞の記事で情報を得、判断することになるし、テレビの情報番組も新聞記事の切り抜き解説がほとんどだ。メデイアの報道は画一的になる。各メデイアの世論調査で同じ傾向が出るのは当然だ。

そこから、メデイアが世論を操作していると危惧する人が出てくる。小沢さんの政治資金規正法違反事件での容疑者の供述の新聞報道が検察リーク情報の垂れ流しだったことで検察が情報操作し小沢=悪者の構図を築いたと批判した。

しかし、小沢さんは自らの嫌疑に対して積極的に国民に説明したか。地方行脚や党大会で「1年余りの地検特捜の操作でも不正はなかった」と自らの潔白を主張したが、「真実がどうだったか」は未だ分からないままだ。

世論調査でも、「小沢さんは説明を果たしていない」が、圧倒的だ。

著名なジャーナリストがテレビの情報番組で、「メデイアの世論操作を危惧する」発言をした。しかし、十分な説明責任を果たさずに結果が悪者扱いになったことには、小沢さんに非がある。

このジャーナリストは、新聞に記事を書いたり、テレビでコメンテーターを務めて報酬を得ているのではないのか。そう言った人間がメデイアを批判するのであればコメンテーターを止めるべきだ。
一介のジャーナリストとして、ブログで調査報道をしたらどうなのか。今もコメンテーターとしてテレビに出ていること自体が節操がない。

「国民の素人」発言も、小沢さんの政治資金疑惑での検察審査会の「起訴すべき」議決から強制起訴になったことへの反論である。

小沢さんは、「不正はない」と言いながら、あらゆる手段を使って強制起訴を阻止しようとしているが、裁判所が言うように刑事裁判で争った方がよい。

確かに「起訴すべき」議決が出るに至った経緯が不透明であることは否めない。先の国会の審議でも民主党議員が最高裁、法務省の官僚に質問していたが、内容は非公開らしい。
当然に検察審査会制度そのものへの見直しの機運も出てくるだろう。

先日の「たけしのTVタックル」を見ていたら、民主党の原口さんが「民主主義国で、人民裁判はあってはならない」という主旨の発言をしたことに対して韓国人の出演者が反対意見を述べていた。どう考えても韓国人の出演者の法が正論である。検察審査会制度について、原口さんより正しい見方をしていた。

「国民は素人」とか「疑わしい民意」という前に、情報公開、十分な説明を政治家など為政者は為すべきだ。

正確な情報、十分な説明をすることにより正しい世論が構築され、国民も正しい判断が下せるはずだ。

不正確な情報により形成される世論は政治家や内閣の信頼を落とす。その非は政治家や内閣にある。

中国漁船領海侵犯衝突事件、普天間移設問題、対米・対中問題、円高・株安、景気対策、「政治とカネ」等重要課題が山積している。菅政権がどの程度情報開示できるか、十分な説明
が出来るかにかかっている。

「正しい民意」、「国民は常識人」は、為政者の正しい情報公開、説明責任に負うところが大きい。
写真:首相官邸 どの程度情報公開ができるかが、政権の命運を負う

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