2014年1月10日金曜日

高齢化社会の医療、介護、年金制度は持続可能か

弱き者を切り捨てる経済活動は長続きしないが、言われている高齢化社会での福祉制度は持続可能なのだろうか。社会保障費は年に1兆円増加し、今30兆円を超えた。例え消費税が10%になっても社会保障費を賄うことは困難と言う新聞記事が出ている。

そんな状況でも国民は必死にがんばっているのだ。

私も娘夫婦が共働きのために孫の保育園への送り迎え、小学校へ行っている孫達の送り出し、迎えを手伝っている。1日8時間も拘束されていることになる。

朝7時前にマンションを出て娘達にいるアパートに行くが、途中でママチャリの前の席、後ろの席に子どもをのせた母親とすれ違う。おそらく保育園か託児所に連れて行っているのだろう。毎日2~3組とすれ違う。

こういった家庭は、朝起きたときの子どもの体調でその日の仕事のスケジュールが狂ってくる。親が近くに居れば助けてもらえるが、そうでなければ夫婦が交代で年休を取り子ども看病ことになるが、休みが続けば取りづらくなり結局母親が仕事を辞めることになった例がある。

少子化対策で子どもを増やせと言うが、共働き夫婦を支援する環境はまだ十分とは言えないのだ。

8時半頃、保育園に孫を送っていくが、いつも気になるのがデイサービスの送迎車だ。見れば車を運転しているのは65歳を過ぎたような年齢のこれも高齢者だ。何か知らないが老老介護のようだ。聞くところによると、こういう施設はそういうボランテイア的仕事をする人を採用しなければやっていけないというのだ。

近くにデイサービスの施設があるが、遠方からも迎えに来ている。要は競争なのだろう。施設は賃貸マンションや貸しビルの1階を使っている。こんな狭いところで大丈夫かと思うほどだ。石原さんが知事の時、施設の構造に基準があってむやみに認可できないので基準を緩和する必要があると言ったことがある。緩和を進めるとどんな結果になるのか想像しても恐ろしい。

施設の前を通りたびに出来ることならお世話になりたくないと思う。これも石原さんが2回目の知事選の時の討論会で「ピンピンころりが究極の福祉なのだ」と言ったことがある。その時、他の候補者は何も言わなかったが、今になって重要なことだとわかった。「ピンピンころり」といける高齢者対策が必要なのだ。

増え続ける医療費もやり玉に挙がっている。医療制度の改革が必要なのだ。 重複医療、医療過誤、不必要な投薬、手術、検査が医療支出の果てしない増大の要因でもある。 昔問題になったが未だ重複医療があるなんて驚きだ。

私も通院しているが、以前は一回行くと3カ月分の薬をもらっていたが、3.11以降、薬がひっ迫しているということで1カ月分しか処方してもらえなくなり今に至っている。あれは薬の物流の問題ではなかったかと思うが、私にとっては病院に払う医療費が3倍になり医療費の無駄遣いだ。

骨折して整形外科で入院、リハビリを行ったがおかしな治療を続けている事例を見た。高齢者が通院し痛みのある患部を温湿布治療をしていた。温めた枕のようなものを10分ほど患部にあてる治療だ。知人に「効果があるの?」と聞くと「分からない」と言う。それでも1割負担なので130円窓口で支払う。患者にとっては安く感じるだろうが医者への医療費は1300円なのだ。リハビリ室はこういった患者が後を絶たない。バカにならない金額だ。

また、開業医と入院設備のある病院では対応が違う。眼科で日帰り白内障手術があるが、入院設備がある病院では1泊させられる。家内が頭、歯が痛いということで開業医に見てもらったが良く原因が分からない。血液検査の結果数値に異常が見つかったが入院施設のある病院では入院になった症例だという。

どちらが患者にとってはいいのか判断しにくいが、1泊入院すれば医療費が高くつくのだ。

年金、医療、介護費は増加する一方で、高齢者1人を支える労働人口は2人から将来は1人になるという。労働人口の生活水準を落とさず、高齢者を支えることは難しくなるのだ。

でも、こういった福祉制度は国民(高齢者)の基本的人権に属し、政府は基本的サービスを供給する責任があるが、緊縮財政は福祉的支出の削減、公的サービスの質を落とし国民の不満が高まる。

そのために、政治家は選挙が近付くと票がほしいために福祉的支出の削減を控える傾向にある。それが今問題になっている70~74歳の窓口支払いを1割から2割に上げる動き
だ。これは2008年に暫定処置をされた政策だが、しばらく国政選挙はないから今年3月から2割になりそうだ。介護の自己負担も10%から20%に上がる。

政府は、消費税増税分を全額を社会保障費に回すというが、10%にしたって社会保障費を全額賄うことはできないのだ。そこで医療、介護、年金の給付抑制策が重要になるのだ。

しかし、この医療、介護など市民的権利の充足が利潤動機に基づいて行動する経済主体を媒介にする時、その実質的内容が市場的な基準によって大きく歪められ、本来の意味における市民的権利の充足から偏倚したものになり、投下した希少資源の社会的浪費は不可欠なものとなり、その大きさは年々加速度的に上昇する傾向にある(宇沢弘文「経済学は人々を幸福にできるか」東洋経済新報社2013.11)。

年越し派遣村での生活保護を食い物にする業者、最近では看護師派遣業が250億円の市場になっているなど上げられないか。

この宇沢先生の指摘は、今の福祉事業にぴったり当てはまらないか。政治家、事業者、国民も福祉制度維持に当たって肝に銘じなければならないことだ。



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