経済成長の是非が問われているようなデフレが続くが、デフレではダメなのか。デフレ脱却が不可能な新聞記事を見るたびにそう思えだした。世界機関が発表した各国の成長率を見ても中国の6.5%には疑問があるとしても他国はプラス成長でも日本だけはマイナス成長だ。
グローバリズム経済にあって我が国だけがマイナスとは不思議だが、国内経済政策に間違いがあったのだろうか。
政治はデフレを嫌う。20年来、各政権は脱デフレ宣言をしようとしたが叶わなかった。安倍政権は「もはやデフレではないが、戻らないとは限らない」と脱デフレ宣言は出来ない状態が続く。
讀賣新聞(2016.4.14)で「デフレ脱却 遠のく」と言う記事で企業物価指数も2年連続で下落、政府・日銀が目指すデフレからの脱却は遠のいているという。
でも、年金を減額され、預金金利も低金利の今、生活弱者にとってはデフレは好都合だが、政府や企業はインフレでないといけないらしい。こうなると設備投資も増え、賃上げもできるという好循環に持って行けると言うが、市場にジャンジャンカネを流してもそうはいかない。
根本的には内需が不足しているのだ。外需に頼っているから中国、新興国の経済減速は直接響く。中国に構造改革など訴えても共産党一党支配の政治では無理だ。
でも思いだしてみよう。
1970年代の初めは、ローマ・クラブが「成長の限界」を出し、スモール・イズ・ビューテイフルがもてはやされた。
今のような生活をするのは地球が1.5倍必要だとも警告する。
従来の経済成長ではなく、新しい概念が必要なのだ。それにはエネルギーの消費を減らし、楽しみ、行動、文化など経済以外で発展させなければならないという(「経済成長がなければ 私たちは豊かに 慣れないのだろうか」ダグラス・ラミス 平凡社 2004.9)。
南北問題、グローバリズムではなく、各国がそれぞれに特化した生活を維持すれば良いのではないか。アメリカや先進国のマネをしようと思うから間違っているのだ。
世界的に対策を立てようとすると先進国vs新興国でカネの奪い合いが始まる。地球温暖化対策を見れば分かる。全てがそうだ。
しかし、我が国だけがマイナス成長では恥ずかしい。
考えてみれば米国型グローバリズムで日本的経営が頓挫したことではないか。春闘でもベースアップはゼロ、定期昇給も見直しされ、正規従業員から非正規従業員へ、生産では中国など新興国との争いになり賃金は抑えられた。
今になっても企業は低賃金に慣れっこになったために官製春闘といっても政府が思うように賃上げは進まない。世界経済の先行き不透明さが経営者の頭をよぎるらしい。
今年は、中小企業の方が大企業より賃上げが上回ったということが、せめてものニュースだ。
日本型経営を取り戻し、家計への再分配を優先すべきだ。
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2016.4.3掲載
内需拡大、持続的成長に:アメリカ型グローバリズムを止め、日本型経営を取り戻せ
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