2014年1月3日金曜日

本当に福沢諭吉、野口英世は偉人?:お札の肖像から消える日が来るか

1万円札の福沢諭吉
1万円札の福沢諭吉、千円札の野口英世がお札の肖像として価値があるのか。我々が感じている評価と全く違った評価がされていることを考えるとお札から肖像が消える日が来るのか。

朝日新聞(2013.12.30)「ひと」欄に福沢諭吉像の見直しを訴える安川名大名誉教授の記事が目についた。 

それによると、福沢諭吉は市民的自由主義者か、アジア侵略の扇動家なのか評価が分かれているが、安川先生は自国独立を最優先して国家への服従を説いた保守主義者だと一石を投じ、福沢諭吉の保守的言動を分析したと言う。そしてリベラリストとしての評価は高名な学者が誤訳したのが原因だという。

そして、近く紙幣の肖像から福沢を外す運動を始めるというのだ。

しかし、私たちの福沢諭吉感は、宇沢弘文先生が言うようにリベラリストであり、偉大な教育者なのだ。宇沢先生はアメリカの大学で教えた経験から、いずれもリベラルな雰囲気を持った良い大学で、これらの大学が共通して持っている思想を的確に表現するのが福沢諭吉のリベラルな考え方で、大学の教育のありかたについて貴重な規範を与えていると絶賛する(「経済は人びとを幸せに出来るか」東洋経済新報社 2013.11)。

まるっきり違った評価なのだ。

福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」は福沢諭吉の言ったものではなく、アメリカの教育者の言葉を伝聞したのだ。これは以前から知っていた。「学問のすすめ」の巻末に注意書きがされているのを見たことがある。

千円札の野口英世
もう一人、1000円札の野口英世博士も、そのほとんどの業績を否定されている。

野口英世博士は細菌学者でスピロヘータ・パリダの純粋培養に成功、ロックフェラー研究所部長、アフリカで黄熱病の研究中に感染死亡。その研究は当時のノーベル賞受賞の有力候補になった(現代世界百科事典 講談社 昭和47年)。

ところが、ズッと以前に何かの雑誌で「野口英世が当時としては驚異である200編に上る論文を発表したが、その内容は全く評価されないものである」という内容の記事を読んだことがある。当時は「すごい論文数だな」と思った程度だった。

しかし、福岡伸一さんの「生物と無生物の間」(2007.5 講談社)を読んでいて、「野口英世は偉人か、虚像か」、「もし虚像であれば何故1000円札に採用されたのか」という疑問が湧いてきた。

それによると、世界的な医学者となり、功成り名を遂げた偉人伝ストーリーの人物だが、ロックフェラー大学における評価は日本のそれとはかなり異なる。梅毒、ポリオ、狂犬病、黄熱病の研究は当時こそ賞賛されたが、多くの結果は矛盾と混乱に満ちたものだった。数々の病原体を突き止めたと言うが、今は間違った業績として顧みられていないというのだ。

我が国では偉人伝ばかりなのかと図書館で調べてきた。

「野口英世 知られざる軌跡(山本 山手書房新書 1992.7)」によると、野口英世没35年目の文藝春秋(19643月)の「野口英世 もう一つの顔」というタイトルで筑紫中央大講師が「野口の存在は世界はおろか、日本の科学史においてもそれほど重要な者ではない。少なくとも名声に匹敵するだけの価値を持つ仕事は成し遂げていない」という。

慶応大の小泉丹氏も19485月の20忌記念講演で「神棚から野口を下ろすべきだ。あまりにも英雄視しすぎている。野口を神様扱いするのは大反対だ」とこき下ろしているのだ。

6年ほど前だったと思うが、「何故、1000円札の肖像に採用されたのか」と財務省国庫課通過室に聞いたことがある。

選定理由は、明治以降の文化人で(1)日本国民が世界に誇れる、(2)教科書に載っていて一般的によく知られている、(3)写真が残っていることだという。

「野口英世の業績は、ほとんど否定されているのを知っているか」と問うと、チョット詰まっていたが「記録にはそのようなことは残っていない」という返事が返ってきた。役人のやることだから何人かの検討委員が選ばれ審議された結果の採用だったのだろう。

パスツールやコッホの業績は時の試練に耐えたが、野口の仕事はそうはならなかった。その行動力は評価されるが、業績を含めてしっかり検証し正しい評価をしなければならないのではないか。

福沢諭吉、野口英世ともに評価が分かれるところだ。1万円札、千円札の肖像として価値があるのか、見直すべきだろう。

   (注)野口英世博士に関連する記事は市民メデイア「JanJan」に投稿したものを掲載した。


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